文学的怒りを政治的憎しみへ誘導する「平和学」
市民のためのメディア・リテラシー講座
ニュースを読む時は悪党になれ ―悪党が見る悪の世界―
愛媛大学工学部教授 水上紘一
(時) 平成17年7月31日(日)
(所) 愛媛大学
(主催)市民のためのメディア・リテラシー公開講座愛媛県実行委員会
おはようございます。先ほど林先生が大変格調の高いお話をなさいました。こちらの方は格調の低い話をさせていただくことになりました。演題は表向き「ニュースを読むときは悪党になれ」となっていますが、「悪党が見る悪の世界」というのが本当の題であります。悪党党党員の水上が話をいたします。漫談・落語の類ですけれども、最後にオチがあれば落語になりますが、果たしてあるかどうか。その辺のご判断は皆様方にお任せしたいと思います。
さっそく本題に入ります。悪党党というのはテレビではお馴染みでございます。「ビートたけしのTVタックル」という番組がありまして、そこに我が悪党党の幹事長が常連として出ております。お馴染みのハマコウこと浜田幸一氏ですが、この方はちょっと我々から見ると欠点がありまして、陽気すぎて悪党らしくない。それは置いておきましても、幹事長は出ているんですが、総裁が誰かと言いますと、これは私も存じません。不明であります。それは大悪党ともなると正体を見せるようでは資格がない、というふうに理解しておりますけれども。
次は、皆さんが悪党になれる素質があるかどうか。この講演は「悪党になれ」という講演ですので、素質があるかどうかという話です。そこで皆さんにお伺い致しますけれども、皆さんは「三国志演義」はお好きでしょうか。嫌いな方はあまりおられないと思いますが、お好きなら悪党になれる素質があります。と申しますのは、「三国志演義」は悪党の騙し合いの物語であります。登場人物を四人挙げます。諸葛亮(孔明)、秀才型大悪党であります。それから曹操(孟徳)、これは親分型大悪党であります。それから司馬懿(仲達)、のらりくらり型大悪党。もう一人劉備(玄徳)、これは難しいのですけれど、これはええ格好しい型大悪党です。
しばらく前に「オレオレ詐欺」というのが日本で流行しましたが、こういうことが他国で起きるかといいますと、おそらく起きない。では、なぜ日本で起きるかということですが、日本人はつい人を信じる(お人好しである)というところに原因があるようですね。それでは騙されないためにはどうするかというと、それは人を疑うことですね。人を疑うということは悪党になるということですから、悪党になるというのはそんなに難しいことではないわけですね。そこで悪党党入党模擬試験問題案を考えてみましたが、「小林よしのり氏宅にはオレオレ詐欺は通じないだろう。なぜか?」。お分かりですね。
次、参ります。少し悪党気分になってきたところで、「第二次世界大戦悪党ランキング」をしてみます。「通説」というのは悪党が表向きに作り上げた説でして、一位が日本、二位がドイツ、三位がイタリアということになっています。日本が一位かドイツが一位かというのは、いろいろ説が分かれるところですけれども、日本を一位にしたのは今でもネチネチ言う国があるからです。でもこれは、本当は悪党の見るランキングではない。本当のランキングは別にあります。それはなぜかと言うと、裏の基準があるわけです。その基準が何かということですが、これは「得をしたのは誰か」ということです。そこが悪党の見る本当の基準です。
皆さん、ランキングなさいましたでしょうか。私のランキングは一位がスターリン(ソ連)です。これはどういうことかと申しますと、共産圏を大拡大して、国際共産主義運動の拠点を獲得したわけですから。これについては、また後で日本人が特にそう思うという話をいたします。それから二番目は毛沢東(中国)ですね。毛沢東は先ほど出しました「三国志演義」を愛読したといわれる方で、そこから大いに学んだらしいですが、この人は中華人民共和国を建国しました。建国したらなぜ得したかと言いますと、第二次世界大戦が始まる前は中国共産党は滅亡寸前だったわけですから。いつのまにか、第二次世界大戦が終わったら大きな国まで作っていたということです。それよりもっとすごいことをしていまして、チベット・ウィグル・内モンゴル・満洲を手に入れました。手に入れたというのは、これは穏やかな表現をしているだけのことでして、侵略したというのが本当のことです。それで三番目にやっとルーズベルト(アメリカ)が出てまいります。なぜアメリカが三番目になるかということなんですが、これは日本打倒を目標としていたわけですから、それは達成したんですけれども、それで日本を属国のようにして儲けたといえば儲けたのかもしれませんが、そもそもアメリカの目標はそこにはなかったわけですね。本当の目標は満洲を手に入れることだった。ところが満洲は得られずに、しかも共産圏が拡大してしまいまして、国際共産主義運動と闘わなければならない羽目になった。アメリカは悪党みたいですけれども、ランクとしてはちょっと下がるというのが、私のランキングです。
スターリンが悪党第一位というのは日本人にとっては当たり前の話と言えまして、憎んでも余りあるスターリン。これはどういうことかと言いますと、日本が降伏する一週間ぐらい前に満洲に侵入してきました。日ソ不可侵条約を破って侵入してきたわけですが、それは火事場泥棒と言われておりますけれども、満洲で日本人の婦女子は大変酷い目に遭った。ソ連兵の暴行によって大変酷い目に遭ったと言われてます。私は現実は知りませんけれども、そう言われてます。それから男の方はシベリアなどに、まさしく強制連行されました。それで強制労働させられた。人数は60万人と言われておりますが、そのうちの十分の一の6万人が亡くなったと言われております。そういうわけで、とんでもない戦争犯罪があるわけです。今、従軍慰安婦とか朝鮮人強制連行とか叫んでいる人がいますけれども、そんなみみっちい事はやめてソ連の戦争犯罪でも追及したら、それこそ日本中から大喝采を受けます。それは結局北方領土が四島丸ごと返ってくるということの役にも立ちますから、そういうふうに転向されたらどうかと私は思うわけですが、皆さんは如何でしょうか。(拍手)
この話は最近の話ですが、中国の反日暴動で日本大使館などが被害を受けました。そのときに中国は謝罪せずに、日本に責任転嫁しました。小泉首相の靖国神社参拝を非難しまして、日本の戦争犯罪を声高に強調しまして、ということをやったわけです。そうすると、戦争犯罪を日本に押しつけたのは欧米諸国なんですけども、その欧米諸国が逆に中国を叱ったというわけで、これはどうも変な話だなあとお思いになりませんでしたでしょうか。これは何故かということですが、悪党が推測すると(つまり邪推ですが)、「中国が度を越すと、日本が東京裁判をやり直せと言い出しかねない」。だから「中国黙りなさい」と、こういう話じゃないか。ともかく「東京裁判をやり直せと言われたら、これはまずい事態だ」という話で、「せっかく日本だけを悪者にして、自分たちの悪事を覆い隠してきたのに」というので、中国を叱ったんじゃないかと。
もうひとつは欧米諸国の鬱憤があるわけです。これは「裏切り者は偉そうにするな!」という、そういうことがあります。裏切り者というのはもちろん中国のことですけれども、誰が裏切られたかというのは、これは日本という話であって、この件についてはこれで切り上げますけれども、そういう裏もあると。
今までにもうすでに「情報操作を見抜くために」の本題に入っているわけですけれども、これからちょっと具体的な話を申し上げたいと思います。知識(考え)を持っているというのは、これはよろしいのですけれども、なかなかそういうわけにはいきません。一朝一夕には無理であります。では何も手がないかという話なんですが、手がないことはない。先ほどから言っていますように、「悪党になる」=「疑う」=「分析的になる」ということです。そういうことが役に立つだろうと思うわけです。悪党になるのが躊躇われるという方のために、こういう言葉を紹介しておきます。「戦争への道は善意で敷き詰められている」というわけです。ですから皆さん、悪党になったほうがよろしい。時々は悪党になられるのがよろしいかと思います。
それで、その分析的という話で、具体的な話がどういうことかということですが、先ほど林さんの格調の高いお話があって、それと比べるのはちょっと申し訳ないのですけれども、そのような話であって、私の方がもう少し具体的になります。要するに、記事(主張)を分類して考えましょう。「是非」という言葉は「政治的」という意味で使います。「正邪」は「法律的」な意味。それから「善悪」は「倫理的」な意味。「喜怒哀楽」は「文学的」な意味だと。こういうふうに仕分けをしてみるといいんじゃないかと思いますね。もし「文学的」なことを言いながら結論に「政治的」な結論を持ってくると、それはどこかで情報操作があったわけです。「倫理的」なことを言いながら「政治的」あるいは「法律的」な結論を持ってくると、そこには情報の操作がある。というようなことを考えたわけです。それから、これも先ほど林さんのおっしゃったことなんですけれども、「言葉への警戒」というのが必要なんじゃないでしょうか。たとえば「反論できない言葉」「響きのよい言葉」「レッテル(スローガン)言葉」に分けましたけれども、どれがどこに当てはまるかというのは必ずしもはっきりはしませんけれども、こういう言葉がある。こういうように言葉を分類して考えるとよろしいんじゃないかと思います。もうひとつは「問いかた(問題の立てかた)」や「見方」を変えてみるのも、ひとつの手でしょう。
で、誰も反対しない言葉をひとつ上げます。たとえば「反戦平和」という言葉があります。林さんもおっしゃいましたが、誰も反対しない言葉です。「倫理的」には誰も反対しません。反対しないというのは、「倫理的」な意味で反対しない、ということです。ですから前にひとこと付くわけです。「倫理的」には誰も反対しない、ということです。しかしながら、「政治的」「国際法的」には正当化される戦争がありますから、そういうことを区別しないと話が混乱するということです。そうすると「反戦平和」と叫んでいる人たちは何を叫んでいるのか、ということを考えなきゃいけないことになってくるわけですが、「倫理的」には意味がないですね。みんな誰も反対しないですから。誰も反対しないことを叫んだって意味がない。そうすると、何か別の意図があるわけです。別の意図があってそういうことを叫んでいるわけです。
そこで、皆さんはお分かりかと思いますが、保守派はまず反戦平和運動をしないということですね。そういう叫ぶ人たち(唱える人たち)の論理というのは、単純化するとこういうことになります。まず「戦争は悪である」と言います。次に、「日本は戦争をした」。次に三段論法で言うと、「日本は悪である」ということになりまして、日本に対する憎しみを植えつけると。こういう論法になってくるわけです。これは私の経験から導き出した警句ですけれども、「平和運動家は闘争が好きである」。私は1960年に大学に入りまして、そのときは大学の中は安保闘争で騒然としておりまして、そのドサクサにまぎれて私は何度も授業放棄をしまして、旗を作ってデモに行きました。デモに行ってみると、デモ隊は「平和のために戦わん」という歌を歌っているわけです。ですから「平和運動家は闘争が好きである」。これが基本になってくるわけです。皆さんも心当たりがあるんじゃないかと思います。
響きの良い言葉で、「同じアジア人」「同じアジア」という言葉が最近よく出てきますが、これもなんとなく反対できないような気分になる言葉ですけれども、これはとんでもない言葉ですね。騙されたらいけません。こういう時に政治体制の違いを無視して、あるいは国民性(民族性)の大きな違いに無知なのか無関心なのか、あるいはわざと知らぬ振りをしているのか知りませんが、そういうことに全く頓着していない。政治体制の違いというのは、「同じアジア」というときは、たいてい相手が韓国だったり中国だったりするわけですけれども、中国は反日だけではありません。もっといろいろ言葉が付きます。敵日・憎日・蔑日の国である。それから韓国は反日教専制の国である。私はなにもアジ演説をやっているわけでないのです。昨年三月に韓国には親日派糾弾法がました。ですから反日が正義の国ですね。法的に(反日が)正義の国ですから、親日と言ったら犯罪になるという国になっています。イスラム国家といえばイスラム教でなければいけないというのは、皆さんぱっとくるわけなんですが、韓国は反日教という宗教の国である、と思っておかれるほうがよろしい。そういうことを全く考えもせずに、「同じアジア」とか「同じアジア人」等という言葉を使うのは、とんでもない話なんです。
先ほども林さんの講演で出てきましたが、「平等」という言葉ですが、「絶対的な平等」というのは嘘ですね。「天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず」というのは全く嘘です。現実は「天は人の上に人を作る」ということですね。そういうわけですから、「せめて法律の下では平等にしようじゃないか」というのが、「平等」の基本的な意味だろうと思います。そういうわけで「平等」と言うときには必ず「法律の下では」とか、何か条件が付く。条件が付かずに絶対的に「平等」という言葉が出てくるときには、注意するほうがよろしい。
それから、「報道の自由」という言葉があります。これはもともと「防衛の概念」(盾)なんです。盾の概念ですね。「攻撃の概念」(矛)じゃないはずなんですが、今年の始めあたりに、それを反対に使った、「盾」が「矛」に見えたメディアがあるみたいですね。そういう悪用の例があります。マスコミは昔は第四の権力と言われていました。今は実は第一の権力なんですね。そういうことがよく分からずにか、分かってか、知りませんけれども、「盾」を「矛」につい使う、というようなことが起こってくるんだろうと思います。これは矛盾してはいけませんよね。
レッテル(スローガン)言葉です。「日本は悪者だ」という意味を含む言葉の例です。「植民地支配」というのがそうなんですが、始めのうちは「日帝の過酷で野蛮な」という枕言葉が付いていたんですが、最近はその必要がなくなりまして、「植民地支配」というだけで、これは「日本は悪者だ」という意味の言葉になっています。最近勢いが衰えていますが、「従軍慰安婦」「強制連行」という言葉も、そういう意味の言葉ですね。「強制連行」というのは今は一般名詞ではないですね。「日本は悪者だ」という意味を含む言葉です。それから「A級戦犯」。これも小泉首相の靖国参拝問題が出てきてから、また盛んになってきておりますが、これも昨日どなたかが言っておられましたが、国内法では実は戦犯はいないのだと。国会で赦免決議がされている。ですから少なくとも国会議員は、軽はずみに「戦犯」という言葉を使ってはならないはずなのに、今の国会議員は軽率過ぎる。
それから、「悪いこと」という意味を含む言葉の例。「ナショナリズム」という言葉がありますね。これもそもそも「ナショナリズム」とは何かという話です。私はこれは「国民であることの意識」だと思っていますけれども、別にこれは悪い意味ではないと思いますけれども、もう「ナショナリズム」という言葉が出てくると、それだけで「悪い」というイメージで出てくることが多い。それから「教育勅語」。これも悪いイメージですが、「教育勅語」というと軍国主義の代名詞みたいに出てきますけれども、これは大嘘ですね。これは大嘘です。ですけど、これは悪党にとっては都合が悪いのです。というのは、「教育勅語」には「国民は悪党になるな」ということが書いてあるので、悪党にとってはちょっと都合が悪い。こういう言葉がどうして定着するかというと、何回も繰り返し繰り返し言われることによって定着してきます。それから皆さん、こういうこともご承知になればよろしかろうと思います。「ウソも百遍言えば真実になる」。これはスターリンが言ったとか、ヒトラーが言ったとか、ゲッペルスが言ったとか、いろいろ言う人がいますけれども、誰が言ったか分かりませんが、ともかくこういう言葉があるんだということをご承知になればよろしいかと思います。
レッテル言葉で、「得体の知れない言葉」というのがあります。「市民」。この講演会は「市民のためのメディア・リテラシー」なんですが、実は「市民」という言葉は得体の知れない言葉だと私は思っています。「国民」という言葉が嫌いなメディアが遣いますと、「反政府的な人たち=神聖な存在」というような意味になります。「市民団体」という言葉がよく出てきますが、皆さんは「市民団体」といったらどのような団体だと思われますでしょうか。ただし、「国民団体」という言葉は出てこないですね。さて、この講演会に参加された皆さんはどのような「市民」でございましょうか。これについては参考書を挙げておきます。佐伯啓思(さえきけいし)という人が、『「市民」とは誰か』(PHP新書)、という本を書いております。興味のある方はどうぞご参照下さい。
(スライドに)スペースがありましたので、情報操作の一手法を挙げておきます。「特殊な(例外的な)ことを、一般的であるかのように思わせる」。こういう手法があるかと思います。「市民」という言葉について例をあげますと、小さな市民団体の小さな活動を大げさに取り上げる。しかも先ほど「繰り返す」という話がありましたが、繰り返し繰り返しやりますと、それが非常に大きな運動であるかのごとくに思われてくると。こういうわけですね。
それから、「北朝鮮による拉致はテロではない」と言ったら、皆さんに叱られますでしょうか。私が言うことはもっと恐ろしいことなんですけれども。これもやはり言葉の問題でして、「テロ」という言葉の意味はそもそも何かということなんですが、「テロ」とはテロリズムの略です。テロリズムというのはどういう手法かと言いますと、相手を恐怖に陥れて、要求を呑ませるわけです。そうすると北朝鮮の拉致というのは、果たして「テロ」と言えるかどうかということです。北朝鮮は「拉致をやるぞ、やるぞ」と言って日本を脅して要求を出してきてと、こうやってきたわけでない。昨日の講演では人質を取ったんだとおっしゃった方もおられましたけれども、ともかく北朝鮮がやったことはつい最近までは秘密だったわけですから、日本に対して何の脅しにもならないし、要求にもならない。するとこれはテロリズムとは言えませんね。「秘密裏に行う拉致はテロではない」ということですが、それなら何かということです。「他国に侵入してその国民を拉致する行為は侵略である」というのが私の理解です。
では、その「侵略」というのがなぜ行われたかということなんですが、これは明らかに自衛隊が手足を縛られていたからです。武力の行使ができない状態になっていたからです。それではなぜできなかったかというと、平和憲法がある。それから反戦平和・護憲運動がある。そういうのがあって、自衛隊が武力を行使することができないという状況になっていたことが一番の原因です。そういうわけで、「平和憲法が侵略を呼び込んだ」というのが北朝鮮による拉致なのであろう、というのが悪党たる私の理解です。
それでは北朝鮮による拉致がなぜ起きたのかということなんですが、これはご存知の方がおられるかどうか。北朝鮮は新人工作員の訓練をします。潜入訓練をやるわけですが、その訓練地が日本だということですね。韓国へ行って訓練をすると、これは警戒が厳しくて危険である。日本なら先ほど申しましたように、自衛隊から攻撃されませんから、安心して訓練できる。訓練にもってこいの場所が日本であるということですね。それで次は、訓練すればなぜ拉致が起こるかということなんですが、これは日本へ行った証拠に煙草を買ってきても証拠にはならない、煙草はどこでも買えるよという話です。その証拠として一番確かなのは人間であるというわけで、証拠として人が連れ去られたのである。潜入の証拠です。大半がですね。昨日もどなたかがおっしゃっていましたが、日本語ができる者が必要だから連れて行ったというのは、とんでもない嘘ですね。「朝鮮は昔は日本だったわけですから、日本語ができる人はいっぱいいて、日本語のできる人材なんか不足していませんよ」と。こういうことを昨日説明されたのは倉本先生でしたか、言っておられました。繰り返しになりますけれども、日本の自衛隊が攻撃しないのは、憲法で手足を縛られているからであろうと。
では演習問題。次の主張に反論しなさい。「憲法に「平和」と書けば平和になるのであれば、憲法に「台風は日本に来るな」と書けばよい」と言った方がおられます。有名な方です。田中美知太郎という京大教授で高名な哲学者です。皆さん、どういうふうに反論なさいますか。
次は、問いかた(見方)を変えてみると分かる例です。日本の安保理入りについての中国の反対理由。・日本はアジアの国々の信頼を得ていない。・安保理は戦勝国クラブである。・多額の分担金の負担など大したことではない。こういうように大体三つくらい言っていたと思いますが、これをここで一生懸命反論しようとしても仕方がないので、問いかた(見方)を変えてみましょう。「それなら、中国はどうなのか」と言うのです。・は「アジアの国々から信頼されていないのは、そっちでしょ」ということです。アジアの国々と向こうが言うときは、中国と韓国を言っているんですね。それ以外の国々は入っていない、ということが分かっていないといけないわけです。それから、・は「中華人民共和国は戦勝国なの?」ということです。これは昨日も言っておられましたが、中華人民共和国というのは第二次世界大戦後に生まれた国であるから、戦勝国でもなんでもない。それから、・は「日本の分担金を肩代わりする」とでも言ったら、少しは格好いいかなあと思いますけど。というようなことで、ちょっと見方を変えてみたらよろしい。
今、日本が安保理に入るとか、どの国が入るとか、何カ国であるとか、言っていますけれども、どうも話が小さくなりすぎていまして、国連改革の基本というのがどこかに飛んでいってしまっているわけですよね。それはどこにあるかと言いますと、戦勝国支配体制の解消というのが基本だろうと思いますね。それがどこに行ったのか分からない。どこの国が安保理に入るとか入らないとか、そんな話ばかりになっております。つまりこれは「戦勝国クラブはまず解散しなければいけないだろう」という話になるんですが、そうすると中国が言っている「安保理は戦勝国クラブだ」なんていうのは、とんでもない間違いです。ただ、中国が頭が悪いと思ったら大間違いですよ。中国人は頭が良いのですから。自分の言っていることが筋が通らないというようなことは、全て承知の上で言っているんです。それで思い起こしていただきたいのですが、中国は「三国志演義」の国である。ですから駄目で元々の国なんです。「ダメモトの悪党の国である」というのが私の理解です。
コロコロ変わるのが中国の歴史観です。今はこんなことを言っています。「日本は侵略戦争をした犯罪国である」だとか、「我々は、残虐で野蛮な日本を打ち負かした」だとか、そのようなことを言っておりますけれども、ちょっと前は何を言っていたかというと、毛沢東は「皇軍の力なしには我々が権力を奪うことは不可能だった」と言っているわけですね。それから_小平は何を言っているかというと、「日本は中国を助けたことになっている」と、ついこの前までそう言っていたわけです。
それがどういうことかというのは、皆さんはお分かりでしょうけれども、理解する鍵がどこにあるかといいますと、「盧溝橋事件」にあるわけですね。この後に「通州事件」というのが起こりますが、「盧溝橋事件」はどなたもご存知でしょう。これは中国共産党の決死隊が国民党の軍隊と日本の軍隊に行って鉄砲を撃って、それぞれに「国民党軍から撃ってきた」「日本軍から撃ってきた」と思い違いをさせて、戦闘を起こさせようとしたという事件ですね。日本軍が戦争が好きだから起こしたというものではないわけです。ところが、なぜそんなことをしたかということですが、そのころ中国共産党は瀕死の状態でありまして、国民党を日本軍と戦わせて自分たちに向いて来ないようにしなければいけないという状況にあった。それで起こした事件が「盧溝橋事件」です。それにまんまと日本と国民党が引っかかった。見事な策略なんですね。それから一応停戦が実現しそうになります。でも停戦が実現したら具合が悪いですから、なんとか日本を戦争に巻き込まなければならない。そういう関連の中で起こってくるのが、「通州事件」と呼ばれる日本人大虐殺。皆さん、南京大虐殺ばかり言っていたらいけませんよ。日本人大虐殺なんかがあるから、南京事件なんていうのが起こってくる。これは日本人(民間人)が二百何十人惨たらしく殺された事件です。「通州事件」というのは、是非ご存知ない方は覚えておいていただきたいですね。
それから、私は歴史の勉強を少ししました。と言っても新書版で勉強しただけなんですが、岡田英弘(おかだひでひろ)氏の『歴史とはなにか』という本です。これは大変面白い本で、もし読まれていない方がおられたら、読んでみられるとよろしいです。非常に面白い本だということは、面白いことが書いてあるということなんですが、私が面白いと思ったことを申し上げますと、歴史歴史と盛んにいわれますけれども、元々歴史というのがありようがない文明というのがあるんだという話ですね。ですから、歴史の話をしようと思ったら、歴史のない文明というのもあり得るんだということを基礎においておかれるとよろしい。これは皆さんがよくご存知の文明でして、インド文明には歴史がないんだと、こう言うんです。というのは、インド文明というのは輪廻転生の思想でして、前世があって現世があって来世があって、またその先に来世がある。そのように永遠に生まれ変わって続いていくというのが、今は現世で私は人間でいますけれども、来世は何になるか分からない、前世は何であったか分からないと、こういう考え方です。そこでは現世だけでは歴史が完結しないというわけで、歴史の書きようがないと、こういうように岡田先生はおっしゃいます。それからイスラム教も本来は歴史がない文明である。と言いますのは、イスラム教には因果関係がないんだと。それは一瞬一瞬はアラーの神の思し召しによって決まる。ですから、過去と現在と未来は何のつながりもないというのが基本的な考え方であります。実際には(歴史が)ありますけれども、ともかくイスラム文明には基本的には歴史というのはあり得ないというようにおっしゃいます。私は非常に興味がありましたので、これは直接関係はないですけれども、挙げておきます。
歴史観と言いますけれども、これは元々ひとつであると思われるかもしれませんが、歴史観というのはひとつではない。ひとつであると思い込むところに間違いが生じてくる。大きく分けると二つあると言っています。ひとつは「司馬遷の歴史」である。これは王朝の正統性を述べるのが目的の歴史。もうひとつは「ヘロドトスの歴史」。これは小国の勃興と大国の衰亡というように変化を語るのが歴史である。そうすると「司馬遷の歴史」というのは政治の道具にすぎません。だから歴史的事実というのは大事ではなくて、捏造・歪曲ということは当たり前に行われる。それでは歴史学とは何かというと、これは「ヘロドトスの歴史」。こちらの方は事実を重んじるという歴史ですね。
そういう点から考えていきますと、盛んに歴史認識の共有などということを言っていますけれども、それが幻想だということはすぐ分かります。中国の歴史観というのは、これは「司馬遷の歴史」ですね。これは政治の道具です。ですから中国では歴史学というのは存在できない。韓国の歴史も「司馬遷の歴史」ですね。政治(反日)の道具として歴史を使う。ですから本来の歴史学はない。それから日本人の歴史観というのは、これはちょっと複雑なんですが、大多数の歴史学者は「司馬遷の歴史」。なぜかと言いますと、マルクス主義歴史学の正当化をするために研究をしている。ですから、これはいわゆる歴史学に属さない「司馬遷の歴史」になるんだと私は理解しています。ところが日本の多数の国民は歴史学は存在すると、「ヘロドトスの歴史」があると思っていますから、そこで日本の国内に大きな断層が生じているわけですね。そうすると中国と韓国と日本の歴史家の一部の間には歴史認識の共有ということはあり得ますけれども、できないことはないんですが、日本国民との間の歴史認識の共有ということは、これはあり得ない。というように思うわけです。
それから歴史に関する基本的あれこれ。もうひとつ、「時代精神」という言葉を挙げておきたいと思います。これは時代時代には特有の価値観・原則というのがあるということですね。第二次世界大戦以前は、今で言う悪の象徴である「植民地主義」こそが時代精神であったということです。これをまずは理解しておかなければならない。第二次世界大戦後に「植民地主義は悪」であるということになりました。欧米諸国も第二次世界大戦で日本が負けたらそれで植民地をあきらめようとしたわけじゃなくて、また戻って来て、またアジアを植民地にしようとして戦争をやって、負けたから植民地がなくなったということですね。そういう大きな世界史の流れで見ていきますと、第二次世界大戦が終わって少し経ってから「植民地主義」というのは終わった。そういうことになります。それで第二次世界大戦後は「ナショナリズム」が勃興しまして、今は「国家主権尊重」の時代に入っています。ですからここで明らかに時代精神が変わったという、そこをちゃんと認識しておかないと議論が混乱致します。
それで、歴史家というのはしてはいけないことがあるんでして、「時代精神が違う過去の人々の行動への批判というのは、今の時代性精神に基づいて行うことは慎まなければならない」ということなんですね。特に今の場合ですと、我々は時代精神が変わったところに生きているわけですから、そこを蔑ろにして議論をしては絶対にいけないということです。我々の祖先を「こんな悪いことをしたじゃないか」と言って、我々が今の時代精神で批判するということは、これはしてはいけない話だということなんです。そういう点から考えて、日本はずっと謝っていますけれども、日本が謝ってきたということの意味がどこにあるかということですが、それは「過去の時代精神に照らせば日本は不法なことをしたわけではない」というのが基本なんです。それに対して、「しかし、今の時代精神から判断すれば、遺憾である」ということを言っているのであって、「過去に悪い事をしたということを言っているわけではない」ということを皆さん、是非、まあ悪党がこういうことを言うのはおかしいんですが、ご承知おきいただけたらと思います。
愛媛大学の中の話に入ります。「平和学」という授業がもてはやされておりますが、先ず愛媛大学における「平和学」の位置付けをしておきます。愛媛大学の授業は「専門教育」の授業と「共通教育」の授業に分れております。「共通教育」の中に「教養科目(主題別科目)」がありまして、その中に「社会を知る」という分野があります。「人間を知る」「社会を知る」「自然を知る」「健やかに生きる」「心豊かに生きる」という分野があって、その中の「社会を知る」という分野です。その「社会を知る」という分野の中にいろいろな科目があって、「現代社会の諸問題」という科目があります。その科目の中で多数の先生がそれぞれの主題で話をされるわけです。たとえば私は「心豊かに生きる」という分野で、「趣味余暇を楽しむ」という区分の「雑学のすすめ―日本は悪者か?」という授業をやっているわけですが、それと同じように「平和学」という授業がある。
それをご承知いただいて、この授業を朝日新聞が褒めました。朝日新聞は「平和」が好きですから驚かないのですけれど、読売新聞まで褒めたというから、これは驚きのうちだろうと栗原先生と言っているわけです。私は朝日新聞の読者で読売新聞を取っていないので分からないのですけれど。愛媛新聞は取っていません。私は朝日新聞の読者ですからよく知っていますけれど、朝日新聞は「平和」が好きです。ところがさらに驚いたことに、それを愛媛大学の学報がトピックスとして取り上げました。これはご存知の方がどれだけいるか分かりませんが、こっちの方がそれこそ驚きですね。ですから堅気の先生方に代わって問題点を挙げますと、堅気の先生方は何も言わなくていいと言っているのに、こういうところが悪党の情報操作というものですけれども、「学報で授業を紹介した前例がない」。前例がなくてもいいことはいいんですが、「多数の主題別科目のうちから選んだ理由が不明である」。全く理由が分からない。ともかくトピックスとして出てきた。授業はいっぱいあります。主題別科目をやっている先生方はいっぱいいますから。しかし、なぜそれを選んできたのか、それがなぜトピックスになるのか分からない。それからもっと細かいことを申しますと、「この授業は出席を取らない」というように、シラバス(授業内容の紹介)に書いてあります。「出席を取らない授業は実は規程違反」なんです。規程違反の授業を持ってきて、トピックスで取り上げるというのは、これはどういうことなんだろうか。
これが朝日新聞からの切抜きです。『戦争通し平和再考』。ここに「平和学」という言葉が出てきますが、『遺品や資料の収集』ですね。そして『愛媛大学が開講』、これが問題なんですね。『愛媛大学「が」』というのが問題です。これが『愛媛大学「に」』だったら、まだ大学は困らないと思いますが、一文字で意味が違ってまいります。次に、これは愛媛大学学報の切抜きです。こういうように載っています。(学報では)ここに写真が入っていますけれど、その写真はのけてあります。
それで悪党の偏見を申し上げます。もうお分かりだと思いますが、悪党は元々「平和」という言葉に偏見を持っています。これは先ほど申しましたね。それは置いておきまして、「平和学」の実体を調べてみますと、これは内容的には「戦争被害調査」なんですが、「戦争被害調査」するだけが本当の授業の目的かというと、そうは思えないわけですね。私の場合はたとえば授業の意図の説明で、「日本は悪者か?」と言うだけで意図ははっきりしておりますけれども、「平和学」というのは意図が分からない。それで意図を詮索します。これは悪党に言わせると、「文学的怒りから政治的憎しみへの誘導」であろう。先ほど分類しましたね。「戦争被害調査」をすると、学生は憤りを感じますね。怒りが湧きあがってきます。「戦争への怒り」。これは私の分類によれば文学的な段階です。文学的な段階なんですが、そこで先生がちょっとサジェスチョンをします。「悲惨な被害は、日本が戦争をしたからだ」と示唆します。するととたんに「日本への憎しみ」に変わってきます。これは政治的方向に感情を誘導したというわけで、これは日本に対する憎しみを掻き立てて洗脳するという授業であろうと私は思いますが、これが愛媛大学が誇る模範授業ですか。それからもうひとつ。愛媛大学は騙されているのか?それとも騙しているのか?そういうようなことになります。
戦争と平和について考えるのなら、昔の戦争の被害を調べて日本を追求してみても、今の戦争防止にはほとんど役に立ちません。なぜなら、それはもうお分かりですけれども、日本が戦争の原因を作ることはないからです。そんな当たり前の中で、「平和、平和」「日本がどんな悪い戦争をした」なんてやっても意味がない。そんなことをやっていないで、もっと別のことをやられたら如何か。テーマとして、たとえばこんなことは如何ですか。先ほども申し上げましたが、・北朝鮮による日本侵略の現状をどうやって打開するか。・中国による台湾侵略をどのようにして防止するか。こういうことを扱えば、まさしくこれは現在の戦争防止に役立つ話だろうと思いますが。この・については承知しておかねばならないことがありまして、日本がこの台湾侵略を座視傍観すれば、日本は世界の信用を決定的に失うということですね。アジアというのは中国と韓国だけじゃないですから、そういう他のアジアの国々、世界の国々の信用を決定的に失います。それから「台湾原住民」と書きましたが、これは日本のいわゆる植民地統治を経験で知っている人たちのことで、戦後台湾に逃げ込んできた国民党の人たちのことを言っているわけではありません。そういう人たちは「日本よ、しっかりしてくれ!」と言っていますから、そこをちゃんと踏まえた上で、やってもらわないといけないだろうと思います。また平和憲法の話が出てきますが、「『平和憲法』に神通力があるのなら、台湾はとうの昔に平和憲法を導入している」と言っています。黄文雄(こうぶんゆう)という台湾出身の方が言っておられます。
「悪党にとって日本は天国である」という、これは締めくくりの話ですけれども、小泉首相は「罪を憎んで、人を憎まず」(と言いました)。孔子の言葉だと言われていますが、昨日中山さんはあれは理解が違うとおっしゃいました。でも分をわきまえた悪党は、そんなことは求めません。悪党は憎んでいただいて結構でございます。しかし日本には実はありがたいお言葉があります。親鸞上人の有名なお言葉があります。「善人なおもて往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」というんですが、これはお分かりですか。難しいですよ。難解な言葉とされておりますが、そこは悪党ですから都合よく解釈させていただきまして、「日本は悪党も極楽往生できる結構な国である」と。
ところで、ある雑誌の最新号を見ていましたら、日本は世界が羨むオアシスである。先ほど林さんもそういうようなことをおっしゃいましたけれども、そのことを書いている方がおります。「気候」が良いと。それから「水」が豊かであると。「緑」がとても豊かであると。これはこれからの世界の資源であると。環境という観点から見ていったときに、「水・緑・気候」というのは資源であるというんですね。だから石油がないとか、そういう資源がないというのじゃなくて、日本はものすごく良い資源を持っているんだというように考えなきゃいけないと。それで世界の人々が、ともかく日本は世界で一番良い国であると、良いところにある国であると思っているんだと。そういうわけで、我々日本に住む悪党としては、日本に居られる幸せを噛み締めているところであります。
話が悪党らしくなくなってきましたので、この辺で切り上げることにいたします。