
9
エシナが着ているのは、何回目かの白いレースタンクトップ。そして同じく何度か目にした、小花模様の青いフレアスカート。そこからすんなりと伸びた、形のよい細い脚には踵の太い厚底サンダル。
単品ずつではもう知っているけれど、この組み合わせは初めて目にする。
自分の前に彼女が現れてから、それくらいの時間が過ぎてしまったらしい。
着実に積み重なっていく彼女との日々も、自分にとっては無意味な時間でしかない筈なのだが。
「ね、キミオミ」
籠の中の小鳥たちをずっと見ていたエシナが、不意にこちらを振り返った。背に垂らしたままのつややかな黒髪が初夏の風にふわりと舞う。一日のうちで一番眩しい時を終えたばかりの陽射しを受けて、瑠璃の瞳が明るくきらめいた。
「ここの小鳥って、普通の小鳥と同じなんだよね」
「一応そういう設定だけど」
金属で造られ、電気で動くということ以外は。
だが、生物と機械を分かつこれ以上の違いがどこにあるというのだろう。
「それなら言葉とか歌も、教えたら覚えられるのかな」
「は?」
「そういう種類の鳥もいるよね」
「……さあ。確かに他の鳥の鳴き声を真似る性質を持つ鳥はいるけど、でもこいつら、基本的に馴れないから」
何十年も一緒にいる自分にすらほとんど馴れていない。籠に近付くと、奥の方へと逃げてしまう。
同じ痛みを持っていてもおかしくないのに。
彼らに備わる鳥の心と、自分に備わる人の心。
シオンの死によって受けた影響は全然違うのだろうか。
「キミオミみたいだね」
エシナが小さく肩を竦めた。
微かに憂いを含んだ笑みとともに。
「何が?」
「キミオミもこの子たちと同じ。なかなか慣れてくれないね」
何に?
それは聞かなくても分かる。
「無理だよ」
キミオミは顔に掛かるブルーブラックの髪を軽く払った。
「俺は人間を許さないから」
「……」
エシナの表情が翳る。
知ったことか。
造られた心のうちで呟いて。
「また裏切られると分かっていて、どうして関わりたいと思う? ……俺はそんなに間抜けじゃない」
翳りを振り切るように、エシナはそっと目を上げた。
透きとおるような輝きをはらむ地球色の瞳が、まっすぐにキミオミを捕らえる。
「……誰があなたを裏切ったの?」
キミオミの返事を待たず、言葉を続けるエシナ。
「そんなこと、誰もしていないんじゃないのかな」
その言葉が電脳を微かに軋ませる。
機械の胸の中で、不可視のスパークが散った。
「君に何が分かるんだよ」
火花は苛立ちとなって棘に転じる。
エシナは僅かに首を傾けた。
「確かに、あなたのことは分からないけど……。でも、置いていかれた哀しみは分かるわ。あなたの心を占めているのは……この哀しみでしょ?」
機械の腕に触れる華奢な指。
黒いシャツの生地を通して、哺乳類のぬくもりが伝わってくる。
機械の躰にも熱はあるけれど。
電池が放出する熱は金属の体内に閉じ込められたまま、決して表に現れることはない。
「君に分かる筈がない」
「分かるわよ。わたしだって、お父さんとお母さんに置いていかれちゃったもの。全然分からないうちに、もう二度と会えなくなっていたもの」
「違う。君は忘れている。そうでなければ、俺に近付いたりしない」
哀しみの根源。
キミオミにとって、それは人間。
そしてエシナにとってはアンドロイド。
「前にも言ったでしょ。あなたはお父さんたちを殺したアンドロイドじゃないわ」
「……同じだよ。俺も同じ機械だ」
言い様のない苛立ちが、造られた心をさらに軋ませる。
それは、シオンを失ってからでさえ味わったことのない痛みだった。
「だけど、キミオミはキミオミだよ。わたしがわたしであるのと同じように」
真摯な光が青紫の瞳に浮かび上がる。
「うるさい」
キミオミはエシナの手を乱暴に振り払った。
「あと少しで俺の電池は消れるんだ」
二十五年後には必ず訪れる、安息の瞬間。
「頼むから……もう、放っておいてくれないか」
このままでは元に戻ってしまう。
この少女だって、いつ消えてしまうか分からないのに。
「わたしが人間だから駄目なの?」
振り払われた右の腕を押さえたまま、エシナは今にも泣き出しそうな表情でキミオミを見上げた。
「わたしが人間だから、笑ってくれないの……?」
エシナの瞳のトーンが一気に淡くなる。その中に浮かぶキミオミの姿が、蕩けるようにぼやけていった。
「意地悪だね、キミオミ。わたし、どんなに頑張っても機械にはなれないよ」
鏡のような黒髪がその表情を覆い隠す。そのままエシナは少しの間俯いていたけれど、やがて静かに頭を持ち上げた。
「だけど……わたしは、キミオミが好き。機械とか人間とか、そんなの……関係ないもの」
凛とした声音が、ガラスで拵えた楽器の音のように響く。毅然とキミオミを見つめる瑠璃の瞳には、間違いなく涙が浮かんでいた。
「俺は何があっても人間を許すつもりはないよ」
そのまっすぐな視線を避け、吐き捨てるように口にする。
「……」
鉛の重さでのし掛かってくる沈黙。
鳥籠の中に目を向けて、キミオミはひたすらその重みに耐えた。
いつか無くなってしまう宝石なら、最初から持っていない方がいい。
手に入れたときの喜びよりも、失ったときの絶望の方が間違いなく大きいのだから。
「……ごめん、なさい」
不意に空気がふわり、と揺れた。
細く、潤んだ声音。
突然の謝罪の言葉はエシナのもの。
思わずキミオミは目をみはった。
それでも何とか振り返るのだけは思いとどまって。
「わたし、もう……帰るね」
軋むような感覚に必死に耐える。わざわざ目で追わなくとも、その遠ざかる気配が空気を通して伝わってきた。
明日も来るね。
別れ際にそう笑うのがエシナの習慣となっていた。
そして彼女がその言葉を違えるようなことは、これまで一度もなかったけれど。
キミオミはいつのまにか肩に入っていた力を抜いた。
初めて少女の方に目を向ける。
儚げな後ろ姿。
それだけで、制御できない苛立ちが増してくる。
だからキミオミは再び鳥籠に視線を戻した。
狭い楽園では、いつも通りに色鮮やかな小鳥たちが囀り戯れている。
その中で、止まり木にいた一羽だけが身じろぎもせずにキミオミを見つめていた。
胸元だけが赤く、それ以外の羽根をすべて青に染めた小さな鳥が……。





