
メディアによってイメージが捻じ曲げられることを嘆く松山市長
メディアリテラシー講演『司馬遼太郎の語りたかった夢と人』松山市長 中村時広
質問
私はこの講演会を主催している栗原先生の授業を受けていまして、メディアリテラシーというか、メディアが作るイメージ操作について習っています。先ほどの講演では秋山兄弟が誤解されているという話がありましたし、新聞では“戦争賛美”であるとか、そういう批判も見うけられて、私自身は違和感を感じています。このように松山市のやろうとしていることが、メディアなどによって、イメージが捻じ曲げられたりすることはあるのでしょうか。 中村市長 ありますね。だから逆にいえば、私もメディアに対して、着想や文章がおかしいときは徹底的に苦情を言います。「こんな主張はおかしいじゃないですか」と。私はメディアの立場ではないので、「これを載せてもらわなかったら、これは大きな問題になります」「これは偏りすぎているじゃないか」ということで、常にチェックアンドバランスを働かせるようにはしていますが、載せる載せないはあちらの自由ですから、弱い所はありますね。まあ、人間の書くことですから。放送にしてもテレビにしても。 テレビは、今は政治をやっている人間からすると、これは怒られるかもしれないのですが、今の国政というのはつまらないですよ。なぜかと言うと、テレビ受けする人間がどんどん出てきて、「一体何やっているんだ、この人」と思うわけです。 たとえば、名前を出して悪いのですが、杉村太蔵君などは、彼が日々何をやっているか、さっぱり分からない。彼がどういう哲学を持っているのか、どういう政策を持っているのか分からない。政治家は、国政だったら国の方向性を決める重大な使命を持っているわけです。市なら松山市に対する使命感。その自覚と政策と理念とを持って初めて仕事が成り立っていくと思っているのですが、彼にはそれが見えないのです。たとえばフリーターを集めて、「僕は気持ちが分かります」と言いました。誰だって「良い人だなあ」と思うでしょうが、「それで、何をするの」というのが見えない。 しかしマスコミはそれを作るわけですね。すると見る方は何も考えなくて、「よくテレビに出ているから、いいなあ」と拍手を送る。だから非常に怖さを感じるときがありますね。そこを、「では、変えてくれ」と言っても、変えないですね。やはり視聴率中心ということも前面に出てしまうのでしょう。 新聞の場合には、「新聞は絶対正しい」とか「新聞が間違ったことを書くはずがない」と捉えている人は結構多いですね。しかし人間のやることだから、決してそんなことはない。だからそのためにも、いろんな角度から、あるいは視野を広く持って、「いや、これはおかしいんじゃないのか」と考える。たとえばアメリカの新聞は、もうすでに国民がそういう目で見ていますね。こちらの新聞を見たら右寄りのことが書いてあるが、あちらの新聞を見たら正反対のことが書いてある。これは当たり前のことなんです。そして国民はそれをどちらも信用してないんです。まず、「こんなことを言っているけど、これはどうなのかねえ」「おかしいんじゃないの」というところで、マスメディアとの向き合い方をしています。だから割とそういう目がバランスを保っている力になっていますが、日本の場合は「新聞は、マスコミはまず正しい、だろう」という前提になってしまっているところに、比較論で言えば、少し怖さがあるのかなあという感じがしますね。 例になるかどうか分かりませんが、マスコミの報道が絶対ではないと感じたのは、たとえば昔、私は商社にいて、中近東の仕事をしていました。当時はイランとイラクが戦争をしていました。たまに日本のニュースでは、テヘラン市内(イラン)にロケット弾が撃ち込まれたなんていう映像を、ともかく一番悲惨な映像を流しまくるわけです。そうすると、それを受けとめた我々は、マスコミは正しいことを常に報道していると思うから、この惨劇が毎日のように続いていて大惨事になっていると、そういうイメージで受けとめてしまうのです。私はそのとき仕事で行っていたんですが、平和でした、普段は。確かに、時折飛んでくる、時折。でも普段は日常生活は何ともない。東京や松山と同じように、みんな生活しているわけです。その部分は全然放送されないわけです。そうすると偏った情報しか流れてこないから、受けとめる側が大きな勘違いをすることもあるだろうなあという感じはしましたね。特に海外のニュースでは、そういう傾向があるのではないでしょうか。ただ実際には、たまにはそれが起こるんですよ。絶対安全とは言えない。 こんなこともありました。東京のオフィスで深夜働いているときに、帰ろうかなあと思っていたら、突然テレックスが、当時はインターネットがないからテレックスという情報手段で海外とのやり取りしていたんですが、それがカタカタ、カタカタと鳴るわけです。なんだろうなあと思ったら、「テヘラン市内で銃撃戦始まる。社員○○、未だ帰らず」。そんなニュースが突然飛び込んできたこともありました。確かに日本では考えられないようなリスクがあるけれども、マスコミを通じて報道されている姿が全ての日常に拡大的に解釈出来るかというと、そうではないところもあるのです。