越境の映画監督

日夏英太郎【許泳 ドクトル・フユン Dr.Huyung】

        ☆  京都慕情 


   
「日夏英太郎・花子の足跡を尋ねて 」 3.円山公園・都ホテル

                                   2011年6月11日更新


 


等持院境内に建つ・マキノ省三の銅像

 ちょうど、下鴨半木町の府立植物園を後にしたのがお昼どきで、お腹も空いていましたので、私は次なる目的地の「等持院」に行く途中、金閣寺近くの北区紫野にある、隠れたそばの名店・新川でTさんと2人、冷たく舌ざわりのよい蕎麦をつるつると口に流し入れたのでした。


 府立植物園の西に位置する、ここ北山は、室町幕府の最盛期を築いた3代将軍・足利義満(1358-1408)が出家後、移り住み豪華な別荘・金閣(1397)を建て、北山文化が花開いた所です。

 


 彼の死後、金閣は禅宗寺院鹿苑寺となりました。

 等持院は、金閣寺の南、京福北野線「等持院駅」から徒歩10分ほどの所にあります。

 私が京都旅行に出発するに臨んで、お知恵を拝借したO氏が、植物園に行くのでしたら、少し足を延ばし、マキノ省三さんの銅像がある等持院にいかれるのも如何ですかと勧めてくださったお寺です。

 

 等持院は衣笠山の南麓に1341年(暦応4)、足利尊氏が創建して、足利15代将軍の菩提寺となっています。


 等持院境内に入ると、右側に日本映画の父と仰がれるマキノ省三の銅像が建っていました。


 日活を離れたマキノ省三は、1921年(大正10)に等持院境内に等持院撮影所を作りました。


 しかし、資金難などから等持院撮影所は東亜キネマに併合され、マキノ省三は1925年には、京福電鉄等持院駅から2つ目の妙心寺駅の北側一帯を占める小高い丘にマキノ御室撮影所を開き、すぐれた脚本家を育て、坂東妻三郎、嵐寛寿郎、月形竜之介などのスターを育てました。


 昭和初期、マキノでは、宣伝部でも監督部でもせっせと脚本を書き、面白い作品なら若手でも、どんどん登用し、撮影所は活気にあふれていたといいます。

 

 私の父・日夏英太郎もそんなマキノで育ててもらいました。


 私は進取の気風をそなえる偉大なマキノ省三氏の穏やかなお顔の銅像前で、ご一緒に写真を撮らせていただき、大いに感激いたしました。


 そして、マキノ省三に一礼をしてから、寺に向いました。


 等持院は禅宗十刹の筆頭寺院だけあって、落着いた風雅さをただよわせていました。

 


等持院の5本線入りの黄色い壁に映える紅葉

 

 本堂南庭まえの広縁をふみしめる度に、キュッキュッと鴬張りの音がして私はその音を楽しみましたが、Tさんの説明によると実は侵入者が分かるように工夫して作られているとの事でした。

  夢窓国師作と伝えられる庭園に建つお茶室の清漣亭は、衣笠山を背景にひっそりと佇んでいました。

 

   
 夢窓国師作・心字池を配した、しっとりと美しい   等持院庭園

 
 私は、秋の陽射しをあびて、紅葉に染まりはじめた木々の美しさに目をとめながら静けさの中にも優美さを漂わせる庭園を散策して午後
1時半ごろ、等持院を後にしました。

 さあ、Tさん運転する車は一路ラスト地点である東山円山公園に向いはじめました。

 車は鴨川沿いを四条方面へ向って走り、来るとき私が、英太郎と花子に想いをめぐらした、あの松竹下加茂撮影所があった対岸の出雲路俵町あたりを通過しました。

 

 

 
 対岸から観る宮崎町あたりの光景は比叡山があり、大文字山が望め、鴨川のせせらぎと、まさに三拍子マッチした景勝の地です。

 私は英太郎と花子がこんなに美しい下鴨で出逢い、結婚し、やがて兄の憲之介が生まれ、親子3人仲睦まじく、たとえ人生における僅かな期間でも、ここに暮らしたことを思うと「お父さん・お母さん、良かったね」という言葉が自然と口に上ってしまいました。

 

  Tさんは、東山に向う途中、ここは絶好の写真のスポットだからといって、2条木町(きやまち)にある「高瀬川一之船入」に案内してくれました。

 高瀬川は、1611年(慶長16)に京都の中心部に物資を運び入れるため、角倉了以が開いた運河で、ここを通行する高瀬舟の荷物を上げ下ろしする船溜所を船入りといいました。


 高瀬川の船入りは、さすがに情緒たっぷりでした。

 

    2条木町(きやまち) “高瀬川一之船入”

 車は三条を通り、四条河原町を左折して四条通りの東端にある祇園八坂神社の奥に広がる円山公園に午後3時近くに到着しました。

 お世話になったMKタクシードライバーのTさんにここで私はお別れを言いました。
 ご親切ありがとう! ―
 
    桜の名所・円山公園のあでやかな景観

 円山公園は1941年(昭和164月に美しい桜の木の下で、幼い息子の憲之介を抱く幸せそうな英太郎や、優しく憲之介の手をとる花子の写真が今も私の手元にあり、今回ぜひ来たかった場所でした。

 
 
 きっと英太郎は『君と僕』の京城での撮影をひかえ、つかの間の休暇で日本に戻ってきた時の花子と憲之介と一緒の幸福なひとときだったのでしょう。

 

 
 11月の円山公園も池を中心にして、石橋が架かり、その向うには、ちらほらと始まった木々の紅葉がみられ、とても美しいものでした。

  華やかな感じでさえありました。

  ひとびとが三々五々連れ立って遊びにきていました。

 奥には、明治維新の立役者、坂本竜馬と中岡慎太郎の銅像もありました。

 
 
 
私はここ祇園の円山公園で、花に誘われ家族で遊山にきていた両親の想い出をたどれ、心がはずみました。

 

 私は、静かなよろこびを胸に、円山公園を後にしました。

 そして、円山公園隣りの朱塗りの艶やかな八坂神社をお参りしました。

 八坂神社は“祇園さん”と京都の人々に親しまれ、夏の祇園祭や大晦日の夜から元旦にかけてのをけら詣りは、京都の風物詩ともなっています。

 私は祇園のお茶屋や芸舞妓の置屋がある花見小路や 風情ある白川沿いの道や新橋通りなどをゆっくりと散策しながら、夜の7時ごろ蹴上のホテルに戻りました。

 

    東山・蹴上の都ホテルから比叡山を望む

 いま思うと、私の英太郎と花子の足跡をたどる旅は、両親への理解を深め、2人と対話する旅であった様な気がしております。

      両親も時々訪れた蹴上の都ホテルにて


 
 そして私は、両親を偲ぶ良い旅になるようにと、私を温かく見まもってくれた親戚のFご夫妻(ご一緒してくださる予定が奥様の体調不良のため不参加)と京都案内の生き字引 ともいえるO氏のお気持をつくづく有難いと思いました。

 

 人生において、思いを共有してくれる人がいることが、どんなに人に励ましを与えてくれるかを私は身をもって知りました。

 

    

 

 

 

 


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