自筆の題字を用いた
手の変幻』(1966)とびら










清岡卓行詩集』[特装限定版]
(1970)に綴じ込まれた肉筆原稿










幼い夢と』[特装限定版]
(1982)に綴じ込まれた肉筆原稿

おそらく1970年ごろのことだったろう。清岡卓行は、詩人であり詩学社の編集者でもあった嵯峨信之から、現代詩人の肉筆によるアンソロジーの企画をもちかけられる。1971年、『イブへの頌』というタイトルのもとに実を結ぶことになったこのアンソロジーの冒頭を飾ったのは、編者である清岡の「まえがき」であった。その「まえがき」は、昂揚した甘美さを響かせながらも同時に、「詩人の筆蹟の美」についての硬質な洞察を示している。

「詩人たちが自らその詩作品を書きしるす筆蹟には、特異な運命の矛盾にあやつられている、個性的で無垢な美しさの芽生えがあると言えないだろうか。
 詩人たちがそれぞれの好みで、本能的に形や勢いを整えようとしたそれらの文字は、一方において、無意識的な文字自体の美しさの芽生えの状態のまま氷りつこうとし、もう一方において、自らを手段として抹殺することにより、言語そのものの美しさの証明にほかならぬ詩作品を、この世の中に残そうと試みているのである。
 詩人たちが自分の詩作品を書きしるす筆蹟は、こうした密かな矛盾を、不断に激しく生きている。そして、そのことを、ほとんど誰にも知られずに、そのまま消えて死んでいく。
 それは、譬えて言うなら、地球の上に舞い落ちる、人間の言語活動の、最も儚く美しい枯葉ではないだろうか。」

(清岡卓行『イブへの頌』まえがき)

では、そのような清岡自身の筆蹟は他者の目に、とりわけ他の詩人の炯眼に、どのように映り込んでいたのだろうか。編集者として清岡を担当していたこともあった平出隆の言葉を引いてみよう。

「清岡さんの手蹟をのせた生原稿を見ていく仕事の中で、私はそのボールペンの尖端で紙を鋭く彫り込んだような筆はこびに、いつも「ふしぎ」な感覚あるいは感情を抱かされたのである。清岡さんの筆蹟をはじめて見たのが、ほかならぬ『手の変幻』の化粧扉の題字と著者名であったことと、そのことはどうやら深いかかわりがあるように思えた。「手」を主題にした本の扉に(そして奥付にも)そっと飾られた著者自身の「手」の蹟、それが、長い年月をへても自分の中にくっきりと刻まれていることに、私は言葉を介して世界を知ることの有機的な秘密の核にふれるような、「ふしぎ」な思いがしたものである。
 『手の変幻』の随所に見られるような、あるいは「失われた両腕」に凝縮されてあらわれているような、真正な形象愛と造型的思考が、このように一字一字、筆圧高く丁寧に彫り込まれて生れたものであることに、私はあらためて驚いた。まさしく思考も、対象への愛も、手をとおしてしか生れえなかったものだったのだ、というように。そしてときに、あたらしく書かれた原稿の中に「ふしぎ」と彫り込まれている文字を見つけては、その鋭角的であると同時にどこか愛らしくもある文字の表情に身を乗り出してしまうことさえあったのである。」

(平出隆「ふしぎの手」、
手の変幻』文庫版あとがき)






マロニエの花が言った』連載第一回目原稿