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| 中国からやってきた豆腐 豆腐の歴史 |
私たちが食べている豆腐とはいつ頃、どこからやってきたのでしょうか。そもそも、誰が考え出した食べ物なのでしょうか。
豆腐の歴史は非常に古く、約二千年前に中国で考え出されたものだとされています。その頃の中国は「漢」という時代で、当時の准南王劉安により発明されたという説が有力です。劉安と聞いてピンと来る人はよほどの歴史好き。三国志にも登場する項羽と劉邦は有名ですが、その劉邦の孫が劉安です。この説には不確かな部分があり、正式な記録は残っていませんが、現在はこの説が有力だとされています。
さて、その豆腐が、お隣の国、中国から日本にやってきたのはいつ頃でしょう。豆腐を日本に初めて持ち帰ったのは、遣唐使という説が有力です。遣唐使は、飛鳥時代から奈良時代にかけての時代ですが、この説も裏付ける記録は残っていません。その後、鎌倉時代の文献に初めて「豆腐」という文字が登場します。少なくともこの時代には、豆腐は日本に存在していたのでしょう。
ようやく日本に伝わってきた豆腐も、すぐに庶民が口にすることはできませんでした。当初、貴族や僧侶など一部の人たちだけが口にすることができた、貴重な食べ物だったのです。また、仏教と共に伝わってきた豆腐は、精進料理として欠かせないものだったのです。殺生を禁じられている仏教徒の食事に、大豆を原料とした豆腐はなくてはならない食品だったことでしょう。
精進料理の域を出て、一般に豆腐が知れ渡ったのは、室町時代以降です。この頃には、奈良で作られた豆腐が行商により京で売られているという文献が残っていますから、かなり広まってきたと言えるでしょう。しかし、奈良から京都といえば、かなりの距離があり、現在のように車も電車もない時代に、時間も相当かかったのではないかと想像できます。冷蔵庫などありませんから、傷みの早い豆腐を運ぶのは一苦労だったのではないでしょうか。特に気温の上がる夏場でも可能だったのか疑問に残ります。もしかしたら、気温の低い冬の食べ物だったのかもしれません。
江戸時代になると、江戸や京などの都市部を中心に少しずつ広まっていきましたが、まだ貴重な食べ物でした。特に農民にとっては、たいへん贅沢な食べ物でした。冠婚葬祭や正月、お盆などの特別な日にしか食べることができなかったのです。しかも、一六四九年、三代将軍徳川家光の時に出された農民の生活を衣食住について、細かく指示し取り締まった「慶安の御触書」では、農民が豆腐を製造することを禁じています。農民は豆腐などの贅沢品など食べずに質素な食生活をするようにと、決められてしまったのです。地方の農民を含め、一般庶民がごく普通に豆腐を口にできるようになるには、まだ年月が必要でした。
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