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19


 朝日に鈍く光る銀色の小箱――クリーナーズが7体、クリーム色の道路の上を滑るようにやってくる。その見事な行進を避けるよう道路の端に寄り、パメラは箱の行列が過ぎるのを待った。
「……嫌ね」
 箱の上部に目をとめ、思わず眉をひそめる。
 そこには生ゴミ清掃用クリーナーズの証である青いラインが引かれていた。
 電脳裏に自然と浮かんでくるのは、一番最近の「彼ら」との遭遇。
 すれ違ったその時は別に気にも留めなかったが、いつも通りに配達先へたどり着いた時、パメラは「彼ら」が何をしていたのかをようやく悟った。
 組み込まれたプログラムどおりに、「彼ら」は生ゴミを回収していったのだ。
 少なくとも数日前まで、パメラの客だった生ゴミを。
「本当、指を交差させたい気分だわ……」
 そう呟くパメラの両手には、今日も合わせて数十キロの配達品がある。
 片手にまとめて持つこともできなくはないが、できれば形を崩したくない商品……食料の類がほとんどだった。



  

 シンクのタップをひねると、凄い勢いで水が出てきた。注ぎ口に添えたコップから、水が湧くように溢れ出していく。
 どうやら力加減を忘れたらしい。
 しかもそれ以前に、冷蔵庫に蒸留水を入れておいたこと自体を忘れていた。
 自分を動かす数字がところどころおかしな風に飛んでいる。
「……馬鹿、落ち着け」
 はじける火花。
 それを押さえ込むように、きつく瞼を伏せる。
 呼吸と鼓動は元より存在しない。
 無駄な数式による思考の乱れを整え、それからキミオミはタップを元に戻した。
 結局コップの中に残っていた水は深さ10ミリ弱。
 その僅かな水さえもシンクに流し、やや乱暴に冷蔵庫を開ける。
 取り出したのは、蒸留水を入れたボトル。
 もちろん、キミオミが飲料水を摂取するわけではない。
 先ほどから眠ったり醒めたりを繰り返していたエシナが、不意に小さな声で囁いたのだ。
『お水、くんできてくれる……?』
 と。
 明らかな意思を宿した、きれいな地球色の瞳を向けて。
 枕元に水差しとコップが置いてあるのにもかかわらず……。
 この時キミオミは、エシナが自分に最後の選択を押し付けたのだと感じた。
 彼女の最期を看取るか、それとも看取らないか、の選択を。
 ……深く読み過ぎかもしれない、とは思う。
 単なる自分の思い過ごしに過ぎないかも、と。
 エシナは水差しがあることを忘れていただけで、それゆえキミオミに水をねだっただけだと。
 人間は信じられないほど物忘れの激しい存在ゆえに。
 けれど。
 いずれにせよ、いつかは選ばなくてはならない。
 しかもその「いつか」はもうすぐやってくる。
 もしかしたら、今のこの時が「いつか」かもしれない。
 現に彼女は死者の園へ片足を踏み入れている。
「どうする……」
 考えれば考えるほど火花が焦りを生み、その焦りが火花を生んで無益な連鎖反応を引き起こす。
 エシナが示したふたつの選択肢の中に、自分が選びたいと思う答えはない。
 ただ……自分が選ぶべき答えならば、悩むまでもなくたったひとつ。
 本来、創造主たる人間と機械との間には、それしか存在しないのだ。
 『人間のために』と命じ、命じられる関係しか。
 だからこそ自分は、エシナをここ――機械動物園に受け入れた。
 そうするしかなかった。
 自分は『キミオミ』という個体である前に、一個の『機械』に過ぎないから。
(偽りきれるだろうか……?)
 彼女の最期を看取ることが自分の本心だと。
 逃げ出したい……せめてその瞬間からは目を逸らしたい、と乞う真の本音を押し殺してでも。
 そこまで考えてキミオミは、再び両の瞳を伏せた。
 ……もう一度、自らの存在理由を思い出すために。
 今もなお、役立たずの電脳は見知らぬ色のスパークを上げていたけれど。



  

「水、汲んできたよ」
 平静を装って、キミオミは見慣れた部屋のドアを開けた。
 窓から射しこむやわらかな朝の光が、部屋全体をパステルグリーンに淡く染めている。
「キミオミ……?」
 ベッドの中のエシナが、驚いたように瑠璃の瞳をみひらいた。白いシーツの上で、艶の失せた黒髪が僅かに揺れる。それはまるで死を具象した黒い翼のようだった。
「……飲む?」
 訊きながら、無意味な問いだと内心で思う。
 自分は思い過ごしなどしていなかったのだから。
「ううん……いい」
 弱々しい拒否はシミュレーション通り。
 だからキミオミも決めていた通り無愛想に頷き、枕元の椅子に腰をおろした。
 その瞬間、金属同士の触れあう硬質な音が小さく響く。
 すると、毛布に埋もれていたエシナの細い肩がかすかに震えた。
「……」
 いつもと変わらない、ふたりだけの沈黙。
 相変わらずBi−71は囀り続けている。
 シオンの瞳のような、青い体をせわしなく震わせて。
 心を癒すことはできても、病を治すことはできない旋律を。
「あのね、キミオミ……」
 地球の輝きを放つ瞳がゆっくりとキミオミをとらえた。穏やかな微笑みが、生気の失せたエシナの顔をほのかに彩る。
「キミオミは……人間の為につくられた機械だよね?」
 それなのに、放たれたのは残酷な言の葉だった。
 これまでエシナが決して口にしなかった、ふたりを分かつ呪いの言葉。
「そう、だよ」
 知らず傷付いた機械の心。
 それを気取らぬ筈がないだろうに、エシナはもういちど微笑んだ。
「なら……命令するわ」
 そっと伸ばされる、痩せ細った腕。
 ほとんど反射的にキミオミはそれに触れた。
「これから先……何があっても生きていて」
 血の気のひいた唇が紡ぐ、甘く……蕩けるような囁き。
 キミオミはただ小さく首を横に振った。
 腰を浮かし、縋るように黒い髪へと指を伸ばす。
 覗き込んだ瑠璃の瞳の中に、見たことのない自分の姿が在った。
「……努力する。だから……」
 それは勝手にこぼれ落ちた言葉だった。
 制御する間もなく……もちろん意図した訳でもなく。
 考えていたことはすべて空白の中に消えた。
「馬鹿ね」
 くすり、とエシナが僅かに微笑む。
 痛々しく、けれどとてもきれいに。
「でも、いつか……本当にそう思ってね」
 そのままエシナは瑠璃色の瞳を閉じた。
 細い咽喉が一度ばかり上下する。
 こけた頬をひしゃげた涙のかけらが伝った。
 触れた腕が、ほんの少しだけ重みを増す。

 最期の吐息はひどく静かだった。