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いば−さとう 編 (5)

■ 第7便 2002/09/23 : いば → さとう

さとうけいすけ さま

 体調を崩しておられたとのこと、もうお加減は大丈夫ですか?猛暑はすぎ去ったとはいえ、学会、研究会、われわれにとっては今年度の仕事の区切りと来年度へ向けての準備と、何かと忙しい季節になりました。しかし、「もの研」は順調に第2回を迎えることです。往復書簡のほうもぼちぼちやって行くことにしましょう。

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さとうさんは前便で私のものに対するスタンスを、以下のように明快に整理してくださいました。

(1) 「解釈」や「理解」にはまだ至らない、モノに出会った最初の段階。私が言うところの「言語化以前」の段階。
(2-A) 言語化による説明的な体系化の段階
(2-B) 2-Aを素通りして「ものに対する安易な共感」にすりよってしまう態度

 私なりに少々手を入れておりますが、だいたいこんなところでしょう。この整理、大変ありがたく思います。そして、(1)と(2-A)とのあいだに存在するジレンマ(これはさとうさんがおっしゃるように、これまで議論してきた「モノとの出会いという始まりの謎」そのものですね)は、解決しようのない原理的なジレンマであろうと思います。

 WEB上でこれを読まれている多くの方には、私があたかも考古学の立場を代表してもの申しているように見えたかもしれません。私自身の考え方をできるだけ普遍的な考え方に翻訳するよう努めていることが、そのような態度となって端々に現われてしまっていると思います。前便でさとうさんに議論を整理していただいたことによって、私の考古学という場におけるモノに対する接し方が、非常に個性的であることを改めて認識することができました。そして、これがけっして "Only One" の考え方ではなく、他にもさまざまな考え方がありうるだろう、と思えるようになりました(今のところはまだ予測に留まりますが)。これは私にとって何よりの収穫です。議論に付き合ってくださっているさとうさんに、改めてお礼申し上げる次第です。
 たとえば私が提唱した1つ目の解釈レベル、さとうさんがおっしゃる(2-A)の段階。私はこれを、考古学におけるあるべき解釈法(資料操作法)であるかのように書きました。しかし、果たしてこのような片付け方だけで多くのことを解決できるのだろうか?2つ目の解釈法(2-B)には省みるべき効用は、本当に何もないのだろうか?そんなことを改めて問い直しています。
 このことは、「いかがわしき「モノフェチ」性にもポジティブな側面はないのだろうか」という問題、つまり「モノフェチ論」についての議論を継続してゆく方向へつながってゆきます(「ものごとにはコインの表裏のように、ポジ/ネガの両側面があるに違いない」と考えてみることが、私の習い性なんです。もちろん、本当に徹底してそうあればたいしたものですが・・・)。ですが、すぐには手がかりが得られそうにありません。この分岐点では、まず「モノの解釈論」のほうへハンドルをきってみることにしましょう。

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 モノの解釈。これこそが多くの考古学徒を悩ましている、目下の課題と言えましょう。その前に「解釈」とひとくくりにしているものの中には、やはり少なくとも2つくらいの段階が含まれていることを整理しておきます。すなわち、以下のように。

a) 遺物・遺構の分類、あるいは分類体系に依拠して下した識別・同定という解釈
b) 「分類」「識別」された遺物・遺構の、その当時における歴史的、社会的 etc. な文脈を踏まえた解釈

 a)は「分類」「識別」自体が解釈にほかならない、という考え方にもとづきます。上に記した、モノフェチと解釈の関係に対応させれば、「モノ」の原情報としての(1)の次に訪れる、(2-A)(2-B)の段階に相当します。
 b)は考古学を歴史学の一分野と見る立場で言うところの「歴史的評価」が、これに当てはまるでしょう。
 私の経験では、a)とb)を一度にやってしまおうとしたときに、いかがわしきモノフェチたる(2-B)に陥ってしまうと感じます。

 たとえば、古墳時代前期に現われる美しい装飾壷を、前方後円墳に示される首長の威儀具の一つ、あるいは前方後円墳とともに現われる祭祀の祭具と見、さらに敷衍してこの装飾壷の分布圏を前方後円墳体制と呼ぶべき首長同盟の範囲、あるいはその祭祀の共有圏と見る、というような評価です。

 念のために言っておくと、この例は誰かの論文を引用したものではなくて、私の試行錯誤の中で生まれたアイデアの一つです。けれども、推論過程が弱いと考えて、資料を集めてみないまま、保留付きで破棄しています。弱点を補強できるポイントがつかめたら、改めて検討するかも知れません。同様の結論を導き出した論文があるのかどうかは調べてませんが、もしあったとしてもここでは私の推論過程の弱さを分析しているのですから、結論をとりあげて揶揄したり批判しているわけではないことをご理解ください。検討すべきは結論ではなく、解釈を導き出した推論過程です。

 この例では、装飾壷と、首長の威儀具あるいは祭祀の祭具という評価を、簡単にイコールで結んでしまっているところに弱点があると考えます。つまり、装飾壷と「識別」したのはa)の段階の解釈です。こうして識別された遺物を、「首長の威儀具」「祭祀の祭具」というb)段階たる歴史的解釈に直結させてしまっていて、さとうさんがおっしゃった(2-B)にあたる安易な解釈へと陥っています。
 もう少し分析しましょう。ここで装飾壷と識別したのは、どのような体系にもとづくのか?それは古墳時代前期の土器の編年と器種および型式分類によります。つまり、同時期のある一定地域内におけるほかのタイプの土器との違いによって、「装飾壷」を識別しているわけです。そこでは、「装飾壷」が特別に丁寧に(手触りうっとりに)作られていることは、分類基準にのぼってきません。なぜなら、つくりのへたくそな装飾壷も、問題の「装飾壷」と同型式に分類されてしまうからです。仮に、問題の「装飾壷」が例外なく丁寧に作られていたとしても、「装飾壷」という分類を析出した土器同士の比較作業には、首長の威儀具であるという解釈、および祭祀の祭具であるという解釈に結びつくような操作が含まれません。これらを結び付けるには、土器同士の比較とは別次元の考古事象として、たとえばこの「装飾壷」が前方後円墳からしか出てこないとか、特定の祭祀遺跡からしか出てこないというような、「装飾壷」と1対1に近い関係にある考古事象が観察されることが必要でしょう。しかし、考古資料では、そのような特定の事柄に特化した遺物(モノ)にめぐり合うことは少ないです。棺への転用はあるものの、本来は古墳へ供献、あるいはそれを囲繞する目的のためだけに作成された埴輪などは、かなりそれに近い遺物です。機能がわかっている銭貨もかなりそれに近いですが、これの機能自体は文献記録やごく最近まで形態がほとんど変わっていなことから「銭貨」としての機能がわかるわけで、遺跡から出土する場合には多様な考古学的脈略のなかで出土します。そして、仮に銭貨のような遺物が先史時代の遺跡にあったとしても、その機能を的確に推定することは非常に難しいでしょう…。

 いや、原理的に考えれば、そもそも「モノ」そのものと、ヒトが付与した意味との間には、当時における意味の場合、あるいはわれわれが下す解釈の場合のどちらでも、両者が結び付けられる必然性はないのです。このことは、記号論が起こる以前から、考古学者の胸のうちに秘められた悩みとして気づかれていながら、きちんと議論されてこなかった問題ではないかと思います(学史のテキスト分析的な検討が必要ですが、たとえば私は小林行雄さんのやや持って回った言い回しにそれを感じることがあります)。

 要するに、結論だけを言ってしまうと、遺物はa)段階でさまざまに分類できる多元性を持つだけでなく、b)レベルにおいても多義的に解釈できるし、当時においても多義性を持っていたに違いない、ということなのです。

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 書きながら考えているので、論点が散らかってきました。ここでまとめをしておきます。

I.まず私たちは、モノに出会った瞬間にそれから感覚的情報を得ます。
    ・・・さとう整理の(1)
II.それを他のモノと比較して、分類・識別・同定をします。
    ・・・さとう整理の(2-A)

 前便までにまとめられたように、I と II の間には情報の欠落がありますから、仮に行った II の作業結果は one of them です。欠落した情報を加味することで、別様に分類できる可能があるかもしれないからです。換言すると、モノは本来的には多元的に分類できるといえます(さとうさんが『分類理性批判』で発表された多元性とは、少し論点が異なるかもしれませんが)。そして、この段階で当時のモノに対する分類の枠組みが、われわれが識別する枠組みと同一である保証がないことは、前便に記したところです。

III.II を受けて歴史的解釈を下したいところですが、モノとそれが当時具備していたはずの意味、あるいはわれわれが下す解釈との間には必然性がない。したがって、この段階でもモノに対する意味付けが当時と現代との間で一致する保証がないばかりか、どちらの場合でもモノがおかれる文脈によって、意味が微妙にずれることは普通にありうることと考えられる。つまり、モノが具備する意味は、本来的に多義的と考えられます。

 これを一意に解釈して良しとする態度がさとう整理の(2-B)であり、多義性に無自覚ゆえにいかがわしいと考えます。このように、モノと解釈(あるいは意味)との間には、越えることのできない断絶があります。このことは、

IV.考古資料に対する解釈とは他の考古事象との関係性のあり方に求められる必要がある。

としても、同じです。先述の例のように、前方後円墳や祭祀遺跡と関係付けたにしても、そもそもそれらに含まれている解釈に装飾壷の解釈を委ねたに過ぎません。どこまで行っても、モノそのものから解釈を引き出すことはできないことになります。
 まとめますと、上記の I と II、そして II と III の間には、越えられない断絶があり、その原因はモノと意味(言語)との原理的不一致に由来すると思われます。

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 このように、解釈に関しては不可知論に陥ってしまいました。私はこれに対していますぐ答えるすべを知りません。
 この原理的不可知性は、考古学徒にとっては考古学が方法的に不全であることを意味します。考古学の外の私たちが普通に営んでいる生活の場面では、モノと意味との原理的不一致として現われます。繰り返しになりますが、このことは記号論が説くところですよね。しかし、本当にそう結論してよいのか?
 考古学の場合には、記号論的な意味論に加えて、モノが本来的に機能していた当時の意味を復元するというプロセスが加わりますから、議論が複雑になります。過去のものとして地中から掘り出されたモノが、「考古学」という文脈を通してどのように現代的意味を付与されているか、と考古学という現象そのものを対象化するほうが、論理的にははるかに単純です(しかし作業はとても苦痛なものになるはずです)。これにしたがって考えると、考古学における「モノの解釈論」をすすめるためには、まずはもっと単純に「モノと意味との関係の仕方」をわれわれはどのように行っているか、ということを吟味することが必要になりそうです。「モノに意味を見出す(見出さない)」とはどういう行為なのか?
 ここへ至って、ようやくさとうさんのご発表に含まれていた課題に近づくことができたように思います。私には「言語モデルに引き寄せ(すぎ)ないモノ研究の可能性」という言い方がぴったりきます。もちろん、記号論は言語モデルそのものですよね。私はこの点において、モノフェチ論を改めて蘇らせる必要が出てくるのでは、と想像しています。つまり、原理はどうあれ、ともかくもヒトはモノから意味を読み取っていますし、その行為は少なくとも書き言葉には先行して存在しそうに思えるのです。つまりそれは、ヒト固有にそなわった能力(象徴化能力というべきでしょうか)ではないかと…。そして、この能力を健全(?)にコントロールすることを、言わば教養のようなものとして、誰もが習得できるようにすることはできないものか…。夢のような話ですが。
 ともあれ、新たなモノフェチ論については、過去の復元というプロセスを含まない分野、たとえば美術関係の方をはじめとする多方面の分野の方にお話をうかがってみたいところです。

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 おっと、さとうさんの問いに答えるのを忘れていました。さとうさんは前便で次のように問いかけられました。

> その始まりの瞬間は、「常に私と共にあり続ける瞬間」として考えられていると感じられるのですが、如何でしょうか。

 このことは、考古学徒としては、言わば当然のことです。モノを観察した記憶をなくしてしまえば、別の機会に観察するモノとの比較が行えないからです。気になる遺物を観察した記憶は、執念深く記憶にとどめようと、何度も反芻します(感覚の鈍い私にとって苦しいところです!)。私の場合は、この反芻を言語化して行うのではなく、観察している場面の記憶として行っていることが多いです。反芻しているうちに、最初の印象とは違ったものになってゆき、情報の欠落もすすむはずです。
 けど実際には、適度な情報欠落がなければ言語化は不可能なのです。やがて時が経ち、最初に見たときの記憶の蘇生とともに改めてそのモノを見たとき、行った言語化がそこそこ適切であったか、まったく見当はずれな情報縮約だったのかを思い知らされることになります!

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 ずいぶん忙しい秋を過ごされるようですね。返信はゆっくり待つことにします。

いば

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