Murmur of Bluecat 2006 in NewYork By Michi Inaba
夏になると なぜか不思議な風が吹き 旅へ出ていることに、気がついてきた。なにか 運命の流れを感じ始めている。今巨大な鷲に乗って、太平洋を渡りNew York に体が運ばれた。JFKには、かわいい子供たちが出迎えてくれていた。1年前と変わらぬかわいい笑顔で待ってくれていた。3回目のNew York の町も、あたたかい、新しい家族が、いつのまにかいる。不思議な、不思議な心の集まり、1人増え、また1人と私の家族となっていく。なんと おもしろいんだろう。泣き笑いの夏が始まる!幕は、上がった。NewYorkの天使たちとの 夏が、始まった。
雨を逃げてきたのに、雨で始まった、静かな雨ふり。精神統一だ!のんびりできるのも今だけである。新しい天使の誕生を迎える前の静けさといえる。去年も同じ時期にかわいい天使を迎えた。初めてだったせいか、1日、1日が待ちどうしかった、実に忘れていた感動が、私に訪れた去年の夏。すっかりグランドマザーになっている自分がここにいる。はてさて、今回は、周りの静けさは、たいしたものである。しっかり、若い夫婦がパパとママになっている。心配などいらないものである。私はと言うと、いまだ ふわりふわりと中をただよっている。やばいって感じであるが、しかたないのである。にわかに、わたしの別の天使たちの身辺で、皆幸せなざわめきが、起こっている。時は、悲しみ、苦しみの後に、きちんと喜びの時を与えてくれる。本当である。無理やりこじあけなくても 次の扉は、開く時を迎える。それがいつなのかは、わからないが、だからこそ、感動があるのである。
ちょっと一息窓の外をのぞく。やっぱりここは、NewYorkである。ありあまるパワーむき出しの人々が、堂々と生きている。忘れていた何かを、呼び起こす世界が、ここには、ある。今回もしっかりと、その何かを体に充電していくとする。頭の中が、無性に広く軽くなってくる感じがする。いらないファイルが脳みそから消えていく、旅とは、実にいい薬である。不思議な病院といえる。もちろん愛がもっとも生きるため、生きていくためには、大切であることも、はっきりといえるが、その愛探しに、皆 おのおの実に面白いドラマを作り出している。時に苦しく、悲しく、はてしない力をも与える。ものすごい力を見せ付ける。私の周りの人間数だけ、リアルタイムTVドラマのチャンネルがある。さて、今は、どのチャンネルを押すかな。その前に、私はというと、もっともその愛に、出会えないでいる。もう期待はしないが、ロスタイムにシュートされるかもしれないひそかな期待はもっている。人間である限り。それが人生ってものだから。明日のことは、わからない。天上の神様は、楽しんでいるんだろうね。ふっと頭の中をよぎった。
時は突然訪れる。そう いつも 何か驚きと感動を、明日も生きてみるとしょうってうなずく。明日の扉の前で立っている。太陽も月も笑ってみているようだ。少し前に、深い眠りに入った時のなんとも、不思議な夢を見た。ものすごいスピードで、引っ張り込まれる 過去へと過去へと、後ろ向きに乗ったジェットコースターのように。どこで降りたかというと駅である。見知らぬ巨大な駅の特急電車の脇にいて、行き先わからないで、とまどう自分がいる。その中の人間達の実にいじわるなことに、悲しい気分になった。昼寝の夢である。現実は、全く違うのである。皆真剣に今を生きている天使たちが自分の魂を洗濯してくれる。新しい何かを受け入れやすく、心が新しいノートへとかわる。私が 皆にしてあげられることはというと、そのノートに、何か記入することであろう。とまる事無く…………私を出迎えてくれた おいしいブルーベリーパイを食べながらだ、恐ろしいほどたっぷりなブルーベリーを口にする。見た目とは大違いのさっぱりとした、ほのかに甘く、ほろにがい味、さすが本場の家庭から作り出されたものである。おいしいよ!って、沢山食べてしまう。今信じられないと思うが、朝の5:00である。外は、大掃除中である。大雨!なのに、そろそろ太陽が待ちきれずに、顔を出すぞー!心の中で叫ぶ。NewYork の朝は、なんとなく 静かである。3日ほど眠りの世界との戦いが 繰り広げられた、自分でコントロールができない苦しみ、なんとか 峠が抜けた。散歩だ!チャイナタウンでランチかー 古き友と会いしばし、心が若き頃に戻るが、それも2時間ほどで 終わる。あわただしき空気の流れにとまどう心が、勝手にチャンネルを切り替えている。落ち着いた 通りに地下鉄に乗り77St.降りた。大きなお腹をした 我が娘の毎日通う道を 1人で味わってみたかった。何かを見て 何かを考え、色々な天気の中彼女は、朝夕歩いている。それだけで もう私 この旅の目的の1つは、果たした。何個今回の目的があるかは、わからないが、自分の中の欲望は、実にわがままに現れる。その都度番号を入れてみようとする。かわいい孫天使たちに会えることも もちろん最大級の楽しみの 目的でもある。すでに私の人生にいなくてはならない かわいい孫エンジェル。とろける魔法を私にかける。離れたくなかったら、がんばって生きるしかないさ。迷うことなどなくね。これが すでに 魔法をかけられた私である。笑えるね。
きまぐれな休日が、訪れた。教会へ行き、心を洗う。やはり 宗教を考える。N.Yに来ると、決まって考えさせられることである。何かにおびえる心が、実に安らぐことは、体で感じているが、今まで生きてきた、世界はどうなるのか といつも 過去との問答が始まる。全てを決めていた。我が母の 力に 今だ苦しんでいる心が存在している。次の誰かが、私を支配して、導くしか 答えと行動はないようだ。自分で決めるには、大きすぎる課題である。母の死後 完全に母達の宗教観から、解放されたかのように、無の世界観になっている。神の存在は 感じる。しかし 姿が 見えないのである。まだ 見えないのである。目の前に繰り広がる映像も 声も まだ 体に入ってこないことに 苦しみすら覚える。だからこそ今だ 我が魂は、宙をふわり ふわりと飛んだままなのであろう。93St.
and PARK AVE にある教会は いつの間にか 大切な場所になっている。不思議な心と人間模様が 私の体に流れ込んでいる。何かの縁である。そうと考えざる終えない事実である。N.Y
の日曜日は、自分では計画できない楽しみの時間である。そう、日曜日である。青空の下をのんびりと散歩をする。セントラルパークを散歩である。EASTからWESTへと横切る かなり歩く、なんとも贅沢な散歩である。自然歴史博物館へと午後3:30に入る。なかなか楽しめる。ダーウィンの研究を見て、プラネタリュームの宇宙ショーを見た。なかなか迫力があった。忘れていた時をもった。疲れ切った足を引きずりながら 再びパークを横切りグッゲンハイム美術館の前で限界が来た。車をベンチで待つことにした。Dinner
は楽しく家族、と心置ける仲間達と時を過ごす。日本での生活では忘れていた時間の使い方である。July4th アメリカ建国記念日と重なり、4日間の休日である。休日の中日はユニオンスクウェアーでランチ、なんとなく家族化した仲間達とである。楽しく食事をする そんな普通なことすら忘れていた。ぶらりとNYUのある通りを散策、ジリジリと太陽が照りつける。大好きな音楽を聴きながらも、いいものであった。体はやはり 年であるのか 疲れでいる。切ない恋愛が 目の前で繰り広げられている中、どこか人事でいるしかない 自分がいた。
July4th アメリカ建国記念日2006.ここの人々の心は、どこかやはり祭り気分である。静かに新しい家族の誕生のために、家の中の模様替えと大掃除をしながら、のんびりとすごす。外では、なにやら大変なことが起きている。平和な戦い、そうである ワールドカップ ドイツ サッカーの準決勝戦。イタリア対ドイツ 朝から心ワクワクで、観たいTVであったが、TVでやっていない!がっくり。映画を借りて、みんなで見るとした。しっかり居眠りをしていた自分がいた。そんな平和なひと時に飛び込んできた、なんとも信じられないばかなNEWS。北朝鮮がミサイルを日本に向けて7発も発射したのだ。一瞬身が凍ったが、漫画のようなミサイルで、日本海にすべておちた。後では、笑えるが、大変なことである。1発は日本の地にすれすれだったらしい。こんな時代に、なにやってんだろう、って 誰でも思うが、現実である。狂った1人の人間が引き起こす、世界戦争が見え隠れする。漫画である。実に幼稚な脳みそを持った主導者が引き起こす世界に、巻き込まれたくないと叫ぶ。わが身がアメリカNewYorkに来ているときに、わが別の子供達が、住む日本に向かって、起きているNEWSに、心配をすることになるなんて、トホホ である。そんな 同じ時間にいろんな出来事が勝手に起きている。たまたま 飛び込む身近な出来事だけが 耳に、目に入るだけなのだろうが、この2006July4thの出来事を取り上げただけでも、歴史的な1ページである。そんな事とはわれ関せずの かわいい子供達の頭の中は、恋愛ゲームと新しい家族の誕生の準備、現実的に生活に生きること、希望と夢を心に抱き明日を作り出す姿である。ほっと胸をなでおろす。それでいいんだよね 今を確実に生きることしかないのだから、マンハッタンで花火が派手に上がる。地響きと共に体に爆音が伝わる。夏を感じる。蘇える母と父との思い出が花火にある。共に最後となる花火を観ている光景である。涙が溢れ出る。日本も暑い夏が始まる頃である。もう2度とは戻れない、いいえ 戻りたくない町である。何故?大好きな母も父の姿が無い町でいて 母と父の思い出が有りすぎるからであろう。今の自分には、耐えられないのだろう。押しつぶされそうな悲しみは もういらない!5万もの喜びの思いでの瞬間を消し去ってしまうほどの1つの悲しい出来事とは、 もう2度とは会えない別れであろうとはっきり言える。母の大好きなここNewYorkに 私はいつも 母のキャッツアイの指輪つけてあげる。共に味わってくださいね。ってさ!そう、どうすることもできない人生の流れをただ ただ流されるしかない。無抵抗を貫き通すにも、難しい。善と悪ははっきりと示さなければ、直に穴に落ちてしまう世界に生活しているのだからね。恐ろしい社会である。たくましく成長していく子供達に拍手をおくる。
静かに朝が来た。平日の始まりである。TVのNEWSはかなり切迫した動きを知らせる。まさに 子供の喧嘩の始まりのように、沢山の悲劇がまた作られることだけは、想像できる。どしゃぶりの雨が降っていた朝が午後には、青空が広がった。それでも体は今日は雨降りモードになっている。映画を観る。なにげなく人が増えている部屋の中である。さりげなく作ってくれた娘のブルーベリーパイがおいしい!なにか物足りない寂しさが時折胸をつく。何もしていない自分に、とまどうのであろう。絵の道具が無い部屋に、そろそろ耐えられない衝動が沸き起こってくる。がまんがまん!タバコをふかす。もちろん窓から外へ向かってである。
静かな空気が流れている部屋の中、かわいい天使の寝息が耳元に届く。たのむよ おきないでおくれ!と心の中でささやく。初めての2人での留守番なのだ。と思う間に 願いは届かず、やはり起きてしまった。この天使は、なかなか大変である。ごきげんがなかなか読み取れないのである。かしこい天使で、大人達を魅了し、幸せを振りまいてくれている。アメリカ人の父と日本人の母に生まれたNewYork子である。この天使が結婚する日まで生きていたいものである。なんととてもいい子で どこかあきらめたのか 1人で遊び始めたのだ。心配していたのは 自分の思い過ごしであったようで、胸をなでおろす。誰もいないことに慣れているせいであろう。自分の存在が彼女の中に、しっかりねずいた印かもしれない。うれしいって叫ぶ。そのママというと、今日生まれてもいい状態のお腹で、病院へ行っている。なんともかわいい天使と二人もいい時間である。
もう少しこの天使のことを語るとする。2.3日前にはじめて 言葉らしい言葉を口にした。“かわいい”とはっきり口走った。日本語である。意味もわかっているようで、おどろきの瞬間である。ダッド、ドッギーなどあるが、1歳を過ぎたばかりで日本語を話したとは、感激である。July9th そう 49の誕生日がきてしまった。今年もNewYork で迎えた。かわいい子供達が朝から 私に祝う言葉をくれる。うれしいものである。心は、やはりどこか 特別の日になっている。どんどん年はとる。受け入れがたい事実である。いい年にしなければいけないと 力が湧き出る。時間は待ってはくれない。振り返るとこの1年は、まあまあ 上向きになってきていると思うが、まだまだ物足りない時間であったように思える。自分の社会に生きる姿にであろう。今年こそは、きちんと姿を現せればいいのだが、とにかく あがくとする。何かに出会わなければ 扉は開かないのである。もう少しだけ わがままな時間をください。わがエンジェル達に たのむ。
同じ日にワールドカップ サッカー イタリヤ対フランスが決勝戦であった。やはり 面白い試合で、ビールを1日中飲んでいたようだ。でも 酔わない体がある。気分はいい
が、酔えない自分がいる。去年と同じレストランでNewYorkのわが子達がかわいいDinnerをしてくれた。来年も同じレストランで同じメンバーで集まれる 密かな思いが心をせつなくするが、来年の事は想像できない現実がある。
小悪魔な目を持っている かわいい男の子が、今年の私の誕生日では、幸せいっぱいの目を見せてくれた。何よりのプレゼントである。幸せ探しは、実に難しいが、1つ始めの扉が開けばどんどんと次の扉が開いてくれる。そんなものである。逆も同じである。私はと言うと、開かぬ扉の前で立ちすくんでいるままである。しかし 扉は見えているだけで 進歩であろう。
朝教会へ行けて何かを感じたことを話そう。静かに始まる時間の中に 黒い衣装をまとった神父が祈りをしている その手の動きに 今までにない 感動があった。信じられない静かな動きの中に 深い何かを見たようである。本当の祈りがあった。深い 深い動きである。言葉、理屈など要らない世界がそこにあることを知る。
私の歩いてきた道は まさに自分主義そのものであったのだろうか と胸に針が刺さったかの痛みが走る。まだまだこれからであると再び頭の中をリセットする。何をすべきか、と自分へ問いかけるが、答えなど出ない。なにやってんだ と叫ぶ心がある。
未だ 自分の住処が見つけられずにいる、どうしょうもない苦しみが襲う。どうなるのだろうと不安に押しつぶされそうになる。こんなにかわいい子供達がどこへ行っても 私を囲んでくれているにもかかわらず 果てしない孤独と不安を取り除くことはない。私の魂を抱きしめてくれる人がいないからであろう。最愛の両親を亡くすということは、この苦しみであると言える。がむしゃらに生きてきた道も 無残に白紙となっていくのか。この苦しみから救い出してくれるほどの愛に廻り合えるのか……………..。
ここNewYorkに来て 何がしたい どこへ行きたいのかと尋ねられると いつもとまどうのである。小さな家族の人間模様だけで 十分面白く 本当のNew Yorkを見られるからである。かわいいNew Yorker 達の生活の中に沢山の刺激、教えがある。この地で空気を吸っているだけで 十分である。各わが子達のこれから住む国、町を私は 渡り鳥のように 周り楽しむのであろう とだけは、はっきり言える。子供の数だけ 宿はある。実に風来坊のこれからの人生が 見え隠れし始めた。こんな状況の私の姿を 人は 楽天的な人生とさえ 映っている。画家という天職であるがゆえに さらに 皆そう思えるらしい、もっとも苦しい道を歩いていることにも 誰も気がつかない。自由なほど 厳しい世界はないのに と言いたい。
だいぶ話は反れてしまったが 私が今もっとも必要にしているものは、このNewYorkにある。そう各部門での 私に無い才能の持ち主達である。少し話そう。音楽部門 そう誰でもできるわけではない 沢山のその部門の才能を持っている人間はいるが、私の作り出す物に適した 微妙なこだわりを理解できる人物は いないものである。しかし ここに1人だけ見つけたのである。言葉をいらないよき理解者といえる。さらに 日本語で書き出される私の声、文章をしっかりと英語へと翻訳してくれるほどの頭脳の持ち主がこのNewYorkにはいた。もちろん総合的に私の芸術を管理できる力を持っている もっとも頼れる人物は日本にいるが、その彼が動き出す時は、私がこの世界から居なくなってからであろう。全て身近な、かわいい息子達である。だからこそ 私の作品と融合できるのであろう。決してひいきではないのである。たまたま すばらしい才能を持った子供達がそばにいたのである。不思議なめぐり合わせである。血のつながりは別としても、私は幸せである。どうしてもこだわりたい世界があるが、1人では やはり完成できないものである。
別にも本当に才能がある 若者がいる。影にいるようだが、私の髪を切ってくれる人物である。納得のいく出来上がりをしてくれる なくてはならない人物である。不思議なことに この4人は 同じ年である。実に 確かな才能のある人物が生まれた年なのであろう。天才に近い才能とはっきり言える。うずもれさせたくは無いと密かに思う。さらりとやりこなす身の動きに 才能を感じざる終えない。もちろんものすごい集中力が あるのだろう。わが娘達も、違う面ではあるが、なかなか多彩な才能を持っていることに さなぎから蝶へとなってから、目を見張るばかりである。実に特殊で、おもしろい そんな彼女達だからこそ 魅力的な男が連れ添うのであろうが、簡単すぎるぐらい 才能溢れた人間が私の周りに集まって来ている。幸せ者である。なぜに孤独と言えようか、と言われてしまうが、そんな中でも どこか孤独であると言っておく。
静かに時間が流れている中に 新しい家族となる天使を待つ。月は満月である今日は、どきどきするが、はちきれそうなお腹の娘はというと、なにやらキッチンのシンクのペンキ塗りを1人でやっている。手伝いたいが、今筆を握ると、押さえていた何かがうなりをあげて飛び出しそうで怖い。この娘の行動は 実に愉快で、飽きないでいるが、動きまくることには、感服する。生活する空間へのこだわりは、天才である。ちょうど彼女のパパがそうであった。動きは似ている。口うるさいのは、わが母にとても似ている。このくらい強くないと このNewYorkでは 生きていけないだろうし、と 思う。その兄ときたら、東京をなにやら 彼なりに満喫しているようである。小さき頃にアメリカに居たためか、日本が大好きである。面白い人格になっているが、どうにでも生きて行けそうな強さがある。とにかく 楽しみな子供達である。かわいい優しさは、全てのわが子には備わってくれていることだけで、私は満足である。
さて、頭の中は、なにやらめちゃくちゃに、なってきていることに不安を感じ始めている。何やってんだって 心が叫び始めた。これは、病気であろう。ムズムズと何かが、体の中を動き始めた。ユニオンスクエアにいき 公園での流れる人々に 感じられる 忙しさは、今を生きていることだけに いっぱいを感じる。雨のこぼれおちそう空を気にしながら、歩く。何の目的もなく歩くが、頭の中をよぎった思いとは、いつかこの町で住みたい と願う心があることである。この地に わが生きる家を持ち、帰る家を持つことである。小さき頃 考えた風景である。このNewYorkという町の名前は、11歳頃から頭に現れる名前である。今 こうして その町に立っている自分の姿は、実に遠く、長い時間がかかったようだ。遠回りをしていたことに、気がつく。まだまだだが、少し夢に近くなったようである。どうしてNewYorkなのかは、わからないが 因縁でつながっていることは、感じる。なにかが、この町には、ある と感じる。
大きく人生を変えることとなった 遠い日に、見た映画が、私がもう1度生きるきっかけ となった。狂ったように 繰り返し、同じ映画を見ている自分の姿を 今 思う。マンハッタンで繰り広げられる 物語である。もう1つは、正教会の出てくる 映画である。10年前に 私の心に強く入り込み わけもなく 引き寄せられていた。くだらないが、本当である。今 自然にその地と宗教の中にいる。あえて選ぶのではなく、いつのまにか 私は、そのふたつの文字が 生活の中に近い風景にある。不思議である。生きていると 不思議なことに遭遇する。死を考えるほどの 苦しみの時に 遭遇するようである。そんな不思議な縁は、きっと すでに 決まっていたのであろう。本人だけが知らないだけで、これから 私の心の中に住みつく 人びととの出会いも 楽しみである。カードを小出しに ゆっくりと出してくるように。私は 待つだけである。私の心を捕らえる人は、生きる楽しみともなるから、もちろん 苦しみともなるが。与えれた宿命を 両手を広げて受け止めようとする姿はある。
この10年は 完全に自分の姿を見失っていたかのような時間が流れた。しかし 別の次元では、確実なステップアップの時間も流れていたことに、今知る。だから、ここに姿があるのである。もやの掛かった時空をなんとか前に進んでいる。もう少しで、周りが姿を現すであろうと、わずかな 期待が心をくすぐる。
いつも誰かから逃げることと戦ってきた自分がいた。
無理やり振り切って逃げる自分がいた。
逃げることの出来ない苦しみの果てに、いつも 自分自身から逃げるのであるが、神は、そんなときは、決まって引き止めた。まだだよって。
屈託のない笑顔で いつもそばにいてくれる子供達は、私の存在をそっと見守ってくれている。それでも 底知れない孤独に襲われる。どこにいてもである。
ものすごい暑い太陽が現れている。夏だ。そう 日本の夏も同じであろう。この太陽を楽しむしかない、よく海に出かけたものである。いつから行かなくなったのだろうか。それでも 夏が好きであるのは、変わらない。何も考えずに、時間を過ごせたら、どんなに幸せであろうと、思う。イーグルスの音楽を聴くとその時間に、スーッと戻る。カリフォルニアの空と空気にしばし浸る。音楽とは ものすごい力を持っている。愛した人達とのひと時も、音楽でよみがえるのである。忘れることなど出来ない時間には、決まっていい曲が、そこにあった。思い出の数だけ曲がある。ものすごい苦しみの中、救ってくれた曲は、ベートーベンの音楽に身を包んだ。どんな曲をも 受けつかなかったことが、不思議に思えるが、今となっては、いい思い出である。よく乗り切ったものだ。あれから、10年の今も、その苦しみからは、解放されていないのであるが、そろそろ全く違う世界への扉まできていることは、はっきり言えるが………….
この8年には、今まで出会うことのないような 人物との出会いがあり、悪魔のような人物もいれば、神父のような心を持った人物も同時に現れた。ものすごい時間が体を通り過ぎていったのだ。目の前に現れては、消えていくドラマは、まるで人事のように 過ぎていった。もちろん 今もだ。出会いは、選ぶことは、出来ないが、意志を現すことは、できる。時には、判断に迷う苦しみもある。大きく道を変わるときもある。先はいつも見えないままに、突然見知らぬ町に 放り出される自分が、幾度となくあった。胸が凍るほどに、不安であったが、なんとなく新しき出会いと愛に出会えたのも、確かである。我の袖を握る悪魔を振り払って、神の元へと走り着たという 光景であるのが、今回である。
ギリシャ教会へJuly15th土曜日の礼拝にいってきた。アイリーン教会には、不思議なイコンがあって、さらに、アトス島で描かれたイコンもあり、魂が救われる空気が私を包んでくれた。我が魂を洗ってほしいと祈り、家族を幸せへと導いてほしいと祈った。その教会へ行く道沿いには、アメリカとはとても思えないが、また、これがアメリカであるともいえる風景を楽しんだ。アラブの国々の人々の店があり、ヨーロッパ人の店がある。ギリシャ人の店へと入った。本当に旅へ出て、路地を散策しているような気分である。メイン通りより面白い何かがある。
イコンを目にする機会が多いが、メトロポリタン美術館には、世界中の芸術イコンが展示されているが、同じように みえるが違う派のものである。この微妙な違いが、私には、理解できていない。何の迷いもなく 自分の為の宗教に入ることができるのならば、どんなにか幸せであろう。死後の世界を考えたことは、実は無いのである。死は幾度も考えたが、苦しみから逃げるためだけの手段であった。いかに 浅はかな人格であるかわかる。どこかのめり込めない、知りえない世界である。まだ 迷いとまどい のた打ち回っている自分がいるが・・・・・新しい我が家族たちの目は、奥深く 輝いている。どきどきするほどに、切なく いとおしい。
ESSAY
ESSAY of Michi Inaba..murmur of bluecat2006