越境の映画監督

日夏英太郎【許泳 ドクトル・フユン Dr.Huyung】

                                                     2009年4月30日


 ? の 表 情 No2

日夏英太郎 23歳



  「下加茂」  
松竹下加茂映画雑誌

1932年(昭和7)1月号より引用

下加茂撮影所

   ラベルのいっぱい附着した大きなトランク  
  その中に並列された25・35・40・50・150・250・53・70の十一このレンズの眼。
                                  (50の右上2・70の右上2の記入あり)
   
黄檀の真新しいベビイ・トライポオト。
   その上にのっかった。
      LE PARVO
                    MODELE L
               SERIE  A2  NO  5634

            LOUPE MODELE A.L. No 161  
                OPTIS-DEBRIE をのぞいている杉山公平氏。

  
  
氏のカッタ−シャツの襟には、例の有名なモォトン・フィルタ−が青くすまし込んでいる。
  例の有名な―とは、野外撮影や場内撮影の配光度の均率を調べる時、氏の手が此の
  モォトン・フィルタ−に障り出すと、照明部の諸君が一勢に緊張する―というのでつまり
  青い眼の杉山氏の厳格そうなプロフィルが表現される。

   デバイダァのように鋭角的な凝視の中に、親しみ深い微笑と、職務に最も緊張を欠か
  ない全面的風貌は、カツドオヤの永年の生活の上に築き上げられた一人の紳士の姿を
  出現させる。
    ー よき先輩S・コウヘイ氏の素描 ―


 
   東京の屋根の下―
  
新富町の松竹本社の五階の試写室で、今「投げ節彌之」の「江戸の巻」の試写を観ている。
   柳橋河岸の料理屋の表のシ−ンで、吉松坪井等の仇討隊に取巻かれた彌之が、二階から
  降りて来たお千代との會逅の場で、四五人の敵を向うにしながら、
   「お千代さんか! 逢いたかった!!」
   「彌之さん! あたしも―」 等々、愛情充てるオシバイがある。
             (中略)
   連日連夜の撮影進行を、一晩徹夜の編輯整理のものにしては、勿論、粗雑である事は
  まぬがれないが―まあゝの出来だと本社でも褒めて呉れるので、仕事のし甲斐もあったと
   いうもの
  試写がすんで、やれゝ銀座へでもノソウかと考えているところへ京都から電話―
   編輯やり直し―巻数をのばす事、タイトルの入れ変え、オミット、伸縮ETC―

   あゝ!
  
でも明日は、神宮へ早慶戦見に行く事になっているので、今夜は徹夜しよう―
   なにしろ、四本分を一人で再編輯する事は可成りの苦痛だ!
     夕焼けの空に、風船玉広告が、フワリゝと流れている。
   城田二郎第一回主演「青春圖会」近日封切
   美女待ちます銀座会館へどうぞ。
   お子達にはメリ−ミルク。
                 等々。
                          


  
 
二日目の朝、漂然として風来坊のように秋山耕作氏が東上した。
   着のみ着のまゝで、いつもの氏の面目躍如たるところがある。
   「投げ節彌之江戸之巻」では、随分氏にお骨折願った。大体無理な仕事の上に、
  何等豫備もなく突然その日ゝ台本もなしに撮影を進行させて頂いた氏の努力あればこそ、
  急いだなかにもあれだけのものが出来たのだと思えば、感謝のほかはない。
    まるゝとしたその豊頬
    眼鏡越しの優しいまなざし―
    ゆっとりとして、気持の澄んだ氏の面影は新進監督としての優しさを充分に持っていて
   我等後輩の良きリ−ダ−として尊敬されていゝ。
    気持の澄んだ人は、本当にその人の気品を現して、尚おあまりある。
       ー 秋山耕作氏素描 ―

  
東京の連中と一緒に銀座を歩いている。
   久方ぶりの銀座だ。
   新しい流行が、銀座のペェヴメントの上にあわたゞしく、すぎて行く。
   若者も少女も、みんな新しい空気のなかに明るく、朗らかだ。
   仕事のことなんかこゝ二三日忘却して、こうして街を歩こう。そして新鮮になることだ。
   どうも生活が時代劇化する訳ではないが古臭くなって行くような気がしてならない。

                      10・22・東京にて
    ★ 日夏英太郎 ★
 


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