日夏 もえ子
 

 

MOEKO HINATSU

 



        ジャカルタ・独立記念塔にて (2004年11月)

     

  2011年7月に「越境の映画監督 日夏英太郎」(文芸社刊)を出版致しました。

  是非ご購読いただき、ご高評をお寄せいただけると有難いです!

   
     
「越境の映画監督 日夏英太郎」

                      どうぞよろしくお願い致します。

 

   〇ジャカルタ プタンブラン墓地日本人納骨堂(Face Bookに2012.1.29記載)


 皆さんは、「からゆきさん」という言葉をご存知でしょうか。

 幕末から明治時代、第一次世界大戦の終わる大正中ごろまで、おもに東南アジア諸国に

出かけて行き外国人に春をひさいだ日本人女性たちのことです。

 

 「唐人行(からひとゆき)」、「唐ん国行 (からんくにゆき)から付けられたと云われます。

   貧しい農村の出身で、10歳前後で女衒(ぜげん)に連れられ外国へ売られて行った方々が多かったようです。
 

  私の尊敬する作家の山崎朋子さんの著「サンダカン八番娼館」によれば英領の北ボルネオ
(現マレーシア)の港市の「サンダカン」には日本人の女郎屋が9軒もあったということです。

 「おなごが外国に行けば、兄さんは田畑買うことが出来、家を建て、良か嫁ごもらえ、立派な男になれる」と思って外国に行った少女もいました。

  そして、苦難の何十年間を送り、マレーシア、シンガポール、ビルマなどの土となった方々も多かったのです。

 
 
  インドネシアで3本の映画を残した私の父・日夏英太郎(ドクトル・フユン)はジャカルタのプタンブラン墓地に眠っていますが、すぐ近くに日本人納骨堂があります。

   
   
敗戦後赴任した日本人領事が管理上の便宜のため、かつてこの墓地の随所にあった日本人の墓を撤去してその霊位を小さな納骨堂におさめたと云われています。

   (それが果して、亡くなった方の御霊に適うものであったかは分りませんね)
 
  この納骨堂にも、からゆきさんの骨壺があると聞いています。

   日本人納骨堂は春秋の彼岸に開かれ、僧侶や在ジャカルタ邦人がお参りされています。

   
  私も次回に父の墓参りに行くときは、納骨堂の前で手を合わせたいと思っています。


 

    参照山崎朋子著「サンダカン八番娼館」文春文庫

 


 

                                      日本人納骨堂
                         (2009.3.23撮影)

 


             

              

      


 

              20012年2月7日更新                          

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