越境の映画監督

日夏英太郎【許泳 ドクトル・フユン Dr.Huyung】

                                                     2009年4月17日


「映画人協会」を刳抉す

     ―関西の萎靡第2報―  日夏英太郎 (23歳)
 



  「映画評論」 
1931年(昭和6)2月号より引用  

1931年2月号

 若者達は、埃と汗と涙に咽んで働きながら社会のドン底に突き落されて、絶えず飢え渇いている。
 エルダアズの支配下に於けるビジネスへの観念― それは芸術の貧困に対する無気力な絶叫の繰返しである。
 全く、白紙の様な無益な過去を、彼等は、眼の前の塵によごれた冷やかなステ−ジの壁に見出す事が出来るだろう!

 
 然し、彼等の先輩達は、ホテル(京都・都ホテル)のサロンで、葉巻をくゆらしながら、優越意識の中にふんぞり返って、資本家機構の飽くなき定石的四方山話を、気息奄々と述べているのである。
 
他愛ない情景だ。
 これを誌上に、再組立てする緩慢性を、生憎持たないので、そのアウトラインだけを記し心ある同志に披瀝する。
 この会合体を称して「映画人協会」と呼ぶ。
 全関西― 全日本― 全世界― ?の映画人の集まりかどうか、そのスケ-ルは兎に角はっきりしないが、現在の協会員のメンバ−から推して、大略関西の映画人のグル−プと見做して良い。
 協会会長には貴族院議員であり、交正会の闘士?であり、日活の株主である藤村男爵を擁し、理事には、西彦太郎氏(都ホテル支配人)があり顧問格で、池永浩久氏、白井信太郎氏立花良介氏等が坐り、委員には、各撮影所各部主脳幹部が選ばれ、協会員は、各撮影所所員がこれに参興しているとの事である。
 
 で― 點綴するに、此の協会なるものが、発会式を上げたのは、大分古い話で、最初の創立主旨は、本誌昨年十一月号の本欄で一寸ふれておいた通り、映画検閲への闘争― を主眼とする会合であった。
  然るに、老映画人の崩るゝ如き怠慢さ― 善意に解釈すれば紳士的寛容さ― は、創立数ヶ月の日数を経ても、尚おその主眼とせる映画検閲への闘争は、些の進歩をも見せず、ズルズルと今日に到って、十一月の十五日に始めて、それらしい会合が、ホテルのサロンでいとも盛大に催された。

 その間、該協会事業として、1930年の夏、京都市外嵐山に、テントを張って、協会員の無料休憩所を設けた事と、そのすぐ近傍にあった都ホテル納凉園で、協会員に対し特に食事を割引した事(何と巧妙なる戦術ではないか)等の事業が?あった。

 扨て、十一月十五日の会議に出席したメンバ−を挙げると、各社代表として、日活―村田實、辻吉朗、山本嘉次郎、加藤勝一。松竹―衣笠貞之助、犬塚稔、志賀靖郎。マキノ―二川文太郎、金森萬象。東亜―根津新、内田徳司。帝キネ―欠。
 他エランヴイタル小劇場の野淵昶。
 京都府保安課長―の諸氏列席し、保安課長に対して、現在の検閲所を関西にも一つおきたい事。出来得べくんば、半官半民制センサ−の採用を望む事―等々を極く懇談的に愚痴をこぼして、此の会を終ったと云う事で
ある。

 これが、映画検閲への闘争― と銘打った協会の仕事の顛末である。善意に解釈すると闘争の第一歩カムフラ−ジュである。その後の成果は―?

 越えて二十七日、映画人協会評議員会なるものが催された?!
    決議要項―
 映画人協会も益々社会的?に認められて来たから、我々評議員は、協会員相互の便宜利益の為に、次の諸項に対して骨折らねばならない。

 1.協会員に限り、郊外電車運賃割引の件
 1.協会員に限り、各常設館入場料割引の件
 1.物品買入れの共済組合を組織し、協会員に限り、割引購入の特権の件
 1.協会員に限り、療病費割引の件
 1.協会基金を得る為に、ラジオ、蓄音機吹込み、その他の催し物を行う件
                                        等々―。
 
 吁! 彼等の崇敬措くあたはざる諸先輩は、大なる意義の会合の下に、斯うしたナンセンスを決議しているのだ。
 そこには、何等近代人的意識も、芸術性高揚へのアコガレも、社会批判も、芸術批判も有り得ない。
 只、現状に安住しようとする小市民的卑屈さと、あまりにも常凡なる活動屋的低徊趣味の巧利性の発揚あるのみである。

 
 それは、近代意識に欠けた非芸術的なる集団―「映画人協会」の―益々萎靡沈滞のクライマックスのコ−スを、究極へ走りつゝある道程のパノラミックだ。

 有名無実なる諸先輩の此の集団に対して、若者よ! フィネラル・マ−チを奏づべき。
 比處にコトバがある。
 芸術は如何に発達しても、芸術であるべき筈だが、挫折し、腐敗すれば、変質するの止むを得ない―と。

 そして、街にはミウトをはめたコルネットの響きの様な淋しい迷子の若者達が、バットの煙をふかせながら、オ−バ-のないさむゞとした姿を、ペ−ヴメントに晒しているのだ。
 
 然し、彼等の先輩達は、ホテルのサロンで葉巻をくゆらしながら、優越意識の中にふんぞり返って、資本家機構の飽くなき定石的四方山話を、気息奄々と続けている。
                            (12・3)
 



1931年2月号

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