ESSAY
ESSAY of Michi Inaba ..2009
心の日誌 Journal of Michi Inaba April of 2009
心の日誌2009.April. by Michi inaba
Journal of Michi Inaba...2009.April
時がまるで止まっていたかのような感じがするが、まるで反対の時間がこの過ぎ去った2年間にはあった。思い出せないほどのドラマそして なんとか今を迎えている。追い追い よき体験となり 文章となって現れると思う。良くも悪くも時間が去れば全て良い勉強である。さて、2009年の桜も、あっというまに散ってしまった。私はというと、もくもく、もんもんと絵を描きながら、未来、この先にどうするか、どうなるのか っと考えている日々に 自己との問答を 繰り返している始末。そんな中でも 手は止まらないで筆をもっている。ちっらっと 振り返るとものすごい数の作品が生まれていた。爪も指も変形していた。頭の中は、いつもテレビのチャンネルを変えるかのように、動いている。もっとも戦っているのは、多々の病気である。長い戦いであるが、やっとこの3月に良い医者と出会えた。苦しい体と付き合うしかないと思っていた自分だったが、1か月薬をきちんと飲んでいるうちに、まったくに近い状態に良くなった。まだまだであるが、うれしい気分である。1つの病気が次々と色々な病気を引きを越していたようだ。誤診もあったせいで、薬でがたがたになってしまっていた。気力がなく、体が思うように動かない状態で微熱と頭痛、動悸、呼吸困難、不眠...などなど よく生きていたねってさ 先生に言われてしまった。絵描きであったから 乗り越えたのかなって思う。危機一髪で病院に行った。どこか信じられない思いがあって、病院にいけなかった。病気は、容赦なく肉体を狂わせる、もっともいやな敵である。自分で治せない病気もほとんどである。いつも、いつも 誰かを信じては、失敗したり、悲しい思いをしたりしてきたせいか、いつも なにかが怖いのである。両親を亡くしてしてからだ。バッシって、強引なぐらいに指揮をとる人物が 父と母だった。どんな車も運転手が必要である。私はそうMichi Inabaという 車である。誰がこの車を 最大限に走らせてくれる人物かである。しかし 今は まずは 整備と調整を しっかりと再確認タイムだ。一人では 実際は動けないことは、はっきりしている。人とのつながり、絆 を 再びつくりあげなければならない。この10年間凍りついた心が 最近は 新たな空気がそそそぎこまれるかのように、不思議な人々の心が 私の心を しずかに包んでいる。本当に見守ってくれていた家族には、感謝である。命のある限り 皆に感謝する。だからこそ 復活の旗をあげると決断する奥底に押さえつけていた心が海面近くに浮いてきた。あと1mかな...奥底で助けの叫びは 重く重く家族には聞こえていたであろうが、皆共に 深い海底を必死にもがき、這い上がろうと泳いでいる最中である。私には、泳げないでいる体の私を 助け出すための彼らのがんばりと見えている。まったく違った才能を 分担しながら、しずかに 手をにぎりあって新しい、見知らぬ町で10年間 各自おのおのが 歩いてきた。暗闇の中をまさぐるかのように、2008年からかな、なんとなくざわざわと何かが 動き出してきたように感じている。そして2009年さらに 空気の振動を感じている。良い方向にである。が本当に失敗の多い年月が流れすぎた。1,000分の10ぐらいしか 心の平安はなかったようだとはっきり言える。もういいだろうね。病気以外でも よくぞ生きてこられたものだと 振り返る。私は いつも今と明日これから先を考えてきた。こうしてエッセイとして文にあらわし始めると 重い過去が絡んでくるから 不思議だ。経験、体験とは しっかり脳みそと体が覚えているってことである。だからこそ 同じ失敗、悲しみは 避けたいし、前に進むために 自分を変えていく、成長させなければいけないとあがく。なかなか難しいのだけれどね。全て心しだいだね。でもね、心におった深い傷は、なかなか直せないものであると知った。いっそ死んでしまったほうが楽かなって何百回も思った。もし誰も私のそばにいなかったとしたら、今はいなかったであろうね。絵の中には 作者の潜在意識が現れてしまうが、光の差し込むほうへと進む心も同時に入り込むから、日々、刻々と変わってしまう心模様が 創作者本人が もっとも驚き、各作品が 創作者を引っ張り完成となる。創作者が満足、感動した時点で本当に完成である。創作者の自己満足が出来て、自分の作品にもどるのであると思う。また 創作者の手を離れた時からは、人それぞれの目から入り心にどのように映るかは、もはや私にとっては、問題ではない。各作品が魂を持ち歩き始めるものと 言える。まさに 芸術の世界は、そんな感じですね。モチーフにより 技法も材料も違い、かかる時間も違う....値段のつけようが無い世界である。ほしい人が値段をつける、自分のものになるならばと 値段で取り合う、オークションの世界である。基本的には その世界。お金がなければ、生活は出来ないし、材料すら買えない。もちろん時間すら作れないのが現実であるから大変。それでも やめられない自分がいる。困った人生である。スポンサー、パトロン..理解者が絶対不可欠の職業である。だから 私の悩みは、想像のつかないほど大きさであるとさっししてほしいが..この地球に同じ時代を生まれ生きる人々に、私の作品がどう生きていけるかが、今の自分には、まったくわからないが、隠し持っていてもなんの答えはでてこないだろう。どんどんと 公開し、発表活動を開始する。また、商品として、なにかに変化してもいいねって考える。時代にその時代の動きがあるだろう。しかし 創作者である自分には、ビジネスに関してはかなり才能は無く、それを考え始めるとパニックになる。そう、限界はあるとはっきりいえる。
May
やっと静かな時間が訪れた土曜日の5月。心仕事に集中できずして2週間がすぎてしまった。心落ち着かない日々の中ではあったけれど なんとなく頭の中が整理されてきている。いろいろなアイデアが持ち込まれて自分の脳に入ってからが たいへんで自分に取り込み 吐き出す工程に時間がかかってしまったようだ。新しい課題をどうのように自分の姿で現せるかがである。ワクワク、ドキドキする瞬間である。1度には全てをできないけれども あきないほどのパターンが心と頭をマッサージしてくれるであろう。出来ることと苦手で出来ない事がはっきりした。わかっていてけれども やはり 体がしっかり反応していた。苦手部門は人に任せなければいけないのである。今までの失敗はそこに原因があったといえる。この1ヶ月は気力あふれ始めていたが、ビジネスの件で考え始めた瞬間から脳が何も考えられなくなってしまった。俗に言う拒絶反応ってやつ、良きアシストがそばに現れたのだから信じてまかせれば問題は解決する。そうする。
BOOKと名前をつけたファイルに 毎日1ページ自分の絵と詩をつけてそのファイルへと入れている どう思われたっていいさ こんな自分もいるんだからって開き直って指が動くままにその絵の中へと入り込み詩をあらわす。耳栓してヘッドフォーンして集中する。そうしないと小さな音でも 浮かぶ言葉が瞬間に消えてしますからである。また 1年ほど前から Blogを日課のようにして つぶやきにあわせて絵を選んだり、描いたりと自分に挑戦している。また今年からは オリジナル招き猫画のBlogを作り始めた。このBlogは、自分へに声をかけるように 言魂をのせる。世界中の誰かの心に栄養となってくれれば一番うれしい…
人間は皆それぞれ違うようだけれども、根本的な部分は共鳴すると思う。喜怒哀楽 五感は同じ。同じ時代、時間にこの地球に生きている人々、またこれからの人々にも ありのままの自分を表現できた時に共鳴する心へと入っていくだろう。
新作の絵も描かねばならないできる限り生み出す 体から吐き出すかのように絵を描く。それをしないとストレスとなってすぐに 病気になってしまう変な体をもって生まれてきている。もう51歳にもなれば慣れたけれども お金がなければ生活は出来ないのがこの世の中である。私は本当に困った人間です。どんなにも多くの人々、そして我が天使達に迷惑をかけて生きてきたのだろうかと 毎日感謝の祈りをする。長い長い時間の中で幾度も尋ねた言葉は “私は生きていていいのかな?”すると “あったりまえじゃないの生きててくれなければ困るよ”って答えてくれたかわいい天使達に救われた。もう立ち上がるよ 復活さって自分に渇をいれる今がある。呪文を唱えるかのように 渇を入れる。愛する人々のためにさ 。