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Zives II
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Zives II Liner Note

表記は、前作の解説文同様に、
・ザイヴズ (「V」なので「ヴ」。ブラッドベリ曰く「ヴはヴァン・ヘイレンのヴ」[嘘])
・S: Sugawara Yoshihiro (ちなみに ‘Sugar Water’ という当て字を勝手にしていた事が有った。失礼)
・T: Arae Taro (ちなみに彼は小中学生の頃は ’Taroh’ と表記するのを好んでいた。エヘヘ!)
・Y: Suzuki Yuto (ちなみに彼への掛け声は「スティーヴ・スズ〜キ[アクセントは〈ズ〉]で宜しく)
で行かせて頂きます。相変わらず、進歩無く、回りくどい人見です。宜しく御願い致します。


ロック・バンドがセカンド・アルバムを作る際の、いくつかのパターン:

A デビュー盤と同傾向の路線

A1 録音初体験だった前回の反省を踏まえ、まとまり良く、熱いグルーヴを音盤に刻む事に成功する。
良い感想:タイトだ。
悪い感想:まとまっちゃったね。悪くないけどスッキリしちゃったね。

A2 デビュー盤で良い曲をほぼ使ってしまい、しかも以降作った新曲のクォリティが落ちてしまった為に「今ひとつ」の感が拭えない。
悪い感想:これならファーストを聴くなあ。
残念そうな感想:この音でファーストの曲を録り直してくれないかなあ。

B 路線の拡大・変更

B1 メンバー補充(含ゲスト)によるパートの追加
良い感想:広がったね。
悪い感想:バンドっぽくないサウンドになってない?

B2 演奏技術・録音技術の向上に伴うバンドの進歩と「ちょー」「輪!」
良い感想:スタジオ(とミクシング機材)を使いこなしてるね。
悪い感想:もしかして収拾がつかなくなっちゃってる?

C セカンドを出せない

→煮詰まって解散


 貴方はザイヴズのセカンドにあたる本作を聴いてどの様な印象を持たれたのだろうか。ひとまずCにならなくて良かった(心配してなかったけどね)。
各々の雑多なルーツを反映して、結成の時点で、既に彼等の音楽性は実に広い。トリオ編成と言う「音数の少なさ」を逆手に取り、土台だけで聴かせてしまう曲も有れば、キーボード、パーカッション、コーラスのオーヴァー・ダビングを駆使した新たな世界を披露してもくれる(おお今回唯一のゲストはジーザスさんの銅鑼ですか!)。ライヴ感を重視したデビュー盤や実際のライヴでの彼等に幾度と無く接してきた方でも、いやそういう方々こそ、このアルバムは新鮮に感じる事だろう。
 僕の感想は、A1、B1、B2の、勿論「良い感想」だ。


 さて、彼等に関する歴史的な概論・概説は前作での島村文彦氏の文に詳しい。二度手間になりかねないので重複は避けたい(それでなくとも、彼も僕も三度手間くらいの、とてもくどくて、実にくどくて、ナルホド確かにくどい文体なのだし[笑])。なので、各々との個人的な歴史をしたためる事とした。そこに彼等の音楽性にまつわるキーワードを入れつつ(ま、どうしたって入ってくるのだが)、結成前夜迄の、彼等の音楽的背景の論考に役立てて頂ければ幸いだ。
 尚、Yに関する記述が少なくなる事が予想されるが、彼と僕の「歴史」はむしろザイヴズ結成以降なので、その辺りはY本人も含めてどうか御了承頂きたい。ちなみに二人の間のキー・ワードは寺沢武一と松田優作。最近はオダギリジョー、好きじゃない? 今度の「帰ってきた時効警察」、ちょっとやりすぎっぽいけど、やっぱり見逃せなくってさ。
 では。


 Tとの出会いは78年、小学六年の十一月。僕が転校して来たその日だ。「冬でも半ズボン、しかも小六でランドセル少年」だった僕は、数名残っていた同志(と思い込む訳で)の一人であるTに一方的な親近感を持った。その日のTの日記(後年知るが、偶然にもTはその短期間のみ日記を書いていた)に、
「今日転校生が来た。ひとみという人だ。放課後は○○(別の同級生)と遊んだ。」
と簡潔に僕との出会いが記されている。別に何という事は無かった様だ(笑)。しかも平仮名だし。
 当時の共通の話題は何と言っても「マカロニほうれん荘」だった。僕は前から四巻を持っていた。確かTは三巻(小学生は分担して揃えていたものだ。正にバローム・クロース!)。「うっ」「どーん!」

ザイヴズへのキー・ワード:マカロニほうれん荘

 卒業の頃の学芸会で、Tは「夢想花」を、僕は「想い出のスクリーン」を歌った。アリスやゴダイゴといった所から、いつしか洋楽にシフトし、アバやトトやアース、ウィンド&ファイアやキッス(Tは小四でキッスとザ・ラナウェイズのファンになっていた)で盛り上がった。そしてシーク。「人見もアバとか聴くんだぁ」(当時のTの台詞)―それが79年春の事。

ザイヴズへのキー・ワード:Toto, Kiss, The Runaways

FM雑誌を買い始めたのも、レコードをどかどか買い始めたのも、有志のステージに立ったのもTの方が早かった。毎週日曜日、その前日の「コーセー歌謡ベスト10」「ダイヤトーンポップスベスト10」を録音したカセットをT宅で二人で聴いてはああだこうだと批評していた(*)。「ダイア・ストレイツはメロディが無いから駄目だ」とかね。ボブ・ディランも知らない頃だったんだよぉ、勘弁してくれ!
(*)Tは僕だけが評論家だったみたいな書き方をしているのだが、いやそんな事は…そうだったのだろうか?

ザイヴズへのキー・ワード:Live (Tが中学で結成した生ギター三人からなるグループ。アリス、さだまさし他を演奏。中三の春に僕はキーボーディストとして加入)

 洋楽至上主義者(特になりたての頃)はその返す刀で邦楽をバッサリ斬りがちだ。しかも有名どころはバッサバッサと。そんな中、その偏見(でしょ、殆んどは)をかいくぐり、当時洋楽ノリで聞けた邦楽と言えばYMOやジョニー、ルイス&チャー(以下JL&C)だった。FMでの扱いからしてそうだった。クリームやBBA、ヘンドリクスと同列でJL&Cをかけた番組に、今改めて拍手を贈りたい。

ザイヴズへのキー・ワード:Jimi Hendrix, Beck,Bogert,Appice, Johnny, Louis&Char

 80年12月8日、Tと僕は中二だった。追悼番組が初めての「ザ・ビートルズ特集」だったTと僕はどうしてもジョン・レノンの作品を贔屓してしまいがちだ。渋谷陽一の「サウンドストリート」を聞き始めたのがおそらくこの直後。「昔の洋楽」への関心が急速に高まる。

ザイヴズへのキー・ワード:The Beatles

 82年、高校へ進学。別の高校へ進むも、Tのバンドに参加し続けていた事も有り、そっちの付き合いの方が多かった。

ザイヴズへのキー・ワード:The Live (Tがドラマーになり、エレクトリック編成になった頃、いつしかザが付いた)

社交的且つ遠慮のないTの部屋には(長所ですよ、長所。信用されてるんですってば)、レッド・ゼプリン、ジェフ・ベック、クリーム等の、高校の同級生たちのLPが常に集まっていた。そしてその幸運を仲間に分ける事も忘れなかった。「人見、イーグルズ全部有るぞ。」「じゃあカセット六本!」ってな具合で連絡を受けては自転車(約五分)で駆けつけたものだ。T宅は人も音も集まる場所だった。僕はドルビーBでね。
そしてTはこの頃、ザ・ビートルズを順番に買っていた。僕がそれを大いに意識して買い始めたザ・ローリング・ストーンズもT家の品揃えに加わっていた。永遠の名盤、ジノ・ヴァネリの『ナイトウォーカー』が出たのもこの頃(買ったのはTだ)。T宅はコピー用の(預かりの)カセットが山と積まれていた。

ザイヴズへのキー・ワード:Led Zeppelin, Jeff Beck, Eagles(Yはドラムを叩きながらしかし歌はグレン・フライ[笑])

 高二の夏を彩る三枚。六月に出た山下達郎の『メロディーズ』、同じ頃に買ったストーンズの『ベガ―ズ・バンケット』そしてTが意を決して買ってくれた『ウッドストック』(三枚組、よって正しくは計五枚)。毎年出ていた地元の夏祭りのバンド・コーナーで、ザ・ライヴは、トト、ジャーニー、柳ジョージ&レイニー・ウッドなんて所を演奏した。

ザイヴズへのキー・ワード:Santana, The Who(ダフー), Joe Cocker, Sly&The Family Stone

 社交的なT(当時は楽器もギターとドラム、うじきつよし的な存在感を放っていたのだ)は、バンドつながりで他校の音楽仲間を増やす。そんな中の一人にYが居た。しかし僕もTもYも、これ程の長い関係を予感していなかった筈だ。確か高二のクリスマスの頃、Tに誘われて横浜でライヴ(ダンス・パーティ的なものだったのだろうか?)をする友人(Y達の事だった)を観に行った。バンド仲間的な生意気なスタンスで言えば「お手並み拝見」だ! だが進行が遅れたのか僕等の到着が遅れたのかは忘れたが、そのステージは観られなかった。「ロンリー・ハート」(←一番批判されていた当時最新のイエス)や「子供の凱歌(トト)」(←上手い奴等が演りたがるロック・インストの代名詞)を完コピしているのを帰りがけに耳にした記憶が有る。プロ/アマ問わず、僕は特にドラムズに耳を傾ける傾向が有る様で(最近やっと気付いた)、グルーヴだの何だのという事ではまだ無いが、リズムが合っている、その要であるドラムズがしっかりしているのに感心したものだ、なぁんて偉そうに、全くもう。それがYだったのだろうか。その記憶さえ曖昧だ。

ザイヴズへのキー・ワード:Jeff Porcaro (Toto)

 85年、僕は大学へ進学。その進路決定は、高三の時に二週間来ていた一人の教育実習生に大きく影響されている(単純に彼の後を追ったのだ)。現在、横浜市内の中学で国語教師をしている彼は、新年度初日に教室で生ギター片手に♪ど〜ぶ〜ね〜ずみ〜♪とカマしたり、テスト問題に小山卓治の歌詞を使ったり、「脳味噌、筋肉ですもんねぇ」と体育教師を敵に回したりする、今日も闘うR&Rティーチャー四十四歳である(もうすぐシングル盤の回転数ですね!)。彼が居た島崎藤村ゼミ(*)の同期、つまり僕と入れ替わりで卒業した一人にSが居た。Sはその年からは大学の職員として図書館勤務。
(*)その先輩曰く「藤村はロックだよ」

 その先輩から以前より聞かされていた「Sなる人物」に関する情報:
・チャーが好き
・ジミ、トッド、ザッパが好き
・「ザッパって何処から聴き始めれば良いか判らなくってさ」「ならこのアルバムから入るといいよ、ポップだから」と勧められたが、何処がポップなのか全く判らなかった
・バカかっちょいいギターを弾く
―Sに会うのが少し怖かったのも事実だ。それはこんな前情報が悪い(笑)。

ザイヴズへのキー・ワード:Todd Rundgren, Frank Zappa

 そのSと初めて会ったのは上記の先輩、PPCのKen(*)と三人でザ・プリテンダーズの来日公演に行く日だった。確か87年の春(パンフが見つからない!)。待ち合わせをしていた今は亡きヨコスカ・ジャンク(中古盤・古書・駄菓子・古着店)に、先輩はSと共にやって来た。ジャンクのマスターがテンソウの横内“タケ”健亨に似ているという指摘をしたのがS、一方のマスターは「(Sの)第一印象はケメ(佐藤公彦)ですよ」。
(*)高校生の三年間、Ken、Takashiと僕は毎朝一緒に通学する仲だったが、「永遠の詩」のリヴァイヴァル上映をしていた映画館で偶然会った時は流石に驚いた。あれは何で一緒に行く約束にしてなかったんだろうねぇ?

ザイヴズへのキー・ワード:Tensaw, Trauma

会場だった日本武道館迄の電車の中で、とても初対面とは思えない、気の合った楽しい会話が続いた。当時僕がTと組んでいた(後述する)イエロー・ビッグ・バードのネタ(だな、あれは)をバラす度に、一体何度「近田春夫の息がかかってるね」とSから指摘された事か。その時点で僕は意識して近田春夫を聴いた事は無かった(先輩の家で聴かせてもらった事は有った)。僕がビブラストーンに熱中するのはこの直後だ。何と言う先見の明。
 そして僕は、「この人と居ると面白い。この人から色々教えてもらわねば」と感じた。新たな音楽の、雑学の先輩の登場を喜んだ。特に、チャーに詳しい先輩を初めて得た喜びはひとしおだった。集めて揃えて並べたかったからね。

意を決して図書館へ向かったその日の放課後、Sは受付カウンターの向こうで「美術手帳」のグレイトフル・デッドだかフィルモアだかのポスター頁を開いていた。話し掛けるのに何て良い切っ掛けを作っておいてくれる方なのだろうと感動した。

 以降、「大学に行く」は「Sに会いに行く」と同義になった。帰りに神保町〜御茶ノ水と歩き、中古レコード店で散財をして喫茶店へ入り、終電迄ひたすら話をする。話題は、「古老に聞く」的な、羨ましい洋楽やジョニルチャ(初期)の実体験エピソードだったり、「ウルトラ怪獣で一番怖いのは?」だったり(「攻撃不可能なので巨大フジアキコ隊員」という、実にどうしようもない結論!)、「『黒いザッパ』って言われてるから、Pファンクって面白いんだろうなぁ」だったり。

そして、かねてから気にはなっていたものの、足の踏み入れ方が解らずに困っていた、ジミ・ヘンドリクス・フォロワー達の世界への深入りを、Sは僕に指南してくれた。案の定というべきだろう、その多くはパワー・コードのトリオだった。その頃はジミ本人の生前作さえもまだ揃えておらず、フォロワーと言えるので聴いていたのはジ・アイズリー・ブラザーズやスティーヴィー・レイぐらいだったのだ。Sという光明を得、僕は世にも珍しい「ギターを弾かないギター・フリーク」になっていく。

ザイヴズへのキー・ワード:Robin Trower, Rory Gallagher, Frank Marino&Mahogany Rush, Pat Travers, Uli Jon Roth, Randy Hansen, Stevie Ray Vaughan, Band of Gypsys, Buddy Miles

 Sの名言の一部:「チャーはジミに関してそんなに深くないよ」「人見君はファンクが好きだから、ジミはバンド・オヴ・ジプシーズが良いんじゃないかな」「アイズレーは気持ち良過ぎて寝ちゃうんだよなぁ」

この頃からの数年間、Pファンク近辺やサラス、レニー、JL&C(ピンククラウド)のライヴの多くはSと共に通った。特にピンクラは、チャーが江戸屋を設立した頃にあたり、(結果、最後となる)久々の疾走を始めた所だった。

ザイヴズへのキー・ワード:Funkadelic (P-Funk), Stevie Salas Colorcode/Third Eye (!!!!!), Lenny Kravitz, Pink Cloud

 ちなみに、間接的にではあるが、どうやらSはチャーにパット・トラヴァーズを教えた人らしい。そ、そんな畏れ多い方と徹夜で馬鹿話を出来るなんて、僕は何と恵まれているのでしょう…。

 大学三年の時、Tと僕は改めて別のメンバーと五人組のバンドを組んだが、色々有って一年後に、リーダーであったTが脱退する。前者がイエロー・ビッグ・バード、後者がマジック・ベルトだ。
四人になって間も無く(まだマジック・ベルトを名乗る前)、例のR&R国語ティーチャーが結婚するというのでその二次会ライヴに参加する事となった。同期であるSも参加を依頼されていたが、Sは基本的に渡り鳥ギターリストだったので、過渡期でもある我々と何だかどさくさ紛れの共演という形で出演する事となった。何だかとても嬉しかったので、捻りも無くハッピー・ブラザーズを名乗った(*)我々五人は、歌に入るなりレゲエになってガックリの「ハイウェイ・スター」やら、♪ロ〜クサーヌ♪を♪お〜くさん♪とした「ロクサーヌ」の日本語ヴァージョンやらをカマし、結構ウケた。この時客席に居て大いにウケていたTは(どれもこれも、イエロー…の頃から暖めていた、Tも知っていたネタだったのに、サクラの如く実に良くウケてくれた)、もしかしたらこの時からSに目をつけていたかも知れない。
(*)実は一年前に不採用となったバンド名でもあった。レオと、タロウ最終回のバルキー星人の関係…いや違うか。

ザイヴズへのキー・ワード:Yellow Big Bird, Happy Brothers, マジック・ベルト(←ザイヴズという名の由来!)

 さて脱退したTはギターからベイスに転向する事を決意(*)、やがてYとのリズム・セクションを擁する新たなバンドが誕生する。その名は「ザ・ワッツ(The What’s)」。名曲 ’Join Us Tonight’ で記憶に残る、「うまい」に「巧い」を当てるのが最もハマるバンドだった。彼等と対バンになると自らの稚拙さに呆れたものだ。その日、88年10月30日。”Wake Up Live” と名付けられたそのライヴは三笠公園の野外音楽堂で行われた。マジック・ベルトが最初、続いてSの十二弦生ギターを抱えてのソロ・パフォーマンス。Sのレパートリーはブライアン・ウィルスン一曲とトッド二曲。この選曲とパフォーマンスにKOされた一人が島村氏だ(**)。そしてその数バンド後に、「今日は私達の数多いレパートリーの中から」というMCと共に、数少ないレパートリー全曲を演奏したのがザ・ワッツである(笑)。
(*)確かYの意見も有っての転向であったと記憶している。以前からリズムに自覚的なギターリストだった。
(**)そうか、数年後の島村さんのバンド・メンバーってこの日に全部決まっちゃったんですね、結果的に。

ザイヴズへのキー・ワード:The What’s

 翌年の大学卒業の頃より、コンサート関係の「バイトくん」をしていた僕は、時間を作っては、高円寺にあったS宅に何度となくオジャマしていた。何だかいつも「イカ天」をやっていた気がするので土〜日だったのだろう。ジョニーではなくエドガーを頂点とするウィンター・ファミリー好きにしてくれたのはSだ。ワイト・トラッシュ、ファンクですものねぇ。

TとYも僕と一緒に上記のバイトをしていた時期が有る(*)。当時Yは「何とか(スティーヴ・)ガッドの参加レコードを全部集めたい」という、有史以来誰も達成出来ていないであろう野望を口にしていたが、その後の進捗状況は如何だろうか? 当時は、ふた言めに僕はナイル・ロジャーズ(今も)、Yはガッド(今も?)だった。この頃、TとYはザ・ワッツを展開させる形でガウチョなるグループを始動。いわゆるカヴァー・バンドで、ビアホール仕事を狙ったという事だった。僕も一度スタジオでご一緒させて頂いた。これは自然消滅した様だ。
(*)先に始めたのは僕だが、そもそもこのバイト先を僕に教えてくれたのはTだ。

ザイヴズへのキー・ワード:Steve Gadd (←野暮だとは思いますが、「スティーヴ・スズキ」の由来です), Gaucho

 さてその頃、僕は、T、Sとのトリオを組んでみたいと思いついた。まだ「ドラムズに興味を持った」という程度だというのに、今思うとよくもまぁそんな大それた事をと思ってしまうが。アイディアだけはTにも話したが、勿論やんわりと乗り気ではない空気を作られてしまった。そりゃそうだ。僕はまだちゃんと叩いた事さえ無かったんだもの(あ、有っても駄目か[笑])。それはともかくとして、多分ピンクラのライヴの後でS宅に泊めてもらった翌白昼(暑い日だった)、一度だけSと二人でスタジオ入りした事が有った。確か演奏したのは ”Drive Me Nuts”, ”Head Song”, ”B・Y” といった辺りだったと記憶している。

ザイヴズへのキー・ワード:Drive Me Nuts /Pink Cloud(ピンクラ後期の最高傑作)

勿論僕のドラム・プレイはバタバタのガタガタだったのだけれど、Sは笑い乍ら僕に合わせて弾き、歌った。そして。

これがSの火をつけたと思いたい。SがTYと合流するのは間も無くの事だったのだから。

 後は島村氏の文を御参照頂きたい。


 それにしてもこのセカンド・アルバム。いわゆる「社会人バンド」なのにこの向上心は何だろう。


 つらつらと書いてきて、とんでもない結論に向かってこの駄文が進んでいた事に気付いた。
 つまり、これではまるで、読者諸兄諸姉に、

ザイヴズへのキー・ワード:人見欣幸

 と思わせたいみたいではないか…。そんなつもりは毛頭無いですよ。いやいやホントだってば。


予想通り、長々と失礼。


四月二十七日深夜擱筆 翌晩校正 五月七日加筆及び訂正
人見 “Hit-Me!” 欣幸, ’07.


附記
昨(2006)年末から半年と経たぬうちに、ボズ・バレール(クリムズン宮殿最初の物故者)、実相寺昭雄、ジェイムズ・ブラウン、青島幸男、鈴木ヒロミツ、イアン・ウォーレス(ボズの相棒だった)、植木等と、それぞれ僕の精神世界の何パーセントかを形作ったと言っても良い方々が相次いで鬼籍に入った。Tより、年明け早々にCD-Rは預かっていたものの、中々それを聴く勇気が出なかった。聴く、そして書くの遅れたのは情け無いがそんな理由だ。
そしてやっと聴いた三月。―後悔先に立たず。救われたのだ。本当、いつも後で気付く。早いとこ聴いとけば良かった。ザ・フーだったり、ジェイムズ・ブラウンだったり(今回は一番効かない!)、シークだったり、スライ&ザ・ファミリー・ストーン(今回は仕事で聴いた!!)だったり、アース、ウィンド&ファイアだったり、中村一義だったり、橋徹也だったりするが、今回はザイヴズに救われた。あとサンボマスターにも(笑)。R&Rの時間ですよ。あ〜来た!

 

人見欣幸(ひとみ・よしゆき)
ポップス、ロック、ソウルものの紹介文を「レコード・コレクターズ」誌他に寄稿。
音楽ライターとしての活動の傍ら、湘南ビーチFM等でDJを務める。
ISHII Pops In The Box(金)16:00-17:00
STARLIGHT CRUISIN'(火)19:30-22:00
Back to 70's(日)10:00-11:00
ジャンルを超えた幅広いレコード・コレクションの中から、選りすぐりのごきげんな音を聞かせてくれる。
なかでも、ブラック・ミュージック、特に「シーク(Chic)」に関する知識は膨大。
あのナイル・ロジャーズ(!)が彼の番組にゲスト出演したこともある。


CopyRight(C) Zives On Line @Dogeza Records 2007

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