島袋 涼平君

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彼が大阪東に入団してきたのは、今から5年前、平成13年、彼が小学6年生のときでした。当時、入団の思い出を、会長の三谷は次の様な言葉で思い出しています、「まぁ、なんと大きな子やな!!野球よりも相撲のほうが向いてるんとちゃうか?」

入団当初は、かなり太っていたようです。ですが、写真を見ていただいたら、おわかりになると思いますが、身長も飛び切り大きく、当時大阪西港に、もう一人180cmの子供がいたくらいで、関西では、かなりの有名人でした。試合に出たのは約1年間くらいだったと思うのですが、当ればホームランというようなバッティングで、驚異的な長打率を残しています。投げても、この身長体重からの重い速球は、当時のキャプテンの田中君しか取れず、デッドボールで救急車を呼ぶようなこともありました。

ご両親共、涼平君のことには熱心で、お父さんは毎試合ビデオを撮影し、お母さんは、栄養面でサポートされていたのが、昨日のことのように、よみがえってきます。本人も食べることに関しては気を使っていたようでした。それが、あの立派な体を作ったのでしょうか。

私にとって、彼の一番の思い出は、卒団を控えた最後の豊中リトル30周年記念大会です。主軸の佐々木君を病気で欠いていた大阪東リトルリーグは、全日本選手権関西地区予選でも良い所無く、低迷が続いていました。選手個々人のポテンシャルは高いとチームの父兄は信じていたのですが、いかんせん結果が出ていませんでした。そんな中、佐々木君が帰ってきて最後の記念大会に臨んだのです。1回戦を難なく勝ち、2回戦。主催チームの豊中リトルAチームとあたりました。今までならば、この辺りで・・・という感じでしたが、この日は全員が頑張り豊中Aに勝ってしまいました。翌日、日本選抜大会準優勝チーム、えひめ港南と当ることに。しかし、選手達のモチベーションは高く、佐々木君のサヨナラホームランでこの試合も物にしてしまいます。島袋君はこの暑い大会の中、2試合に登板しこの記念大会の準優勝に貢献しました。この大会で彼らの良いところが全て出せたような気がします。

そういう彼も知らないうちに高校2年生。いえが近所なのでご両親には何度かお会いしたりしますが、最近どうしているのかなと思っていた矢先、今回の最年少でのメージャーリーグ球団というビッグニュースが飛び込んできました。マイナー契約だそうですが、これからが本番です。契約をゴールと思わずに、どんどん頑張って日本を代表する選手になってください。

頑張れ!! 涼平!!!

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