歴史教科書を巡って その1

 

1  肯定することの方がより大切

○橋爪大三郎氏「歴史教科書をどう考えるか」(夏目書房編集部『どうちがうの?新しい歴史教科書VS.いままでの歴史教科書』夏目書房刊1,000円+税)

 日本は、民主主義国家として、つぎのような原則により行動すべきだと思う。

 第一に、政府(国家権力)が、教科書の編集に関与しないという原則を貫く。

 戦前の歴史教科書は「国定」で、政府が皇国史観をおしつけるためのものだった。現在の「検定」は、あくまでも間違いをチェックするのが目的。教科書を編集・出版する主体は政府と関係ない民間企業である。さまざまな教科書が出版されるのはよいことなのだ。河野外相が、教科書問題で抗議を受けて、外国にも配慮すると約束したのは、この原則を危うくすることになり、大失敗だった。

 中国など外国政府が、民主主義の原則を理解せず、教科書問題をなんとかしろと日本政府に申し入れてきても、なにも約束してはいけない。ねばり強く、日本の民主主義の原則(政府が歴史教科書の内容にタッチできないこと)を説明する。そして外国政府こそ、特定の歴史を国民に押しつける政策をとっていないか、厳しく批判する目を持つ。

 第二に、歴史と歴史教科書の多様性にたじろがず、むしろよいことだと受け止める。

 自由に出版できるはずの教科書が、これまで型にはまりすぎていた。学習指導要領のせいもあるだろうが、もっと根本には、法的根拠のあやふやな政府の行政指導でもやすやすと受け入れてしまう国民の体質があった。英語圏の歴史教科書をみると、ぶ厚くて、資料批判やそれにもとづくクラス討論でもできるよう丁寧につくってある。多様な歴史がありうると受け入れるからこそ、論争が可能になり、論争が可能だからこそ、強靭で柔軟な歴史のストーリーが鍛えられる

 歴史の専門家は、じつは歴史教科書の書き手としてあまり適任でない。専門が時代区分で細切れになっているいえ、ふつう、哲学や、思想や、表現者としての訓練もない。西尾幹二さんみたいに、一人で全体を書いたほうが、よいものができる。

 第三に、歴史が現在をよりよく生きるためのものだと、はっきり認識する。

 人間は、過ちを犯す。人間の集団である団体(たとえば、国民国家)も、過ちを犯す。過去を知らず、歴史に学ばなければ、同じ過ちを犯すだろう。だから、侵略や戦争犯罪など、国家の侵した過ちやそれを支持した国民の過ちについて、よく知ることは大切だ。

 けれども、これはものごとの反面である。もう反面は、そうやって歴史に学ぼうとしている人々の団体(例えば、日本)を肯定すること。自分達に誇りをもち、よりよい未来を作りだすために現在を生きることも大切だ。

 歴史にはこの両方が必要だし、バランスも必要になる。そして、どちらが基本かと言えば、それは後者なのだ。ひとは、過去の過ちから学ぶことができるが、それは希望があるからだ。希望とはなにかといえば、自分がこの団体に所属するのはいいことだ、と思えることである。さもないと、過去から学ぶことができないどころか、そもそも歴史ということが成り立たず、ただのニヒリズムになる。

 戦後民主主義には、国家や政府に反対するのが市民だという勘違いがあったので、後者があいまいになった。そこで、歴史を学べば学ぶほど誇りが持てなくなる「自虐史観」だと批判された。いっぽうその反動で、事実認識をねじまげて誇りを持とうとすれば、「皇国史観」だと批判された。どんな事実にも目をつむらず、しかも歴史に誇りをもつ。絶妙なバランスを生み出す努力が、歴史というものなのだ。

 それぞれの国には、それぞれの誇りがあり、歴史がある。

 すべての国ぐにが合意できる、唯一の歴史があるわけではない。歴史は、人びとの認識

や価値観が多様であるように、多様であらざるをえない。

 そこで、それぞれの国の歴史のなかみがくい違い、矛盾したとしても、あわてなくてよい。

 政府はこの問題に深入りしないのが正しい。

 そのかわりに、ふつうの人びとが、互いの国の歴史について、関心と敬意をもつことである。歴史をめぐる対話が、こうして始まる。「唯一の正しい歴史」はなにかと考えるから喧嘩になる。歴史は多様であると覚悟して、相手の歴史から互いに学ぼうとするゆとりが大事だ。

 こういう対話のなかから、どの国の人びとも、それぞれ真剣に歴史を考えているのだという信頼がうまれれば、この問題は解決したようなものなのである。

 

2  歴史を現在の道徳で裁くのはやめよう

大月隆寛さん(つくる会の前事務局長)の橋爪大三郎氏「歴史教科書をどう考えるか」への「総講評」

 私は、このたび初めて『新しい歴史教科書』を(各地の採択が密室で決められてしまう前に)読む機会があった。市販されたからである。市販をなじる人々、市販を禁じる訴訟まで起こしたヒステリー教師たちには、民主主義を擁護しようという気概が完全に欠落している

 これらの人びとにとって、一九六〇年代のような反動的(自称は革新)運動に携わるほかの場所がすでに消失しているので、最後の砦として歴史教科書における既得権確保に全エネルギーを注いでいる。そのような事態に同情はするものの、彼らが過去にいったい何をしてきたかは、確認しておく必要がある。

 ごく普通の会社員をしている私と同世代の人々に尋ねてみると、かつて自称民主主義的教師たちから、およそ次のような”訓示”を授業のなかで聞かされた例は非常に多い。

 「親が自衛隊の者はいるか。手を挙げてみろ。君たちの親は憲法違反なんだぞ。知っているのか。警察官だって同じようなものだ」

 私は職業柄、疑ってかかるのが商売なので、そのように名指しされた教師たちは誰なのかを確認し、その同級生や名指しされた教師たちは誰なのかを確認し、その同級生や名指しされた多くの教師たちの連絡先を教えてもらって確認をとってみた。すべて本当だった。そして、一人の例外もなく教職員組合に熱心な教師たちであり、そのほとんどが家永裁判の支援者だった。

 彼らが最近、扶桑社版に拒絶反応を示す最大公約数は、以下のような記述にあった。

それ{第一次世界大戦}まで世界を支配していた戦争観は、核兵器を経験した現代の戦争観とはまったく異質のものだった。各国は比較的、安易に戦争に訴えた。戦争は外交の手段であり、政治の延長だった。負ければ賠償金を払い、領土を失うが、国民全体が道徳的責任を問われるようなことはない。>

 扶桑社版の「歴史を学ぶとは」(前書き)には、こうある。

歴史に善悪を当てはめ、現在の道徳で裁く裁判の場にすることもやめよう

 すくなくともこのような点に関し、私は扶桑社版を評価する。こんなあたりまえのことを、これまでの教科書は、偏狭なイデオロギーと既得権確保のために避け続けてきたのである。

 

3  教師の本性を生徒は見抜く

教育の実際ということからいくと教科書の右左はもとより教師の右左もどうでもいいことのような気がします。生徒というのはもっと別のところが印象に残るものだし,教師が苦労するのも政治的見解の部分ではないはずです。「侵略戦争を批判する」といいながら実は自分のルサンチマン(怨念)を発散させるために自国の過去を糾弾する教師はその本性を生徒(の多く)の無意識は見抜くし,バリバリの左翼教師であっても硫黄島や沖縄のところで声がほんのちょっと詰まっただけで,生徒(の多く)はこの先生はいい人だ,ということを直観するはずです。

 

4  より正しいと考え「転向」してゆく

中央公論9月号で村井淳志という人(金沢大学教育学部助教授)が[もう一つの「新しい歴史教科書」を提案する]と題して次のように書いています。

 ・私自身は「つくる会」教科書に批判的である。しかしまず、「つくる会」教科書を批判する人々の間で確認しておいたほうがよいことがある。それは日本には、「つくる会」のような歴史観に共鳴し、それに沿った歴史叙述を求める読者・学習者が、無視できない比率で存在する、という事実である。したがって、たとえ学校からそうした歴史観を締め出したとしても、卒業後子どもたちはどこかで必ずそうした歴史に出くわす。未知の事実を知らされた学習者は、自分にとって新鮮な歴史観のほうをより正しいと考え「転向」してゆくp.112

 ・また「つくる会」を支持する教師は、たとえ勤務地の採択地区が「つくる会」教科書を採択しなくても、市販版「つくる会」教科書をプリントして子どもたちに配付することは確実である。それを止めることはできないし、止めるべきでもないp.113

 

5  愛媛新聞の報道は異常そのもの

 最近のメディアは正常心を失いかけているものが少なくありません。例えば、200189日の愛媛新聞での県教委教科書採択決定に関する報道は異常そのものです。1面を含む3頁に跨がって採択側を悪玉、反対側を善玉として、「愛媛県教委へ抗議を!」と読者を誘導しています。この異常さについては私の知人の愛媛新聞社OBも、嘆いていました。戦後、改革が全く進んでいないのが、実質的寡占状態にあぐらをかいているマスコミそのもので、愛媛新聞社もその典型だそうです。

 

6  扶桑社本の養護学校採択は適切

櫻田淳氏「扶桑社本の養護学校採択は適切」(『産経新聞』8月28日付朝刊「正論欄」)

 「実際のところ、障害を持つ子供にとって、養護学校を卒業した後に出て行くことになる実社会は、『善意に満ちた空間』などではない。障害をもつ幾多の人々にとって、実社会での諸々の困難に挫けずに自分の立場を守っていく日常は、『平和』よりも『闘争』の言葉で形容するに相応しいものであろうし、その現実に相対する際、『人権』といった抽象的な概念は、あまり役に立つものではない。

 とすれば、障害を持つ子供にとって大事なことは、その障害の種類や程度によって、自らの限られた能力を極限まで伸ばす機会を手にすることである。その一環として、もし知力の鍛錬が求められるならば、却って難解と評される『歯ごたえのある教科書』の方が、その目的に沿うはずである。扶桑社刊教科書批判に与する人々は、どのように、この辺りの事情を考えているのであろうか。」

 「私は、『何故、養護学校なのか』との問いが、扶桑社刊教科書の中身に対する批判の根拠としては、薄弱であるということだけは指摘しておく。差別や偏見を糾弾する人々が、実は期せずして差別感情や偏見に囚われている点で、最も度し難い存在であるということもある。扶桑社刊教科書をめぐる内外を巻き込んだ騒動の過程で、このことを垣間見たのは、私には誠に後味の悪いものであった。」

 

7  加戸守行知事が市民団体との面会拒否

教科書問題 加戸守行知事が市民団体との面会拒否 職員ともみ合いに /愛媛

  県教委が県立のろう学校と養護学校の一部で、「新しい歴史教科書をつくる会」のメンバーらが執筆した中学歴史教科書を採択した問題で、採択に反対する市民グループが27日、県議会の休憩時間に加戸守行知事への面会を求めたが、知事側は拒否。強行に話し合いに入ろうとする市民グループ側と県職員がもみ合いになる騒ぎが起きた。

  このグループは「新しい教科書と教育を考える市民ネットワークえひめ」などのメンバー。以前から話し合いを求めてきたが、面会が実現しなかったため、昼休み時間を利用して、直接行動に出たという。

  知事室に帰ろうとする加戸知事に、十数人のメンバーが詰め寄った。加戸知事は「これまでの話で実りがあったことがないので、お話しすることはない」と話し合いを拒否した。同ネットワークの高井弘之さんは「今まで2回面会を求めたが、全部面会を拒否された。開かれた県政をうたうなら、市民に会うのは当然」と話していた。

  一方、県議会の一般質問では、阿部悦子議員(環境市民)が「知事が教育長に感想を伝えたことが採択に影響を与えた。教育基本法違反ではないか」と質問。加戸知事は「教育長に感想を言ったことが、違反だとは思わない」と、従来の見解を繰り返した。

  【野口あづさ】 (毎日新聞)  [928215分更新]

 

8  マイナスイメージを子供に刷り込むことを最大の目的

文春文庫「こんな歴史に誰がした」(渡部昇一・谷沢永一 著、552円)を是非読んでください。各教科書出版会社が長年作り続けてきた日本を貶める歴史教科書が、何故そのような方針で編集されてきたのかが、白日の下に曝されています。

 以前の私は単純に、教科書の採用決定が「日教組の教師達」にまかされているので、彼等の気に入るように作らなければ買ってもらえないためだろうと想像していました。しかし、この本を読んでみると、勿論そのような基本方針がある上に「闇の検閲組織があることがわかりました。ここにも『同○運動の活動組織」が取付いているのです。彼等にとって「日本史」とは、先祖が歴史の最下層を生きてきた屈辱史にほかならず、日本の華々しい歴史など憎しみの対象に過ぎないのでしょう。「日本は悪いことばかりしてきた、日本人は極悪人である」というマイナスイメージを子供に刷り込むことを最大の目的にしているようです。

 各地の教育委員会や採択関係者は、表向き、「中国や韓国に配慮しなければならないから・・・」それには扶桑社の歴史教科書はふさわしくないなどといいますが、それは口実で、実態は『同○活動者」の圧力に屈服したのです。強面・大物と怖がられる政治家の一人もそのような出自ですから、政治家が恐いNHKの最近の偏向ぶりもにも納得がゆきます。教科書の採択システムを変えない限り、権力者におもねて商売をする出版業者はなくならないでしょう。いくら執筆者や出版社をなじっても意味がありません。日本の子供の健全な成長をねがう多くの国民など眼中になく「中国や韓国に配慮する」という隠蓑で、歴史を汚し・歪曲する本当の悪の存在を理解しましょう。

 

9  次のような教科書を選べと組合員に指示

サヨクは「新しい歴史教科書」を「欠陥」としていますが、それでは日教組が選ぶ教科書は「適正」なんでしょうかね?

       岡山県の例をみてみると、次のような教科書を選べと組合員に指示しています。

       古代文明のおこり⇒「奴隷社会」であったことにふれているか。

       弥 生 時 代 ⇒「貧富の差」「支配者と被支配者の発生」にふれているか。

       大和政権の成立 ⇒皇室は大和地方の豪族の一つとして記述しているか。

       聖 徳 太 子 ⇒業績を過大評価していないか。

       神     話 ⇒神話のつくられた意図についてふれているか。(皇室支配の正当性をはかった)

       律 令 政 治 ⇒古代の賤民制度にふれているかどうか。

       信長・秀吉の統一⇒「村の自治」を破壊し、農民の抵抗をおさえつけ、封建制度の土台をつくりあげたことにふれているか。

       秀吉の朝鮮侵略 ⇒出兵の理由は侵略としているか。朝鮮民衆の動きを書いているか。

       五箇条の御誓文 ⇒民衆統治の方針は、「五箇条の御誓文」のによって示されたが、民衆の期待にそわなかったことにふれているか。

       明 治 憲 法 ⇒憲法が欽定憲法として国民に押しつけられたことを記述しているか。

                議会の権限が小さい、基本的人権の保障が不十分、天皇の権限が絶対的に大きいことに触れているか。

       教 育 勅 語 ⇒天皇中心の国家主義教育が強制されたことにふれているか。

       日 清 戦 争 ⇒日本のしかけた侵略戦争であり、中国人・朝鮮人への蔑視のはじまりであったことをおさえているか。

       第一次世界大戦 ⇒帝国主義戦争としてとらえているか。日本の参戦の意図が中国侵略にあったことをおさえているか。

       シ ア 革命 ⇒社会主義の歴史的意義を教えているか。

       関 東 大震災 ⇒朝鮮人の虐殺・大杉栄ら社会主義者の虐殺にふれているか。

       世 界 大恐慌 ⇒資本主義のゆきづまりとしてとらえているか。社会主義国ソ連には影響がなかったことにふれているか。

       第二次世界大戦と⇒日中戦争の継続としてとらえているか。アジア諸国に対して加害者であった太平洋戦争ことにふれているか。

                朝鮮人・中国人の強制連行にふれているか。(在日韓国人・朝鮮人問題、従軍慰安婦問題)

                記述、写真、統計により、戦争の悲惨さに迫っているか。

       どーです!お客さん!(爆)

       開いた口が塞がらないでしょう。さぁ、歴史をねじ曲げているのはだれでしょう?

       こんな教科書、まともな人なら読んでられませんけどね。

 

10  反対している勢力の中心は共産主義者

○中村勝範氏「教科書採択問題が教えたもの」(『正論』10月号)

これは「随筆欄」に収められた短文だが非常にシャープで明快。やや長めに引いておく。

 要するに扶桑社版教科書採択に反対している勢力の中心は共産党、旧社会党・総評系、過激諸派というが、一言にしていえば共産主義者である。共産主義者が扶桑社版教科書に反対するのは当然である。なぜならば共産主義者は過去及び現在の真なるもの、美なるもの、善なるものをことごとく否定することをもって、かれらの信条の中核とするからである。

 過去の日本に存在し、いまなお存在しているものの唯の一つでも肯定すると、それがブレーキとなり、日本革命は遂行されない。かれらの目的は過去を抹殺し、現在を全否定することにより、日本革命の完遂を狙う。したがって、かれらの使用すべき教科書は「日本暗黒史観」であることが望ましい。

 しかるに扶桑社版歴史教科書は有史以来、日本人が営々として積み重ねてきた世界に誇りうる真善美を再発見し、集大成したものである。いわば日本ルネッサンスのシンボルである。

 これがあまねく中学校で採択されたならば、共産主義者たちがここ半世紀以上にわたり反日排日教育を日本暗黒史観教科書により徹底して構築してきた共産主義革命の基盤が崩壊する。テロによってでも阻止しなくてはならない理由はここにある。

 不採択運動が扶桑社の教科書だけを狙ったことは、他社の教科書は共産主義者の革命遂行に都合よくできていることを示している。また民主党の代表、幹事長が扶桑社教科書を国の内外において反対したのは、党の基盤が旧総評系共産主義的労組によって支えられているからである。教科書採択問題は日本の深層における病理をいやというほどに示した。

 

11  マルクス主義の呪縛の強さ

「共産主義者が扶桑社教科書に反対するのは当然」と主張する中村勝範氏「教科書採択問題が教えたもの」(『正論』10月号)への感想

    日本の知識階級に対する、マルクス主義の呪縛の強さと、それに伴う、非人間性、常識的な日本の庶民の考えの違い、というより、懸絶を私は何十年来考えさせられ続けてきました。

     私が高校生だか、大学生の時でしたから、もう40年以上前の話ですが、当時自由党の副総理の緒方竹虎代議士が「日本各地の演説で、中立条約を一方的に破り攻め込んできた、ソ連を批判すると非常に受ける」と語っていたのが記憶に残っています。これは当時の、普通の日本人の国民感情としては至極もっともなことでした。

     日本との血みどろの戦いで、大変な数の戦死傷者を出したアメリカと全く異なり、一方的.火事場泥棒的に、満州、カラフトになだれこみ、在留邦人に数々暴虐をつくした上(ドイツにおけるソ連軍も酷いものでした)武装解除された日本の将兵をシベリヤに連れて行き、酷寒の地で強制労働させて、多数の死者を出した、スターリンのソ連に対して、日本の多くのサイレントマジョリティは怒りをもっていました。

     しかし、論壇においては、ソ連を正面きって非難するのを憚る空気が強く、ソ連批判はほとんどありませんでしたし、大学や高校の学園祭では、反米親ソ一色でした。今でも当時のソ連のやった、特に酷いことの実態(葛根廟大虐殺、佐渡開拓団虐殺、留萌沖三船、潜水艦攻撃等)はほとんど一般には知られていません。

     どうみても、「非道」としか言いようの無い、シベリヤ抑留についても、なにかと正当化して弁護しようとする、左翼学者は何人もいました。抑留された、将兵と家族の身を思いやって、ソ連非難の論陣を張る人は少数でした。ハバロフスクの日本人戦犯収容所(ふざけた名前で、まったく腹が立ちます)を訪れた、左派社会党の国会議員たちも、帰国してそのひどい実態を、国民には知らせませんでした。イデオロギーにとらわれ、コミンテルンの総本山、ソ連に傷がつくのを恐れたためです。

     講和条約の時も、知識人の大半は、ソ連を含む全面講和を唱え、雑誌「世界」(今とは違い、はるかに権威がありました)の講和問題特集号は、ほんの僅かの賛成者を除き、全面講和論者で埋められました。中国大陸の共産化、朝鮮戦争、スターリンによる東欧諸国の共産化等、厳しい東西対立の中での全面講和は、どうみても非現実的でした。

     「現実に出来もしない、結果的には左翼に有利(=革命にプラス)なことを要求する」という発想は、昔も今も全く変わっていない、と考えます。ペルーのときもそうでしたが、左翼マスコミのテロリスト非難は、上っ面だけで、法と道徳を無視したテロリストに対する怒りに「実」が感じられませんでした。

     今回の、原陽子発言、などはそのよい例で、殺人鬼、テロリストに対する怒りは強く感じられません。アメリカ、「悪」 左翼「善」的な発想で固まってしまっているため、現場で救出作業中亡くなった何百人の消防士やその家族、その他大勢の犠牲者のことなど考えずに、すぐにあのような発言がでることは、シベリヤ抑留の同朋とその家族のことを思いやらなかった、左翼知識人や左翼議員と同じ、左翼人士の非人間的な酷薄さと同根です。ペルー日本大使館のとき、「朝日」は具体策は何一つ出さず(出せず)支離滅裂なことを言っていました。(井沢、小林、「朝日新聞の正義、小学館文庫」)

 

12  韓国人の教科書観を変えねばならない

○呉善花氏「韓国人から見た日本」(『日本の教育』490号)

日本教師会の機関紙に載った呉氏の講演要旨(文責は同紙編集部)。教科書問題に言及しておられるので良識派韓国人の発言として紹介する。

 来日して十八年になった。日本と韓国は、顔は変わらないし文化もかなり似ている。しかしどこの国でもその国民性がありそこに違いがある筈なのに、日本と韓国は余りにも似ている部分が多いので違いを認めようとしない。そこが今大きな日韓トラブルの原因となっている。韓国で盛んな反日感情があるが、よく見ると国民性の違いから来るものだが、韓国人は総て韓国の価値観に当てはめて日本を見ようとするから、そこでずれが生じるのと、それは何故かと考えないで、日本人はおかしいと騒ぐ。反日感情のもとになっているのは新しい歴史教科書の問題である。

 これには韓国人の教科書観を変えねばならない。日本の教科書検定を、国家が内容を決める制度であるかのように考え、教科書の内容を国家意志と錯覚しているところがある。その根本にあるものは何か。それは国家が国民に正しい教育を与えることによって、正しい国民の考え方が作られるという権威主義がある。この考えの源にあるのは、豊かな文明を発展させている中華文明が周辺の野蛮な異族の国を教訓して文化を与えることによって秩序が保たれるという中華主義である。韓国では中国以上に中華主義が強く、李氏朝鮮時代から日韓併合の前まで約五〇〇年、徹底した中華主義を護ることを通した。日本のような周辺の異族の野蛮国を感化することが李氏朝鮮としてやるべきことであるとした。李朝は科挙制度で優秀な人材を中央に集め官僚として国を治めた。この考えは未だに頑固にある。そのために官僚、教師、弁護士などの知識人がことさらに尊敬の対象となっている。そして知識人ほど愛国者とされ、教育のない者は愛国心の弱い者とされていた。

 この様な教育以前の価値観が教科書の内容を極度に重要視することにつながる訳であるが、教育が人をつくるといっても日本ではそれは学校教育に限られるものでなく、寧ろ社会的な人間関係や体験の方に力点が置かれると思うが、韓国では学校教育こそが国民の思想を作ると考えている。だから日本の教科書の内容について色々言うのである。このように日本のことを理解できない韓国を見ていると、日本人からすればいつかは韓国は変わるだろうという発想があるであろうが、固い価値観が韓国人にある為に中々理解できない所に問題があると思われる。先ずは日本の教科書のあり方、或いは世界的なレベルでの教科書のあり方はどんなものかと、韓国人に説明していくことが何よりも先決だと思う。今の反日感情は嘗てより強いものではない。マスコミや知識人たちが声を大きく上げているが、一般の人たちはやはり日本、日本であって前よりは柔らかいと私は見ている。

 (中略)

 韓国と日本で全く違った国民性が作られているのは、今の韓国人を知るためには精々中世まで遡っていけば大体分る。韓国は強大な大陸に近いために、いつも大きな文明に圧倒されてきた。だから古いものは次第に薄れ無くなって、常に新しいもの、新しいものとなっていった。ところが日本は、古い時代から自然その侭の感性、感覚が今なお生きている所に特徴がある。これは大陸から適当に離れていたことが大きい。日本は小さいというけれど、沖縄から北海道まで、かなり大きな一つの文明国といえる土地柄である。この中で作られた基本が今なお生きている。

 

13 ”野蛮”で”残酷”な日本人

中国の歴史教科書の話を紹介します。

 

”野蛮”で”残酷”な日本人 中国の教科書における日本・日本人

  弓削俊洋(愛媛大学法文学部人文学科教授 中国近代文学論)

    @域際交流学研究会第1回公開講演会2002.4.20

 

1 アンケート調査

 ・中国人は日本人が嫌い(好き10% 対 嫌い34%)だが、日本人は中国人が好き(好き29% 対 嫌い19%@1997 ただし、好き29%19%に低下@2001

 ・中国青年の日本認識@1997

  ・日本に対する全体的印象 大好き2% 好き13% 一般44% 嫌い27% 大嫌い14%

     嫌い+大嫌い41%62%に増加@2001 

  ・日本人のイメージ 残忍 闘争を好む 傲慢 熱狂的

  ・日本からすぐ連想するもの 日本鬼子と抗日戦争81% 南京大虐殺81% 武士道58% 桜の花51% 電気器具49% 富士山48% 

 

2 教科書のなかの日本人(小・中学教科書より)

 ・日清戦争 : 日本侵略軍は旅順で狂ったようにわが国の同胞を虐殺し、殉難者は18000人余りにのぼった。

 ・済南事件 : 日本軍はまず彼(国民党の北伐に際して生じた済南事件時の国民政府交渉人)の耳と鼻を切り取って眼をえぐり、それから彼を殺害した。

 ・満州事変 : 東北3000万の同胞は日本軍の残虐行為のもと、徹底的に抑圧され侮辱された。

 ・南京大屠殺 : 日本軍は南京を占領すると、なんと公然と5週間にもわたる血なまぐさい大虐殺を行った。日本侵略軍は中国の兵士と民衆を縛りあげ、機銃掃射し、生き埋めにさえし、さらに南京城内で人を殺して楽しみ、殺人競争を行った。南京大虐殺では、30余万の中国人民が無惨に殺戮された。日本侵略軍は中国で極悪非道の罪を犯した。

穴埋め問題] 193712月、日本侵略軍は国民政府の所在地であった( )を攻め落とすと、そこで身に寸鉄も帯びない( )万人以上にものぼる中国人住民を虐殺した。

 ・石井部隊 : 捕らえた中国人を、細菌注射や汚染した食物や飲料を与える実験などを行い、生きた人間の解剖さえ行った。

 ・万人坑 : 日本の侵略者は、血や汗を搾り取られて労働能力を失った坑夫を大量に荒野に放置し、彼らを無惨にも餓死させて、白骨が累々と続く「万人坑」となった。

 ・三光作戦 : 焼き尽くし、殺し尽くし、奪い尽くすという野蛮な「三光政策」を実行して、抗日根拠地を徹底的に消滅させようとした。 

 ・子供の殺害 : 

 

3 教科書以外の歴史教育

 ・博物館 侵華日軍南京大屠殺遇難同胞記念館(南京) 抗日戦争記念館(北京)

 ・映画 赤いコーリャン 鬼子来了 

 

4 歴史教育の「成果」

 ・日本が本当に中国と親しくなれるなどと期待してはいけない。日本の示す友好は限定的なものであり、自分本位なものである。中国が日本を傷つけたことはないに等しいのに、日本が中国を傷つけたことは回数は数え切れないほどだ、と日本は気づいているのだろうか。さまざまな事情からみて明らかなのは、日本を叩け、必要とあらば力を込めて叩くことが大切だ、ということである。(「ノーと言える中国」(翻訳 日本経済新聞社1996)より)

 

14  大東亜戦争はそれなりの意義もあった

 > まず一点、当時の日本の戦争目的を示す公文書には、そのどこにも「アジアの解放」を意味するような文言はありません。

 

扶桑社の教科書には大東亜戦争の主目的を「アジアの解放」であったと記述しているのですか? 最大の目的は「自尊自衛」であったというトーンで書かれてますよ。そのためには、アジアがヨーロッパの白人支配から脱し、「大東亜共栄圏」という新しい秩序に再編されるべきであると、"当時の日本人は考えていた"という事を説明しているだけです。

 

> 以前にも書きましたが、独立政策が真のものであるなら、東南アジアの前に、まず台湾、朝鮮、満州国を解放したはずですね。

 

台湾、朝鮮は確かに植民地でしたが、その実態はヨーロッパ諸国がアジアに対して行なった植民地支配と同様に論じられる事ではないと思います。ヨーロッパが行なったのは徹底した差別政策ですが、日本の植民地政策は同化政策です。また、満州国は植民地ではありません。

 

> 「結果解放論」という主張も実はおかしなもので、仮に日本軍が敗北せず、インドネシアに居座り続けていれば、この国が独立「させてもらえるようなことは」絶対になかったでしょうし。

 

 それもどうかな。日本は大東亜戦争を通じて新たな植民地を獲得したわけではありません。もちろん、アジア諸国の独立といっても、当面は日本の保護国ないしは傀儡という域は出なかったでしょうが、それまで東南アジアの人々には自前の国家が無かった事を考えればそれは止むを得ない措置でしょう。

 「結果解放」を「強盗が強盗を追い払っただけ」と批判する意見もありますが、私は、日帝が「強盗」だったとは思いません。「熱血スパルタ生活指導員」と評した方が実態に近いと考えます。

 また、大東亜戦争を単に「日帝のアジア侵略戦争」と捉えるのは明らかに間違いです。そもそも、日帝はアジア人民と戦争したわけではありません日帝が戦争したのは中国人とアジアを植民地化していた白人なのです。ところが、戦後の歴史教育は明らかに、この図式を

  日本軍国主義 VS アジア人民

という図式に意図的にすり替えております。だから、日本がアジアに戦争を仕掛けたとか、甚だしきは、大東亜戦争において日本が韓国と戦争したかのように誤解している子供が多いのです。

 また、たとえ結果論であったにせよ、大東亜戦争の意義として「アジアの解放」を主張する事は決して歴史の捏造でも、歪曲でも無いと思います。あの当時アジアで欧米相手にあれだけの戦争を遂行する能力のあった国は日本をおいて他無かったのは事実です。そして、後付けの理屈にせよ、日本が「大東亜共栄圏」という新秩序を打ち立て、軍政下において軍隊の創設と現地人への教育を施したからこそ、アジアの人々に国家意識が芽生え、戦後多くの国々が白人支配から独立できたというのも事実です。

 つまり、大東亜戦争は、数々の悲劇と災厄ももたらしましたが、それなりの意義もあったという事です。あの時日本という国家がアジアにあったから今のアジアがあります。もちろん、そんな事をアジアの人々の前で自慢して言う必要はありませんが、日本人として大東亜戦争を評価する時、そういう視点も是非必要なのです。これは日本人の歴史の問題なのです。

 

15  いろいろな教科書があってよい

わたしはいろいろな教科書があっていよいと思っています。というより「色々な教科書(主張)があるんだ」と言う事実をどのように受け止めるのか、ということが重要ではないか、ということです。いろいろな教科書の中からその利用者(教員・子ども・保護者)が主体的に教科書を選択できる仕組みを作ることが重要ではないでしょうか。

 たとえば今回の「作る会」の連中に対する教組や研究者の対応は、一歩間違うと文科省に「きちんと検定しろ!」といいかねないような恐れを孕んでいるといえます。

それよりも問題なのは検定制度そのもののありようです。しかし今回検定制度の是非については不思議なほど議論になっていません。しかも集会などで見る反対派のお歴々は、いずれもかつての家永裁判で検定制度の違法性を指弾した人ばかりです。その人たちが同じ口で「国は検定責任を果たしていない」とはよくいえたものです。

 かりに相応しくない教科書があれば、それこそ教師の力量で徹底的に排除すべきでしょう。限定された、自分に都合のよい教科書だけに囲まれながら「世の中には悪い教科書もある」なんぞと子どもに教えるのでしょうか?世の中には色々な情報があり、異なる様々な意見があり、それに基づいたいろいろな本があるという現実の中でこそ、不適格な教科書の不適格な所以が浮かび上がってくるのではないでしょうか。

 有害な情報や有害な図書を学校図書館から排除し、子どもから遠ざけよう、と主張する人たちがいます。わたしには全くピントがずれていると思います。有害な図書がなくて、どうしてその図書が有害かどうかを子どもに教えることができるのでしょうか?いいわるいは別にして、世の中には有害な図書が満ち溢れています。どんなに学校で排除しても、こどもたちはいつでも読むことができます。学校だけが純粋培養の場であるべき、などという観念論は、結局のところ自分の教育的力量(そんなものがあるかどうかはわかりませんが)に自信がないからに他なりません。

 

16  マインドコントロールへの対処が肝腎

最近、俵義文の話を聞く機会がありました。言うことは大体分かっているので、時間が勿体無いと思いましたが、折角の機会だから雰囲気だけでも味わおうと。以下は要点の紹介です。

********************

俵義文の危機感

 ・今回、栃木県、杉並区、荒川区などは際どいところだった。

 ・確信を持って「つくる会教科書」を推す教委はいるが、確信を持って「つくる会教科書」に反対する教委はあまりいない。

 ・初回は慎重な(無難な)道を選んだ「つくる会教科書」賛成派の教委は次回からは賛成に回るだろう。

 ・教委が採択する仕組みがある限り「つくる会教科書」の採択は増え続けるだろう。

 ・日本書籍は経営的危機に陥っている。存在できなくなるかも知れない。

 ・「つくる会教科書」は小泉政権に都合が良いので、推進力はなくならない。

 

俵義文のマインドコントロール

 ・なぜ「つくる会教科書」は出て来たのか : 海外(特に東南アジア)に進出した日本企業の権益を守る必要が出て来たから。戦争のできる国にしたいから

 ・軍備は必要ないのか : ソ連が崩壊して、日本には仮想敵国は無くなった。共存政策があれば軍備はいらない。軍備は却って邪魔。

 ・言葉の断片批判 : 小林よしのりの言葉「戦争しますか、日本人止めますか?」、長谷川三千子の言葉「戦争しますか、人間止めますか?」、三浦朱門の言葉「ゆとり教育とはエリートは1%いれば良いということ」、江崎玲於奈の言葉「DNA検査をエリート教育に活用せよ」

********************

 

で、感想ですが、

 ・「つくる会教科書」のインパクトはかなりあったのだなと思いました。扶桑社の教科書の採択率はコンマ以下でしたが、東京書籍、帝国書院のシェアは合計で20%以上も増加したので、これは扶桑社のシェア目標の10%に匹敵する成果を上げたと評価しても良いのかも。

 ・次回は、つくる会が、それまでに自信を取り戻せれば目標達成は(今回とは逆に)意外に容易かも知れない。

 ・少数の反対派は(俵義文等による)マインドコントロールを受けるほど幼稚です。

 

17  2001年度組織コミュ論からの歴史教科書問答集

2001年度組織コミュ論からの歴史教科書問答集

 

[慰安婦問題はどこまで事実か]

> 慰安婦問題も、もちろん歴史の授業で教えるべきです。黒人差別や在日韓国人の問題と同等です。悪しき歴史を繰り返さないために、多感な年頃の若者に知ってもらいたい事実です。

 

慰安婦問題については、複雑な事情があります。まず、いわゆるサヨクが(日本軍が慰安婦を強制連行したという)虚偽の報告を元に、韓国を煽ったり、韓国に存命していた慰安婦を探し出したり、日本の教科書に記述させたりしたのが発端です。つまり、日本人や韓国の人の殆どが洗脳されてしまったのです。(テレビ朝日による珊瑚礁被害の捏造写真のように)

 

> 従軍慰安婦については1995年に村山首相(当時)が真実であると述べた。日本の代表として、国際的に言った言葉こそ真実の歴史とするのが妥当ではないだろうか。

 

責任ある人の対外的な言葉は重く受け止める必要があります。しかし、真実かどうか疑う精神まで失って良いものでしょうか。慰安婦強制連行説は(いわゆるサヨクにより)捏造されたものと聞いています。村山総理の発言の後で、判明したそうです。南京事件は、朝日の記者が、中国の言うことを無批判で、あたかも全てが真実のごとく、日本に紹介したことが発端です。「一犬が闇に吠えれば、万犬がその声に吠える」という諺は、無批判に人の言うことを信じる国民には、ぴったりです。

 

> 私達は慰安婦のその時代や場所にいたわけではない。それを知っているのは慰安婦だった人、かかわった人しかいない。これに関してはその人たちの主張が真実で無くて何が真実か?

 

韓国の元慰安婦が後日、法廷に出した供述書には、(嘘の供述をすると後で不利になるから)強制連行されたとは書いてないそうです。

 

[慰安婦問題は載せるべきか]

> 慰安婦の話はしておくべきだと思いますよ、中学生のうちに。知らないままではダメでしょう、やはり。義務教育で教えておくべきだと。本当にあったかどうか、とか、そういう問題はさておきでです。“従軍慰安婦”と聞いて、知らないってのもちょっとって感じがします。

 

194589日、日ソ不可侵条約を一方的に破って、ソ連軍が満州を占領した時、(生命の安全を保証する代償として女性を要求する)ソ連兵の慰み者に提供された日本婦人が少なからずいたのを知っていますか? 若い女性を被害者にするのを免除して貰うため、必ずしも若くない婦人が自ら犠牲を買って出たとのことです。 こうした話は、敢えて公にはされませんが、知っておくべきとしたら、こちらの方ではないでしょうか。でも、そんなことを中学の歴史教科書に載せるのは非常識だと思います。

 

[慰安所の存在は非人道的か]

> 歴史の中でいつの時代にも慰安婦の存在はあった。娼婦の歴史はどの時代、世界にもあった事から想像はつくだろう。現代の社会で世界各国が、このような戦争の責任をとっていたらきりはない。しかし、その当時のことを戦争として終わらせられないほど、強烈で反人間的だった出来事であったのだろうと思わざるを得ない。

 

強制連行でなくても、慰安婦が存在したこと自体が許せない、という人は、戦後しばらくは、売春防止法が成立するまで、赤線(青線というのもあったらしいが)があったことを知っていないのでしょうか。

 

[何故日本が悪者にされるのか]

> 戦後50年以上が過ぎ、そろそろ朝鮮や中国の行う侵略行為を隠れみのにした、無茶な主張をかわす技量を身につけてもいいのではないのでしょうか。

 

南京大虐殺の話は、文化大革命が大失敗した時、中国国民の不満を外に向けるためのものだったそうです。日本は格好の餌食にされたのです。アメリカがパール・ハーバーの映画を好むのは、原爆投下についてのアメリカ人の良心の痛みを忘れるために効果があるとのことです。ザ・レイプ・オブ・ナンキンという(事実に基づかない煽動的な)本がベスト・セラーになったのも同じ理由です。(原爆を投下した対象が残虐な日本人なら、良心の痛みも和らぐ、とうこと)