2004/06/05 第7回 Res: もの研究会

珍蔵秘玩集古二道 (ちんぞうひがんしゅうこのふたみち)
近世のモノ集めを論じて、日本考古学史に及ぶ

発表者: 内田 好昭

1. はじめに

考古学史研究の立場からモノ集めを論じる。

考古学が近代的な学問として制度化されると、考古学の資料であるモノは大学や博物館に集められるようになる。しかし、それ以前の古いモノ研究は、専ら私的なコレクションによってなされた。実のところ、近代以降の考古学研究も、私的なコレクションに多く依存した。モノを研究するためには、まずモノを集める必要があった。

しかし、モノ集めと考古学が出会う現場は、実際にはこうであろう。素敵な古いモノに出会った。→集めてみたくなった。で、集めた。→過去(そして現在)のことがわかってしまった。おそらく、モノ集めは考古学的営為に先行する。そうすると、モノ集めは考古学発生の現場なのかもしれない。そこで、冒頭の態度表明を次のように改める。

モノ集めから考古学史を、とりわけ考古学のはじまりを論じる。

2. 拾って集める

M君(私の息子、2000〜 )は、様々なモノを拾って家に所蔵している。石、木の枝、松ボックリ、各種の虫、そして瓦、等々。モノを集めるのは、歴史や地域に限定された文化に発するのではなく、人間の生得的な営為のように思われる。

私の友人Tさん(1961〜 )は、小学生の時の石集めが、中学生で化石集めに転じ、高校生にいたって石器収集、大学で考古学を専攻し、卒論は土器で書いた。高名な考古学者小林行雄(1911〜1989)も、旧制中学時代に化石収集から土器の収集に乗り換えた。Tさん、小林にとって、本当にやりたかったことは拾って集めるという営為そのものであり、拾って集める対象は何でも良かったのではないかと思われてくる。考古学は後から憑(ママ)いてきた。

M君は、やがて自由にお金を使えるようになると、拾うことをやめて売っている何物かを買って集めるかもしれない。コレクターはコレクター人生を歩む過程で、拾って集める→買って集める、という発展段階を経過することが予測できる。この場合の「拾う」は、文字どおり拾うことであると同時に比喩でもある。つまり「タダで手に入れる」が含意されるであろう。

ところで、買うモノは社会的な価値を有しているから売っているのである。拾うモノは価値がないから落ちているのである。したがって、ある種のモノが収集の対象になって価値を有する過程は、これまた、拾って集める→買って集める、というコレクターの収集形態の発展段階として表現される。コレクター間でのモノの交換は、拾うに後続する段階、買うにいたる前段階であろう。収集されるモノは、拾われる(価値の発見)→交換される(価値の共有)→売買される(価値の社会的広がり)という具合に成長すると見なせよう。

すなわち、拾って集める!が価値発見の現場であり、コレクションの、そして考古学の最初の地平である。

3. 珍蔵と秘玩

藤貞幹(1732〜1797)は、江戸時代における考古学的営為の草分と目される人物である。すなわち、無価値のモノに考古学的価値を見い出したパイオニア、拾って集める段階の人物と目される。貞幹のコレクションは、貞幹没後に山田以文が編集した未公刊本『訪古遊記』に記されている(吉澤1922)。貞幹コレクションの記録者(おそらく以文)は、コレクションの内容を大きく「珍蔵」と「秘玩」に区分している。

珍蔵は古典籍、古文書、古銭、古瓦、金石文拓本、古器物などで構成される。秘玩は硯、水滴、筆架、鎮子、如意、扇などで構成される。吉澤義則氏の言葉を借りれば「珍蔵品は主として古代文化資料」、「秘玩は日用器具中の愛玩品」ということになる。秘玩について付け加えれば、古物であったり、海外のモノであったり、由緒ある建造物の部材を加工して作られた日用愛玩器具である。例えば滋賀宮の古瓦を素材とした瓦硯。瓦硯とは古瓦の一部に墨池を彫り込んで硯とするものである。素材となる瓦は硯としての使用に耐えられる堅さと大きさが求められるが、一般的にそうした性質をもった瓦は一部の古代瓦のみである。18世紀の好事家の通念では、滋賀宮(大津宮)と太宰府の古瓦が瓦硯に最も適したものとされていた(藤1794)。この場合、硯に相応しい素材は、モノそのものの属性に加えて由緒が重視されている。身のまわりにある鍋や茶碗とは別に、秘玩が分かたれるゆえんである。すなわち、秘玩とは日用品であっても滅多に無いモノ、珍奇なモノであり、端的にいって由緒を背負った道具である。

ところで、ジャン・ボードリヤール(Jean Baudrillard)氏によれば、どんなモノにも実用されることと所有されることの2つの機能があり、モノは後者の性質において収集される(ボードリヤール1998)。ボードリヤール氏の指摘は、端的に言って、モノは道具として有用であるという側面と、モノはモノ自体として素敵であるという側面とがある、ということであろう。ここでは、前者をモノの有用性、後者をモノのモノ性と仮称する。モノのモノ性とは、形、大きさ、重さ、手触りなどの即物的な性質であり、有用性一般に回収しきれないモノの個物性といえよう。しかし、貞幹のコレクションを徴すれば、モノに付加された外部情報、すなわち由緒がモノの個物性を際立たせていることに気づく。この場合、由緒とはモノにまつわる物語や歴史的・地理的距離感(古いモノ・外国のモノ)である。

唐突に図について述べたくなった。『和漢三才図会』(1713)には、様々な器物の図が掲載されているが、それはモノの有用性に基づいて区分され、作図されている。それは普通名詞を図化したものであり、描かれる当のモノはどこか捉えどころのない普遍である。他方、『万宝全書』(1694)に描かれる名物茶器は、微細な器形や釉調が図化され、寸法や技法が文字で記される。表現されているのは、明らかにモノのモノ性である。名物茶器は「松本茄子」とか「出雲茄子」という固有の銘がある。『和漢三才図会』との対比によれば、モノのモノ性の図化とは、他の何物とも異なる個物の図化であり、固有名詞の図化と見なせよう。固有名詞で表現されるモノは、製作や伝来や命名の経緯、すなわち固有の由緒によって他とは区別される個物である。我が国で最初に図化された個物が茶器や刀剣などの名物であったのは、こうした事情による(内田1995)。

貞幹の秘玩は、実際に使うモノなのにモノのモノ性が色濃いモノである。珍蔵はここから、有用性をはぎ取ったモノ、モノのモノ性のみにおいて価値を有するモノである。名物の茶器や刀剣は貞幹コレクションの区分に従えば秘玩である。秘玩集めの系譜は江戸時代以前に遡る。おそらく秘玩集めに珍蔵集めが胚胎する。

4. モノと由緒

落ちているモノ、拾うモノが価値を有するのも、まずは由緒によってである。それによって落ちているモノのモノ性が際立ち、過去についての知識につながる。その現場を見てみたい。松浦静山(1760〜1841)の古瓦コレクションと静山編『新古瓦譜』(寛政年間)を取り上げる(注)

静山の古瓦コレクションは、モノそのものとしては優品が少ない。モノとしてはありきたりな平瓦や丸瓦の小片が、特別にあつらえた木箱に丁重に納められている。しかも、これらの瓦片を集成した「新古瓦譜」には、瓦片の表面、裏面のみならず側面までもが採拓され、掲載されている。一般的な古瓦コレクションのように紋様のある軒瓦や藤貞幹が重視する文字瓦は大変少ない。要するに落ちている瓦礫である。

落ちている古瓦片は、むろん屋瓦としての有用性を失っている。古瓦が拾われ、集められるのはモノのモノ性による。また、古くない瓦片は蒐集の対象にならない。古いか古くないかの判断は、モノのモノ性への着目による。ここにはすでに様式論的判断がある。

しかし、古瓦片は、たんに古色を有するがゆえに収集されたわけではない。静山収集の瓦片が価値を有するのは、その採集地点によってである。壱岐国分寺跡、多賀城跡、太宰府跡、東大寺、薬師寺、唐招提寺等々。いずれも著名な古代の役所や寺院である。これらの歴史的な建造物の部材であるがゆえに、その古色は愛され、集められる。古瓦片は、モノそのものが有する性質以前に、それが背負った由緒によって、価値を見い出されている。多くの棄瓦の中から古い瓦を見い出す様式論的判断も、こうした営為の上に育ったものであろう。

由緒あるモノは愛するにたる。手の上で撫で回し、昔に思いを馳せることができる。この色、この重さ、この手触り、すなわちこのモノへの執着は、古瓦の小片を木箱に納めさせ、入念に採拓され、採集地点の由緒が古記録に徴され、由緒とモノのモノ性とが対比され繋がれる。こうした営為が考古学的営為を準備するものであることは疑いない。

5. おわりに

由緒あるモノに向けられた関心は、有用性一般とは別にこのモノ(個物)への執着を生み、秘玩集めを促す。ここから有用性をまったく度外視した由緒あるガラクタ集め、すなわち珍蔵集めが派生する。珍蔵集めはやがて過去についての知識を生産する。考古学的営為はこのときに生まれると考える。

さて、こうした営為が「考古学」と呼ばれ、モノ集めに新たな理屈が付与され、一定の社会的役割を課せられる過程については、まったく別の考察がなされる必要があろう。

注) 松浦静山の古瓦コレクションと『新古瓦譜』の調査に際しては、財団法人松浦史料博物館と同館館長木田昌宏氏のご高配を賜った。この場を借りてお礼を申し上げる次第である。

参考文献

  • 内田1995…内田好昭「日本の集成図」『考古学史研究』5、1995年11月、25〜65頁
  • ボードリヤール1998…ジャン・ボードリヤール(浜口稔訳)「蒐集の分類体系」ジョン・エルスナー/ロジャー・カーディナルス編(高山宏ほか訳)『蒐集』研究社、1998年11月、17〜34頁
  • 藤1794…藤貞幹「好古小録」『日本随筆大成』第1期22、吉川弘文館、1976年6月、153〜241頁
  • 吉沢1922…吉沢義則「藤貞幹に就いて(三)」『芸文』13-10、1922年10月、34〜52頁。

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