MASAO.HGの本当にあった怖〜い話

毎日毎日猛暑が続きますねえ〜
^^;。昔は最高気温35℃以上など、年に1〜2回位しかなかったのに、今では当たり前になってきました。こうも暑いと皆様のトレーニングに対する集中力が欠けると思われますので、HGが皆様に何か貢献出来ないかと考えておりました。
最初は寒いオヤジギャグ大会も企画しておりましたが(笑)、やはり夏といったら怪談話でしょう。MASAO.HGが本当に体験した超常現象を3作公開致します。全てノンフィクションですので、どうかご堪能下さい^^。

Part T 地獄のエレベーター

1982年夏、当時僕は中学一年生で、部活は野球部に所属しておりました。当時の一年生の練習内容といったら、ランニング、筋トレ、球拾いで、バットはおろか、グローブの着用も許されておりませんでした。当然、部活の練習は面白くなく、フラストレーション解消の為、練習後や休みの時は、同級生数名で小学校のグラウンドに侵入して、野球を楽しんでいました。その日は、風も無く、蒸し暑い一日でしたが、保谷市立N小学校(余談ですがポストンさんの母校)のグラウンドに勝手に侵入して、プチゲームなどをやって野球を楽しんでおりました。一通り野球を満喫した後、僕がI小学校出身の連中で話題となっていた、中学校のすぐそばにあるN寺の墓地内に存在する地獄のエレベーターを見たいと言い出しました。そして5〜6名で、地獄のエレベーターを観にN寺へと向かいました。
地獄のエレベーターとは、正しく地獄に通じるエレベーターで、このエレベーターに乗ると二度と地獄から戻れないと言う言い伝えだったと思いましたが、実際見てみるとただの物置(外から鍵がかかっていて中には侵入出来ませんでしたが)だったので正直がっかりしていました。もっとゾクゾクするものだと思っていましたので、何だか期待はずれだなあ〜、と思って帰ろうとしたところ、何と前方にあった墓の塔婆が「ガタン!ガタン!ガタン!」と一定のゆったりしたリズムで前後に揺れているではありませんか。思わず僕が「あの塔婆不自然な動きしてない?今日は風も無いのに変だよね。」と言って皆がそれを見た瞬間、蜘蛛の子を散らすようにダッシュで家に帰ってしまいました。僕も怖くなって急いで家に帰りましたが^^;。
しかしあれは何だったのかなあ〜。未だに謎です。僕もこうして書いていると、本当にゾクゾクしてきました。あの時は僕ら連中以外誰もいなかったし、猫などが通って塔婆が揺れたとしても、あんな一定したリズムで動く訳ないし。まあ世の中、常識では分からない事があるものです。
そうそう、時間帯書き忘れましたが、確か夕方5時位で、外はまだ明るかったです。
次回は、「血天井に写った人影」を書きますので、乞う御期待下さい。

Part U 血天井に写った人影

1984年5月17日、当時中学三年生の僕は、修学旅行で京都に滞在していました。その日は旅行三日目で、各班ごとに嵐山コース、大原コース、金閣寺・映画村
コースの中から一つ選び、僕らの班は大原コースをチョイスしました。寂光院、三千院(銀閣寺と並び、京都の寺で僕が最も気に入っている寺)と見学し、最後に今回問題となった宝泉院を見学しました。
宝泉院の名物といったら、血天井です。血天井とは、歴史に興味が無い人でも知っている、天下分け目の合戦、関が原の戦いで石田三成率いる西軍が徳川家康率いる東軍に敗れたことは有名な話ですが、その石田三成以下数名の西軍の武将が京都の伏見城で処刑(切腹)させられました。その処刑した場所の板の間を、供養の為、寺の天井に貼り付けたという事です。血天井は他に、京都の三十三間堂の近くにある養源院にもあります。
その名の通り、天井には激痛でのたうち回ったと見られる手の痕や、首の痕などが見られました。本当にゾクッとする物なのですが、当時怖いもの知らずの僕は(笑)「天井の写真撮ってもいいですか?」と住職の方に尋ねました。「供養されているのでいいですよ。」という御返事だったので、早速天井の写真を撮りました。僕の他にも、数名写真を撮っていました。
修学旅行も無事終り、写真を現像しました。僕の撮った写真には、特に変化はなかったのですが、友達の撮った写真には、何と男の人と見られる右顔半分がくっきりと写っているではありませんか。前出した手の痕とは明らかに異質の色です。思わずその友達から30円で写真購入しました(当時は写真を友人同士で売買していました)。
高校時代は、家に遊びに来た友達に、その写真をよく見せびらかしていました^^。本当にくっきりと顔が写っていたので、皆様にも写真公開したい所ですが、残念ながらその写真は今はないです。理由は、写真を手にしてから約3年後、ネフローゼという大病を患ったのは、皆様ご存知かと思われますが、原因不明の難病にかかるのも、この写真が災いしているのかな?と両親や姉が言い出したので、退院後、近所の寺で、供養&焼却処分を依頼しました。勿論、僕の撮った血天井の写真も一緒に処分しました。
皆様も、こういう場所での写真撮影は慎みましょう。ってそんな事するの僕だけか^^;。
因みに、血天井のあるもう一つの寺、養源院には、2003年に拝観しているのですよ。当然、写真を撮る事もなく、しっかりと供養してきました。
次回は、とうとう最終回「無理心中の館」を書きますので、乞うご期待下さい。

Part V 無理心中の館
1985年5月の日曜日、当時高校一年生の僕は、男友達1人、女友達2人で、当時住んでいたマンションの集会場で遊んでいました。確か3〜4時間位、お喋りしていたと思いましたが、女友達がやたらと幽霊とか怪談話を怖がるので、「よし、これから肝試しやろう!僕怖い場所知っているので。」と皆に提案しました。当然、女友達は嫌がりましたが、「大丈夫だよ!実際は大して怖くはないから。」と嘘をついて(笑)、確か20時頃だったかな?肝試しに出掛けました。いろいろ噂になってる心霊スポット(殆どガセです)を紹介しながら、怖がる女友達を見て楽しんでいました。そして家から約400メート歩いた所で、ある一軒の立派な家を指差しました。「ここは一家が無理心中した家だよ。」と僕が言うと、女友達は当然、「ギャアアアア〜!」と言う悲鳴と共に、その場から逃げ出しました。その光景を見て、大笑いしていたのですが、その後、僕の体に異変が起こりました。原因不明の、喘息のような咳が、約一時間位続きました。流石に僕も怖くなって、必死で藁をもすがる気持ちでお経を唱えました。しかしあの時の咳は何だったのかなあ〜。
その家の主人が無理心中をしたのは本当です。その日から数ヶ月前、ラジオを聞いていたら、医者の主人が、妻、子供2人を殺害後、主人も自殺したというニュースが流れてきました。原因は忘れてしまいましたが、事件現場の住所が当時住んでいた場所からあまりにも近かったので、後日確認に行った次第です。流石にあの時は反省しました。今なら当然、そのような不謹慎な事は絶対にしませんが。
因みに、その家は新築で結構立派な家でしたが、売家に出され、当然?買い手も見つからず、取り壊されてアパートに生まれ変わりました。「アパートの住人は、きっと何も知らないんだよなあ〜。」と、当時少し気の毒に思っていたものでした。1988年に僕は家族共々引っ越してしまったので、あれから20年位その場所を見ていません。従って、現在はどうなっているかは不明ですが。
以上3回に渡って、MASAO.HGの本当にあった怖〜い話をお話しました。全て実話です。どうでしたか?
「なあ〜んだ。大した事ないなあ〜」そう思って頂いたのなら、それはそれで結構です。僕には霊感がないと言う事ですので^^。恐怖体験は、無いに越した事はないですよね(笑)。

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