
Epilogue
「だから、あの黒い小鳥はブラックロビンだよー」
「あら、スズメじゃないの?」
「……パメラさん、ちょんちょんはねる小鳥はみんなスズメだと思ってない?」
夏のはじめの風がしきりに運んでくるのは、小鳥の名前当てをするふたりの会話。
薄いガラスのような陽射しをはじく鳥籠の前で、エシナとパメラは随分と盛り上がっているようだった。
よく飽きもせず……と、半ば呆れつつキミオミはそう思う。
だがそんなキミオミも、先刻からふたりの様子を視界の端に捉えたまま、とりたてて何をなすでもなくウサギ小屋の柵に寄りかかっているのだ。柵の反対側で、小さな口をもぐもぐと忙しなく動かしているウサギ型ロボットの方が、よほどの働き者である。
時間はゆるやかに、けれど濁ることなくながれていた。
「じゃあね、エシナ。この子は何ていう鳥?」
深紅のネイルエナメルを塗ったパメラの指先が閃く。
その完璧な指がさし示したのは、エシナの肩先にとまった青い小鳥だった。
「この子?」
エシナがエイジア綿のワンピースの肩を僅かに持ち上げる。その動きにあわせて、つややかな黒髪が白い翼をさらりと撫ぜた。
パメラが縫ったこの後ろボタンのワンピースは、背中に楕円形のカットワークが入っている。そこから出した翼を、エシナが自分の意思で動かせるようになったのはごく最近のことだ。
それでも自由自在というには程遠く、飛ぶことなどまだ到底出来ない。
ただ、ときおり驚くような羽音を立てるので、訓練しだいでは飛べるようにもなるのだろう。
実際、カムイ・ミーティス博士は空を飛べたと、キミオミはパメラから聞いている。
「んー……」
しばらく俯いて考え込んだのち、エシナは不意に頭を持ち上げた。
初夏の陽光が凝縮されたのかと認識しかねない、透きとおるような笑顔を浮かべて。
「この子はね、レンカだよ」
さしのべたエシナの指に、レンカがちょこんと飛びうつる。そして彼は深紅の胸を誇らしげに張り、高らかに囀りはじめた。
冬のあとに必ずやって来る、歓喜に満ちた季節を告げる奇跡の歌を。
「……そうね」
レンカの頭を紅い指先で撫でながら、パメラも艶やかな微笑をその唇に刻む。
「博士やあんたが継いだ言葉の中で、それが一番この子に似合う言葉だわ」
レンカ。
それはエシナの名と同じく、オゼイに伝わるいにしえの言の葉。
もはやほとんど失われた言語の、貴重な残り香のひとつだ。
「……キミオミも、この子の名前の意味を知っているのかな?」
エシナ本人は内緒話をしていると思っているらしく、僅かに声をひそめる。
けれど、曇ることを嫌う初夏の風は薄情だった。
それを知ってか、機械の美女が思わせぶりな目線をキミオミの方へと向けてくる。
「――」
ゆえに、キミオミはあらぬ方向へ目を反らした。続くパメラの笑い声に、決まりの悪い思いをしながらも。
「どうしたの、パメラさん?」
不思議そうなエシナの声。
それに答えるパメラの言葉は、悪戯好きの薫風よりもずっと薄情なものだった。
「ちょっと、ね……。この間、私の店で『オゼイ語彙集』のソフトを注文購入したもの好きがいたことを思い出したの」
だがパメラが紡いだのは、紛れもない事実。
ゆえに反論は許されなかった。
「? それって……」
「そう。ソフトを買ったのは、あそこに突っ立っている陰気な男よ。さっきから、ずーっとこっちを窺っているわ。混ざりたいならそう言えばいいのにね」
パメラの口調には、相変わらず遠慮の欠片もない。
そのあまりの言われようにキミオミがふたりの方へ視線を戻した瞬間、驚いたような表情のエシナと目が合った。
「……キミオミ」
大きな瑠璃の瞳が、揺らぐことなくこちらを見つめている。
その虹彩に映る自分の顔さえ覗きこめるほどに。
「そっか……そうなんだ」
はじけるように、花ひらく微笑。
そして、華奢な背にふわりと白い翼がひろがった。
飛ぶにはまだ早い翼だが、走る分にもう支障はない。
「……」
天使はもう、次の瞬間にはこちらに駆けてくるであろう。
その足音が聞こえる前に、キミオミは彼女に告げる言葉の準備を企てた。
――だが。
不自然になるかもしれない。
電脳内で数度シミュレートした後に、そう覚悟する。
何せ、希望などという単語を口にするのは、本当に久しぶりのことだったから。
END
【おことわり】
作中には、アイヌの方々の言葉からお借りした単語がいくつか登場します。
それらの単語が普遍(地域的にも年代的にも)的な意味や音を持つものではないことを、最後にお断り申し上げます。
ここまでお付き合いくださいまして、本当にありがとうございました。
2005.5.21




