風船のつぶやきの行方                       

過ぎ去った時の流れに、ふわりふわりと流され気づくと、横浜にいる。体に付けていた重りもだいぶ少なくなったようだが、心の重りは、少しも減っていなくどんどんおおきくなっている。だから,今だ飛んでいる。青い空のなかに立って、息をするが、まぶしいだけである。どこへ行こうと、同じだろう。
 振り返らない。 前進のみである。人生自分なりに歩くしかないと,叫ぶ心あり。
いつだったけ、太い糸切ったのは。それから私は風船になった。割れそうな 壊れそうな 風船になった。
 今の連れは、黄色の猫、なぜかなんとなくそばにいつもいる。いつも、私の猫の名前は、マイケル!これも、小さな運命の出会いと思う。あまりにも、沢山の苦しみ、悲しみ、怒り、喜び、そして驚きがあった。まだまだであろう。人間である印なのかな。まあー、生きるしかないから、逃げないよ。
 幸運な時などは、待っていても、そうは訪れないものである。いつも顔だすのは、肉体の限界の一滴中である。神様は、いるが、ちょっといじわるである。いつも息を吹き返させる。いつもである。
のたうち回る我らの姿は、見えていても見ないように、動いている時代になっているようだ。だからといっても逃げられない世界だと誰もがわかっている。不思議の地獄と言える。
自分に負けないことだろう、今に生きる者達に言えることは・・・・。無駄ばかりの物に、囲まれすぎたため、目と判断力、動物本能が、だいぶ失われている、自分に愕然とする。鏡の中の顔に驚く、年月だけは、動いている、時は、短いよってね気づく。焦っても時の速さは、心臓の鼓動と共にさ。必ず次への扉はあると、さがしまわる。どこかにあると信じるところから、目の前に道が現れるのだろうね。人生には、登り坂、下り坂、まさか がある。今、まさかの上にいるのだろう、呆然としていても、先には進まないよ。足元の一歩を、前にだそうよ。今は、それしかない。そばに平和な瞳で見ている猫のマイケルがいる。猫がいいなって、幸せな気分になる。
 身近には、けっこう天使がいっぱいいるものだ。5人の我が子がいることに、何とも言い難い喜びを知る。全員成人してからが、何ともおもしろい天使達なのだ。恐ろしいほどの速さで、大人になっていく、実におもしろい。我が、もたもたしているうちに、我の天使達は、知らないうちに飛び立っている。それでも、どこからともなく
ふわふわと、飛んでいる風船の紐を、天使達がしっかりとつかんでくれている。いつのまにか、しっかりと、我の魂を抱いてくれていることに気づく。一人ではない喜びと、幸せに、ひそかに微笑む風船でした。
 まだまだ甘い心の弱さは、どうしようもなくむなしい。どっぷりと世の中が、甘い香りに包まれていた時代に、生まれ育った者達の苦しみだろう。勝手に悟る。どんな時代にも、落とし穴はある。うまく通った者、ずっぽりと落ちた者、落ちそうになった者、運悪く竹串に刺さった者、いろいろあるのは、変わらないと思う。我は、風船となり、宙を飛ぶが、今はいい。油断は出来ないが、透明な空気のように、漂う姿を夢見る。意地悪なカラスが、つつきにくるけれども、風が、雲が、助けてくれるだろう.だろう、と思うことが、恐ろしいのだが・・・・。そこで一言「運命」に逃げる。人生は、この一言のみで、悩みも終わる。無の境地で、自分を見つめろである。生きるために時は、あるのだからね。おっと、、頭の中が、流されている。今日の月は、どんな形か、見ていない事に、気がつく。窓へ行く。冷たい空気に、頭と心を冷やす。夜を知る。そして、何もなかったように、太陽が顔をだす。朝の日差しは、まるで全てを、白紙に消し去ったかのように、我の姿を包み込む。魔法をかけられるようである。神様の最大の贈り物。あらゆる生き物は、どんなにも救われているだろうか。たゆみなく続くこの美しい地球のために・・・こんな我にも足元には、天使の瞳の猫が、あてがわれているかのようにいる。神様も大変だな、なんて思う。夜の空を眺め、散歩しながら頭の中をよぎった星は、火星。オレンジ色に輝いて我の人生の中に、見ることが出来た日を思い出した。そんな偉大な出来事も、いつのまにか忘れていた。つい探してしまった。もう一度見たくなったが、見つからなかった。星がでているのに、何故か月がいなかった。春一番、春二番、と猛烈な風が訪れてから、体の奥から血がざわざわと話かけてくるようだ。不思議な、魔法の風である。毎年、毎年、同じ感動に浸る自分である。日本だけなのだろうか。疑問はある。だからといって、今なにが出来ると言うのか。ポッと頭の中が白くなる。奇妙な病気や国のお偉いさんの勘違いな行動、まだまだある恐ろしくうごめく人間の欲、ありったけの悪魔の力を姿現しながら、見せつけているような今がある。実に不思議である。対外の事柄は時が解決するが、そうでもなさそうだ。こんな我が言い切れてしまう事に、さらに恐ろしくなる。
 春の始まりを告げる強く、暖かいような、冷たいような風の中の夜バス停に、何故かぽつんといる自分に、どうしてこの場面が、訪れているのか、と心の隅で問う。時間通りにはこないバスをまっている。歴史の臭いを、今だぷんぷんとさせる山の上のバス停。澄み切った夜空に輝く月と星、さわめく木々の声、木の芽の臭い、目の前を通り過ぎる車を、ふと昔の自分に重ねる。知り合いなど通るはずのないこの町の道で、目で追う哀れな自分に気付く、何いってんだよ、と勇気ずける月がいた。そんなときも、火星を探している。あまりに澄んだ空気の中に見える月は、うるうるとしている。バスが来たときに,まるでテレビのチャンネルがプチッと変わるかに、現実に戻った。ざわめく人混みの駅の明かりに照らされた瞬間,粧ケースに映った自分の顔、姿に慌てた。切符を買いそばにある店に入り黒の綿帽子を買ってその場でかぶった。白髪だらけの髪にまだ許せないのだろう。もう、年なのに・・・認めろよ・・・・・・戻れない若さに苦笑する。
可愛い天使達は、きらきらとした瞳をさらに光はなって、我の周りを飛び舞う。若さは、すごいものだ。しかし、心のきらめきは、まだまだ、同じく存在している。むしろ確実に、光に重みすら備わっていくようだ。体の中に入った経験、才能、までは、奪われないのである。どんな障害にあっても、すべて実となり、肥料となっていく。おもしろい世界が芸術家という人生。どんなに苦しくとも、涙流して笑ってしまう道化者、喜劇に変えてしまう天才の世界である。心の中のみで人生はある。一人の世界で繰り広げられる。そして、終わりも一人。果てしなく孤独の世界であるが、そうでもない。生み出す物、生み出そうと物とのやりとりは、人と人との生み出す憎しみ怒り悲しみの終わりのない悩みに苦しむ無駄な時はないから、天国である。地獄に住みながら、天国を作り出すのだから、夢の職人である。誇りに思う。
世紀の変わり目に遭遇した者達は、この地球を本当に指揮,舵取りしているのは、姿見えなき者である不思議な力を感じ、新しき世紀の始まりと共に人間達の行く道を、ものすごい力で、軌道修正している。まさに世紀の幕開けである。いかに人間の馬鹿さが、甘さが、価値感が見直されざる終えない日々を、与えられている。なにが正しく、なにが悪なのか、まさにミキサー状態といえる。
 まだ人生なんてかっこよく語れないが、明日の見えない今だからこそ、きばって生きてもいいだろう。自分なりに、心のままに、正直にがいい。風船のように最も大切な空気に抱かれて生きれれば理想という。
 動乱と騒いでいても、時の止まったような、幾度もの動乱の時間を見てきたにもかかわらず、変わらなく、静かに姿する神社、寺、大樹、血のうけ継ぎし生命、すごいなと思う。何が大切なのか、迷った心を、癒し生きていく力を与えてくれている。ちっぽけな心に気づき、止まった足を動かしてくれる。迷う人々は、果てしなくいることを知る。恐ろしいほどの苦しみ、悩み、迷いを見てきたのだろう。無心に聞いてくれる神様の姿は偉大である。宗教など関係なく、手を合わせる場所である。昔の人々は本物の人間の知恵を、さりげなく残している。
世紀の始まりと共に人ごとでない戦争が始まった。遠い異国の出来事ではない、不気味な波動を、こんな我の心にまで感じさせている。あらゆる報道、情報の流されまくる現代に住む、さがといえる。誰に伝える訳でもないが、はっきりと持論、意志論は、持っている。言っておきたい。
 理由などは、いらない。国をあげて戦争は、してはいけない。どんな悲しみも悔しさもあっただろうが、戦争という文字があっては、いけない。幾度も繰り返されている、人間の最大の過ちとして、今を生きる人間達は、受け止め、認めて、賢く成長、進歩しているはずなのだ。喧嘩は、いいが、当事者同士だけで、勝手にやるべきである。暗黙の基本ルールと思う。許せないほどの出来事は、確かにあったが、人の数だけ、許せないほどの怒り、悲しみは、この星の中にはある。我慢し、知恵を養い、二度とくり返さない明日への平和、平穏な日々を考えるべきである。悲しみが、悲しみを生み、血の臭いが平気な子供を、作っては、いけないのだ。姿、肌の色、言葉は違っても、喜び、愛する心、そして、平和を希望する心は、同じである。平和を求めて戦争するなどとは、言わせたくない。
不思議にも、歴史的に、何かが起こる同じ日時があるものだと、驚く。良きも、悪くも時がくる。始まりも、終わりもだ。  
 時間は、絶えず色々な映像を作りだす。容赦せずに、とてつもない怪物である。なかなかコントロール出来ない。せめて,眠りの中では、そっとしてほしいと願うが、夢に眠りを脅かされる。時は、我が息の根を、止めるまで、暴れまくるのだろう。そうとわかれば、前向きに戦うさ。逃げないよ。
人の道は、落とし穴がいっぱいである。こんな落とし穴が、あったのか、と落ち込むより、歓心してしまう。ゲームそのものだ。誰が仕掛けているのかは、言うまででもなく、神様であろう。これも運命というが、自分の甘さへの結果である。
男と女の、不思議な出会いから繰り広げられる、喜劇的ドラマは、どうも避けられない、動物本能のさがらしい。お金の世界では。なく、突発事故のように、避けられず、大きく人生が、変わってしまう。結果は、だいぶしてから出る。これこそ、人の運命である。正直にあれ、である。にがてな世界と、はっきり言う。この地球に、住む生き物は、子孫を、つなぐ指命があることを、本能に焼き付けられている。それゆえに、いろいろな、ドラマが、生まれてしまうらしい。どうにも成らないし、時が解決すると、信じるしかない。見猿、聞か猿、言わ猿が、いい。また、猫のように、女は、あれ。と言おう。
ギコギコと、ドアを、こじ開ける.せき止められていた川の水が、流れ出すかのように勢いよく、運命の道が現れる。一つの、何かを見つけた瞬間に、あれも、これも、と道が、現れる。実に快感的だ。しかし、やるべき道は、見つかった嬉しさ、よりも、これからが、苦しい世界なのである。それでも、やりがいはあるし、生き甲斐にもなるだろう。立ちはだかる、壁を、乗り越えるのも,おもしろいだろう。まだまだ若い者達は、どんなにでも力はある。迷える我が、天使達を、見守るのも、我の、楽しみである。喜びを、迎えるための、涙なら、どんなにでも流れろだ。溺れかけたら、絶対に、手を出して、すくいあげてやろう。
耳に、飛び込んでくる、さまざまな出来事に、驚くよりも、無感動になっている心を、悲しく思う。すでに、人事ではない、経済末期の、静けさだろう。時に、あらゆる食材に、へんてこな、病気が次から次へと,息つくひまも与えないで、現れる。一瞬で飲み込んでしまう、何もかも、すべてを、まるで津波のように、そんな時、そこに生まれる人間模様、悲しすぎる世界が、かいまみる。誰が悪いわけでもないのに、善人の仮面をかぶった、恐ろしい悪魔が、姿をあらわす。 逃げれない何かから逃れるために、死を選ぶ。加害者のいない事件の、結末。人間の哀れに、うなずく。
死を、考えるしかないような、責め方を、反省すべきである。たまたま、耳に、目に、入った一コマなのだ。
 日本の綿入れを、羽織る。本当に、あったかいよ、と叫ぶ。冷たい部屋の中、かじかむ指先を、時折、ストーブにがざす。春を待ついさみあしの、心に、昔の人の作品は、素晴らしいと言いたい。
 過去は、今の姿を作っているから、すべて、血となり、肉となり、知恵になって、しっかりある。姿ある限り、明日も、未来もある。止まっているような時間のなかにも、しっかりと時は、何かを、刻んでいるという事を忘れるな。 
 晴れやかな日差しも、何人の目に、暖かく映っているだろうか。暗い何かが脳裏に、現れる。幸せそうな仮面も、着けることを、忘れてしまう人が増えてきた。8年前、そう、1997年の時点で、今日の姿は本当に、見えていたが、今は、どうしようもないところまで来てしまった,としか言えない。何とかなる思想の結末。これからは,地獄絵図のみである。人々の冷たい心,視線を浴びた時代とは、違い,そのような時代に、にやりと,浴びせた人々が、地獄絵図の登場人物となっている。やはり,神様は,見ている。我は、絵描きとして,筆をにぎる。実に,冷静な心に、驚く。ここで,ひとつどうしても,言っておきたいことがある。地獄迷い込んだときの心得としては、神様のように思える人が、最も心の悪い生き物であることを,知っておくべきである。神様の仮面をかぶった悪魔である。手を広げてやさしく,地獄で,息の根を,止める仕事人である。早く気が付くか,上手をいくか、意地があるかで,その後が決まる。地獄で出会う者は、地獄の住人であることを忘れてはならない。
くものいと、天より降りる 蜘蛛の糸、掴み取り糸 雲の糸なり。
 今の世界を、詩ってみました.一人遊びも,楽しい文字遊び。なにもなくとも楽しめる世界がある。こんなひとときを、幸せという。早足で、人生を歩いても,ゴール地点に待つ扉が、何なのかわからない。踏みしめながら,休みながら、歩くがいい。空を仰ぐ,首をおもいっきり曲げて,空を見てごらん。同じ空などは、まず出会えないが、地球を感じられるだろう。迷いもなく,働く蟻んこでしかないと、解れば悩みも消え去る。出来ることは何かが。思っているほど時間は、ないよ。ひとつの道ぐらいしか,選べないことを知るべきだ。争い,憎しみあっている時間の無駄に,気がつくべきである。人は,寄り添い合い生きる者、と昔の人は、文字を,作った。文字を作った人は、天才だね。現在は、恐ろしいほど、お金がない世界が,広がっている。文字のようには、ならないほどにひどい自体に,なっているようだ。どのように今と,向かい合うか,頭が白くなる。今の世の中、何でもありである。今まで経験してきた全てが、なんだったのかと思うのは、私だけではないだろう。すごい世界になっている。信頼という文字が消えた世界になっている。このような世界になってしまったことを、考えるより、どのように生きるかを考えるほうがよい。飲み込まれ、渦にまきこまれるのも、自分の責任、全ては、自分次第、自分である。誰も助けることも、協力する人もいないことに、早くきずくべきである。本当の姿,心は、見えたときは、終わりの時だからね。どんなに傷つき合いながらも、人は人に寄りそう本能の動きからは、逃れられない。生きることは、サーカスである。苦労し、見えない裏で、努力する。汗と緊張、涙と笑い、命の限界での演技、心と技、美の世界。土を踏めない生活。すごい世界である。信頼ありてなりたっている。大切な何かを見せてくれている。すばらしい。ふと 空中ブランコをしている自分の姿が浮かぶ。実に気持ちよく宙を飛んでいる。次の瞬間、受け止めてくれるはずの手がない。信頼が崩れた地獄は、取り返しの出来ない世界へと放り出された姿で脳裏劇場は、終わった。
 自分らしく生きる道と言うが、その言葉に反吐がでる。無限に不可能である。自分を知ることは、死の数秒前であろうからだ。のた打ち回り、大波、小波をしっかりと乗り越え時を体に刻み、与えられた命の炎をどのように、使いこなせるかである。
突然襲うどうにもならない運命の力に、ありったけの知恵と愛の力で立ち向かう、勝つ、乗り越えられると信じて、あがく、あがきまくる。どうして、どうして、と叫ぶ。実にむなしい、戦いも有ることを知る。助けられない、助けてやれなかった。むなしさと悔しさ、あふれる悲しみが、止めど無く押し寄せる。かわす力もなく、ただ時が過ぎ去るのを見ている、ぶざまな自分がある。
 ちぎれた糸、誰もつかんでくれない寂しい現実も、終の棲家となる町とも出会わない。日々息をして、人々を襲う悲しみ、苦しみを人事かのように、見ている。目の前を通り過ぎる風でしかない映像、限りなく不安のコ−トを身にまとい、ぬげない苦しみ人知れずだ。どんよりとした雲の中、フワリフワリ。
時間の流れが、風のごとくいろいろなところへと、つれていく。考える必要も無く、流されて行く。そこには、新しいドラマが、小さくもある。ドタバタげきのように、おもしろいが、争いの心も見え隠れする。まだまだである自分の、未熟を知る。新しい悩みもいいかもしれない。新鮮であると言ってみる。頭の体操として片付ける。どうしても受け付けない人間に出会う。さてどうする。また、逃げるのか、逃げても逃げても、いるだろう。どこにでもいる。人格を変えるほどの力は、ないし、かかわっているほど燃える心も無い。無視できればいいが、それが出来ない。難しいものである。完璧の世界など無いのに、求める心がある。自分との戦いである。やはり、一人がいいのかな。楽である。それが、逃げそのものと知っている。風よ吹け!飛ばしておくれ!と叫ぶ。どこに飛んで行くのだろうか。見えない恐怖、不安。地上は、地獄だらけである。人間達の黒い息で、町が見えないよ。沢山の命がうごめく地上が、見えないなんて困ったことだ。
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