<シムラトの証し 2>
 

同年8月、主なる神は拘留中の預言者を通し次のように語られ、大祭司によってすべての民に伝えられました。

「わたしは、エジプトの地で苦悩の中にいる人々の声を聞き、モーセに命じて苦しみの中に喘ぐ彼らを、エジプトから導いた神である。

わたしがエジプトの地から導いた彼らは、あなた方、主の民の先祖である。
わたしは、彼らが無垢な心をもって神に聞き従っていた頃の真心、あたかも花嫁のように従順であった彼らの愛、彼らが不毛の地や荒れ野での従順であったことを思い出す。

あなた方は、主の民の子孫である。

神の初子である主の民たちを、自分の欲望と権力に任せ、支配し、利用し、餌食にしようとする者たちは皆、罰せられ災いを被った。


わが主の民の子孫たちよ、主の12部族の子孫よ、あなたの神の言葉を聞きなさい。

かつてエジプトで苦悩の中からわたしを呼び求めたあなた方の先祖は、主なる神であるわたしに、どのような落ち度があってわたしに聞き従わず、空しいものを拠り所として遠く離れて行ったのか。

あなた方の目に好ましく映る『空しいもの』を、あなた方の前から退けよ。
あなた方は『空しいもの』の後を追って、空しいものとなってしまった。

『かつて主の民をエジプトの地から上らせ、救って下さった方はどこにいるのか』と、尋ね求めなかった。

わたしは、あなた方の先祖を導き、その子孫たちを実り豊かな『約束の地』に導き入れた神である。

わたしは彼らに味のよい果物を食べさせ、預言者を通して教え導き続け、主の民たちの肉体と霊を養った。

しかし彼らは、偶像や間違った慣習で罪を重ね、その土地を忌まわしいものに変えた。

そのため、その地は滅ぼされ、あなた方の先祖はこの地に移り住んだ。」


この主なる神の御言葉は、人々にとって思いもかけないものでした。

この御言葉は、主なる神の救いと導きでした。

しかし、ほとんどの人々が受け入れられずに不信し、多くの者が自分の目に好ましく映る「空しいもの」を選び、真の神のもとから去っていきました。

主なる神が遣わされた預言者は、彼らにとって「拘留中の容疑者」でした。


同年9月、主なる神は大阪市天王寺区国分町に「主の幕屋」の造営を命じられました。

幕屋の造営は、拘留中の預言者を通じて詳細に指導がなされ、10月に完成し、「主の聖所」と名付けられました。

完成した「主の聖所」で初めての祭礼が執り行われた際、主なる神は預言者を通し、長老・祭司・教区長を任命されました。

 

主なる神は言われました。

「わたしは高く聖なる所に住み、打ち砕かれて、へりくだる霊の人と共にあり、へりくだる霊の人に命を得させ、打ち砕かれた心の人に命を得させる。

わたしが顧みるのは、苦しむ人。霊の砕かれた人、わたしの言葉におののく人。

偶像をたたえる者が自分たちの道を選び、その魂が忌むべき偶像を喜ぶなら、わたしも、彼らを気ままに扱うことを選び、彼らの危惧することを来させる。

彼らは呼んでも答えず、語りかけても聞かず、わたしの目に悪とされることを行い、わたしの喜ばないことを選ぶのだから。

わたしの言葉におののく人々よ、主の御言葉を聞け。

あなたの兄弟、あなたたちを憎む者、わたしの名のゆえに、あなたたちを追い払った者が言う、『主が栄光を現わされるようにお前たちの喜ぶところを見せてもらおう』と。
彼らは、恥を受ける。」

 

同年12月、私は、主なる神が「偶像は神ではない。」と語られ、偶像崇拝を禁じておられることを、大祭司を通して知りました。

大祭司は、全国の指導者、信徒に偶像の一切を廃するよう伝えておられました。

私は主に従い、偶像を捨て去りました。

神を証するために遣わされた大祭司を信頼するということは、大祭司を遣わされた「油注がれた方」とその「父なる神」を信頼するということです。
  

偶像は、人の手によって作られたことを誰もが知っています。その偶像を拝することは、自分が物以下の存在だと宣言しているのと同じです。

それこそが、真の神から人間の目を眩ませ、偶像によって破滅させようとするサタンの罠です。

しかし、「偶像の一切を廃するように」との言葉に対し、多くの者が偶像に執着し、中傷や非難を浴びせ、去っていきました。

 

平成10年春、主なる神はすっかり少なくなった主の民に言われました。

「勇気を出せ。あなたたちは近頃、これらの言葉を預言者の口から度々、聞いているではないか。万軍の主の家である、神殿の基が置かれ、再建が始まった日から。

以前には人間の働きに報いはなく、家畜も働きの報いに何の食も得なかった。

出入りするにも、安全に敵から守られてはいなかった。

わたしがすべての人を、互いに思うがままにさせておいたからだ。

しかし今、私はこの民の残りの者に対して、以前のようではない、と万軍の主は言われる。

平和の種がまかれ、ぶどうの樹は実を結び、大地は収穫をもたらし、天は露をくだす。

わたしはこの民の残りの者に、これらすべてのものを受け継がせる。

ユダの家よ、イスラエルの家よ、あなたたちはかつて諸国の間で呪いとなったが、今やわたしが救い出すので、あなたたちは祝福となる。

恐れてはならない。勇気を出すがよい。

まことに万軍の主はこう言われる。

あなたたちの先祖がわたしを怒らせたので、わたしはかつて、あなたたちに災いを下す決意をして悔いなかった、と万軍の主は言われる。

そのように、今やわたしは再びエルサレムとユダの家に幸いをもたらす決意をした。

恐れてはならない。あなたたちのなすべきことは次のとおりである。

互いに真実を語り合え。城門では真実と正義に基づき、平和をもたらす裁きをせよ。

互いに心の中で悪をたくらむな。偽りの誓いをしようとするな。

これらすべてのことをわたしは憎む。」

 

同年4月、主なる神は、「主の聖所」で祭礼を執り行うよう命じられました。
      
その日、主なる神は指導者たちに「箴言」の下記の箇所を読むよう命じられました。

「あなたが主に信頼する者となるように、今日、あなたに教えを与えよう。

あなたたちの為に書き付けようではないか。

真理と真の言葉をあなたに知らせるために。

真の言葉をあなたの使者に持ち帰らせよう。

弱い人を搾取するな、弱いことをよいことにして。

貧しい人を城門で踏みにじってはならない。

富を得ようとして労するな。分別をもって、やめておくがよい。目をそらすや否や、富は消え去る。鷲のように翼を生やして、天に飛び去る。

強欲な者のパンを食べようとするな。供される珍味をむさぼるな。
彼はその欲望が示す通りの人間だ。『食べるがよい、飲むがよい』と言っても、心はあなたを思ってはいない。
あなたは食べたものを吐き出すことになり、あなたが親切に言ったことも台無しになる。

みなしごの畑を侵してはならない。
彼らを贖う神は強く、彼らに代わってあなたと争われるであろう。

あなたの心を諭しの言葉に、耳を知識の言葉に傾けよ。

若者を諭すのを控えてはならない。鞭打っても、死ぬことはない。
鞭打てば、彼の魂を陰府から救うことになる。

わが子よ、あなたの心が知恵を得れば、わたしの心は喜び祝う。

あなたの唇が公正に語れば、わたしの腹わたは喜び踊る。

罪人のことに心を燃やすことはない。日ごと、主を畏れることに心を燃やすがよい。

確かに未来はある。あなたの希望が断たれることはない。

父が楽しみを得、あなたを生んだ母が喜び踊るようにせよ。

わが子よ、あなたの心をわたしに委ねよ。喜んでわたしの道に目を向けよ


不幸な者は誰か、嘆かわしい者は誰か。いさかいの絶えぬ者は誰か、愚痴を言う者は誰か。

理由なく傷だらけになっているのは誰か。濁った目をしているのは誰か。

酒を見つめるな。酒は赤く杯の中で輝き、滑らかに喉を下るが、後になると、それは蛇のようにかみ、蝮のように拡がる。

目は異様なものを見 心に暴言を吐き始める。

海の真ん中に横たわっているかのように 綱の端にぶら下がっているかのようになる。

打たれたが痛くもない。たたかれたが感じもしない。酔いが醒めたらまたもっと酒を求めよう。

悪者のことに心を燃やすな。彼らと共にいることを望むな。

悪者が心に思いめぐらすのは暴力。唇が語るのは労苦を引き起こすこと。」

 

まさに「出エジプト」でした。「本覚寺」は「エジプト」であり、「N門主」は「エジプトのファラオ」でした。

主なる神が預言者エリエナイと大祭司ハナンエルを遣わされ、N門主と教団の真の姿を明らかにされ、民は偶像崇拝の中から、搾取と偽りの支配の中から「出エジプト」したのです。
    
そして、この「出エジプト」は、主の民の子孫である私たちを「世のあらゆる間違い」から目覚めさせて、そこから「神が創造された本来の正しい世界=約束の地」に導くというものでした。
      
しかし、主なる神の大いなる御業を目の当たりにしながらも、ほとんどの人々が信と不信の狭間にいました。
それは、モーセの時代に出エジプトした民たちが、主なる神を不信した姿と同じでした。

     
主なる神が預言されていたにもかかわらず、ほとんどの元僧侶たちはやがて自ら選択し、「強欲な者のパン」を食べることになるのです。

 

同年6月9日、明覚寺Y管長は、主なる神によって明らかにされた教団の真実を記し、「上申書」として名古屋地方裁判所と民事の損害賠償訴訟が係争されている全国の裁判所に提出しました。

自分の無実を訴えるためではありません。
全国の僧侶・信徒、そして裁判所、被害者弁護団に教団の真の姿と事件の真相を明らかにし、目を開かせ、僧侶・信徒を間違いから脱させると共に、司法関係者が正しい判断を下せるように、これを提出したのです。

 

一方、N門主は、明覚寺Y管長に民を委ねたものの、それが惜しくなり、取り戻すための計略を練っていました。

それは、かつてのモーセの「出エジプト」の時、エジプトの王ファラオがしたことと同じでした。

    
N門主は、明覚寺を売却して自分たちの損害賠償訴訟の賠償金に充てる金を得ようとしていました。

彼は「高野山売却」の目的を隠して正当化するために、用意周到に3回に分けて元僧侶・信徒に宛てて手紙を書いたのです。
民事裁判の損害賠償訴訟の被告になっている元僧侶たちにとって、損害賠償が重荷となっていることを見透かしてのことでした。

     
1回目の手紙には、「明覚寺Y管長が自己保身のために上申書を裁判所に提出したが、Y管長は拘留によって精神病となっているのでその内容は事実ではない」こと、「Y管長のせいでけじめをつけなければならなくなった」こと、「本山主管が高野山乗っ取りを企てている」ことが書かれていました。
           
2回目の手紙には、「被告となっている教師の負担被害をゼロにする」こと、「明覚寺Y管長と本山主管を破門し、全権限・全指揮権を本覚寺S管長に委任する」こと、「今後は本覚寺S管長の指示に従うように」ということが書かれていました。
    
そして3回目の手紙で、本当の目的、すなわち本山売却を提示します。
      
高野山明覚寺を自主売却し、弟子たちを民事賠償訴訟から救うことを決断したこと、年内に自主売却し、民事和解を計ること、N門主が明覚寺代表役員に復帰したこと、が書かれていました。

N門主は、明覚寺を売却して自分たちの損害賠償訴訟の賠償金に充てる金を得るために、自ら明覚寺代表役員に就任する必要があったのです。

        
元僧侶たちの中には、N門主の「戦艦道場」で「供養料発生システム」に基づく詐欺行為に関わっていた者もいましたが、明覚寺Y管長のもと明覚寺別院と高野山本山で活動していた僧侶たちは「供養料発生システム」なるものの存在さえ知らされておらず、訴えられていた詐欺行為とは全く無関係だったにもかかわらずN門主に狡猾に言いくるめられて、N門主を信じてしまい利用されて、自ら身に覚えのない損害賠償請求の被告となっていきました。

N門主に従えば損害賠償してもらえ、
負担から解放されることを提示されたのです。
それはまさに「強欲な者のパン」でした。 
           

そして、それは自分たちが「天と地を繋ぐ命の源」と宣伝し信徒に布施させて建立した高野山の本山を、自分たちの損害賠償金を支払うために自己都合で売り払い、自分が詐欺師であったことを認めて和解に応じるということでした。

ほとんどの元僧侶がなりふり構わず自分が詐欺師であったと認め、損害賠償金を支払うために本山を売り払うことに同意したのです。    

彼らはこうして再びN門主に利用されることになり、世の権力者たちの笑い者になりました。

 

同年11月、新聞紙上に「高野山金剛峯寺が明覚寺を買収する」との記事が記載されました。
                                  
同年12月24日、N門主と側近らは高野山真言宗金剛峯寺と「不動産売買予約契約」を取り交わし、翌平成11年1月26日、正式に売買されたのです。

その日の新聞には次のように掲載されました。


―真言宗系の『総本山』を掲げて阪神大震災の被害者らから、祈祷料名目で金を騙し取る霊視商法事件を起こし、現在、休眠状態となっている新興宗教法人について、高野山真言宗総本山・金剛峯寺は18日、「放置していて別の新興宗教などに悪用されては困る」として、約16億でこの宗教法人の施設を買収することに決めた。―



この報道の日、主なる神はこのように言われました。

「よく聞くがよい。『今日か明日、どこそこへ行って一儲けしよう』と言う者たちよ。

あなた方は明日のこともわからぬ身なのだ。あなた方の命はいかなるものか。

あなた方は、しばしの間あらわれて、たちまち消え行く者にすぎない。

富んでいる人たちよ。よく聞くがよい。

あなた方は、自分の身に降りかかろうとしている災いを思って、泣き叫ぶがよい。

あなた方の富は朽ち果て、着物は蝕まれ、金銀は錆びている。

そして、その錆の毒は、あなた方の罪を責め
あなたがたの身を火のように食い尽くすであろう。

あなた方は終わりの時にいるのに、なお宝を蓄えている。

見よ、あなた方が働き人たちに働かせながら支払わずにいる賃金が叫んでいる。

そして彼らの叫び声が、すでに神の耳に達している。

あなた方は地上でおごり暮らし、快楽にふけり、自分がほふられる日の 
ために己が心を肥やしている。」


また、主の命令に聞き従わず、戦うことなく聖地を失ったリーダーたちに、主なる神は次のように語られました。

「幻の谷となった明覚寺についての託宣。

どうしたのか、お前たち主の民が皆、屋上にいるのは。

騒音に満たされ、どよめく都、歓びに浮かれた町よ。

お前たちの死者たちは、剣に倒れたのではない。戦って死んだのではない。

お前の司たちはすべて逃げ出したが、弓を引くこともなく捕らえられた。

遠くに逃げた者も皆、見つけられ、共に捕らえられた。

それゆえ、わたしは言う。

『わたしから目をそらせてくれ。わたしは激しく泣く。あえてわたしを慰めるな。娘のように愛するわが民は滅びた。』

混乱と蹂躪と崩壊の日が、主なる神から来る。

今や幻の谷となったあなた方の『命の源』に、騒音が響き渡り、山に向かって叫ぶ声がある。

彼らは矢筒を取り上げ、戦車には人が乗り、馬がつながれた。

また彼は盾の覆いをはずした。

お前の最も豊かな平野は、戦車と馬で満たされ、彼らは城門の前に陣取り、防備を剥ぎ取った。

その日には、お前たちは、森の家の武器に目を向けた。また破れの多いのを見て、下の池の水を集めた。

聖地を護ろうとする家を数え、その家々を犠牲にして自らの城壁の破れをふさごうとした。

2つの城壁の間に水溜めを造り、古い池の水を入れた。

しかし、お前たちは都を造られた方に目を向けず、遠い昔に都を形造られた方を、見ようともしなかった。

その日には、主なる神が布告された。嘆くこと、泣くこと、髪をそり、粗布をまとうことを。

しかし見よ、聖地を売却した者たち、聖地を購入した者たち、そしてそれらを仲介した彼らは喜び祝い、牛を殺し、肉を食らい、酒を飲んで言った。
『食らえ、飲め、明日は死ぬとしても』と。そして主なる神は告げられた。

『お前たちが死ぬまで、この罪は決して赦されることがない』と。」



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