2003/05/10 第4回 Res: もの研究会

もの研究によせる練習曲(エチュード)三題
モノとヒトとの共鳴、またはモノがうみだす磁場

コメント: 中井 淳史

以下は、2003/05/10 第4回Res: もの研究会「転用−ものは流転する」においてなされた二つの発表(朽木量氏「日常における「流用」の諸相 − 考古学理論への応用に向けて」と、中谷礼仁・登尾聡氏「弱い技術について/都市の転用」)に対し、中井淳史氏より寄せられたコメントです。

■ はじめに

「転用」という営為は、「転用」する主体=ヒトと、「転用」される客体(対象)=モノというふたつの存在が前提となる。つまり、「転用」とは、ヒトとモノの関係性に立脚することではじめて成立する。日常的な感覚からみれば、この関係性においてつねに主導的な立場にあるのは私たちヒトである。IT化社会の隠喩的な意味でもなければ、誰しもモノに「使われている」などと思いはしないだろう。

しかし、モノとヒトをめぐる関係性というのは、つねに変わることがなく、静的でかつ安定的なものなのだろうか。「転用」という営為に焦点をあてることは、自明なようにみえるこの関係性を再考する契機となるように思われるのである。

■ 1. ヒトとモノとの綺想曲(カプリッチオ)

ここであつかう(そして研究会でも焦点となった)モノとは、いうまでもなく人工物をさしている。ほかならぬヒト自らの手でつくったという意味で、ヒトはモノの創造主であることはうたがいない。

しかし、ヒトはすべての局面で万能の創造主として振る舞えるわけではない。モノの生成という瞬間、すなわち、モノをあらしめる意図の段階において万物の創造主たり得たとしても、ひとたびヒトの手からはなれてしまったモノは、ヒトの忠実なる従僕たりつづけるわけではない。ヒトの(モノに対する)思惑とモノが一致しない場面は、私たちの日常生活においてもよくみられることだ。ヒトが抱く意図と、モノとが<衝突>するとき、いかなる反応が生じるのであろうか。「転用」をめぐる議論は、この地平から出発する。

この<衝突>を解決するための方法はさまざまだ。もっとも手っ取り早いのは、意図に反するモノを排除することである。建物を取り壊すとか、モノを捨ててしまうといった日常的によくみられる情景は、まさに排除による衝突の回避にほかならない。ひるがえって「転用」とは、モノを排除するのではなしに、今あるモノの存在を前提に、ヒトの抱く意図にあわせてモノをつくりなおしたり、使ったりすることである。「転用」とはすなわち、ヒトの意図と<衝突>するモノを排除することなく(排除という手段の回避を前提として)、あらたな関係性を築きあげることであるといえそうだ。

そもそも、なぜこのような<衝突>が起こるのであろうか。おおづかみにみれば、ふたつの要因があげられる。ひとつはヒトがモノに与える価値・意味・機能に起因する問題であり、もうひとつはモノそのものがもつ物質性にかかわる問題である。これらはつねに厳密に峻別できるわけではなさそうだが、このふたつのうち前者は朽木氏の報告に、後者が中谷・登尾氏の報告によりつよくかかわってくるように思われる。

まずは前者についてみてみよう。モノといっても多彩であるが、ここはさしあたり飲用器を想定してみたい。ヒトはある特定の行動の利便性を高めるために、モノをつくりだす(もちろん、すべての場合において明確な意図をもって道具が発明されるとはかぎらないが)。生まれたばかりの名もなきモノは、この瞬間においてある特定の機能を期待されている。飲用器であれば、液体をのむという機能にかなった形態をとる。液体をすくって貯めることができ、そして口をつけて飲みやすいような、身の深い形態だ。やがて名もなきモノはある名前をつけられる。湯飲みとか、コーヒーカップといったように。このような名づけの段階で、モノは汎用性のある機能から離れて、そのなかのある特定の用途を担うことが期待されてゆく。そしてしばしば、その特定の用途に使用するように規範化されるのである。

朽木氏も例示していたように、湯飲みでご飯を食べることは不可能ではない。しかし、私たちが共有するマナーという点からみれば、これは忌避される。コーヒーカップでお茶を飲むこともまた不可能ではないが、そうしている人をみれば、私たちの多くは奇妙に思うか、人によっては不作法とみるだろう。汎用的な機能を担って生まれたはずのモノは、ヒトのまわりに展開する文化的コンテクストのなかで、いつしか特定の用途をもった(期待された)モノへと分節化されてゆくのである。ヒトとモノが接するといっても、つねに直接むきあっているわけではない。多くの場合、こうした文化的コンテクストのなかで、多分に概念化されたモノとして接しているのである。

私たちの生活の多くの局面では、こうした分節化にしたがってモノが消費されてゆく。私たちは飯茶碗でご飯を食べ、湯飲みで湯茶を飲み、コーヒーカップでコーヒーを飲む。いくら液体が入るからといっても、鍋でお茶を飲む人はまずいないだろう。

しかし、このような状況はいついかなる時においても保証されるとはかぎらない。かぎられた道具しかない無人島での生活を想像すれば、それは容易に理解できよう。あるいは、私たちが育ち、自明なものとして慣れ親しんだ文化的コンテクストにはなかったモノがよそから持ち込まれたときはどうであろうか。「転用」という営為は、こうした局面においてにわかにクローズアップされるのである。

朽木氏の報告では、フーコー、ド・セルトー、ブルデュー、シャルティエらの知的系譜のなかで醸成されてきた転用/流用 appropriation 概念が(1)、いかに物質文化研究に応用しうるかについて、その理論的な見通しが提示された(2)。朽木氏はこの転用/流用を、モノとヒトとの関係性にまつわるものととらえ、折衷・転用・新型式の生成・文化的交雑性 hybridity という四つの相に分けて整理した。

ここで注目されるのが、ヒトがモノを使う過程における、「本来的」な(「規範的」を含めてもいいだろう)使用法と、「逸脱的」な使用法との<ズレ>である。この<ズレ>の分析によって、流用の諸相のみならず、モノに対するあらたな意味創出=ヒトによるモノのあらたな関係性の創出がみえてくるというわけである。そしてこうした側面への注目は、しばしばモノを固定化してみてしまう本質主義的な視点を克服する役割を果たし得ると朽木氏は説く。朽木氏は近世墓の副葬品から植木鉢(これらは、同じ文化的コンテクストのなかにおけるヒト−モノの関係性の創出といえる)から、日系ニュー・カレドニア移民の生活財(こちらは、異なる文化的コンテクストに身をおいた場面での、未知のモノとの関係性の構築)に至る幅広い事例をとりあげつつ、ヒトとモノとの関係性の更新過程をあざやかに浮き彫りにしてみせた。臼をひっくり返して植木鉢にしたり、穴をあけた甕から植木鉢を創出したり、ヒトとモノとの関係性は綺想曲のごとく、意外性に満ちている。

朽木氏が主張するように、物質文化研究において、私たちはともすれば硬直化した観念にとらわれがちだ。弥生土器の壺といえば、煮炊きなり貯蔵に使ったものとすぐ連想してしまうように、ある単一の使用法を想定しつつモノ(この場合は考古資料)の評価を下すことがある。こうした態度は時に、モノにひそむ多様性をあらかじめ取り逃がしてしまうことになるのではないか。これが朽木氏の主張の主眼である。氏が提示してみせた転用/流用の理論的枠組みは、こうした本質主義的な観念を疑問に付すという点で、きわめて有効であることはうたがいない。

一方で、あらたな問題点も浮上する。転用/流用を考えるためのキー・コンセプトと朽木氏が説いた「本来的」・「規範的」-「逸脱的」という二項対立的構図にひそむ問題だ。なるほど、モノの使用のあり方はつねにただひとつであるとはかぎらない。いくつか想定される使用法のなかで、あるひとつが選ばれたということ、また逆にあるモノは、私たちが通常想定しないような使われ方もあるということ、こうした点の解明に道を開いたことは重要だ。しかし、モノの使用法が単一ではなく複数あるのだとすれば、私たちは何を基準に「本来的」・「規範的」、あるいは「逸脱的」だと考えたらいいのであろうか。

現代のように、モノの名前がわかっていれば「本来的」・「規範的」用法を考えるのは簡単だ。先にも述べたように、モノは名前をつけられることによって、自己同一的でア・プリオリに規定される「用途」が付与されるからだ。また中近世や近代の移民の生活財のように、ほかの史資料の検討も含めてある程度「本来的」な使用法が想定できる場合も、さほど困難ではあるまい。では、石器以外にモノがのこらない旧石器時代の場合、モノ=石器の「本来的」な使用法は、どうやって知ればよいのだろうか。あるいは、私たちがまったく知らない文化的コンテクストに出会った場合、「本来的」な使用法とは、どう考えたらよいのだろうか(3)。縄文や弥生時代の土器をさして、私たちは深鉢といったり壺といったりしているが、これはあくまでも私たちの感覚に立脚したものであって、当時の人びとがそうよんでいた保証はない。壺ということばから私たちが想定する用法は、果たして当時にあっても「本来的」であったのだろうか。

要するに、「本来的」・「規範的」-「逸脱的」という構図は、必然的な傾斜をともなっている。「逸脱的」な使用法をとりだしてみせてこれを「転用/流用」だとする局面においては、その傾斜の上下があらかじめ決まっていなければならないのである。

もっとも、朽木氏のとりあげた事例研究に照らしあわせるかぎりでは、この問題点は回避され得るものであり、したがって朽木氏の議論自体に問題があるというにはあたらない。しかし、従来の物質文化研究の限界点を顕在化し、その克服を試みるものとしての「本来的」・「規範的」−「逸脱的」という構図すらもまた、私たちがいる現代の文化的コンテクストにとらわれる危険性を完全に脱しきれていないということは、意識の枠内におさめておいてもよい。ヒトとモノとの関係性は綺想曲のごとく意外性に満ちてはいるが、それをみきわめようとする眼差しもまた、現代のヒトとモノとの関係性から完全に脱しきれてはいないのだ。

 2.モノとモノとの重奏曲(フーガ)

では、「本来的」・「規範的」-「逸脱的」という構図の限界点を克服することは困難なのであろうか。こうした構図から転用/流用の過程を明らかにするには、つねに外部のコンテクストを参照することなくしては不可能なのであろうか。ヒトとモノという関係性からいったん離れて、モノそのものへ目を向けたとき、解決の(といっても、実践としては必ずしも容易ではあるまいが)糸口がみえてくるように思われる。先にヒトとモノの<衝突>の背景を述べたが、その時にあげたもう一つの要因、モノの物質性に注目することによってである。

これまで述べてきた問題関心に沿ってみてみると、中谷・登尾氏の報告は、上のような問題を克服する道を開くものであるように思われる。このことは、過日開催された国際シンポジウム「<うごくモノ>−時間・空間・コンテクスト−」(東京文化財研究所、2002)で中谷氏が報告した several-ness <いくつか性>論を参照すれば、より明確となる。もの研究会の内容とは逸脱してしまうが、ここですこしふれておきたい(4)。中谷氏のいう several-ness <いくつか性>とは端的にいうと、モノの転用を可能にする大きな枠組みとして機能する、モノ自身がもつ特性をさす。理念的には(つまり、ヒトの頭の中では)転用の可能性は無限であるが、実践では、モノのもつ物質性に基づくかぎり、無限ではないし、ひとつでもない。several-ness <いくつか性>、つまり有限なのである。無限に湧出するかにみえるヒトとモノとの関係性は、モノのもつ物質性に立脚するかぎりにおいて制約をうけるという理論だ。

中谷・登尾氏の報告は、近代長屋建築の技術を検討した部分(中谷氏が担当)と、都市構造における転用のプロセスを検討した部分(登尾氏が担当)のふたつから成り立っている。両氏が提示したキーワードにならって、以下では前者を「弱い技術」論、後者を「都市連鎖」論とよぶこととしよう。「弱い技術」論は、この several-ness <いくつか性>論の序論的位置を占めており、コンテクストの変化によってあらたな定義を許容し得る技術の存在を論じたものである。長屋の改築過程を検討してみると、ふるい土壁は単純に一掃されてしまうのではなく、その意匠的要素は排除されても、あらたな壁の支持体としてのこされることが多いという。中谷氏はこうした事例に注目し、これを定義の変化に対応して、物性や形態を残す技術、すなわち「弱い技術」と呼ぶ(5)。「弱い技術」とは、「それ自体では機能を定められず、新しいコンテクストや他技術とのその時々の契約関係によって用法を一時的に定める」(6)ものであると。

「弱い技術」論は、この several-ness <いくつか性>論の序論的位置を占めており、コンテクストの変化によってあらたな定義を許容し得る技術の存在を論じたものである。長屋の改築過程を検討してみると、ふるい土壁は単純に一掃されてしまうのではなく、その意匠的要素は排除されても、あらたな壁の支持体としてのこされることが多いという。中谷氏はこうした事例に注目し、これを定義の変化に対応して、物性や形態を残す技術、すなわち「弱い技術」と呼ぶ。「弱い技術」とは、「それ自体では機能を定められず、新しいコンテクストや他技術とのその時々の契約関係によって用法を一時的に定める」ものであると。

中谷氏は、この「弱い技術」こそが、現代科学技術に象徴される「強い技術」に対し一定の批評的位置を占めうる可能性を重視している。これは重要な指摘であるが、こうした議論に言及する力量を私は持ち合わせていない。私の興味関心にひきつけてみるならば、朽木氏が提起した物質文化研究における転用論、あるいは私が研究対象とする歴史考古学研究に対置させたとき、この「弱い技術」論はあらたな可能性を浮き彫りにするように思われるのである。これはまた、この「弱い技術」論を都市研究に敷衍させた「都市連鎖」論についても同様にあてはまる。

もうしばらく「弱い技術」論についてみてみよう(7)。「弱い技術」は、自らがその機能を明確に定められないという限界を持っているが、一方で、成果物としてのモノの現前を前提として成立する。いわば、単なるモノというよりは、それを成果として先立つ技術をも内包した意味でのモノを主語としてみる考え方ということができる。この議論が魅力的であるのは、「弱い技術」=モノが新しいコンテクストを導き出す可能性をも明確に射程に入れている点だ。モノを道具として使うという意味で、その主体はつねにヒトではあるが、ヒトがつねに自由にコンテクストを付与できるわけではない。モノに導き出されるコンテクストを受け入れなければならない局面があるのだ。「弱い技術」論(そして、その発展形である several-ness <いくつか性>論)は、モノが主導的にコンテクストを決定し得る場へ道筋を開く可能性を提示してくれるのである。

転用論のなかでふれた、「本来的」・「規範的」-「逸脱的」という構図をここであらためて想起してみたい。「本来的」か「逸脱的」かは、モノがどのように使われるかというコンテクスト、つまりヒトの側から決定される。極端にいえば、ここにあるのはヒトの側からみた転用可能性のみである。しかし、「弱い技術」論ないし several-ness <いくつか性>論的な観点を採り入れることによって、モノの側に内在する転用可能性を視野に入れる余地がうみだされる。このような考え方は、ある局面においては、「本来的」・「規範的」-「逸脱的」の構図が必然的に抱える(文化的)傾斜性を脱することもできるように思われる(8)

さらにこの議論は、考古学研究においてもあらたな論点を提起する(9)。私のみるところ、コンテクストの変化に直面した際に技術が発揮する適応可能性、あるいは技術やモノのコンテクスト導出可能性というものは、これまでの考古学研究においてこぼれ落ちてきた視点のように思われるのである。

もっとも、建築資料とちがって、モノ=考古資料はその資料的特性として、年輪のように変化の痕跡がのこるわけではないことに留意しておく必要がある。なぜなら、身体的な感覚と照らしあわせて巨大というべき建築物とはちがって、私たち考古学者が日頃あつかうモノは小さい。あらたなコンテクストをもちこんであらたな機能を定めさせるより、とりかえたほうがはるかに楽な代物であるからだ。資料的特性の決定的な差異を鑑みれば、「弱い技術」論をただちに(そして、そのまま)適用することは困難であるかもしれないが、これまで自明と考えられてきた考古学の枠組みに思いをめぐらす価値ある契機を提供することはうたがいない。すなわち、石器・土器・木器・金属器・・・といった、考古学研究においてまずもって先験的に存在する物質的コンテクストについてである。

私たち考古学者は具体的な資料操作をはじめる以前に、こうした素材による分類を無意識的な前提として受け入れている。前近代の社会にあっては、これらはすべて手工業として位置づけられていたにもかかわらず、それぞれは独立したものとしてとりあつかわれることが多い。私が取り組んでいる中世土器研究にあっては、土器のなかでもさらに土師器・瓦器・陶器・・・といった細分化がなされている。ひとつをとりあげてまず検討を加えるがために、個々が連関しているかもしれない可能性をおきざりにしてしまっているのである。つまり、物質的コンテクストがまずもって優先されてしまうのだ。「弱い技術」論は、こうした(えてして無意識的にあてはめられる)枠組みに抗して、inter/trans-material な可能性に目を開かせる契機となる点で、きわめて重要な意味を持っている。

たとえば、道具を使うという局面、木の伐採をとりあげてみよう。この作業で用いられるのは、斧(石製や鉄製など)や楔(木製)である。これに対して切る対象は、堅い木や柔らかい木、太い木や細い木などというように、さまざまな性質を持つ。木を切る行為は、対象となる木とこれらの道具=モノ、そして切る主体であるヒトとでなされるが、切る対象の木の材質や、切るヒトの技量などのさまざまな変数が関与する。ひとくちに木を切るといっても、変数の差異は一様ではない。堅い木を切るために適するように楔の形態や材質を変えたり、またそれに適合するように斧の形態を変え、改良するというように、さまざまな様相が起こり得るのだ。

このヒト・道具・対象(ここでは木)という関係性のなかで、共通した基盤として存在しているのは、木を切る技術そのものだ。みかたを変えれば、ひとつの技術がコンテクストとなって、材質の異なるモノそれぞれに影響をおよぼしているといえるのである。さらにひとつの技術を基盤として複数の道具が使われるなかでも、相互に影響関係が生ずる。このような局面で起きているのは、技術を媒介にしてうみだされる inter/trans-material な共鳴である。ヒトとモノとのかかわりばかりではなく、モノとモノのおりなす重奏曲に、私たちはもっと耳を傾けてもよいはずだ。

■ 3. ヒトとモノとの協奏曲(コンツェルト)

「都市連鎖」論に話題を移そう。これは、都市構造、あるいは都市形成の場というレヴェル(考古学があつかう道具、建築史学があつかう建築物よりも空間的にも時間的にもはるかに大きいモノである)においても、さきの「弱い技術」ともいうべき要素があって、コンテクストの変化に応じて巧みに姿を変えていくことを示した議論である。古代の条里制地割をそのまま使いつづけて現代の景観を形成している大蓮地区(東大阪市)、大正期の耕地整理を背景に建物配置がすすんだ西成地区(大阪市)、そして中世集落から発展し、近代にいたり古代の条里制地割にそった計画道路を受容した長原地区(大阪市)の三つの事例を紹介しつつ、都市形成における現代と過去の共鳴の一端が示された。これまでみてきた議論とは視野が大きく変わっているが、都市もまた、ヒトとモノとのひとつの関係性をあらわしていることはまちがいない。

これは前章で論じた「弱い技術」論的視点がいかに広いパースペクティヴを持ち得るのか、その有用性を示したものといえそうだ。しかし、それ以上に私は、この議論が文献史学や考古学でおこなわれている都市論に対するカウンターとなり得る可能性を内包していることに感銘を受けた(これは報告者の意図とはまったく異なっているだろうが)。なぜなら、文献史学や考古学において近年活発な都市論は、論点が多様化しつつあるとはいえ、なお権力論的な影響を色濃く受けているからである。

考古学や文献史学の議論は、コンテクストの変化や刷新を第一義的にみて、都市の創造主たる権力者(ないしその政権)という立場から都市の成立や変容を語る手法だ。秀吉による大阪の町割とか、家康による江戸の形成といったように。中世末期からあらわれた城下町の多くが、戦国大名の構想を反映して計画的につくられただけに、もちろんこうした観点は重要な意義を持っている。しかし、この観点は一方で、都市のコンテクストを一新させられるだけの力をもつ権力者の存在に目をむけるがゆえに、必然的に過去との断絶性=革新性に焦点をあててしまう(その表裏として限界も語られるわけであるが、これはしばしば権力者の資質や政権の性格に帰せられて説明される)。この傾向を極端までおしひろげてゆくと(現実の研究動向がそうであるか否かは別として)、過去との連続性がぼやけてしまう危険性が生じてしまうのだ。

都市の成立や展開を、(究極的に)政治史的な問題ととらえて考えるのが、考古学や文献史学の都市論におけるひとつの基本的な「語り口」である。登尾氏の報告は、このような都市論の支配的な「語り口」を相対化し得る重要な論点を有しているように思われる。そしてまた、政治史的な視点の導入によって、とりこぼしてしまったものへの眼差しを。「都市連鎖」論の理論的基盤について、中谷氏はこう述べている。

意識的に継承された伝統は、もはや私たちの興味の範疇外である。むしろ無意識のうちに手渡される構造、あるいはその堆積の複雑さゆえに歴史的アイデンティティーの獲得に常に失敗していくような場所(大阪!)のほうが面白いのである。なぜなら意識的伝統は継承者による権威的価値づけを必要とするが、無意識な継続はそのような過程を全く必要としないからである。あの夕刻の古墳のように、不断に現在に影響を与える物質的存在として、そこに-いる-からなのである。(10)

中谷氏の眼は、権力を契機や媒介としない都市の歴史的継続性へ向けられているといってもよいだろう。しかし、こうした「無意識な継続」はしばしば見落とされるか、あるいは「意識的な継続」として読み替えられて把握されてきた。「都市連鎖」論は、これまでの都市論のなかで、ともすれば看過されてきた局面にあらたな光を投げかけるのである。

むしろこの「無意識な継続」とは、都市に住むヒトの日常的な感覚によりそったものといえるかもしれない。日常的な感覚からはじまって、時空間的に巨大な都市=モノを考えようとする視点。これは従来の都市論的視点をひっくり返したものであり、と同時にヒトとモノとの関係性のひとつのあり方を示しているにちがいない。

報告では、古代の条里制や中世の村落が現代の大阪の都市計画に与えた影響など、遠い過去と現代とを結ぶ「鎖」が強調された。過去そのものではなく、それが現代に与える影響を工学的にとらえる歴史工学研究の本義に照らし合わせれば、それはもちろん何の問題もないが、「連鎖」ということばは本来、古代(あるいは原始)から中世、近世、近代、現代といった輪のつらなりにほかならない。それぞれの鎖をも明確にしたとき、「都市連鎖」論は従来の都市論にとって、看過し得ない意味(脅威といってもいいかもしれない)を持つようになるはずだ。

■ おわりに

今回の研究会でとりあげられたモノは、道具・建築・都市の三つである。道具はヒトの身体的感覚、そして日常的なパースペクティヴのなかにおさまり得るモノだ。耐久財として生きつづけるモノもあるが、たいていはヒトが生きているあいだにつくられ、使用され、廃棄される。ほとんどの道具は、ヒトの寿命という(生物的な)タイムスケールのなかにすっぽりとおさまっている。これに対し、建築はその大きさひとつとってみても、道具とは隔たりがある。またヒトの住む家であれば、身体的感覚や日常的なパースペクティヴにおさまってはいるものの、道具よりははるかに大きいし、その耐久性となれば通常、ヒトの寿命を越える。都市はもはやいうにおよばないだろう。規模にしても生きつづける時間にしても、ヒトのタイムスケールからはるかにかけ離れたモノだ。

タイムスケールの問題ひとつとってみても、ヒトとモノとの関係性はこのようにさまざまだ。ヒトとモノ、そしてモノとモノ、いくつもの取り合わせが織りなすエチュードもまた、研究会で示されたようにかくも多彩なのだ。あるひとつの学問分野に立脚するということは、あるひとつのエチュードに目をむけることを意味するが、こうした日常の練習をひとやすみして、その向こうにある音楽の豊穣さにしばし耳をかたむけてみることもまた――たとえそれをマスターすることが困難をきわめるとしても――あながち無意味なことではないだろう。

  1. appropriation 概念は、近年さまざまな分野で取り扱われているが、分野によって訳語が異なっている。転用、流用、領有といった用語である。もの研究会が統一テーマとしてとりあげたのは「転用」という訳語であるが、朽木氏は文化人類学で一般的に用いられている「流用」という訳語を使用した。本小文はもの研究会の当初の趣旨にのっとり「転用」ということばで統一するが、朽木氏自身は「流用」という訳語を基本的に使用していたことをことわっておく。
  2. 流用 appropriation 概念についての朽木氏の見取り図は、『メタ・アーケオロジー』第3号(メタ・アーケオロジー研究会、2002)における論文「物質文化研究における『領有/流用』概念の展開−墓標形態・図案にみる折衷・転用−」にて明快に示されている。あわせて参照されたい。
  3. 考古学に関していえば、考古資料やその出土状況などのデータを集成してゆくこと、つまり数量を担保とすることで、「主体的」な使用法をある程度推測可能である。が、この方法とても、すべてにおいて成り立つとはかぎらない。たとえば、資料そのものが少なく、かつ地域的にも偏差のある旧石器などの場合は想定はきわめて難しいだろう。
  4. 中谷氏のseveral-ness<いくつか性>論の概要は、http://www.tobunken.go.jp/sympo02/ を参照されたい。なお、2004年に東京文化財研究所より報告書が刊行される予定である。
  5. その対義語となる「強い技術」とは、包括的に計画づけられたなかで、ある特定の機能を担うように厳密に固定された技術体系をあらわすという。中谷氏の比喩を借りると、たとえば蓄電池は充電を可能とする供給電力=コンテクストなくしては機能しない。蓄電池の蓄電技術は、すなわち「強い技術」となるわけである。
  6. 中谷礼仁・北浦千尋「弱い技術について−近代大阪長屋群の増改築手法におけるその特性(歴史工学的事例報告2)」(研究会にて配布された資料)
  7. 以下で展開する議論は、私(ないしは歴史考古学研究)の問題関心にひきつけたものであって、中谷・登尾氏の意図とおそらく異なっていることをことわっておく。
  8. しかし、several-ness <いくつか性>なり「弱い技術」の認識という点で、なお認識主体である私たちが抱える現代的コンテクストに影響される可能性はのこる。中谷氏は、時代や民族を越えて共通する認識体系を視野に入れているようであるが、これは昨今の認知考古学的視点に通じるかもしれない。
  9. 便宜的に「考古学」と一般化してはいるが、ここで私が念頭においているのは歴史考古学研究であることをことわっておく。歴史考古学を念頭においた議論が、すぐに考古学全般に敷衍できるかどうかは検討の余地がある。私のみるところ、歴史考古学と先史考古学では状況はかなり異なっているように思われる。
  10. 中谷礼仁「都市は連鎖する」(『10+1』No.30、INAX出版、2002)。

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