旧満州国 U.
        
        
引き揚げ」       
                
2012.3.9記述

               

                          韓国仁川港(大連(旧満州)行きなどの船)


.  「声」 読者がつくる記憶の歴史シリーズ

     『引き揚げ』    (20031022日付  朝日新聞記事引用)


「昭和
208月、中国山西省陽泉で敗戦を迎えた。在留日本人2千人余。

 その夜から銃声に身を縮める生活が始まり、「引き揚げ命令」が出たのが翌211月の極寒の季節。

 病気上がりの夫と
2歳になったばかりの娘と3人、奥地からの引き揚者を乗せた貨車に乗り込んだ。のろのろ走る貨車は時に暴徒に襲われ、北京郊外の豊台の「収容所」に着くのに3日もかかった。

 大きな倉庫の土間は立錐(りっすい)の余地もない。持参の毛布を敷き座ったきりの生活が始まった。

 雪の舞う零下20度の日々、栄養失調と感冒、百日咳、麻疹の流行で幼児、老人らが次々命を落とした。

 医者も薬もない広い収容所のあちこちから母親の号泣が聞こえる毎日だった。


 10
歳を頭に3人の男児を連れていた友人夫婦にも不幸が襲った。

 小さい子から順に麻疹にかかり、高熱のため次々
3人とも亡くなっていった。

 遺骸を焼く木もなく、凍土に埋めるすべもなく、手を合わせて拝み、遺体置場に置くのみの哀れさ。

 1ヵ月余り後、乗船命令が出て収容所を立ち退く時、3人の子を失った夫婦は座ったまま茫然として動こうとしない。

 その心境を思い言葉もなかった。
58年前の真実である」


 *
太平洋戦争では、日本の軍人・軍属約230万人、一般市民約80万人が犠牲になったと云

われます。アジア諸国では約2000万人が死亡。

 大日本帝国による(他国への侵略)責任が大きいと言えます。

 日本人の孤児数は、約
12万人にものぼり、内訳は引き揚げ孤児約1万人、戦災孤児約3万人、一般孤児約8万人(親が生死不明・病死)であった様です。

                (
2003.10.22朝日新聞参照)

 

 

      *著書  宮尾登美子 「朱夏」 新潮文庫

       山崎朋子 「引き裂かれた人生」文春文庫

 

 

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