1996 個展
10/29〜11/4 月光荘画室III
セツモードセミナーでの悶々とした時期、描いた絵を発表したいが怖くてできない、そんな日々を打開すべく、個展ができる安いギャラリーを探していたのだった。ちょうど月光荘が新しく、破格の値段で画室をオープンさせた時にすぐに飛びつき、個展を開いた。
友達が10人くらいでも来てくれればいいと思ったが、最初で最後の個展かもと思い、ありとあらゆる知り合い200〜300人くらいに案内を送った。そのせいか、1週間でなんと140人以上もの人が来てくれた。
この絵は想像であっという間に描けてしまったもので、それまでには描いたことのない軽さのタッチだった。 初の個展に向け、発表したい作品が決してたまっていたわけではなかったが、この絵ができてからの2ケ月間の間に描いたものが展示の殆どである。
見に来てくれた人からもその色遣いに結構驚かれたという記憶がある。それまで描いていた作品は、水彩を使いつつもダークな色遣いだったから。それこそが個展を開く前の悶々とした日々の色だったかも知れない。
1997 個展
11/4〜11/10 月光荘画室III
最初の個展が盛況に終わったとはいえ、この2回目の展示は意気揚揚と行ったものではなく、何か強迫観念的にみたいなところから始めたと思う。続けないといけないとか、もしくは1回だけやってもダメじゃないかとか。しかし、テーマ的はなく、出したものは、てんでバラバラなものだった。
最初の個展は群像と風景画だったが、この回は好きなミュージシャン、群像、女、自分の家族、自分の靴、風景などなど;今でも自分の中では大きな意味を持った作品があると同時に、もう抹消したいようなものもある。
このハガキに使用した絵は、千葉県の大原港で写生したものだ(当時セツにはまだ行っていて、学校行事の大原写生会に参加していた)。

塩川英彦展
1997 11/22〜12/19
表参道ハナエモリオープンギャラリー
月光荘の隣に事務所を構えていたAD鈴木八朗氏から、「はっきり言って下手くそだが、とても面白い」とハナエモリビルオープンギャラリーでの展示の話をいただいた。セツでは認められる事がなかったので、それまでの自分には信じられない出来事だったのだが、正直本当に嬉しかった。
この絵は、展示していたものではなく、女性ファッション雑誌を見ながら描いたものをファイルブックとして置いていたもの。これを鈴木氏は気に入ってくれて、B4サイズのイラストだが、「カラーコピーでA1くらいの大きさに引き延ばして展示したらとてもインパクトがあるぞ」と言われた。ただ、拡大カラーコピーは一枚8千円と高価だったため、2点作るので精いっぱい。他は、1、2回の個展の絵の抜粋で合計15点飾ったというわけ。3回目の個展にして早くもベストアルバムを作ってしまった感じだった。自分が絵を描いていく上の一大転機になった展示だと思う。
「はっきり言って下手くそだが、とても面白い」
上手いか下手かでなく、面白いか面白くないか、僕が絵を通してやりたいことは結局これなのだ。果たして今、それができるのかどうか。
1998 個展
9/14〜9/20 月光荘画室I
ハナエモリ展の機会を使って、多くの出版社に売り込みを始めた。その中で、仕事として初めて世に出してもらえたのが季刊誌「生活の絵本」(パッチワーク通信社:現在休刊)の連載である。
女と季節をテーマに描いてほしいとの依頼で、文章までつけた見開き2ページの仕事、「風の色」というタイトルまでいただいた。もともと、カットイラストでももらえれば…というつもりだったが、作家として扱ってくれたのだ。右の絵は秋の号に載ったものだ。
これもそれまでの自分には信じられない出来事だったのだが、逆に大きなプレッシャーを感ずる日々だった。編集長が僕の絵に感じてくれていた、連載のタイトルの「風」がなかなか吹かなかった。
いや本当は、ハナエモリ展のハガキのような、もっと軽い洒落た(風な)イラストを求められていたのだが、力入り過ぎ、 思い入れの強すぎる絵ばかり描こうとしていたのだ。
軽い洒落た絵というのは実は一番難しいもので、自分がやっていたのは、洒落た風に撮られた雑誌の写真を見て描いたものであるから、自分のオリジナル作品として、オーダーの元に描く技量はなかったというのも正直なところである。
ところが、行った個展では、右のような絵は2点のみ、他は雑誌の写真を見て描いたファッションイラスト風の女の絵を飾ったのだった。思い入れの強い作品ばかりをそのまま飾ったら、展示としてとても重い雰囲気になるという冷静な判断である。個展と連載の内容が逆であれば良かったのかも知れないが、そこまでの冷静さ、いや能力はなかった。
この個展、人の入りは更に増えたし、作品も売れた。良いものは描いていたと思うが、悩みも余計に増えていった。作品の質・スタイル、自分のやりたい方向と実力は如何に。イラストレーターなのか、画家なのか、有名になりたいのか。そして絵でお金をもらうということについて。これでいいのだろうかと。、
1999 塩川ヒデヒコ個展
10/26〜11/1 月光荘画室III
連載の仕事の後、友人のデザイナー上畠氏から、ミュージシャン・ソマリさんのCDアルバム「MAGNOLIA」のスリーブイラストの依頼を受けた。これはデザイナー・アーティストとのコラボという感じでもあり、なおかつ、どこのCDショップでも置かれるものだったので、とても良い仕事をさせてもらえたのだった。
だが、もうこの頃は絵の修業のために山でも籠りたいという気分だったのである。「デッサンが下手」「構図がわかってない」‥、100人からの褒め言葉よりも、1人・2人の厳しい意見の方が気になる時期だったし、家の中でデッサンを気にしながら想像で人物を描くよりも、外に出て画面いっぱいに色を塗りたくりたいという気持ちが強かった。当時、美容会社でデザインの仕事に就いていたが、その生活がハードになりつつあった時だったから、電灯の光の下で絵を描きたくなかったところもあるだろう。さすがに山には籠れなかったものの、近所の公園から遠くは葉山・鎌倉まで、日帰りで風景写生によくでかけていた。
この絵は9月半ば、外へ出て頻繁に写生をするようになった頃、近所の公園でそこに寝泊まりしているオッサンから冷やかされながら描いたものだ。オッサンは絵が終わる頃には絶句してどこかへ行ってしまったが、外で絵を描くと、描き始めた時にはいなくても常にどこからか人は現れるという感じで、人前でライブ演奏でもするような緊張感が常にあった。絶賛してくれる人もいれば、描いてる途中から酷評を始めてくれる人、または僕を話し相手として自分の打ち明け話をしてくる人もいた。小さな子供が寄ってくる時は大抵、絵がうまくイケてる時だったりと、そういう出会いがいろんな意味で刺激になった。また、写生は良い場所を探して歩き回るし、絵に近寄り描いては・離れて見る の繰り返しのため、運動しているのとまるで同じ。絵としては失敗に終わることの方が殆どだったが、アウトドアスポーツとしても楽しんでいたのである。
個展は最初、風景画のみの展示にするつもりだったが、いざとなると、その年にやった大きな仕事の一つとしてCDスリーブの仕事も紹介したかった。それで、月光荘の画室スペース7割に風景、3割がCDスリーブの原画という展示をしたのだ(その時の画像)。
この展示方法を見て、どちらかのスタイルに統一した方が良いと言われたりしたが、それ以上に描いてるモチーフについて賛否両論だった。かつて厳しい意見をくれていた人達からの反応が良くなってきたのではあるが、同時に、それまで人物画を気に入ってくれていた人からの反応は芳しくなかったのだ。
それでも、人を描くよりも風景を描くのが単純に楽しかったので、この展示の後、季節が真冬となろうとも外で絵を描くことは続けていた。
この頃にかいた風景画は、「水彩画」のページをご覧ください。
塩川ヒデヒコ水彩画展2000
11/21〜11/27 月光荘画室III
風景を描いていても、どこからか必ず人が現れてくる。楽しそうに遊んでる人達を見てると、どうしてこんなところで俺は一人絵を描いてるんだという気になり、木々や植物、空、海、建物だけ描くことがつまらなく思えてきた。
外で描く行為は楽しんでいたのだが、風景と人物という組み合わせの絵が増えていったのである。
これは葉山の一色海岸。砂浜の色をそのままのグレーで塗ると、暗い感じになったので、その色を一度洗い流し、海水浴の人々の肌の色、ピンクで背景を塗ったらいい感じとなった。
さて、この展示の後、何か一区切りついた気がしたため、翌年の個展は休んで、南仏方面へ旅行に行った。マチスが装飾を手がけたヴァンスの教会など、好きな画家のゆかりの地を訪ねたりしたのである。その中、ニコラ・ド・スタールの大作が飾られているアンティーブのピカソ美術館にはちょっと驚いた。窓のある部屋に絵が展示してあり、ド・スタールの絵の横には、窓越しに南仏の風景が見えるようになっているのだ。残酷な展示方法といえなくもないが、風景画と風景は違うものであり、描いた人が見たもの、これが絵の本質であるという批評を感じたのだ。
旅行には画材を持って行って、ニースの街中で風景を数点描いたのである。しかし、南仏の風景を日本に住んでる自分が描くことにあまり意味を見いだせず、それ以降は風景画への熱は冷めていった。
自分を取り囲む風景は自然というよりも、文化であると思ったからである。
EXHIBITION IDLE FELLOW
1996 11/11〜17 月光荘画室II
初めての個展の後、セツの仲間たちと行った9人のグループ展である。
四六判半切サイズ一点を出した。
GROUP EXHIBITION
2002 5/7〜13 月光荘画室III
これもセツの仲間から誘われ、5人で行ったグループ展である。
グループ展はあまり興味なかったのだが、この前年の2001年には展示をしなかったこともあったし、月光荘画室IIIはいつも個展を行っている場所だったので参加した。
いつもの会場での他の人との展示はそれなりに楽しめたし、もっと気軽に展示するのもいいなと思ったものである。