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いば−さとう 編 (2)


以下は、もの研往復書簡: いば−さとう編 (1)(2002/07/19 - : 第1便&第2便)の続きです。第1便、第2便で提起された「モノについての知覚と認識」を出発点として、議論は進みます(というか、まるで泥田の如く深みにはまります)。

■ 第3便 2002/08/04 : いば → さとう

さとうけいすけ 様

 お返事ありがとうございました。私の考えと佐藤さんの考えが、とりあえずはあまり隔たっていないとわかり、少しほっとしています。考えが異なることに不都合があるわけではないですが、出だしのところであまりに隔たっていると消化不良を起こすのでは、と心配しました。

> 「認識に先立つ知覚そのものを認識できるか?」

 まったくおっしゃるとおりですね。知覚そのものを認識できないで、なぜ「知覚は認識に先立つ」などといえるか。知覚は「モノとしての身体」と「モノ」との接触であるといいましたが、この少々強引な断定は、主体的(主観的)営みである認識とは区別される「知覚」をこのように捉えることによって、物理的な作用として(ゆえに客観的に)捉えられないか、ということだったのです。
 しかし、そもそも強引な断定ですし、実際に心理学などで実験的に検討されているでしょうから、これを詳しく知らない私が「知覚」について議論を展開したところで、噴飯物になるでしょう。

 じつは、佐藤さんのメールをいただいてから、知覚と認識の違いについていろいろと思案してみましたが、態で分けても時制で分けても、単純にはいかないな、と感じています(自分から言い出したことですが)。その原因は、佐藤さんが示唆されたとおり、知覚を認識することは難しいからでしょう。私が提案した「モノとしての身体」と「モノ」との接触が知覚である、というのは経験的実感というより、モノと精神(意識)の二分法から論理的に導き出される仮説というべきだったかもしれません。
 それでも「モノとしての身体」、中心主体の一部分(あるいは一側面)は「モノ」であるというアイデア、なかなか気に入ってます。新たな展開を見つけ出したら、そのとき改めて触れることにしましよう。

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 さて、「知覚」よりは「認識」に重きをおいて議論を組み立てておられる佐藤さんは、

> そこで起こっていた(はずの)知覚自体は、私たちの意識にはのぼってくることがなく、私たちの手元に残されているのは、認識でしかない以上、知覚のイニシアティヴがどちらにあるか自体、よく分からないからなのです。こう言ってよければ、私たちの意識作用としての認識は、常に既に知覚に遅れてしまっているのです。故に、知覚の働きを捉え直そうとすると、永遠に終わりのない「知覚と認識の追いかけっこ」が始まるのではないかと思います。

という、佐藤さんらしい問題を提示されます。ここに、私とのスタンスの相違が端的に現われていると思います。そして、

> 「主体(=この私)の認識の結果からしか思考できない」という、言わば方法論的な主体中心主義

とおっしゃっているように、これが主体中心主義に属す(「認識」に重きをおく)考え方であるということ、しかしメタレベルに立つ主体の中心主義であること(でよいでしょうか??)を、説明されています。

 この問いの重さに気が付いて、私は筆(?!)がすすまなくなりました。

 西欧哲学に基盤を置いておられる佐藤さんが、「認識」に重きをおいて(主体中心主義にしたがって)思考を進められるのは、むべなるかな、と思います。
 佐藤さんは考えるがゆえに存在するように、考古学徒である私は、まず私自身が「モノ」に惹かれ、関心を持ってしまったがゆえに、「モノ」の探求をはじめます。つまり、私はまず私自身が「モノ」フェチ、「モノ」おたくであることを認め、そのうえで私は考古学を始めるのだということです。(考古学に哲学的基盤が必要ないと思っているわけではありませんが・・・)。

 モノと精神(意識)は作用原理の異なる二つの系に分かれて存在していると考えると、モノと意識を厳密に一致させることはできなくなります。両者のあいだには、相互作用的な関係があるに違いないです。しかし、一般に相互作用的関係を的確に観察記述することは非常に困難だしょう。
 その困難さとこれにつきまとう観察記述の不正確さを回避する一つの方法として、モノと精神(意識)の二分法が近代西欧に生み出されたのではないか、などとかってに推測します。(デカルトで挫折したくせに、大胆な推測ですね!)。

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 佐藤さんは泥田遊びの経験を引いて、知覚と認識の説明を試みられました。同じ例で説明すると、泥田遊びに熱中しているあいだは、帰れなくなるかもしれない、という賢明な判断を下す認識は作用していなかった、といえます。泥田遊びに熱中しているそのときは、認識という作用はまたっく働いていないか、というとそうではないかもしれません。体が沈むという感覚や、泥が足を圧迫する感覚は、認識にのぼっていないのか・・・。このように分析すると、知覚と認識はなかなか簡単に区分できない、ということになりそうです。私が挙げた「発見だ!」の例でも変わりません(やはり、これに気がついて筆がすすまなくなりました・・・)。

 お尋ねの私の経験、つまり大量の土器にどのように接し、どう耽っているか、というお話しです。

 大量の土器を分類整理する作業では、土器に耽溺してしまうということは、実はあまりありません。詳しくお話することはなかなか難しいですが、簡単に言うと大量の土器整理の作業は、パターン認識(認識の枠組み)の組み立て(組み替え)作業、と言っていいでしょう。
 しかしたまに、当時の人々の手ぐせのようなパターンが存在することや、その崩壊や変容が土器の型式変化と密接に関わっていることなどに気が付くことがあって、そんなときはたまらなく楽しい思いをします。斉一的な手ぐせの存在は、土器に残された調整や紋様の施し方を、私自身の手を動かしてシミュレートしながら、製作技法を探ります。こうすることで、外見や個体ごとの違いを超えた、土器製作時の斉一的な手の動かし方を推し量ることが出来ると考えています。その様子、さらにその変容の様子は、単に個人の気まぐれな手抜きや精密化ではないと考えられるでしょう。当時の個人には意識されないような類の手ぐせとその変容に気づくことは、今となっては推し量るすべもない当時の人々の心のありようの一端を、一瞬垣間見たような気持ちにしてくれます。
 ただし、それはあくまでも現在の私の頭のなかの出来事です。けれども、たとえば友人の心の中が一瞬わかったような気持ちになる場合でも同じですよね。本当のその人の心の中がわかったのかどうかは確認のしようがないけれども、わかった気持ちになることはその友人にいっそうの親近感を感じさせますし、それが友人からの反応をさらによいものにする。土器を相手にしたときも、これと似たようなことと思います。ただ、土器の場合には反応を確認できないことが大きな違いです。

 土器を相手にした場合と、友人を相手にした場合とは、それほど違わない、という私の感覚、ヘンでしょうかね?このあたりの感覚の持ち方が、たとえば佐藤さんのご発表中にあった主体中心主義から導き出されてきた認識論に、私自身はしっくりこない部分があるという点に、つながっているかもしれません。うまく説明できませんが・・・。

 もっと即物的に、モノの存在、それを触っていること自体に快感を感ずるような遺物に出くわすことも、稀にあります。非常に出来のよい中世の中国製陶磁器(日本のものとは比べ物になりません)、縄文時代草創期の有舌尖頭器(この時期の石器はとても美しい)、表面を丁寧に磨き上げ、充分に焼成された古墳時代前期の小型壷(手触りが土器とは思えない)、などが私にとって好ましい遺物です。いくら見ても(触っても)飽きがこない。こういう感覚を研究動機に持つ人もいるでしょうが、残念ながら私はそうではありません。
 遺物の手触りの快感、などと公言すると、「あいつは考古学徒の風上にもおけない」などと言われてしまいそうです。けれど、みんな感じてるんじゃないのかな?口にしないだけだと思います。

 それでは、お返事を楽しみにしております。一時の暑さが峠を越えましたが、ご自愛ください。

   いば

■ 第4便 2002/08/13 : さとう → いば

いばいさお 様

お返事ありがとうございます。

認識と知覚の差、そしてそれについての認識を巡って、我々の議論も同時に泥田の中にはまりつつあるといった感じですね。それほどまでに、「感じているのは確かだけど、それをそのまま前提とはできない」知覚という体験を扱うことは難しいのでしょうね。私などは、古典的な哲学の認識論しか知らず、心理学をはじめとする認知科学の最新の成果にも疎いので、どうにも「思惟する主体 res cogitans」から離れることができません(ちなみに、面白いことに、デカルトに端を発する「思惟する人間」の定義 "res cogitans" とは、直訳すれば『思惟するモノ』、英訳すれば a thinking thing なんですね)。

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そこで本便ではいばさんの前便に乗っかる形で、少し視点を変えてみたいと思います。それは、「学問を始める/学問が始まる瞬間の違い」という視点です。いばさんは、私とご自身とにスタンスの違いが存在することを述べた上で、その違いについて、こう明快に記されています。

> 西欧哲学に基盤を置いておられる佐藤さんが、「認識」に重きをおいて(主体中心主義にしたがって)思考を進められるのは、むべなるかな、と思います。
> 佐藤さんは考えるがゆえに存在するように、考古学徒である私は、まず私自身が「モノ」に惹かれ、関心を持ってしまったがゆえに、「モノ」の探求をはじめます。

ご指摘の通り、私は哲学的スタンスから物事を考えます。故に、「考える私」から離れることができません。というか、「考える私」以外に立脚点がないと言えましょうか(もちろん、全ての哲学がそうだとは思いませんが)。その意味で、認識論は常に「モノに先行する『思惟する私』」を、体系の中に組み込まざるを得ない構造になっています。即ち、「初め」にあるのは、どこまで行っても「私」なんですね。いくら認識の対象は私の意識に先立つとはいえ、その対象それ自体を出発点とすることはできない構造。私の場合、学の始まりにあるのは、「思惟する私」です。

私自身の「もの論」の構想が分かりにくいというか出口がないというか、そういった印象を与える(事実、私もそう思っているのですが)根本的な理由も、そこにあります。何故なら、「モノに先行する『思惟する私』」という構造を引き受けた上で、その構造の「内側」から、「『思惟する私』に先行するモノ」の経験を炙り出そうとしているのですから。私がもの論の中で好んで「〜を垣間見る試み」と表現するのも、こうした「構造の内破」という意図に由来するようです。

他方、いばさんの場合、その学問の始まりにおいて「思惟する私に先立つモノ」がまずいばさんを襲い(?)、それによって「思惟する私」、つまり、「学問する私」が初めて成立したとでも言えましょうか。それ故、いばさんが既にご指摘の通り、認識論といった発想とは、基本的に順序が逆ですね。

さて、ここで注意したいのは、いばさんの場合について、私は「モノが襲って、それによってはじめて思惟する私が成立した」と述べました。それでは翻って、私の場合はどうなるんでしょう。「思惟する私がいて、それによってはじめてモノが認識される」という認識論の順序。実は、非常におかしいんです、この順序は。何故なら、この順序だと「そもそも思惟する私はどうやって生まれたのか」が、分からないからです。私は一体いつから思惟する私だったのでしょうか。

端的に言えば、私が思惟する私になったのは、いばさんの場合とそう違いはなくて、「モノが私に現れた」瞬間なのだと思います。ただ、その瞬間を経て初めて私は「思惟する私」になった以上、その始まりの瞬間それ自体は思惟できない、というのが、認識論の構造です。つまり、認識論がそれによって成立する「始まりの一撃」は、認識論では捉えられない、という次第。故に、私はかねがね思っているのですが、認識論は「多分あったと感じられる始まりの一撃」を論じられないという点で、どこか「不実な」側面がある気がします(もちろん、その不実さは同時に、私の認識の「受動性」に対する誠実さの裏返しでもあると思いますが)。

さてさて、このように「『思惟する私』の成立地点に端を発する『認識論の構造上の奇妙さ』」を指摘することで、おおよそ以上で「認識と知覚の差」を巡る議論は整理できたのではないでしょうか。いばさんのご指摘を私なりに引き延ばしただけかもしれませんので、何か恐縮なのですが ... 。

一応繰り返しますと、いばさんは第1便や前便にて、私といばさんのスタンスの違いを、「イニシアティブをどちらに置くか」の違いとして整理されました。そして、特に前便にて、それを「イニシアティブの根源にある『学問する主体の成立地点』」と関係づけられました。それを受けて私は、認識論的な「思惟する私」の成立する瞬間の語りえなさを指摘し、認識論のある種の不実さを描写してみました。おそらくそれこそが、私が第2便にて述べた「知覚の認識の時差」を生む第一原因となるものであり、かつ、いばさんの認識論への違和感の根源ではないかと推測するのですが、如何でしょうか?

本来は、思惟する私がおこなう「認識」という行為と、思惟する私が思惟する「認識論」を、正確に区別して語らないといけないのですが(つまり、万人がおこなっている「認識」と、それについての哲学者独自の思索である「認識論」の差)、まぁ、構造は大差なかろうということで、この際黙殺します。こういうことをしてしまうから、「あんたの議論は大雑把」とか批判されちゃうんですけどねー。

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さて、以上をふまえた上で、再びモノ論へ戻りましょう。

実は、私がいばさんの議論で興味深かったのは、分類の話です。素人考えでは、分類する場合、てっきりモノが多ければ、それだけモノに浸る機会も多かろうなどと比例の原理を勝手に当てはめていたのですが、そうではないのですね。でも、確かに「パターン認識」を行う場合、複数のモノを見比べないといけないわけですから、むしろモノとの一定の距離が保たれねばなりませんものね。モノに浸るという場合、むしろ「この」遺物に浸るわけでしょうから。

さて、ここからはちょっと「考古学者としてのいばさん」におうかがいしてみたいところなのですが、いばさんは先の議論の中で「モノフェチであることを認めて考古学を始める」と述べられておられました。また、手触りのうっとり感などについても、忌憚なき見解を記されておられます。となると、やはり気になるのは、そうした「モノによって受動的に始まった考古学」は、その後、「研究」という極めて意識的な作業の中で、どのような過程を経ていくことになるのでしょうか。

例えば、私がもの論について発表した際も、物質文化研究を巡る上での焦点として「ものフェチの烙印へ恐れ」「方法論的フェティシズム」といった議論を引き合いに出しましたが、やはり、「ものフェチ」だけで研究者が恍惚としていては、何か罪悪感めいたものがある。事実、いばさんも分類の際には、そうした「ものフェチ性」とは距離をとった行動をなされています。となれば、気になるのは、「ものフェチ性」は研究の「開始」の動機とはなりつつも、それ以後の研究の「持続」とは別問題なのだろうか、という点です(もちろん、最初からものフェチでない考古学者の方もおられるでしょうし、また逆に、最後までものフェチを通す方もおられるのでしょう)。

ちょっと言い方を変えれば、こうです。私といばさんの議論はここまで主として「ものとの出会い」、即ち「ものの経験の始まり」に焦点がありました。では、今度はむしろ「始まり以後」についてうかがってみたい、というわけです。認識論の場合、「始まりの瞬間」が謎めいていた一方、「始まり以後」は却って首尾一貫したものになります(思惟する私しかいないわけですから)。他方、いばさんのお話をうかがえばうかがうほど、「では一体、いばさんは普段、どのような意識で研究をされているのだろう。分類の話などもうかがうに、ものフェチだけな方とも思えないしなぁ」という関心が、沸々と沸いてきました。

そうした関心の下で考えるに、分類の最中に土器と接触する時間とは、

> しかしたまに、当時の人々の手ぐせのようなパターンが存在することや、その崩壊や変容が土器の型式変化と密接に関わっていることなどに気が付くことがあって、そんなときはたまらなく楽しい思いをします。斉一的な手ぐせの存在は、土器に残された調整や紋様の施し方を、私自身の手を動かしてシミュレートしながら、製作技法を探ります。

という、「パターン認識」と「モノとの具体的接触および自身の運動」が密接に関わっている時間なのだと思い、大変興味深く思いました。つまり、そこにおいて、ひょっとしたら、ものフェチ性が研究の中でも持続的に作用しているのかな、などと。

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とまぁ、あまり私があてにならない推測を展開しても失礼でしょうから、今回はこのくらいで筆を措くとします。本便後半を要約しますと、研究ないしものとの出会いのの「始まり」以後には、一体、その始まりの根底にあった「ものフェチ性」はどのような運命を辿っていくのか、いばさんの場合の経験やお考えをお聞かせ頂ければ幸いです、とまとめられると思います。「これまたやっかいな質問がきたぞ」と思われるやもしれませんが、またお手すきの際にでもお返事をいただけたら幸いです。

また、いばさんが私以外の人に「僕はものフェチだけど、あなたはどう?」なんてキラーパスを繰り出されても結構ですので ... (でも誰に?)。では、そろそろ京都も五山送り火の季節です。それを越えれば、暑さも峠を越えると言いますし、それまでご無理などせぬよう、くれぐれもお気を付けを。

  さとう

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