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哲学者 青木盛栄
 大正6年3月26日、高知県中村市でお遍路宿を営む家に生を受ける。

 2歳のまだよちよち歩きの頃、神隠しに遭い、息絶えた体となって帰るも、母の命がけの愛で蘇生するという体験をする。その後、人の体を擦ると不思議に痛みや病気が和らぐという能力に気づく。

 16歳のころ、トラックの積荷に押しつぶされるという事故に遭い、2度目の臨死体験をする。死亡記事が新聞に出たが、奇跡的に甦る。

 20歳、徴兵を受け中国大陸へ送られる。戦災、敗戦、南海大地震などの体験を経、日本の高度成長の渦の中、実業家として成功。アイデアにおいては人並み以上の能力があり、数々の発明をする。
 48歳、腎臓結石、心臓弁膜症、高血圧、直腸がんなどの病魔にとりつかれ瀕死の状態になるが、「私は今までいったい何を残してきたのか。世の中に何をしたのか。悲しみや苦しみに傷ついた人々を一人でも幸せにしただろうか。」という自責の念が起こると同時に、閃光が体の中をつきぬけ一瞬にして全ての病が消滅する。三度目の蘇生となった。
 その後、会社経営を全て放棄し、病気を癒す能力や、透視・予知・読心などの超能力を発揮し、純粋に人を救うための活動を開始する。

 昭和45年、更紗芸術家(現)青木寿恵と結婚。

 昭和51年、体の中を何か熱いものが通り抜けるような感じを覚えた後、無意識の中で高度な内容の言葉が次々と発せられた。「天は愛、生き物の心は愛なり。天の心の中にいだかれてこそ愛はあり。そは生命なり」にはじまるそれは、その後2年半にわたり続き「天言録」として書物になっている。

 昭和56年、病気癒しでは真の救済はできないことを悟り、人の意識の改革をめざし全国各地をまわり啓蒙活動を行う。後にNPO法人日本燦クラブとなる団体を創設し、会社経営者、夫人、社員、一般を対象に青木盛栄哲学(生命の法則、自然の法則、心の法則)を説き、「健康、繁栄、平和」のある社会の実現のため、青木盛栄・寿恵一体となり全力をつくす。

 平成7年7月、その死に至るまで人のために尽くし切り、長岡京自宅にて79年の生涯を閉じる。

 平成8年5月、宇宙の彼方より地球上の人類へ幸せのメッセージが送信されてきた。生前青木盛栄氏の弟子であったNPO法人日本燦クラブの一メンバーが受信したそのメッセージが青木盛栄氏よりのものであることは、その内容、自動書記のあり様から明らかである。また現在に至るも、折りにふれメッセージは続いている。

 NPO法人日本燦クラブでは、この人類愛の教え(青木盛栄哲学)を学び、実践し、明るい家庭、会社、社会の実現を目指し活動を続けている。
 青木盛栄氏の生涯については書籍「奇跡の人と人生ふたり旅」(青木寿恵著)を、またその後送られてきたメッセージの内容については「運命をひらく奇蹟の言葉」(青木盛栄著)をお読み下さい。ともに明窓出版より刊行されています。