2002/06/23 第1回 Res: もの研究会

Res: もの研究会のはじまりにあたって

発表者: 中井 淳史

以下は、研究会冒頭に中井氏によってなされた挨拶の全文です。

■ 1

このたびは、Res:もの研究会にご参集いただきましてありがとうございます。この研究会の発起人の一人として、無事開催にこぎつけられたことをうれしく思っております。

おそらくお集まりいただいた方々のほとんどが、いったいこの研究会は何をやる研究会なのか、いぶかしく思っておいでのことと存じます。まずは、ご挨拶がわりといたしまして、私たち発起人がどのような考えからこのような研究会をたちあげるにいたったのか、その経緯を簡単に申し述べたいと思います。

■ 2

今日発表をおこなう佐藤と私とは、昨年から読書会を継続的におこなっている仲間です。佐藤は宗教哲学(解釈学)、私は日本考古学(中世)と専攻はまったくちがいますが、佐藤が考古学にも強い関心を有していることもあって、これまで考古学の理論に関する洋書をともに読んでまいりました。

考古学の学問的方法論について議論をするなかで、ひとつの論点となったのが「解釈」をめぐる問題です(解釈といってもいろいろあります。出土した遺物がいつのどのような土器だと判断するのもひとつの解釈ですが、ここで念頭にあるのは、複数の考古資料の検討成果をふまえ、何らかの歴史的な議論をおこなうという意味での解釈です)。私は歴史時代(中世)を専門としていることもあり、文献史学を彼岸ににらみつつ、解釈のコンテクストをいかに選ぶべきか、いいかえれば「もの」と解釈の緊張関係に関心があったのですが、佐藤はむしろ遺物=モノを解釈へと結びつける必然性に関心をもっておりました。

「解釈すること」に対する関心のありどころは、このように明らかに異なっているのですが、解釈する対象として「もの」を想定している点で、このふたつの関心は共通点をもています。これをさらにふみこんで、「もの」をひとつの紐帯とすれば、さまざまな分野の研究者が集まって、議論する余地が生じてくるのではないだろうか。こうした考えから、Res:もの研究会をたちあげようということになりました。「もの」を対象とする分野の人間があつまり、それぞれの分野が「もの」をいかにみているか、方法論や問題意識を提示しあう作業に、何らかの可能性が秘められているのではと私たちは考えたのです。

異分野の人間が集まるという意味で、これは昨今流行の(しかし、一方で食傷気味でもありますが)「学際的な」研究会といえるかもしれません。私が身をおく中世考古学の分野でもこうした研究会はたくさん開かれているのですが、こうした研究会のほとんどは、あるテーマ(むしろ、明らかにすべき歴史像というほうがいいかもしれません)を掲げて、そこへさまざまなアプローチを試みるというスタイルであります。多角的な方法をひとつの目標へ concentrate させてゆくものですが、私たち発起人が考えているのは、これとは逆のやり方です。つまり、「もの」をあつかうという点でお互い同じ基盤にたっていることを確認したうえで、方法論や問題意識はかくも多彩であることを明らかにしてみるというやり方です。

同じ「もの」をあつかうにしても、自分の分野の思考や発想とはまったく異なる考え方があるのだという発見、これを大事にしていきたいと思うのです。なぜなら、その発見は自己の方法論の反省へと道をひらくことになるからです。むしろ、あたらしい何か(知見)を発見することよりも、自己の学問の反省を重視したいと考えます。私たちは柔軟であろうとしても、ある学問分野に身を置くことで学問固有の思考体系や発想に無意識的にとらわれがちです。自明のこととみなしてしまいがちなこれらを、ひとまず「括弧において」みようというのが、あえていうならば、研究会のねらいになろうかと思います。このようにはっきり会の目標を設定せず、あえてぼんやりとした、「何でもあり」のようなスタンスをとっているのは、まさにこの柔軟でありたいという思いからなのです。そして、一見するとばらばらな(とはいえ、発起人の人脈上、考古学をご専門とされる方がほとんどかもしれませんが)参加者を相互に結びつけるおそらく唯一の紐帯が、「もの」を研究するというスタンスではないでしょうか。

■ 3

佐藤が考える問題意識については、つぎに本人から報告があると思います。すでに当研究会のホームページで公にしておりますが、私が抱いている問題関心について、お手元に資料としてお配りいたしました(「もの研」アピール appeal for/from Archaeologists を参照)。今お話したことの補足説明としてお読みいただければ幸いです。以上をもって、ご挨拶に代えさせていただきます。ありがとうございました。

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