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★テーマ  【偉大な人生、愛する野球人】
    ★投稿者  矢野 美佳 様

初めまして、「矢野美佳」と申します。
是非、下記の内容を一時期だけでも掲載して下されば…と思いメール致しました。
私はこの様な形でしか表現出来ませんが、ご参考になられたら、【故義理父親:矢野恒男】も報われるのかと思い、ご検討の程、どうぞ宜しくお願い申し上げます。

 。・:*:・゜'☆,。・:*: 。・:*:・゜'

私は東京都江戸川区に住んでいる者です。
私の夫は次男で、元「江戸川南リトルシニアリーグ」に、所属していて、「大枝茂明様」の元で、甲子園を目指し、野球をしていました。
江戸川区民センター(グリーンパレス)での今までの過去野球選手の集まりにも出席していました。 合同写真に「松坂大輔選手様」も映っています。
義理父は、飲食店(鹿月)を、元気にお料理をしながら、お兄さんと一緒に、経営していました。今現在は、お兄さんがお料理をして商売をしております。

私の夫が小学校の頃「ホワイトベルーガ」というチームで、野球をしていました。それがきっかけで、夫の父親の人生が変わったと思います。平日はお店で商売をして、日曜日は必ず、江戸川の土手で、子供達の野球育成を行ってきました。

それが認められ、【江戸川区学童少年軟式野球連盟:会長】になりました。

2007年1月に京葉病院にて「大腸がん」が発覚して入院して、手術をして退院しました。 が、2007年9月にまた再発して、「抗がん剤治療」を行っており、2007年11月退院、2007年12月退院、と言われ続けて、元気満タンでした。

ところが… 私も元気でいるのかと思い、2007年9月から、入院してからはお見舞いに行って無く2007年12月12日に、夫が三重県に出張しておりまして、「帰ってきたら2人でお見舞いに行こうか」と話をして、その予定でした。
でも2007年12月12日お昼頃「1人で行こう」と思い、大好きだった甘い物を持って…など支度をしてから、夫に電話して部屋番号を聞きその2分後電話があり、「父親が急変して危ない」と聞き、自転車で急いで行きました。

私が1番最初に到着し、処置室にいた義理父は「ボーッ」っと、していて「お父さん、お父さん」と、いっぱい声をかけると、ビックリした顔で手を挙げてくれました。でもまた眠ってしまい声をかけて色んな事を、いっぱいお話ししました。
既に、口を開けたままで、舌は乾ききっており、義理父は返事だけの会話でした。 ナゼか時々右手を斜めに挙げて指差すのです。
義理父には見えていたのかもしれません。
 でも私1人では…と思い一生懸命大きな声を出して、こちらの世界に呼び戻しておりました。
処置室で大きな声を出して、意志表示の会話をし、両手を温めながら「ギュッと掴んで!」と言うと、握り返してくれて、義理父の色んな事を思い浮かべながら、お話をして、2時間後やっと親戚が参りまして、「大将!大将!!」と励まして頂き、時と共に身内親族が集まり、義理父は約23時間起こされっぱなしの状態の中、みんなの前で、
 [矢野恒男:2007年12月13日am:10:44]他界致しました。
 【生死を立派に遂げた顔】で眠りました。

お通夜(2007年12月16日)、告別式(2007年12月17日)には、総勢約600人以上の方々が、御足を運んで頂き、「江戸川区長様」、「島村宜伸様」、「平沢勝栄様」、「葬儀委員長:大西英男様」、「大枝茂明様」、「元ヤクルトの北川選手様」、etc…、など、お偉い方から、生前、飲食店の前に出来た、コンビニのバイトの方まで物凄い人脈を持った父でした。
 【69才】でした。

まだ正直、声が頭に残っており、思い出すと後悔の嵐です。涙止まりません。私はバカ正直なのかもしれません。
自分で言うのもなんですが…。喜怒哀楽が人より2倍なのか、動物に近いです。 風邪をめったにひかない私は、今は声が出ません。
熱もないし、ダルくもなく、話だけが出来ず、人に伝える手段がありません。
だから今私が出来る事、“人とのふれあい”が、大好きだった義理父の存在を、生きていて、1万人以上の人間に出会っていた義理父を尊敬し、何かしらの手段でもっと皆様に伝えたいのです。
それが【生きていた人間の証】として…。
 
義理父は、自転車で毎日、近所を回って、あいさつ回りをする位、”人とのふれあい”が大好きでした。
記載致しました内容は、本当の事実です。
「人と人とのふれあい」が少なくなってきている今現在、今一度、人々も生きている限り、「出会ってきた人を大切にしてほしい」と思いつつ掲載をお願い致しました。
野球は、世界中のスポーツです。
でも一人いなければ、プレイ出来ません。9人そろって、チームの「輪」が出来て、心も1つになり、「人と人との絆」が、深まると思います。
野球は、全世界、子供から大人まで、会話だけでも通じます。だからこそ、その繋がりを大事に思う気持ちを、大切に心の中に思っていれば、何れ、助け合っていく人間が出来上がるのでは?っと思います。
特に、孤立してきている日本人にとっては、【人こそ死ぬまで財産】の気持ちを、抱いて頂ければ、義理父の内容の様に、亡くなっても、自然に最後まで、人が訪れてくれると思います。
  
お墓は、本郷にあり、東京大学を右に歩いて行くと、「浩妙寺:日蓮宗」と言うお寺です。
お墓が、[矢野家]3つ並んでおります。
1回行った事が御座いますが、とても古いお墓でした。
今年2008年1月27日納骨です。また寂しさがやってきます。私の夫は、インターネットで検索すると、「社会人野球」でヒットするのですが、義理父はまだまだ数が少なく、ヒットしません。
[Yahoo]、[Google]、[nifty]、[MSN]、[livedoor]、[goo]、などの検索エンジンです。 でも、「東京中日スポーツ新聞様」には、ギリギリ、コネが利く方が言って下さり、2007年12月14日にほんの少しですが掲して下さり、電話が殺到致しました。

大好きだった野球、大好きだった甘い物、大好きだったウーロンハイ、大好きだった料理、大好きだったおしゃべり、本当に大好きだった子供達との野球、人間生きていて、1万人以上の人達と出会うか?と思うと、そう簡単にはいかないと思います。

野球と出会って約20年以上、【生きている証】を本当に、見せてくれました。だから今度は【生きていた証】を、大好きだった人間達で、残してあげたいのです。義理父は、怒ったり、笑わせたり、誉めたり、口では言うだけで、見返りは無かった様な気がします。
言葉のキャッチボールをしていなかった。あんなに大好きだった野球人だったのに…。

2007年9月に【江戸川区学童少年軟式野球連盟:会長】の名刺を改めて、顔写真入りを100枚作りました。
こんな事になるなんて誰も予測はしませんでした。今は部屋に小さい額縁の写真が飾ってあります。夫の実家は近所にあり、資料や写真など沢山あります。

江戸川区の星である【野球をこよなく愛する方】お力添えを、頂ければ、義理父も野球星として天から見守ってくれると思います。

これだけは言えます【偉大な人生、愛する野球人】でした。
ご理解頂ければ幸いです。

            


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                                   投稿者   矢野美佳 


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