心を揺さぶる歌 “落花三千”
私の大好きな韓国の歌をご紹介いたしますね。
1941年制作の日鮮合作映画「君と僕」でも歌われました。
7世紀中ごろの百済王朝・扶蘇山城滅亡時の悲しいお話が題材になっています。
それでは、そのお話から入りますね。
4世紀ごろの朝鮮半島は早くからある高句麗に加え、新羅・百済がそれぞれ建国していました。
百済は6世紀中ごろ日本へ仏教を伝えたことでも知られていますが唐・新羅連合軍に663年滅ぼされました。日本では白村江の戦いといわれています。日本も4世紀の大和朝廷のころより朝鮮半島の最南端を任那日本府として支配していました。
白村江の戦いでは百済の救援に駆けつけた日本軍も敗れました。百済王朝最後の都である扶余(プヨ)は123年間百済文化の中心として仏教文化が花開いた所です。
標高92メートルのなだらかな扶蘇山の北側を削った断崖の上に扶蘇山城があり、その山麓の南側に王宮を築いて24万戸の碁盤の目の都が開けていました。この扶蘇山の断崖から百済滅亡の折り宮女三千人が衣を翻して白馬江(白村江)に身を投じたと伝えられています。
亡国の恨みを胸に抱いて白馬江の中に次々飛び込んだ官女達の姿がまるで花が飛ぶようだったということから落花巌と名づけられたそうです。落花巌の上には東屋の百花亭が建って静かに歴史をみつめています。
崖下の中腹には百済官女の霊を慰めるために建てられた皐蘭寺(コランサ)があり、寺の裏には薬水が沸き、皐蘭草がしげっていると云われます。
時を経て「落花三千」の歌が1941年に生まれました。
“落花三千”
(作詞 趙鳴岩 作曲 金海松)半月城(パンウルソン)越しに 四沘水(サジャス)見れば
流れる赤い帆が 落下岩に渦巻く
古の夢は 風にそよぎ
暮れゆく 皐蘭寺に 水鳥が鳴く
たずねてみよう 三千宮女はいづこへ
たずねよう落下三千 いづこへ消えた
(下記は内海愛子・村井吉敬共書[シネアスト許泳(日夏英太郎の昭和)]より抜粋)
「その歌詞と哀調をおびたメロディが朝鮮の人々の心を打ちました。1943(昭和18)年、朝鮮楽劇団が日本公演をしたさい、その評判を聞いた李垠がこの楽劇団を招きました。今の赤坂プリンスホテルが当時の李垠と梨本宮方子夫妻の邸 宅でした。
李蘭影が「木浦の涙」を張世貞が「連絡船の唄」を歌い、つぎに金貞九が「落花三千」を歌った時のことです。
それまで「無表情だった李垠殿下が感情を高ぶらせ<落花三千 いづこへ消えた>の部分でその頬に一筋の涙が伝わり落ちました。その場に居合わせた団員たちもみな涙ぐみ、歌い終えた時には誰一人として声をだせなかったという」
[(朴燦縞「韓国・歌の来歴1895〜1945」)]
李氏朝鮮の最後の皇太子であったために日本人梨本宮方子と政略結婚させられていた李垠は<いづこへ 消えた>落花三千に自らの境遇を重ねたのかおもわず落涙したのである。
植民地の人間、亡国の民の悲哀は、その場に居合せた朝鮮人たちとても変わらない。李垠の涙に団員一同声もなかった。[落花三千]は民族の消し去られようとしている歴史と文化を人々の心にかきたてたのである」
内海愛子・村井吉敬共書[シネアスト許泳(日夏英太郎の昭和)]より引用いたしました。
2003.7.29記
日夏もえ子
2007.11.20更新
李王家邸 赤坂プリンスホテル旧館