さまざまな霊界の存在たち C
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「地縛霊」とは、文字通り「土地に縛り付けられた死者の霊」です。
苦しみを抱えた「浮遊霊」が、何らかの理由で土地に縛り付けられてしまったものが「地縛霊」です。
「地縛霊」は必ずしも人間の霊だけとは限りません。死んだ動物の霊が「地縛霊」となっているケースも多くあります。(動物霊について→こちら)
土地に縛り付けられた霊は、「浮遊霊」の時よりも更に意識が狭まり、霊として浄化されるチャンスが乏しくなります。
一般的には、地縛霊の発するマイナスのエネルギーは、単なる浮遊霊よりも遥かに強烈で、その土地に住んで生活する人々に、様々な悪影響を与え続けます。
| 土地と霊界との関係 |
しかし、そもそも「霊が土地に縛り付けられる」とは、いったい何を意味しているのでしょうか?
霊界には本来は、空間的な制約は無いはずで、どこにでも好きなところへ移動できるはずなのです。
それなのに、一定の土地に縛り付けられてしまうというのは、考えてみると奇妙な話です。
実は、一口に「霊界」といっても、それは単純一様な世界ではありません。
低次の霊界から高次の霊界まで、かなりの多層構造になっています。
(このあたりは、一度深く考え出すと、山のように疑問点が出てくる、非常に厄介な問題ですが、もし興味のある方は、「霊界の構造」をごらんくださいませ)
そして、一番低次の霊界(これを生命界と呼んだりします)は、土地との結びつきが非常に強くあって、高次の霊界のようには自由に移動することが難しいのです。
実際、土地というのは、それぞれに独特の雰囲気があるのは、誰もが感じることでしょう。
私は関西に住んでおりますが、同じ関西といっても、京都と大阪と神戸と奈良では、それぞれ土地の持っている雰囲気が非常に違います。
よく知られているように、たとえば、大阪はにぎやかで、よく言えば活気があり、悪く言えばガサツで、繊細さに欠けます。これに対して、奈良は、大阪人には信じられないくらいのんびりしていて平穏で、ちょっと悪く言えばいつも昼寝をしているような、そんな土地柄です。
また、同じ大阪でも、当然ながら商業地域と住宅地域とでは、相当な違いがあります。
これらの相違は、誰もが認めるところでしょう。
当然ながらこれらの違いを、その土地の地形や気象条件、そこにある建造物の種類や住んでいる人々の気質、あるいは町の歴史などを通じて総体的に考えることは、とても正当な考え方で、決して間違いではありません。
しかし、そういった外面的な考察だけでは、すべて説明しつくせるというものではない、という実感を持つ方も決して少なくはないはずです。
もちろん、その相違の背後に「霊的なものが関係している」と発言すれば、
「それはちょっと飛躍が大きすぎる」
と、異を唱える方が大勢いらっしゃることでしょうが……。
それぞれの土地に深く関係しているのは、私が「土地の神様」と呼んでいる特殊な動物霊たちと、
その「土地の神様」の下で働いている自然霊たちです。
自然霊たちは、土地そのものや、その土地に育つ植物や動物たちの育成に深く関わっています。
さて、
残念ながら今のところ私はまだ、これら「土地の神様」と「自然霊」たちが、その土地にどのように働きかけているのか、ここで具体的に描写できるほど「調査・研究」が進んでいません。
その実態は非常に複雑かつ深遠ですし、また、現代の自然科学的な常識に真っ向から反する部分も多々あります。
そもそも、「自然界の中で、様々な霊的な存在が動植物たちに深く働きかけている」
という一点だけをとっても、「非常識」のレッテルを貼られてしまうのがオチです。
この問題に関しては、私の「将来への宿題」となっていると申し上げるだけでご勘弁下さいませ。
(ただ“将来”といっても、来世のことではないですよ(^_^;))
ここでは、地縛霊との関係だけに絞って、お話しすることにいたします。
| 地縛霊と自然霊 |
このページの最初に
「地縛霊とは、浮遊霊が何らかの理由で土地に縛り付けられてしまったものだ」
と申しました。
浮遊霊を土地に縛り付けたものが、他ならぬ自然霊たちです。
自然霊は、まさに私たちの身の回りにおびただしい数が「生息」しています。
そして、他の霊的存在たちと同じように、「良き」ものもいれば「苦しみを抱えた悪しき」ものもいるのです。
「良き」自然霊たちは、大体が土地や動植物たち、あるいは、水や風や光に対して大きな関心を持っていて、人間に対してはそれ程大きな関心を持っていません。(自然霊たちを、別名「地水火風の霊たち」または「四大の霊」と呼んだりもします)
これに対して、自然霊たちの中でも「苦しみを抱えた悪しき」霊たちの方は、人間に「悪さ」をしてきます。
(これに関しては、「自然霊と風水」をご覧下さい)
この「悪しき自然霊たち」のいわば“餌食”となってしまったのが、地縛霊たちです。
苦しみを抱えた死者の霊は、浮遊霊となって霊界をさ迷います。
そして、その浮遊霊のネガティヴな感情のエネルギーに取り憑くのが、悪しき自然霊なのです。
もともと浮遊霊たちの意識は、暗く狭くて、自分の周囲のことがほとんど理解できていません。
自分のネガティヴな感情に埋もれているので、高貴な霊存在が助けを差し伸べようとしても、自分から心を閉ざしてしまっていて、高貴な霊存在たちと出会うことが出来ません。
悪しき自然霊たちは、嵐のように渦巻く浮遊霊の苦しみや憎しみのエネルギーに、まるでハイエナのように集ってくるのです。
そして、一度「悪しき自然霊」たちの餌食になってしまった浮遊霊は、その自然霊たちの住まう土地から離れることが出来なくなります。これが地縛霊です。
地縛霊は、その土地から離れることが出来ません。もはや「浮遊」することすらできなくなるのです。
| 浮遊すら出来ない地縛霊 |
生きている私たちからすれば、浮遊霊の存在は全く嬉しくありませんが、しかし「浮遊」出来るということには、実は大きな意味があるのです。
なぜなら、
浮遊霊たちは、霊界をさ迷い巡ることで、上手くいけば「浄化への道」に出くわすことが出来ます。
霊界には、浮遊霊たちを「浄化の場」へと導く特殊な動物霊が存在するのです。
この動物霊は、肉体を全く持たない純粋に霊的なだけの存在たちで、人の死者の霊も、死んだ動物の霊も、この特殊な動物霊の力で、「浄化の場」へと導かれることが非常に多いのです。
この肉体を全く持たない特殊な動物霊こそ、「龍」のことに他なりません。
現代において、「龍」は完全に想像上の動物と見做されていますが、古来から(特に東洋では)宗教上極めて重要な意味を担ってきました。
(「龍」については、これも別項でいつか詳しく触れたいと思います。ここでは、浮遊霊を救う特殊な動物霊が存在するのだということだけで、先に進みたいと思います)
悪しき自然霊の餌食となってしまった地縛霊は、土地に縛り付けられて、もはやその土地(あるいは物)から離れることが出来ません。
もはや、「浄化の場」へ繋がる道に出会うことはできないのです。
そのままでは、地縛霊はその土地の上で何百年でも苦しみ続けることになります。
悪しき自然霊たちは、地縛霊のネガティヴな感情のエネルギーに集る(たかる)わけですが、しかし、集られたからといって、地縛霊のネガティヴなエネルギーが減るわけではありません。
むしろより深刻さが増す分だけ、ネガティヴなエネルギーは増加していくと私には感じられます。
地縛霊にとってこれはもう「無間地獄」のような状態といってよいかもしれません。
このような悲惨な地縛霊が土地に住み着いていると、当然その土地に住む人々は、そのネガティヴなエネルギーの悪影響をまともに蒙ることになります。
このような形で地縛霊は、生きている私たちに深刻な影響を及ぼしているのです。
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