迷い、迷い、今を常に見えていないで生きてきた。ふと振り返ると震える肉体がある。幸福、平和、沢山の溢れる父、母の愛が有ったことに気付いたからだ。今頃気付いても遅いからだ。
 私は、実に弱く、甘えだらけで、生きてきたようだ。その時、その瞬間ありったけの知恵、行動、運で次を、明日を、歩いてきたが、ここで立ち往生している。もがいても、試行錯誤も受け付けない魔の時に踏み込んでしまった。ズルズルとあり地獄のような姿なき、形の見えない、地獄へ流れ込んでいる。10年前に、実は、予期していたが、幸せ呆けしすぎた体は、脳みそまで,ふやかしていた。まあ、結構踏ん張っていると、密かに慰めている
 振り返れば、我が道を、突き進む意向は、今だ変わらずある。たいしたものである。たどり着かない山頂のようだが、諦めるわけにいかない。ふつふつと体の奥からわき出す何かを受け止め表に出すことに、指命職を感じている。これがなければ、芸術家などの道は、歩けないのだろう。         5人の宝を神様は、わたしに与えてくれたことは、最大のごほうびと今つくづく感じる。皆成人した今、どんな苦しみも思い出せない。子を産んだ時の苦しみ、痛みが思い出せないのと同じである。我が子達に囲まれて生きている幸せは、誰にも負けない幸せである。その分だけ、いろいろと悩みは、訪れるが、何とか乗り越えている。我が人生の驚きは、3回めの、出産が、3つ子のかわいい女の子達だったこと。上の息子、娘、そして、娘3人の母に成ってしまった、驚きの地獄のいそがしい母になったこと。今は最高の天使達に姿をかえて、私を守ってくれている。すごいことである。悩みのつきないのも、人数分である。小さい事のようだが、一つ、一つ、きちんと、解決しなければ、変に、絡まって苦しみを、引きずる。生きるのは、ほんとに,からくりゲームだ。絡まった人間の心の糸は、実に複雑な,繊細で、面倒だけれども、大切である事を、言っておく。変な意地は、禁物である。これが、結構難しい。
一人の人間は、人生の中で、本当の愛を、知ることが出来るのだろうか。きっと、探し、探し、そして死んでいくのだろう。人の心の奥に潜む、愛が、誰に向いているかは、本人も、わからないと思う。気づくことの、出来ない、信じる事も出来ない、自分を恥じる。全てに半端の、自分に、恥ている。
 どうしてこうなったのか、と問いかける、過去を今だ,考えるが、もう戻れない、わかっているが、ここに、馬鹿な自分がいることは、間違いない事実だ。これからを、考えることが大事なことである。このような時があるだけ、幸せであることに感謝する。今は、人生の、一休み地点のように思える。少し長すぎるかな。もう次の勝負に出るときが、来ていると感じる。前般の人生は、とてつもなく大事な、時であった。これからは、それを台にして、仕上げの時代がある。これからである。我、ここにあり。と叫ぶ。女であり、母であり、芸術家であることは、実に大変な、世界だ。その上、お金を稼がねば、この社会に、住めないから神経ボロボロの、半端者に、成りそうだ。それでも、どれも、譲れない、捨てれない性格だから、手に余る。世の中うまくは、行かないものと、悟る。いや、悟っていないから、心のもやが、あるのだ。自我が、強すぎるゆえ、の苦しみである。夢見ることを、あきらめないのも、笑える。肉体も、精神も、ずたずたにくたびれて、燃え尽きた中に、くすぶり、時折、オレンジ色の炎の放つ何かがあるのが、不思議である。ちょっとしたものに、勢いよく、燃え出すだろう。それを、待っているようだ。時々,弱音を吐くが,自分に迷う時だ。声にできない苦しみである。しかし、人事だったかのように,前を向いているのが、わたしだ。やはり,人に話してはいけないものと悟る。止まっていられない心がある限り。
 想像を、はるかに超えた出来事は、まさに突然やってくるものである。自分が、自分がと、もがいている中、母の癌宣告。自分の世界などどこかへ消えた時間がきた。無い知恵を精一杯集中して考える。納得のいかない時間が、体を通り抜ける。不思議は、このような時にポッと現れる。神様を感じる。神業である。40年も会っていなかった友、幼なじみの名前が目の前に現れた。まさかと思いながら扉を開くとやさしい顔、なつかしい声があった。医者の姿の友である。母の主治医を、なんのちゅうちょもなく頼んだ。母の戦いは、始まった。神を感じた瞬間である。母が家族が健康であることが、あたりまえの世界での、自分の日々が、どんなにも幸せであるか、あらためて知る。人生は、あまりにも色々なドラマを見せ付けるものだ。息つく暇を与えないようである。良きも悪きもである。もはや自分の運転でないことを知る。時が消えた。母が目の前から次の世界へ旅に出た瞬間。もう二度と姿も声も無い。消えてしまった。目の前の現実を受け入れられない心にとまどう。どうにもならない時が底知れない悔しさ,悲しみの時へ引きずり込む。負けないさ、これからは、本当に自分を見出す時との戦いが、始まった。誰の為でもない、我が人生しっかり歩き,迷うことなどしている時など無いことを、母に最後に教わった。人には、突然終日が訪れることを。誰にも止めれない日が、訪れる。今有る時を大切に、生きるべきである。健康は、それなりに守る努力は出来るが、病になってからでは,遅いのである。たくさんのありがとうを、母へ送る。共に、別の世界へ出ましょうね。それでは、おかあさん バイ バイ ね。母の旅立ちの日。
 最愛の母の姿がこの地球から消えてしまった日から、3ヶ月がすぎているある日、なにやってんだろう自分に問う。ぐだぐだとのたうちまわる心が恥ずかしい。時間は、静かに冷静に、ある。実に自分が母の手の中に居たことを知る。本当に自立の時である。早く父母を亡くした子のすざまじき心のとまどい、孤独を知る。何歳になっても、子は子でしかない。人のざわめき、行動などもはや苦ではない。次へ歩くしかない。これからが自分の足で進む世界である。どうころんでも自分である。ふと目の前にいるのは、天使達である。幸あり。我も母なり。この天使達を泣かすわけにはいかない。それにしても、実に大変な時代である。平和でいることの難しい世界である。テレビを消せば静かで平和そのもの、電話もなければ、実に静かである。知らなければ良いようである。心乱れることが、自分をなくしてしまうようだ。かといって、生きるためには、お金が必要で、肉体の壊れも、ある。人間でいることは、たいへんである。逃げることの出来ない地獄である。愛で切り抜けることも、笑える言葉で、今の足元を見ることが、精一杯で良い。これが結論。情報社会であるけれど。変に壊れて行く社会が見え、隠れしている。人の心がおかしくなっていることに、何故恐怖を覚えないのか、基盤になるなにかが破壊してきているのである。家庭の中、家族の愛のやりとりそのものであろう。それを取り巻く環境、人の心。結局のところ愛と言う言葉が、すべてである。笑えない現実。複雑になりすぎている現状に、ぐるぐるまきの心がある。
 なにもかもが、止まっている。自分に今なにができるのか、やるべきことが、すべてごみに見える恐ろしさが襲う。こわい。心が乱れている。しっかりしなければと言い聞かせる。どこかに行こうかな。今のままではやばい。ちょっと叫ぶのもいいですね。胸の黒い息が少しは、消える。やはりお金がないと生きていけない世界に居るようだ。自分を捨てて行かなくてはだめらしい。しかし、無気力そのものが今の敵だ。
 時は、どこか止まっているように見えるが、静かに、確実に動いている。心のうめき声も、違ってきた。おそいかかる波の威力が、変化して、おだやかに感じるのは、いいことである。どこまでも、捨てきれない夢に、息を吹きつける。何かを探し、迷いのたうち回る日々の中、時は、過ぎていく。前に進んでいるのである。
 更に 4年の年月が 過ぎ去った。ふっと 立ち止まると、2人のかわいい孫の姿に とろとろに なっている私がいる。すぐに もう1人の孫を待つ時間の中にいる。必死に毛糸をあんでいる。次の孫のために。確実に大きく育ってくれている子供達が、時があったことを 知らせてくれる。私の心に 大きく変化が 訪れているようだ。日本を離れようと 決心したことだ。アメリカ である。移民する準備が始まった。日本には 未練は無い。まだ時間は かかるが、進むしかない。凍ったような時の中の10年間であったが、確実に時間があった。光が差し込んできたように思える。油断は 出来ないが、仕切りなおしで 勝負するときが きた。悩むなら 絵のことだけで、他のことでは、悩んでいられないと知る。50歳にして やっと自分の世界のみで 息をする。

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