REVIEW ONE DRAWER IN MY LIFE 引き出し                By Michi Inaba
 心の奥に封印していたかのように、あえて 思い出さない20年間がある。最も激しく、押し寄せる色々な時間との、戦いとありったけの自分を出して生きていた時代が20歳から40歳である。私は、Dali そう  サルバトール ダリのキリンの首が、体がタンスになっている 作品がもっとも好きである。人生の引き出しを感じるからである。まさに 現在の私の心と脳そのものを現して感じる。ノックアウトされたように・・・・・
 思うには、ものすごいスピードで、ありったけの力で、ありったけの事を した20年があった。そう、自分の世界があった。そして、あしたのジョー の ラストの絵のように 真っ白くなった状態のままに そのあと10年がある。良きも悪きも まったく自分のコントロール不可能な次元に生きている 今がある。死にかかっている自分の身に、容赦なく 降り注ぐ針のような時間がある。同じ時間であろうが、きずかなかった父と母の傘の愛を 悲しく思う。直射に浴びる時間との戦いは、いつの時間も同じなんだ。今は、どうしていいのか わからなくただ 大きく手を広げ 子供たちのそばで 立っているだけしか 出来ない自分がいる。生きている時間の数だけ 引き出しは存在している。思い出せないほどの 登場人物が私を 作ってくれている。たった49年間しか生きていないのに、もう 手が震えて 引き出しの取っ手に触れられない。私ぐらい 沢山の失敗を 体験した馬鹿者は、居ないだろう。その分、いい勉強になっているし、まったく次元の違う冒険もできた。そう、無茶な冒険をやってきたんだなー って その結果は、まだでていないが、無駄ではないことだけは、確信している。まだまだ 本当の自分の夢は、捨てていないし、あきらめてもいない まったくもって、実に強靱な 心がある。笑うしかない。恐ろしいのは、病がいつ 心臓に剣を突き立ててくるかである。暴れ狂う病が、どうやら住み着いているようだ。10代と同じようだが、違う肉体である。抱きしめてくれる愛の力が、再び本来の自分の姿に 戻してくれるとわかっている。どんな薬よりも 医者よりもすごい、強いものが 愛 でしかない。なんと 軽いような文章が 思わずでてしまった。笑われても 人間でいる限りは、結論は、愛 と言う文字。
 最近は、何をやってんだ、って心で叫ぶが、どこの扉を 覗いてもこんなものである と ひたすら言い聞かせ、祈る。常識的な線が 実に乱れている人達が、ボスになっている。どちらがおかしいのかは、言えないが 信じられない行動が 目に付きはじめると、どこまで自分が 我慢すべきかと 時間との問答が、実に無駄な時間を費やしていることに、いらだつ。どうもここは、私の 居るべき場所ではないと言えよう。実に なんともいえない可愛い笑顔の子が がんばっている姿を 見ると もう少しがんばるしかないかな、って細い糸が 引っ張り返す。はさみが持てない手がある。体中 シップとテーピングだらけで、あふれる やりかけの絵の仕事が身を覆う部屋、時迫る 絵もいまだ 止まったまま。ベットに横たわると 心臓が 張り裂けそうに打つ、薬に手を出す。まったくやりきれない自分の日常。そう YOKOHAMA JAPAN!!!2007.
 The Devil Wears Prada と 言う映画を観た。そう まさに ここに登場する そっくりの傲慢ボスに9年も仕えて、やっと ハサミで絡みついた糸を切って 逃げたのに、今度のボスは、実に落ち着きのない いい加減な ヘビースモーカー ボス。薬剤師が タバコの煙残ったままで 健康にするための アドバイスができるのかよって かんじで 目が点になる。さすがの自分が たばこを考えるようになった。たばこや臭いは、いやではないが 時と場所 場の読めない人物は、考え物である。人の振り見て、わが姿を見直す いい勉強だが...薬やのイメージは、エタノールや清潔な空間に思い込んでいる私がおかしいのか、今の私には、目にしたくないのである。どのくらい 我慢したらいいのかとすっきりしない時間が もったいないのである。どこの会社も 生き延びることは 難しい 今の日本社会の破滅は、現実に今きている。今20代の子供たちが40代になりボスになるころ は、うまく時の動きを読めるであろう。そう 今の労働者と社会との関係は、共に 違った方向に動いている。どちらも 貧困な世界へ。生活も心も 健康ではない1日の使い方である。だから 芸術的な美が 生活にないのであるし、必要としていないのが、心の余裕が 芸術への関心、甘いデザートとして心を癒す、そう 砂漠にて、芸術論を演説している自分が 実にむなしい今の日本である。  考えずに製作しろである。静かで制作するには、よい空間ではあるが...

 今日の ブルーベリーパイは おいしくできた!NewYorkの味にちかいかな。Seattle のブルーベリーの畑でのひと時を 思い出す。冷凍でしか 見ることはここではないが、それでも おいしい!やせた脳みそへ 流れ込んだうす甘いブルーベリーを感じた瞬間!
 タイムスリップしたかのように、亡き父の 信じられないほどに にこやかな顔が あった瞬間を思い出した。焼きりんごの料理である。そう私が7.8歳ぐらいであろう。いつも恐ろしいほどの日本の男の父の姿しかないと思い込んでいたが、本当にうれしそうに、皆に作ってくれている父がいた。りんごの芯をきれいに取る器具を買ってきて、くりぬいたりんごに砂糖と蜂蜜とバターを入れて オーブンで焼く、忘れられないほどに おいしかった。おしゃれな父だったことを...甘い食べ物が大好きだった父で、玉子焼きも甘いものだった。私が、アメリカへ行ってから沢山のアメリカン料理、味わう楽しみを覚えた。日本の亡き父と母、祖母達からの味もしっかり この体は、覚えている。この10年の乱気流の時の中、すっかり忘れていたが、Seattleの大切なアメリカの私のDon and Mom の 料理とジャム も 新しい家族NewYorkの 料理も しっかり体に入っている。音楽と料理は、タイムマシンのスイッチである。私の得意料理は、パンプキンパイである。必ず皆が笑顔で食べてくれる風景があるからである。亡き母は、本当に好きで、いつもせがんでいた。笑顔がうれしいと思い出す...
 50歳を迎えようとしている体に、ぞーっと する 時が 襲ってきた。右手の指の痛みは2週間前から あったが、あまり気も止めてはいなっかたが、右手、右腕、右足 そして 左顔面が しびれが 襲ってきて、これは、やばいって震えた。15thJune 2007!!今は、まだ 死ねないっとあせる 気持ちで、脳の中が、沸騰したシチューのようになった。なにやってんだよ って、どこか のんびり構えていた自分を 知る。ギアを入れ替える。高速4でなく、Neutralにである。エンジン停止には、しないぞ。考える力が、どんどんと消え去る中、まずは、病院へ、駆け込んだ。中華街に近い総合病院へと、何度となく きていたが、この病院に入ると、なんとも言えない横浜を感じる。アジアなのだ。今回は、まずは、整形外科と皮膚科へを選んだ。怖かったからである。すべては、脳からとわかっているが、脳外科は、怖かった。整形外科の診断を受けて、指の付け根は、疲労骨折であるが、脳外科の先生へとなにやら、手紙を書き始めた。ものすごい見えない力で ベルトコンベアに乗せられたかのように、時間が動き始めた。金縛り状態で、レントゲン、脳外科の診察、あっけなく 脳梗塞前兆、と口から出る。OH!! CTでまず、どこの箇所かわかります。なんて さらりと 言われ、手には、カルテとCTへの案内が、ある。時間が 止まったように流れて、体は、CTの待合椅子に何時間もいる。次から次へと運び込まれる患者のCT室の前で、亡き父の時の光景が、現れた。その時に 父が口にした、言葉が、「 まな板の 鯉だな!」   その通りの 動きである。無表情の脳外科の我が担当医が、目の前を通り過ぎた。私はペコリとお辞儀をしたが、無視されてしまった。気がつかないはずはない場面である。その時、恥ずかしながら、逃げることを決めた。実にもう私の番が次であるのに、あせって考えた。本日は整形外科と皮膚科のみとしたい。次回に脳外科だけに、伺いますと看護婦に伝え、とにかく もう少し考えてもいいだろうって、勝手に言い聞かせた。目の前が 真っ暗になって、死を目の前に感じた。まだ 倒れていない身体である。脳をいじられてしまった後は、もはや、今の自分の作品は、手に出来ないであろう。想像できる。出来る限り、身体の状態が、わかったうえで、もう一度、生活環境と、人生をどう終えるかを 考えたいと思った。視点を変えて 時間の中を生きる方法を選ぶ。爆弾を抱えた 身体である事が分かっただけで、よしとする。病院も選んでもいいであろうし...
迷惑をかけないで 生きるには、程遠いが、まだいい道かもしれない。変な疲れが溜まり、5日間になるが、熱が噴出している。両手の平、指先に熱がこもっている。汗の穴から、水泡が指先に 果てしなくできる。チリチリと焦げそうな 手のひらと指には、困ってしまう。骨から出てくるような熱である。よいことが、1つだけある。よく眠れるようになってきた。最近の私には、考えられないほどに、うれしい朝である。やっと パソコンに向かえる身体がきた。筆もとれず、ペンも握れず、料理のもちろん出来ないが、音楽を聴く気がおこってきた。まずまずであろう。本当になにやってんだ!って 叫ぶ!Mozart Requiemと PinkFloyd のECHOESを聴きながらの時間がある。
 実は、今回とは違うけれど、似たような時間は、10年ほど前にあった。3つの会社を経営し、一人6.7通りの役をやっていた1日の時代。20年間。そして、39歳の、あの時が、私が、死んだ日なのであろう。Michi Inabaのみになったはずが、母である仕事は、やめられない。そう、風船の糸の部分が、いつもどこかに、絡みつく。そして、この10年ふわりふわり あてなくただよう 風船になってしまった。あたかも自分をなくしてしまったかのような10年間が、横たわるのに、確実に新しい映像が身体に絡みつく、ドラマを書き作り上げている。心は、Neutralの状態であるためなのか、何でも受け入れてしまうのであるようだ...それから次を考える現実に、今だ苦しんでいる。     このまま死んでしまうわけには、行かない。Hey!Wake up Michi!23.June 2007. 
 神様のいたずらなのか、28thJune 07'のこの日、不思議な神業的なことが、起きた。とうとう両足が、電流が流れているような痺れが襲ってきた。これは、本当にやばいのかなって あせって病院へ行くしかないと 決断していた日。Chiropractic脊柱指圧療法に行き、相談して、指圧棒のようなもので、右ひとさし指の付け根の関節を押し上げて、脱臼していた骨をきちんと直したのである。なんと その瞬間後、まったく痛みの世界から 解放され、痺れも高熱の世界も 身体から離れてくれた。この長い苦しみは、なんであったのだろうか って思えた。奇跡が小さいけれど あると 確信した。それにしても、あの病院での 判断は、やばいぐらい いい加減である。整形外科でのレントゲンも、脳外科の診断も、やはり直感で逃げたことは、正解であったと、胸をなでおろした自分がいた。しかし、どうも直ぐには、完全ではなく、すぐ骨が、ずれてしまうようだ。当分テーピングは、存在し、棒も欠かせない我が連れ合いになったみたいである。笑うしかないが、笑えるようになれただけでも、神様に感謝である。頼みますよって 神様にKISSをする。そして、ありがとう とツブヤク。2nd July 07’
 今年の招き猫の新作に 今だ取り掛かっていない Wow! テーマと題名は 早くに決まっているのに、手が動かないなんて!9月発表なので、エンジンをかける。8月仕上げ終えてから、9月からNewYorkで過ごすとする。今年も半分きてしまった。私も50歳になってしまう年である。今年の誕生日は、横浜である。素敵なレストラン探しだ!
 
 目まぐるしい7月が私を襲った。実に 嫌な出来事が 私を凍らせた、7.18からの日々 予定のでき得ない日々も今だ脅える心がある。息子の交通事故であった。命があっただけで、神様に感謝である。北品川の駅前の病院に、京急富岡駅から 通う姿があった。良きも悪きも ドタバタ色々な人々と 関わりあうとは、不思議であった。予想していない人々との出会い、人間観察には、絶妙な時間であった。私の生活リズムの中、2007年前半のとどめをさすかの様な感じの時間であった。そして8月15日 をもって、ひとつの区切りを迎え、やっと 自分にもどることが出来た。さて、大変である。新作発表の制作 来年に備えて個展の準備、絵本製作。...もうMichi Inabaの時間を過ごすとする。8月1日より実は、頭の中は、始まっていた。いやいや 1月から 身体の中で もぞもぞと動き出していたが、抑えるのに、相当なストレスが生まれ出し、この半年は、身体が ボロボロ状態であった。絵を描けない苦しみが これほどの病を自分に襲い掛かるとは、驚きであった。もう いいであろうね。かわいい心の出会いもあったし、挨拶する人々、心かわす人との出会いは、大切なひと時でしっかりと残っている。ありがとう って叫ぶ。自分の為に時間を使う時代が来た、そう,今日から ねじり鉢巻タイム!!
 
2007年9月は 本当に 画家として 時間を過ごした。いつ寝ているのか、死物狂いで 竜虎蛇の鉛筆画の制作に 招き猫の制作も共に、体から しばし離れていた 感覚を 呼び寄せることに 集中した。快感の時間であった。短時間だが、骨が粉々にちぎれても くいは無いと思えた。完成と共に NEW YORKへと飛行機に乗り ぼろぼろの身体を休ませた。真っ白くなっていた 脳は 10月中凍ったままで 別の面での 脳が 目を覚ましていたようだ。New York の秋 現実の世界 家族への愛 そして これからの方針 と 新しい感覚への挑戦する 準備。体は しびれ 脳は凍っているようにして、リセットした 脳を 作り 足元にカメラのレンズを 向け フォトグラファとしての 時に 専念した。異常なほどに 瞬間のアートに のめりこんでいた。心が 捕らえた一瞬に こだわった時間。 まだまだ・・・・・                                                                   京都の龍安寺の襖絵が メトロポリタン美術館にあるので、日本の美 本物の美、生き残っている美に会うため 幾度も 足を運んだ。2日どうしても かかった。スローな 時間が 心地よく、一人の時間が 楽しかった。外へ出て セントラルパークへと入る。ベンチに2時間は 座っていたようだ。なにか考えようとあせっていたが、 脳は 凍っているように 真っ白かった。息をしていただけの姿であろう。底知れないほどに 疲れ果てている体があることを知る。横浜とNewYorkは まったくちがう 空気が包んでいる。私は、部屋から部屋へと 扉を開くように 中へ入っていく。別の自分を 演出しているかのように、いや、自分を探している姿であろう。戸惑いはなく 時間が止まっていたかのように 空間へ移動している。人々は、確実に成長している。変わらないのは、自分であろう。馬鹿なままで Michi is Michi 。絵本を制作するためにも 孫達と時間をすごした。すっかり忘れていた世界が 目の前に広がる。面白い、実にかわいい 我がGranddoughters。新鮮な エネルギーを得た。NewYork中にある子供達の公園は、回った。興味もあった。安全に遊べる、赤ちゃん達の冒険の空間であることを知った。どんな姿の女でも、母となりし姿は、みな同じ姿である。子を守ろうとする姿は美しい時間である。若者達は、現代の時間に 体当たりしているかのように生活している。世界中同じであろう。しかし、日本は 何か大切な部品が、外れているようだ。まるで死に掛かったような心の人間達、ゾンビ状態である。 カメレオンのごとく 我も同じ色になってしまう。逃げるしかない。今の日本は、猛毒に汚染された 空気に包まれている。やばい世界になっている。しっかりと 心の カウンセラーが おのおのに ついてあげなければ 突然道から 転げ落ちる。どうしたものかと 呆然としている。都市横浜に帰って目にした光景での 感想である。いいところも 沢山あろうが、制作するには、とても静かで 死んだような 静けさがあり 好きである。閉じこもりの私の絵画制作生活には、もってこいである。深夜2:00になると 目がさえ始めて、何かエッセイをPCに打ち込む夜明けと共に、眠りに入り、2.3時間後に起き絵を製作する。体力に素直に従う毎日がある。どんな時間であろうとも 体が動く時間をフルに使うしかない。静けさの時間は、真夜中であろうし。これこそ やばい11月であろう。フツフツと湧き上がる アイデア、文章 見えてくる何かが 体の中をもぞもぞと這い回るときこそ、快感な私の時間であるからしかたない。ロウソクの炎に包まれての時間も味がある。日本脱出計画本格化での方針で、心は、固まる。何処の国が 私を癒して、心地よい時間をくれるのであろうか。
 12月2007年は、新たなる かわいい 家族と出会えた。実に 不思議な 時間に漂っている自分が いる。Grandsonが 腕の中にいる。コクコクッと時間が なにか確実に生み出し、ドラマを 作り出している。生きている って 感じる瞬間である。思い出せない20年間が 実に大切な 宝物を作り出していた期間であったと 知る。5人のわが子供たちは なにやら いろいろな時間を 与えてくれている。どんどんと容赦なく 渡される 映像に とまどう心の暇などない。屈託の無い笑顔が いつも写る。澄んだ瞳に 乾杯である。
 2008年1月1日 すみっきった 空気の朝に 電車に乗っている 東京へ行く Grandsonに会うためである。会いたいと 心あせる。かわいい。皆 近くにいたら どんなにも 楽しく 忙しいく 時間があるのだろうか と思うが 程よい距離にて 見守るが いいとはっきりいえる。そっと見守る姿が いい。自分を見つめることに 精一杯であるからだ。なんてこった だめな 私である。体が どうしても どこか 壊れている。肉体の衰えと戦うはめになっている。なかなか 意地悪な運命でできあがっている。そんなもんかな人生は・・・・
 
   


 


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ESSAY of MICHI INABA 2007

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