越境の映画監督

日夏英太郎【許泳 ドクトル・フユン Dr.Huyung】

                                                         2013年8月12日掲載


 あのころ・このごろ 『春の海辺にて』

日夏英太郎 24歳



  「下加茂」  
松竹映画雑誌

1933年(昭和8)1月号より引用

下加茂撮影所

「春の海辺にて」


 海は絶間なき微風にゆるがされて、蒼空いっぱいに拡がっている悦びを、捕え消し難い無数の微笑に於てそれを投げ返していた。

その頃、Bは未だ鞄を背負って植民地の小学校へ通っていた。

当時Aの父は海関の官吏だった。

そこは朝鮮の西端「仁川」という湊町であった。

小学校には、朝鮮人の子供も大勢いた。

Aはそのうちで眼のパッチリした朝鮮人の女の子が(名前は忘れたが)好きで好きで仕方がなかった。

その子もAとは仲良しだった。

 二人は学校のかえりみち、父のつとめている税関の建物の見える海辺に佇んで、石投げをしたり貝拾いをしたりした。

 海角の断崖を洗う絶間ない海の囁きは、海の大なる静寂な中にオルガンの遠音のように響いて、十年の星霜が立つ。

 その子はいま彼地で一流のキイサン(芸妓)になっていると風の便りがAに囁いた

     ★ 日夏英太郎 ★

  
*A→日夏英太郎、 B→弟の文志郎 

 


  

                 仁川市 (併合時代の日本の建物が残る)  2010年4月撮影

 


トップ頁へ

こんなことも言えるではないか