越境の映画監督
☆ 京都慕情
2011年6月11日更新
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ちょうど、下鴨半木町の府立植物園を後にしたのがお昼どきで、お腹も空いていましたので、私は次なる目的地の「等持院」に行く途中、金閣寺近くの
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等持院は衣笠山の南麓に1341年(暦応4)、足利尊氏が創建して、足利15代将軍の菩提寺となっています。
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私の父・日夏英太郎もそんなマキノで育ててもらいました。
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本堂南庭まえの広縁をふみしめる度に、キュッキュッと鴬張りの音がして私はその音を楽しみましたが、Tさんの説明によると実は侵入者が分かるように工夫して作られているとの事でした。 夢窓国師作と伝えられる庭園に建つお茶室の清漣亭は、衣笠山を背景にひっそりと佇んでいました。
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夢窓国師作・心字池を配した、しっとりと美しい 等持院庭園 |
さあ、Tさん運転する車は一路ラスト地点である東山円山公園に向いはじめました。 車は鴨川沿いを四条方面へ向って走り、来るとき私が、英太郎と花子に想いをめぐらした、あの松竹下加茂撮影所があった対岸の出雲路俵町あたりを通過しました。
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私は英太郎と花子がこんなに美しい下鴨で出逢い、結婚し、やがて兄の憲之介が生まれ、親子3人仲睦まじく、たとえ人生における僅かな期間でも、ここに暮らしたことを思うと「お父さん・お母さん、良かったね」という言葉が自然と口に上ってしまいました。 |
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Tさんは、東山に向う途中、ここは絶好の写真のスポットだからといって、2条木町(きやまち)にある「高瀬川一之船入」に案内してくれました。 高瀬川は、1611年(慶長16)に京都の中心部に物資を運び入れるため、角倉了以が開いた運河で、ここを通行する高瀬舟の荷物を上げ下ろしする船溜所を船入りといいました。
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2条木町(きやまち) “高瀬川一之船入” |
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車は三条を通り、四条 お世話になったMKタクシードライバーのTさんにここで私はお別れを言いました。 ― ご親切ありがとう! ― |
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桜の名所・円山公園のあでやかな景観 |
円山公園は1941年(昭和16)4月に美しい桜の木の下で、幼い息子の憲之介を抱く幸せそうな英太郎や、優しく憲之介の手をとる花子の写真が今も私の手元にあり、今回ぜひ来たかった場所でした。
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華やかな感じでさえありました。 ひとびとが三々五々連れ立って遊びにきていました。 奥には、明治維新の立役者、坂本竜馬と中岡慎太郎の銅像もありました。
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私は、静かなよろこびを胸に、円山公園を後にしました。 八坂神社は“祇園さん”と京都の人々に親しまれ、夏の祇園祭や大晦日の夜から元旦にかけてのをけら詣りは、京都の風物詩ともなっています。 私は祇園のお茶屋や芸舞妓の置屋がある花見小路や 風情ある白川沿いの道や新橋通りなどをゆっくりと散策しながら、夜の7時ごろ蹴上のホテルに戻りました。
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東山・蹴上の都ホテルから比叡山を望む
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いま思うと、私の英太郎と花子の足跡をたどる旅は、両親への理解を深め、2人と対話する旅であった様な気がしております。 |
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両親も時々訪れた蹴上の都ホテルにて
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人生において、思いを共有してくれる人がいることが、どんなに人に励ましを与えてくれるかを私は身をもって知りました。
完
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