2004年8月頃に纏めた未発表の論考の

第2部 将を得ようとするものはまず馬を射よ!

です。

          ●栗原宏文● 愛媛大学教授

■要旨■

 将を得る(自虐史観を是正する、もしくは戦後教育からの脱洗脳を図る)には、まず馬を射る(メディアへの警戒心を植え付ける)ことが先決条件、具体的には、できるだけ多くの日本人に、テレビや新聞の(必ずしも意図したものとは限らない、つまり無意識的なものも含まれる)偏りに気付かせ、警戒心を植え付けることが鍵であることを論じた。

 日本も歴史認識に関しては充分に洗脳国家であるという認識を欠くと、どんな試みも裏目に出て、逆効果になる可能性が高いので、医療技術を磨く(正論を説く)ことより、治療(脱洗脳)の方が先であることを論じた。

 まず、始めから洗脳されていない人は2割以下、程度の差こそあれなんらかの洗脳を受けている人は8割以上という認識を持つべき(あるいは、持って行動するべき)、次に、脱洗脳を意識した行動をするべき(あるいは、脱洗脳の妨げになるような行動はしてはならない)と論じた。

 つくる会の活動は洗脳されていない2割以下の人を啓蒙・強化するだけで、8割以上の人の中間層の脱洗脳には全く寄与していないこと、それだけならまだ良いが、(副作用の強い薬のように)プロの活動家など確信派からの反作用を誘発し、その結果として中間層の脱洗脳をより困難にしていることを論じた。

 最後に、戦後教育からの脱洗脳を図るには自虐のルーツを見つめ直すことが肝腎ということを論じた。

■内容■

はじめに

1 将を得ようとするものはまず馬を射よ

2 脱洗脳はオセロゲームのように

3 脱洗脳を行うとしたら薄甘左翼の若い人達でしょう

4 正論には解決に向かっての論考が乏しい

5 ”左”は”面”を確保している

6 センター入試問題を巡って その1

7 センター入試問題を巡って その2

8 靖国参拝訴訟判決を巡って

9 治療をおざなりにしたら、医療技術の改善も成功しない

10 どのように有効に語りかけるか

11 自虐のルーツを見つめ直す

終わりに

付録1 われわれ自身も手を貸した虚構の産物

付録2 映画「日本鬼子」を巡って

■はじめに■

 2003年6〜8月頃、インターネットの中の「(新しい歴史教科書を)つくる会」を支援もしくは「つくる会」の趣旨に賛同するいくつかの電子掲示板の中で、「つくる会」運動に関して、渦中となった県の大学教員の筆者は、支援者や賛同者、更には保守系論壇の4番バッターとの呼び声も高い「つくる会」の象徴のようなお方も交えて、意見を述べあった。

 それをまとめた論考は『「つくる会」運動を考える その1 副題:正論はシンパ以外の人には届かない!』で約4万字の詳細版と約9千字の要約版とがある。

 2004年1〜3月頃、その続きの論議があった。本稿はそれをまとめたものである。

■1■将を得ようとするものはまず馬を射よ

◆柔らかいメディアさえ取り上げるような仕掛け

 ■それは西尾幹二氏のインターネット日録での次のような発言から始まった:

 今の日本の現実を打開するのに、従来のような評論の言いっ放し、できそうもない理想の打ち上げ花火、何百人という有識者の署名を広告とした大衆運動はもう役に立たないとわれわれは判断した。

 そこでご覧の通り、危機の本質を総括した上で、政策提言を箇条書きにした。

 これらのテーマを今後質的に深化させ、継続的に追及するため分科会を設け、その結実を逐次『Voice』『諸君!』『正論』など主要論壇誌上に発表する機会を求め、各問題を現場の緊急解決テーマとしたい。

 ●そこで筆者は次のように要望した: 

 大変結構なことと思われます。

 が、比較的硬い主要論壇誌のみならず、(週間新潮やよみうりウィークリーなどの)週刊紙やテレビなどもっと柔らかいメディアも活用して欲しいものです。

 逆に言えば、そのような柔らかいメディアさえ取り上げるような仕掛けの考案にこそ智恵を働かせて頂きたいものと切に願っています。

◆将を得ようとするものはまず馬を射よ

 ■すると支援者の一人が次のように擁護した:

 《柔らかいメディアさえ取り上げるような仕掛け》についてですが、今回西尾先生は敢えてターゲット等を絞ったのではないでしょうか。

 時間・労力といったリソースは限られていますから。

 ●そこで筆者は次のことを提言した:

 「将を得ようとするものはまず馬を射よ」という諺があります。

 で、私は将を得る(自虐史観を是正する、もしくは戦後教育からの脱洗脳を図る)には、まず馬を射る(メディアへの警戒心を植え付ける)ことが先決条件だと思っています。

 具体的には、できるだけ多くの日本人に、テレビや新聞の(必ずしも意図したものとは限らない、つまり無意識的なものも含まれる)偏りに気付かせ、警戒心を植え付けることです。

 昨日の朝日新聞に出ていたのですが、朝日新聞社は東京大学に1億円出して「マスコミと政治」を研究する寄付講座を提供したそうです。

 まるでブラックユーモアみたいな話ですが、朝日新聞社の魂胆は明らかです。先手を打たれたのです。

 一番良いのは、その寄付講座に戦後メディアの害毒を一切暴くような御仁を(トロイの木馬のように)送りこむことなのですが、それがならぬ場合は、読売新聞社、産経新聞社、フジテレビ、日本テレビなどに同様の寄付講座の提供をお願いすることです。

 でも、残念ながら、そうした寄付講座を受け入れる有力な大学があるかどうか。

 どうしてそうなのでしょうか。制空権、制海権で言うところの空や海に相当する教育圏、メディア圏で、つくる会側は制空権、制海権が(主要論壇誌という点以外は)殆ど無い状態だからなのだと思います。

 ですから、教育圏、メディア圏での制空権、制海権の回復こそ緊急の課題だと思っています。

◆脱洗脳は教育の場が一番効果的

 ■賛同者の一人が発言した:

 教育大学、教育学部にも論争を挑む必要がありますね。

 公の場で論争できないだろうか。

 ●筆者は次のように応じた:

 教育の場で刷り込まれた洗脳を脱洗脳させるのは、やはり教育の場が一番効果的だと思います。

 願わくは、主要な大学で(戦後教育を糾弾するような)公開講座を(できたら無料で)開いて欲しいです。

 放送大学でも、NHKの市民講座でも構いません。

 つくる会主催のシンポジゥムを開くよりよほど効果的と思います。

 問題はそのような公開講座の開催を受け入れるところがあるかどうかですが、もし受け入れられないようなら、そのこと自体を問題にすることによって同様の効果が上げられるかも知れません。

◆少欲さん、あなたは何者ですか

 ■すると西尾幹二氏は次のように応じた:

 教育的に刷りこまれた自虐の歪みを脱洗脳させるために、主要な大学でつくる会主催の公開講座をできれば無料で開いたらどうか、と少欲さんは仰言います。

 放送大学でも、NHKの市民講座でもいい。

 つくる会のシンポジウムよりよほど効果的であろう、とも仰言るのです。

 また、つくる会主導で教員採用試験の精査を実行すべきである、ともいいます。

 あぁ、やれればどんなにいいでしょう。

 少欲さんは将を射んには馬を射よ、将とは「自虐史観の克服」で、馬とは「メディアへの警戒心を広い世間に植えつけること」だといいます。

 朝日新聞が東大に1億円払って、「政治とマスコミ」の研究委託講座を開かせることにしたらしい。

 この中につくる会の思想を入れるように働きかけるべきだろう。

 せめて同じように読売や産経にどこかの大学に金を払わせて、委託講座を開かせるべきだろう。

 西尾は九段下会議を開いたというが、Voiceや諸君や正論のような固いメディアだけを相手にしていてはダメだ、と。

 「名月を取ってくれよと泣く子かな」という句がありますが、少欲さんはこの句の示すダダっ子にみえます。

 少欲さんの求めていることは、できればすべてわれわれがやりたいことばかりです。

 夜空に浮かぶ名月です。

 しかしそれができないばかりに苦しんでいるのではないですか。

 皆さんがみんな分っていることです。

 しかし、ここまで書いてきて、私はじつはだんだん腹が立ってきました。

 少欲さんはダダっ子でもなければ、夢想家でもなく、ひょっとすると相当に腹黒い策謀家ではないのだろうか。

 左翼にできてつくる会にできないことのオンパレードを展開し、左翼の威力をたえず宣伝している下心があるのではないでしょうか。

 私たちの無力を天下に知らしめ、笑いものにしている大変な煽動家ではないのか。

 少欲さん、あなたは何者ですか。

 仮面をぬぎなさい。あなたの一語一語が今は不快です。不快であるだけでなく危険です。

 同志なら、絶望は知っている。

◆鉄は熱い内に打て

 ●それに対して筆者は次のように応じた:

 私は何故「それができない」のかその理由を考えたいのです。それを考えることによって、この問題の本質をより深く理解できると思うし、私自身の問題解決の参考にしたいのです。

 《ひょっとすると相当に腹黒い策謀家ではないのだろうか》は全くの買い被りです。

 でも、止むを得なかったとは言え、結果として西尾先生を立腹させてしまったことを申し訳無く思っております。

 《私たちの無力を天下に知らしめ、笑いものにしている大変な煽動家ではないのか》はとんでもありません。

 単に「敵を知り、己を知れば」の心境からです。

 不快にさせてしまったことは申し訳ありません。不徳の至りです。

 でも「危険」というのは考え過ぎでは無いでしょうか。

 私はつくる会の会員です。私はつくる会の支持者に仮面を使っているつもりはありません。

 若い学生達は柔軟です。「鉄は熱い内に打て」です。

 戦後教育に洗脳されていても、授業等の私の働き掛けで殆どが脱洗脳されます。

 そして、そのことを喜ぶのです。中にはかなり苦しむものもいますが。

 私の働き掛けを受ける学生はラッキーです。ですが私の能力では、数が限られています。

 年に4,50名が限度です。つくる会の活動の焦点が支持者層の強化に向かうより、不幸にも戦後教育に洗脳された学生を一人でも多く脱洗脳させることの方に力を注いで頂くことを願っています。

◆西尾先生が切れるほどのことではないだろう

 ■ある賛同者が(他の賛同者から寄せられた、筆者の論旨への疑念に)答えていた:

 少欲さんの話ですか。

 私は参考になりましたが。

 それは問題点の幾つかを具体的に指摘しているからです。

 こういう体系だった論説は少なかったような印象がします。

 保守では実現不可能なことを左翼がやっているのですから保守系はつらいわね。

 でもいつまでもそうじゃない。

 朝日新聞は読者の顔色をうかがっている新聞で朝日迎合新聞とでも名前を変えたらいいと思っていますが、あそこは時代の空気に敏感ですからいつ変貌するかわかったものじゃない。

 土台大地に根の生えていない思想をベースに行っている論説だから空論なんですな。

 空論はますます空論を積み重ねていつか崩壊すると私なんか気楽に考えていますから、西尾先生が切れるほどのことではないだろうと思いますよ。

◆結局は教育権の奪権闘争

 ■その賛同者は続けた:

 実際に左翼が50年掛けたか、それともこの30年で始まったかは知りませんが、彼らが作り上げたことですよね。

 私は敗戦後というよりこの2から30年に今回の事態を招いた原因があると思っていますが、少欲さんは実現不可能なことを述べているわけじゃない。

 今回の問題でも私はこういう仮説モデルを作って考えています。少欲さんが左翼だろうと何だろうとかまわないわけです。

 どうして左翼が保守では実現不可能な体制を作ってしまったのかを問題にしたらいいのだろうと。

 歴史的な所作から考えるとそれは空想ですが文化大革命に発想をおいていると思います。

 あれは権力闘争なんですが、実体は実権派に抵抗する毛沢東が教育権の奪還をねらって行った組織活動です。

 その類推で左翼が仕組んだ可能性があります。

 教育というのはオーム真理教をはじめとして共感を得ないと効果がありませんから、かれらは教育権の奪還をねらって色々なことをしたでしょう。

 私から見ると左翼の論説は見事に敗戦後の日本人の心情に一致しているのです。

 論理的な言い方をしながら実際には倫理面や道徳面を批判しています。

 日本社会は法で動いているのではなく情や倫理や相互信頼という論理では説明しかねる部分で動いているのですが、そこを見事についています。

 国際政治なんて日本的社会構造の推論から考えられるものじゃないのでしょうけど、そういうことをさしおいて条理より情理を基本にして日本の過去や現在の政治を批判します。

 マルクスの政治は権力奪還であるというという基準から見れば情理や倫理で批判するのはおかしいのです。

 個の自立をいいながら、一方では放送を握ることによって日本人の社会の集団で熟成される空気に弱い点をついてきています。

 言っていることとやっていることが明確に違います。

 彼らは自分たちの目的達成のため、すなわち教育権という権力を握るためには何でもありの一種のマキアヴァリズムをやっているように見えます。

 権力の種類を考えると軍事力や政治力や財務などの権力以外に教育権があるのですが重点指向によってそこを見事にのっとられたのでしょう。

 そういう眼で私は見ていますから、私から見ると憲法の問題と教育基本法の問題は車の両輪で、憲法の問題は現実が先に動いていますからまあとりあえずいいとして、教育基本法の問題はすっかり文部省も裁判所も彼らに牛耳られているように見えるのは(おもしろいことに評論していればいいだけの役所が左翼に牛耳られているように見えるのは、私の僻みでしょうか)ことを考えると問題はもっと深いと思っています。

 するとどうやって彼らから教育権を奪還するかという目的になりますから、それならば対策はないことはないと思います。

 一番いいのは世間常識のある父親が学校に頼らず子供の精神教育に責任を持つことだろうと思いますけど。

 これをどうやって組織的に行うか、体質改善ですから時間はかかりますけどね。

 まだあるかもしれません。それと左翼がいやがることを徹底的に政治家に実行して貰うことです。

 そのような政治家を支援することはできるでしょう。

 少し行き過ぎてもしかたがないくらい逆をやって貰うのです。

 保守反動の汚名をきて貰うわけです。

 教育基本法の改革をいやがるなら、徹底して改革を行うわけです。

 九段下会議ではどんな結論を出したか知りませんが。

 ということで私のは少欲さんとは明確に違った対策になります。

 教育というのは大きな軸で三つあって、知育、徳育、体育なんですが、知育のところで政治的主張を子供が知らず知らずに教えている可能性があります。

 教えというのはこれもまた三つあって、(1)両親や仲間や社会交流を主軸にした刷り込み教育、(2)社会的制約によって生じる制約条件としての規制、(3)文字による勉強でないかと思います。

 効果があるのは(1)と(2)でしょう。

 政治体制による制約は明確に思想を呪縛しやすい、特に日本社会の場合はそうでしょうからこれをマスコミが刷り込み型で行われたら効果はあるでしょう。

 でもそういう教育は現実にはかないませんけど。それは結局実権派が権力を握った中国の例を見てもわかります。

 歴史的な所作から考えるとそれは空想ですが文化大革命に発想をおいていると私は考えていると書きましたが、さらにそれが左翼にできた理由を考えないといけません。

 どうして左翼にそれができたかというと左翼の中でえげつない悪人がいて、教育という日本社会を作ってきた主軸を奪還するためにはどうしたらよいかをそいつが主体的立場になって考えたのでしょう。

 日本人とは何だろうかを考えて、例えば保守系の山本七平の論説なんかを考えて、こいつら日本人を騙すにはどうやったらいいだろうと考えた結果であろうかと。

 悪人は日本人のパターンを良く知っていたのです。

 逆に保守系は左翼に対する反論が忙しかったものだから自分たちの自己批判ができないでいるうちに足元をすくわれたのでしょう。

 保守は己を知らなかったのです。これは別に今に始まったことじゃない。

 大東亜戦争の陸軍指導部の若手を代表とする態度を見ればそれはわかります。

 まあ想像ですが早い話が保守の油断を指摘されたので、西尾先生は切れたのかなとも思いますが。

◆教育やメディアという面では全て負け続け、論壇という点しか確保できなかった

 ●それに対して筆者は次のように応じた:

 《日本人の社会の集団で熟成される空気に弱い点》は日本において洗脳のみならず脱洗脳を成功させる鍵であるとも言えます。

 《教育権が見事にのっとられた》はそのとおりです。私の義務教育時代の昭和30年頃ではまだ手がつけられていなかったのですから。

 《教育基本法の問題はすっかり文部省も裁判所も彼らに牛耳られているように見えることを考えると問題はもっと深いと思っています》は同感です。

 《どうやって彼らから教育権を奪還するかという目的になりますから、それならば対策はないことはない》ですが、教育権の奪還は”将を得る”ことに相当します。これは手強いです。

 つくる会は虎の尻尾(新しい歴史教科書)を踏みました。

 そこで手痛い(再起不能に近い)致命的な敗北を喫しました。

 ですから、まず”馬を射る”ことから始めなくてはなりません。

 それがメディアへの不信感を持たせることなのです。

 皆さん、メディアには色々な側からの不満があるので、取っ付き易いと思われます。

 《悪人は日本人のパターンを良く知っていたのです。逆に保守系は左翼に対する反論が忙しかったものだから自分たちの自己批判ができないでいるうちに足元をすくわれたのでしょう。保守は己を知らなかったのです。》

 についてですが、そういう面では保守は根っから戦略音痴のようですね。

 教育やメディアという面では全て負け続け、論壇という点しか確保できなかったのですから。

◆手強い獲物が釣れた時が一番、充実感を感じる 

 ■他の賛同者が次のように擁護した:

 私はつくる会の行動が完璧とはいいませんが、できる範囲内で努力はされていると思いますよ。

 ●筆者は次のように応じた:

 私が見るところ、脱洗脳に関してあまり研究努力しておられないように思われます。

 もっと心理学的なあるいは社会心理学的なアプローチが必要に思われます。

 脱洗脳対象の学生について私は経験から次のように分析しています。

       1 歓迎派 例えば始めから洗脳されていない(もしくは洗脳を不快に思っていた)人達 5%くらい

       2 受容派 すぐ脱洗脳される 殆どの人 40%くらい

       3 無関心/皮相的迎合 20%くらい 

       4 躊躇い(逡巡)派 30%くらい

       5 防衛、抵抗 5%くらい

       6 否定、反発 確信派 0%

 ■他の賛同者はそれに関心を示した:

 この統計値は面白いです。

 2の学生たちの脱洗脳をどうやって確認できますか、脱洗脳した結果、彼らの行動や生き方は変化するのでしょうか。

 非常に興味深いです。

 ●筆者は次のように答えた:

 機会が来れば、どこかの板で詳しく紹介するかも知れません。その時はお知らせします。

 釣りに似て、手強い獲物(と言っても学生だから程度問題ですが)が釣れた時が一番、充実感を感じます。

 つくる会のシンポに集まる人達の多くは歓迎派なのではないでしょうか。

 そういう人達だけを相手にしていては、脱洗脳能力は磨かれることはなかろうと思われます。

◆紹介しやすい会であるか否か

 ●筆者は更に西尾氏に次のような問題を提起した:

 「つくる会」の会員を増やすための運動がなされています。

 そのためにサンプルとして「史[ふみ]」を無料で届ける人の紹介が募集されています。

 しかし、私は紹介しかねます。

 それは紹介された人から誤解される可能性が高いからです。

 (日本会議でも似たような運動をやっています。私は何人か紹介しました。この方がまだ誤解される可能性が少ないと思ったからです。)

 なぜ誤解される可能性が高いと思うのか、それはここでお話する必要は無いと思います。(一言で言えば日本は歴史認識に関しては”立派な”洗脳国家だから)

 問題は、そう感じている会員がいることを会の理事さん達は分かっているかどうかです。

 もしかしたら、私のような思いを同じくする会員の方が(圧倒的に)多いかも知れません。

 これが「日本のマスコミ・メディアを是正する会」であれば、誤解される可能性がかなり低いので、紹介したい人は沢山いるのですが。

 そう言えば、「朝日新聞を糾弾する会」というのもありましたね。

 そこまで行かなくても良いのですが。要は、紹介された人から誤解される可能性が低い(つまり、紹介しやすい)会であることが肝腎ということです。

 「つくる会」が「将」を狙っているとしたら、「是正する会」は(将が乗っている)「馬」を狙っていると言えるでしょうか。

■2■脱洗脳はオセロゲームのように

◆問題はループ構造を描いている

 ■その賛同者は更に続けた:

 「将を得るには馬を射よ」の比喩では教育権の奪還は難しいような判断をしています。

 私が考えていることを絵柄にして書いてみましょうか。

 新聞は営利企業ですから、次のような構造を持っています。

 読者の眼→新聞←広告主の眼

 馬を射る一番の選択肢は購買者を削減することです。

 営利企業ですからいくら左翼新聞であっても読者の数が減ると広告が取れなくなりますから、世間の空気に従わざるを得ません。

 日本の大新聞は大衆迎合によって部数を戦前・戦後と部数を伸ばしてきたわけで、時代の空気を読むのが非常に上手です。

 最近の朝日新聞の論調もおやと思う部分がありますが、それは市場原理に朝日新聞が負けているのだろうと見ています。

 雑誌などの収入源を考えると、それは広告が大きなものです。

 その財源を絶つには新聞が売れなくならないといけないのではないかと思います。

 購買者を削減させる方法は一般読者と企業の購買を減らすことです。

 企業の場合の店頭公開するような規模の中小企業でさえ定期的に取っている新聞の部数はバカになりません。

 これは世間で新聞情報がまともでないことがわかってきたら、自然に解消するでしょうからこれはこれで対策を考えるとして、問題は一般読者です。

 それを考えてみるとループ構造を描いていることがわかります。

 違った意見を尊重するために新聞を殺してしまうのは反対ですが、違った意見をさも真理や正義の如くいいつのる新聞の権力は違った意見を封殺する行為になりますから、やはりどうやって読者の数を減らして企業側からの広告収入を削減させるかを考えているわけです。

           (問題のループ構造)

 新聞広告料金の削減→(この→は前の項目を達成するためにという意味です)新聞購読者の削減→新聞に対する懐疑を読者に植え付ける→しかし読者自身が新聞に信頼を置いている→メディアに疑問を感じさせる空気をどう作るか→メディアを掴んでいない→新聞の権力を取り去る→新聞広告料金の削減(もとに戻る)

 こういうループ構造を持っていますから、話はそんな簡単ではないわけです。

 少欲さんが非難されているのはこのループ構造を破壊する手だての提案がないからではないかと思っています。

 私が提案したのは個人でできること、すなわち父親が子供の精神教育に責任を持つということは個人でできることですから提案したのですが上に示したループ構造を破壊する手だてがないので四苦八苦しているわけです。

 さらにいやらしいことに日本文化は相互信頼と相互依存を軸にしていますから、社会の空気に非常に弱く、かつ印刷したものに理由のない信頼を置いている文化です。

 この文化の中ではマスメディアを握った人間は非常な力を教育権に関して握ります。

 いわば世間の空気生成装置としてのメディアを保守は握っていませんから、空気を破壊するのは大変なのです。

 従って私に気づく短期的手だては

(1)世間を知っている親の常識から子供に教育をほどこすことと、

(2)政治家に一肌も二肌も脱いで貰うこと、その政治家を支援すること、

(3)営利企業の広告主に新聞に対する批判を発表して貰うこと、そのほか可能性としてあるのは

(4)インターネットが手だてとして存在することです。

 だから私はWEBに参加してヤイノヤイノいっているわけですが。

◆ループ構造を破壊するもの

 ●これに対して筆者は次のように応じた:

 ループ構造が洗脳(強化)の原因となっており、脱洗脳が容易でないことの原因にもなっているという認識には同感です。

 ここで、次の本を思い出しました。(過去に学生に紹介したものです)それを要約して紹介します。

 《私たちはみんな、「画一化された価値観がすでに自分にすり込まれている」という意識がない

 ★学校教育の危機、崩壊する家庭教育★(なんしょんな香川 Part III 都村長生の最終提言)より

 「答教えて症候群(シンドローム)」:最近の受験では、制限時間内に「答」にたどり着くためには、考えてはいけない。

 ひたすら教わったことを条件反射的にこなし、あらかじめ教わった「答」に向かって突き進むしか方法がない。

 残念ながら、この症候群への即効性の治療方法はありません。

 なぜなら、この病は戦後50年かかってジワジワ進行した病気ですから、治すにも時間がかかるのです。

 「答教えて症候群」第1期:(昭和40年くらいまで)文部省の指示の下、学校の’先生が媒介’となって「答教えて症候群」ウイルスを全児童に蔓延させた。

 「答教えて症候群」第2期:第1期感染者が成長して母親となり、今は家庭の’母親が媒介’となってひたすらこのウイルスを子供にまき散らしつつある。

 つまり、ウイルスは学校に止まらず、家庭にまで感染してしまった。

 素直な子供ならともかく、いったん性根が固まってしまった大人(主として母親)の意識を変えることは、ほぼ不可能に近い。

 従って、まず今から生まれてくる子供の意識改革から始め、その子が親になった時、初めて効果が出てくる、そんな長期的な治療箋しか残されていない。

 これが、一般大多数の「体制順応タイプ」の生徒の最大の病根。

 母親が魔女狩りの使徒に:親が無意識のうちに加害者となってしまっている。

 画一化した価値観以外の考え方が現われると、無意識のうちに拒否してしまうまでに訓練されてしまっている。

 本来なら豊かな人間性を育むベースとなるべき家庭が、異端者をはじき出す’魔女狩り’の場と化して、一億総「勉強せんか」現象が起ってしまっている。

 本当に教育が必要なのは母親だ:文部省主導の画一的学校教育が、だんだん子供たちをおかしくしてきた。

 そして一世代めぐって育てられた画一の価値観を持った母親が、まさにそれに拍車をかけて走らせている。

 「答教えて症候群」第3期:全国の会社員にまで広がり、かくして「答教えて症候群」は日本社会の中枢をも冒してしまった。

 私たちはみんな、「画一化された価値観がすでに自分にすり込まれている」という意識がない。当然、「自分が媒介になってそれを子供や部下にすり込んでいる」という意識もない。》

 《このループ構造を破壊する手だての提案がない》については、手だてを一緒に考えましょうと提案しているのですが。

 少なくとも私の授業では、このループ構造を破壊し、ループを逆方向に撒き直しています。

 ループ構造を破壊するものとして、他に考えられるのは、「裸の王様」的な演技、「トロイの木馬」的なもの、小泉総理の平壌会談で言質を取ったような千載一遇のハプニングなどでしょうか。

◆子供を見れば親の様子がわかる

 ■その賛同者は更に続けた:

 少欲さんの引用事例は刷り込み教育の怖さと効果を示すものだと受け取っていますが、まるで子供を見れば親の様子がわかるという事例そのものでしょう。

 無意識か意識的か知りませんが母親が絶対だと思っていることを基準にして母親が子供にこういうふうにしなさいと体を張って教育するわけです。

 信念で行っていますから強烈でしょうよ。

 父親はその点はいい加減で、まあ男は人柄だ、自分で責任をとらなけりゃいけないから社会に出たら実力が問題なんだからまず実力を付けて、そして人にかわいがってもらえる人間性を持ってほしい程度ではないでしょうか。

 もしかすると偉くならなくてもいい、正直に誠実に生きてくれたらお父さんは満足だというかもしれません。

 そういう意味では男親の方が自由度のある教育を行いと思います。

 女親はその点では社会の基準が偏差値しかないとドライに割り切っていますから高偏差値の学校に入るのが何より大事だと思いこんでいる雰囲気があります。

 実際に役所に勤めたり、大手企業に入って一生安穏に暮らせるという見込みがあると信じているなら、その基準はどちらにしろペーパーテストであってペーパーテストに母親が命をかけるのも必然でしょう。

 洗脳を解く手だてって結構面倒なんだろうと思うのです。

 洗脳って生徒の関心×先生の人柄×ノウハウの組み合わせで成立しそうですから、本来はオーム真理教のようにはじめは一本釣りで個別対応しないとできない気がします。

 思いつき程度ですがでもそれを左翼は実行できたわけです。

 それならば後追いですができないわけじゃない。

 私は部下や新入社員の指導以外に教師をやったことがないので何ともいえませんが、教科として「日本破壊論」の逆になる「日本再建論」みたいな名前をもっと格調の高いものにして正式な教科をつくって大学で講義をするのもいいかもしれません。

 思いつきでいうと左がやってきたジェンダーフリーの「ジェンダー 学」があることに眼を付けただけですが。

 「ジェンダー学」も全部が全部そうではないのでしょうけど実体はあやしいものだと思っていますが、そんなのが正式の大学の教科になるくらいだから名前をどのように付けるか「日本保守論」になるのか。

◆脱洗脳はオセロゲームのように

 ●これに対しても筆者は次のように応じた:

 戦後教育による自虐史観の刷り込みの怖さと全く同型だということに着目すべきです。

 そうすれば、何が必要なのかが自明になってくるのです。

 《洗脳を解く手だてって結構面倒なんだろう》は必ずしもそうではありません。例えば授業の場など。

 洗脳のループに入り込み易かった人はまたそのループを逆回転させられ易い人でもあるのです。

 その時、脱洗脳に要する時間は洗脳に要した時間の何分の一かで済むと思われます。

 洗脳の仕組みが既に明らかなのですから。

 《教科として「日本破壊論」の逆になる「日本再建論」》は感じとしてはそんなものです。

 でも、ここで肝腎なことがあります。

 金正日が拉致の告白をして始めて、北に洗脳されていた(ような)日本人の多くを脱洗脳させる行為が、世間的承認を得た(生存権を得た)ように、戦後教育による自虐史観を刷り込まれた日本人の多くを脱洗脳させる行為が世間的承認を得る(生存権を得る)までは、隠れキリシタンのような立場であることを自覚していなければなりません。

 つまり仮面を被る必要があるのです。

 ですから、「日本再建論」みたいな左に嗅ぎつかれ警戒(そして邪魔や妨害)されるようなものであってはなりません。(まず大学や文科省で認められないと思います)

 メディア(・リテラシー)論などが無難なところでしょう。

 そして仮面を被る必要がなくなれば、王様は裸であることが判明し、脱洗脳はオセロゲームのように一気に達成されるような気がします。

 ローマ帝国が一気にキリスト教化されたように。その際、洗脳の一翼を担っていた文科省は解体され、刷り込み教育ループも断ち切られ、真の教育改革が実現するのかも知れません。

■3■脱洗脳を行うとしたら薄甘左翼の若い人達でしょう

◆生徒や学生は先生と同じ道を通り憎悪の再生産を続ける

 ■その賛同者は更に続けた:

 オセロゲームですか。一挙に形勢が大逆転するようなシステム的な見方ですな。

 《戦後教育による自虐史観の刷り込みの怖さと全く同型》はうんなるほど。

 私が解釈したものは親の子供による再生産の部分がないので不満足かとも思いますが、母親を左翼教師、子供を生徒や学生という名詞を換えれば意味はより明確になるかも。

 ちょっと書き直してみましょうか。

 無意識か意識的か知りませんが左翼教師が絶対だと思っていることを基準にしてその左翼教師が生徒や学生にこういうふうにしなさいと体を張って教育するわけです。

 信念で行っていますから強烈でしょうよ。

 普通の教師はその点はいい加減で、人に教育するのに変な価値観を刷り込んではいけないということを真に受けてますます授業が面白くなくなる。

 せいぜい人にかわいがってもらえる人間性を持ってほしい程度ではないでしょうか。

 もしかすると偉くならなくてもいい、正直に誠実に生きてくれたら先生は満足だというかもしれません。

 一定の価値観が刷り込まれた生徒や学生は先生と同じ道を通り憎悪の再生産を続けるわけです。

 「一定の価値観が刷り込まれた生徒や学生は先生と同じ道を通り憎悪の再生産を続けるわけです」の解説でも試みましょう。

 私は憎悪の再生産の理由に安保騒動後の隠れ左翼の問題がありゃせんかと思います。

 というのはマルクス主義の考え方を刷り込みもやっているでしょうけどそれ以上に別の理由がありそうだと思えるほど執念を感じます。

 もちろん敗戦前に自分たちが悪者でなかったことをいいつのって他者を悪人に決め付けるという点もあったでしょう。

 さらには自分の職業が権威がなくなったら生活に困るという実生活上のニードもあったでしょうけど。

 でもそれらの人間は年を取って退役していきます。

 するとモチベーションを増加させるガソリンの補給が必要でしょう。

 そのガソリンの補給のもとが安保闘争ではないかと想像しています。

 根拠はないんですが、そう考えると色々なものが見えてきます。

 少欲さんがおっしゃるように私も小学校5年生まであんまり変な話を聞いたことがありません。

 初めて印象に残ったのは昭和33年頃でしょうか6年生が卒業式の準備をしている時に美術の老人先生が授業中に「君たちはなぜ君が代を歌うんだい。きみがあよおわ、ちよおにいやちよおにさざれってどうして歌うんだい」と言い出したのが初めてです。

 時代で言うと文化革命が昭和39年から、ベトナム反戦運動が昭和42年前後、第二次安保闘争が昭和43年ぐらいですからこれらの闘士の存在を指摘したらいいのかな。

 すなわちこのような事態は敗戦後に続いているというよりガソリンが補給されたのは安保反対デモ時代にまともな会社にいけないために公立教師になって、または報道やメディア関係の従来は水商売と言われた業種が高度成長に従って受け皿になったじゃないでしょうか。

 または国家試験を受けて資格によって司法制度に組み込まれて仕事を得たわけです。

 大部分の学生はリクルート服に着替えて、いままで何があったのかというような顔をして社会に組み込まれ、時代の波に乗ったのでしょう。

 ところが社会に対して自分たちが認められていないという認識の人間は社会への憎悪を生じているのではないかと。

 証拠はありませんが。

 これらの人が社会のトップになっているわけで、その影響も強そうだなと思います。

 これらの人の根底は社会に対する憎悪やひがみですから、そういう意味では一部の朝鮮人の恨という言動にも共感しやすいでしょう。

 そうだとすると別にマルクス主義だけでなくそれと重なり合った僻みでしょう。

 そうだとすると別に戦後だけの問題じゃない。

 異論があるでしょうが陸軍や海軍の青年将校が昭和維新を唱えましたが、私はこの背景にエリートをエリートとして扱ってくれなかった社会への僻みがあって、その僻みが表面上は社会の腐敗や農民の困窮という表現を取っていると考えています。

 いわば彼らの背景には社会主義に共感するものがあっての話ですが。

 というのは大正の軍縮時代は軍服を着て市内を歩けなかったとまで言われていますから、天皇陛下の直属の部下であり村では一番のエリートと言われた自分たちが優遇されないのは世の中がおかしいと考えるのは自然でしょう。

 結婚時期の大尉時代の俸給では結婚もできず相手もおらず、大隊長でさえ家族を食べさせるために内緒で内務班のいわば残飯を家族に食べさせている。

 一方で内務班では面倒を見てくれる兵隊がついていて長靴を脱ぐのにでさえ手伝ってくれる。

 世間は口先ではリップサービスをするが実際には機能を発揮しないものには冷厳な眼で見ている。

 これで僻まなかったらむしろ異常です。

 社会がおかしいという想いから運動を行って結果的に社会に受けいれられなかった。

 自分たちは一流校の出身で一種のエリート意識がある。

 社会がおかしいと考えて憎悪が生じてもおかしくはないでしょう。

 青年将校は武器を持ってテロを行いましたが、左翼は武器としてマスメディアを持っているわけです。

◆日本で「憎悪の再生産」システムを成り立たせた潜在的な動機

 ●これに対して筆者は次のように応じた:

 《オセロゲームですか。一種に形勢が大逆転するようなシステム的な見方ですな》については明治維新の時もそうだったし、マッカーサーによる占領後もそうでした。

 時が来れば(条件が揃えば)、ある日、掌を返すように、変わる国民性だと思っています。

 要するに単純なのです。洗脳に無防備なのです。

 オウムの時もそうでしたし、小泉総理の平壌会談後もそうでした。(金正日がそこを読み違えたのはラッキーでしたが)

 《母親を左翼教師、子供を生徒や学生という名詞を換えれば》については、母親には左翼教師の他に左翼マスコミ・知識人も加えた方が良いでしょう。

 《私は憎悪の再生産の理由に安保騒動後の隠れ左翼の問題がありゃせんか》については、私は一部の人達による意図的な謀略という謀略論には賛同できません。以下は他の板に書いたものです。

 《私がいいたいことは反日日本人が必死になって最後の反撃にでているのに無意識のうちの行為だとはとても思えないと言うことです。試験問題作成にも左翼の裏マニュアルがあるのではないかとさえ思っています。》について、何か特定の謀略組織があって、それが悪いことをしている(つまり悪いことをしているのはほんの一部)のなら、問題の解決はそれほど難しくないのではと思います。

 しかし、それでは問題の認識が正しいとは思いません。

 つまり本当の敵が分かっていません。

 従って、問題は解決しません。

 これを洗脳・脱洗脳の問題と位置付け、それへの対策をなさない限り、解決しないのではなかろうかと思っています。

 大東亜戦争を東條英樹等を中心とする軍部の陰謀だという説が成り立たないのと同じです。

 ヒットラーだってスターリンだってドイツ国民やロシア国民がそれを望んだからこそ独裁者になれたものだと思います。   

 ですから、日本で「憎悪の再生産」システムが成り立ったのは、そういう潜在的な動機が国民の側に存在した、だから、社会に遍く受け入れられたと考えます。

 潜在的な動機とは何か、それは以下のようなものが一番大きいと思っています。

 《大成功の理由は、国民の側に受け入れる素地があったからだと思う。

 メディアの発信するこれら日本軍の旧悪暴露に、読者は首を振るどころかしだいに同調したから、報道に一層みがきがかかった。言葉を変えれば、メディアは読者のニーズにあった「商品」を提供し、やがてニーズそのものを支配し、他の商品(異論、異説)が細々としか生き残れないほどに市場を席巻した。

 日本人は、自分を良識のある人間、いい人間だと周囲の人に見てもらいたいという欲求が他国の人より強いのだと思う。  

 だから、目に見える形で直接の利害が生じる問題になれば現実的になるが、そうでないかぎり、良識的に見えそうな論になびいていく。

 旧悪暴露がメディアの良心的行為に見えるのである。

 また、論理的に物事を考えるより、情緒的に反応するので、事実を見失いやすい。

(検証 旧日本軍の「悪行」ー歪められた歴史像を見直すー 田辺敏雄(自由社2003.1)より)》

◆脱洗脳を行うとしたら大多数の薄甘左翼とレッテル付けされ揶揄される若い人達

 ■その賛同者は更に続けた:  

 《私は一部の人達による意図的な謀略という謀略論には賛同できません》は困りましたね。

 このような反論が来るのは覚悟していましたけど。

 でも私は一部に人による謀略が全てだとは書いてないでしょ。

 いままで私が書いたものを読んでいたただければ少欲さんが後でお書きの「大成功の理由は、国民の側に受け入れる素地があったからだと思う」の続く文章には賛成しかねますが、引用した部分までは私がいままでこのサイトで書いてきたものと類似です。

 私の場合はもっと歴史の奥に原因があると言っていますから、だからこそ東京裁判だけに原因を持ってくるのを否定しているのです。

 何かあって原因を調べて対策を取るのは基本的な部分で再発防止を図るのが目的ですから、仮に東京裁判を否定しても再びおなじ事は起きるだろうと判断しているからです。

 第一ご自分でも明治維新の話までもってきているじゃないですか。

 第一に今回の議論の目的は少欲さんの論説を否定するためのものじゃない。

 何かいい対策はないかを考えるためにやっているわけです。

 すると簡単な構造を示したら説明しやすいかな。

 数の少ない勢力であってかつ声の大きな勢力という順位で概略考えると

(1)日本のためにする勢力

(2)自己の利益のために正論を吐いたような顔をしている勢力

(3)学問上の立場での保守への反論をいう勢力

(4)大多数の薄甘左翼とレッテル付けされ揶揄される勢力

(5)無関心な勢力

 さて(1)や(2)は信念でやっていますから、一種の信仰類似の部分があってこういう人間には説得は聞きませんし、どんな時代にもいます。

 (3)はいわゆるまともな学者です。これも対象外でしょう。

 (5)は世間の空気で動きますから教育するのは大変で労多くして実が得られない対象です。

 問題は(4)なんですね。

 従って洗脳を行うとしたら(4)の若い人でしょう。

 これは当然の前提なんですけど。

◆虎穴に入らずんば虎児を得ず

 ●これに対して筆者は次のように応じた:

 こんなことがありました。

 昨日のことです。

 極く普通の(どちらかと言うと私に親しい)同僚との会話を紹介します。

[同僚]今朝の朝日新聞、読みました? 4コママンガ。

[私]朝日新聞は見ましたが、マンガは、、(読んでませんの意)

[同僚]傑作でしたよ。

[私]へぇー。何が?

[同僚]小泉が馬鹿にされています。

 旭川でイラクへ派遣する自衛隊を激励したことが。

 戦争に大義などある筈が無い。

 それなのに、小泉の馬鹿はブッシュに騙されて。

 あれでは、学徒出陣を激励した東條と同じですよ。

[私]へぇー。(言葉がありません)(今日5日になって、そのマンガを読みました。4コマの最後は「あれでは出征と何も違わんね」という年寄りの言葉がありました。)

何を言いたいかと言いますと、

1 この同僚は決して左翼ではありません。まあどちらかと言うと無関心派です。

2 しかし、多分朝日新聞しか読んでいないためなのか、すっかり洗脳されています。

3 センター試験での問題の話は全く知らないでしょう。また理解不能でしょう。多分、そんなことにいちゃもんをつける側を非難することでしょう。

4 同僚は特別の存在ではありません。8割以上の同僚は似たり寄ったりでしょう。

5 この同僚は私がどんな考えを持っているかなど全く考える必要を感じていません。

6 私はこの同僚の気持ちが良く分かるので非難するつもりは毛頭ありません。

7 こうした人への反論は禁物です。効果無いどころか、逆効果です。

8 これは山本七平が名付けたところの「空気」そのものなのです。

 このような人の脱洗脳はもう手後れでしょう。

 つまり、脱洗脳がもう手後れになっている人ばかりの大学という環境で、若い人達を脱洗脳させるという、まるで「虎穴に入らずんば虎児を得ず」の心境です。

■4■正論には解決に向かっての論考が乏しい

◆洗脳社会では正論より風刺の方が浸透力がある

 ●筆者は西尾氏に向けて次のように述べた:

 《私たちはみんな、「画一化された価値観がすでに自分にすり込まれている」という意識がない》と紹介した文は、戦後教育による自虐史観の刷り込みの怖さと全く同型だということに着目して欲しいです。

 このようにループ構造化(により難攻不落の要塞化)された洗脳社会にどのような言葉が有効だろうか。

 江戸時代には川柳がありました。

 東欧にはアネクドート(小話)がありました。

 ヒットラーの時代にはチャップリンの風刺映画”独裁者”がありました。

 スターリンの時代には、オーソン・ウェルズ(だったか)の風刺小説(そして後日アニメ化された)”アニマル・ファーム”がありました。(小説「1984年」もそうです)

 現在の日本ほどこのような風刺作品が必要とされている国はないのではないでしょうか。

 素材(テーマ)は既にあります。

 後日ヒットし、そのテーマの先見性が高く評価されること疑い無しの素材だと思います。

 そのことに着眼する芸術家もしくは脚本家は現れないものでしょうか。

 小説(芥川賞も可能かも)でも漫画でも良いのです。

 (アニメを含む)映画化されたり、テレビドラマ化されれば最高です。

 洗脳社会では正論より風刺の方が浸透力があるように思われます。

◆善意の恐ろしさ、傲慢さを見つめるべき

 ■すると西尾氏はある支援者へ向けて次のように述べた:

 最近日録感想板の内容がなんとなく面白くないですね。

 貴方はそうはおもいませんか。

 少欲と言う人の考え方が悪意からではなく、心配に発し、つくる会への老婆心に出ていることはわかるのですが、典型的な俗論なのです。

 人間は人間を操ることはできないし、操ってはいけないのです。

 彼にはそれがわかっていない。

 洗脳などと言う言葉も軽々しくつかうべきではないのです。

 自分が高い知性をもち、相手が低い知性をもつ、そういう前提に立って相手を説得出来るとおもったら間違いです。

 見かけは説得された風にみえても、そういうやり方では相手の心をつかむことは出来ません。

 人を説得するには、自分が自分の信念を愚直に語り、誠実に行動することです。

 利口ぶった、人を指導する意識をもたないことです。

 そういう姿勢に心をひかれ、胸を打たれた人だけが本当に説得されるのです。

 時間はかかりますが、ほかに人間の心を変える方法はありません。

 相手を操って、相手の心を動かすことはできないと言っていい。

          

 少欲さんは洗脳された愚か者を善導し、目を開かせたいと善良な動機から一貫して発言されていることは私は百もわかっていますが、あなたはご自分のその善意の恐ろしさ、傲慢さを見つめるべきです。

 それに気がつかないで、他人を啓蒙できると信じてるいるなら、政治主義です。

 私が一生かけて戦ってきたのは、左翼でもマルクス主義でもなく、人の心を自由にできると信じている便利で軽薄な政治主義なのです。

 私の以上の考え方、皆さんにも読んでもらいたいので、感想板へ移送してください。

◆意図的な誤解

 ●これに対して筆者は次のように述べた:

 「人間を操ってはいけない」には異論ありません。「洗脳」という言葉の持つ危険性についても重々承知しています。

 《あなたはご自分のその善意の恐ろしさ、傲慢さを見つめるべき》について、前回は「仮面を脱ぎなさい」で今回は「傲慢さを見つめるべき」ですか。

 先生は色々誤解しておられると思います。

 私のつたなさ故に誤解させたとしたら申し訳ありません。

 でも、誤解を解くための弁明が必要なようにも思えません。

 なぜなら、先生は意図的に誤解されているようにお見受けするからです。

 その意図というのは私の推察するところ、この掲示板での私の発言を相殺したい、ということではないでしょうか。

 そのために、「仮面」とか「傲慢」とかの語句やプロとしての文を駆使しておられるのかなと。

 私の発言を相殺することによって、何が得られるのでしょうか。

◆正論を吐く人と現代の若者との間にはまだ相当のギャップ

 ■支援者の一人が次のように筆者を激励した:

 少欲さん、パワー全開ですね。

 洗脳についての、授業で学生にヒントを与えている先生って素晴らしいと思います。がんばれ〜

 ■その支援者が次のように述べた:

 メディアを是正する役目は、インターネットに生息する現代の若者がきっとフラッシュの形や2ちゃんねるでの発言などで、担ってくれていると思いますよ。

 ●筆者は次のように応じた:

 流布のされ方(広まり方)でまだ力不足では無いでしょうか。

 またインターネットに生息する現代の若者は、新聞(活字)を読まなかったり、論壇誌を読むことは稀でしょう。

 つまり、正論を吐く人とインターネットに生息する現代の若者との間にはまだ相当のギャップがあると思います。

 芥川賞を受賞するような若者が、この洗脳のループ構造をテーマにするほど政治的に目覚めているとも思えません。

◆正論には解決に向かっての論考が乏しい

 ■賛同者の一人が次のように述べた:

 概略では賛成です。しかしそうしたものはやはりその専門化に任せるしかなく、先生は小説家でもなければ映画監督でもないわけです。

 ●筆者は次のように応じた:

 西尾先生が小説家や映画監督である必要はさらさらありません。

 先生は思想家だと思っているので、その思想に共鳴する小説家や映画監督はいないものかと思っているのです。

 ■賛同者は続けた:

 それはどなたかが先生の理論に光をみて、それを娯楽でもなんでも良いから社会にうまくなじめるものに作り上げてもらうしか方法はないでしょう。

 ●筆者は次のような問題を提起した:

 今日、図書館で正論3月号を半分ほど読みました。

 つくづく感じるのですが、この正論は数年間読めば、内容がある程度パターン化していて飽きを感じさせます。

 例えば、左翼マスコミの問題点を次ぎから次ぎへと手を代え、品を代えて提供してくれます。

 それはそれで結構なのですが、それでは固定購読層は確保できても、広がりは望めません。

 問題点の啓蒙や正論の開陳に留まらず、洗脳のループ構造を如何にして撃ち破るかという解決策とまでは行かなくても、それを読めば、ついフラフラと今まで洗脳されていたことに気が付くとか、そういった面への関心を引き出すような柔らかい論調とか工夫が欲しいものです。

 正論という雑誌名自身に限界があるのかも知れませんが、そろそろ(読んでみたくなるような雑誌への)変身が必要な頃かなと。

 今日は残りの半分を読みました。

 問題の指摘は沢山あるがそれらをどう解決したいと思っているのかさっぱり見えて来ません。

 問題がもし解決されてしまえば、そうした論説の需要も無くなる、それでは困るので、解決しないことを願っているのではないかと疑いたくなるほど解決に向かっての論考が乏しいのは何故だろうか。

◆諸君と正論は啓蒙雑誌ではない

 ■他の賛同者が次のように述べた:

 諸君と正論は左翼の大衆に対する洗脳を解くために発刊されたのではなく、左翼の世界等啓蒙主義的雑誌に嫌悪感をいだく人のために発刊されたものです。

 したがって諸君と正論は左翼に洗脳されてしまった人を左翼でなくするための啓蒙雑誌ではありません。

◆左翼に(簡単に)洗脳されないためのツール

 ●筆者は次のような問題を提起した:

 そう言えば、”左”は論壇のみならず、教育者、コメンテータ、マスコミ人、政党、自治体首長、議員、弁護士、市民運動家など”面”を確保していますが”右”は論壇という”点”しか確保できていません。これはどうしてだと思いますか?

 《諸君と正論は左翼でなくするための啓蒙雑誌ではありません》はごもっともです。

 「左翼の世界等啓蒙主義的雑誌に嫌悪感をいだく人」を喜ばすという目的ですね。

 「左翼に洗脳されてしまった人を左翼でなくするため」とまでは行かなくても「左翼に(簡単に)洗脳されないため」のツールはどうして考案されなかったのだと思いますか?

 必要が無かった?、気が付かなかった?、そこまでの才がなかった?

■5■”左”は”面”を確保している

◆次回も死屍累々となる可能性は決して少なくない

 ■支援者の一人が次のように問うた:

 問題になっている教科書の現物をご覧になっておられますか?

 「他社版の教科書を放置しておいてよい」とお考えの人には、つくる会の方針を云々してもらいたくありません。

 ●これに対して筆者は次のように述べた:

 現物を手にとって詳しく読んだ訳ではありませんが、伊藤哲夫氏の講演ビデオや三浦朱門氏の本などから大体のことは把握しているつもりです。

 また「他社版の教科書を放置しておいてよい」とも思っておりません。

 ですから、良い教科書が出来、それが広く採択されることを願っているものです。

 でも、今までの経緯や愛媛での経験(教科書反対活動家の無名の一教諭が12万票も獲得できたのです)から判断すると、次回の採択も10%近くなるとは到底思えません。

 せいぜい、良く言って1%(それでも1万部以上?)くらいではないでしょうか。(私はそれでも大きな前進と評価しますが) 

 水を差すようなことは言うな、やってみなければ分からないではないか、という意見もあるかと思いますが、大東亜戦争ではありませんが、次回も死屍累々となる可能性は決して少なくないと思います。

 そうならないことを祈っていますが、神風に期待する訳では参りません。

 つまり、真の敵は何か(戦場はどこにするか)、を取り違えてはなりません。

 教科書採択は手段(戦術)の一つで、本当はもっと大きな目的(戦略)が秘められているというくらいでないと「つくる会」へ賛同した人達も救われないような気がするのですが、皆さんはいかがでしょうか。

◆”左”は”面”を確保している

 ■賛同者の一人が次のように述べた:

 国内の左翼支持層の有権者はどうみても最大10パーセント以下、一方メディア界を見渡すと三大全国紙と言われている中の二つが左翼系、こんなアンバランスな国は少なくとも先進国では希有な存在世界七不思議の一つに入れてもいいぐらい。

 日本人の「馬耳東風」的感覚の為せる業か、もっとも小生など通算すると朝日を数十年は購読している。

 無論「馬耳東風」タイプを自認している。

 ●筆者は次のように応じた:

 (共同通信から配信を受けている左翼系)地方紙も入れると産経、読売、日経のシェアは全国で10~15%くらいのものではないでしょうか。

 ■他の賛同者が「民意とマスメディア」と題して次のように述べた:

 最近、諸外国では、日本のマスメディアは「民意を反映していないのではないか」との疑問を抱き始めたようです。

 NY.タイムスはすでに「産経の論旨が民意を代表している」としてこれを中心に掲載するそうです。

 朝日や毎日の論旨は一部の国民(日教組、左翼系の組合、知識層等)の声は十分に反映しておりますが、その他の大多数を占めている一般国民の声はほとんど反映されず、且つ、反映出来る場は全く閉ざされて来たと言っても過言でないと思います。

 幸い、近年PCが一般家庭に浸透しメール交換が容易となり、マスメディアによって閉ざされてきた数多くの隠れた国民の声がストレートに反映されるようになり、結果としてこの声が逆にマスメディァに反映せざえる得ない状況になりつつあります。

 この現象は日本の将来に明るい展望が開けるものとして期待を掛けております。

 ●筆者は次のように応じた:

 同感です。でも、道は遠いことを忘れてはなりません。

 ”左”は論壇のみならず、教育者、コメンテータ、マスコミ人、政党、自治体首長、議員、弁護士、市民運動家など”面”を確保していますが”右”は論壇という”点”しか確保できていません。

 ■別の賛同者が「左翼と右翼の差」と題して次のように応じた:

 鋭いご指摘かと思います。

 感覚的な書き方しかできないのでこれが正しいかどうかは自信ないですが一般的には新聞記者を筆頭にしてこの面にぴったりあってるのは自分を押し出して恬として恥じない性格の御仁が筑紫、久米など左には一杯いるような気がします。

 それに比べて右は皆さん性格が良すぎてなかなか左に勝てません。

◆「至誠天に通ず」で「バカの壁」に阻まれている

 ■他の賛同者が次のよう述懐した:

 思えば「保守の言説」を水割りにしてみせたのはよしりんが初めてかも知れません。

 よしりん自身が「ウス甘サヨク」から脱却しながら(だから説得力があったのかも)。

 保守は「巷の栄華低く見て」で「希少価値」にしがみついていた一面もあったのではないでしょうか。

 それと「至誠天に通ず」で「バカの壁(「人には見たくないものは見えない」だったかな?)」に阻まれているのかもしれません。

 ●筆者は次のように応じた:

 つくる会側は国民の8割以上が洗脳されているという認識からあまりにも遠すぎた、そういう認識ができるほどには認識能力が欠けていた、そういう現実を目の前に突き付けられても直視することができなかった、のだと思います。

 つまり自己を客観的に見る能力の欠如かな。

◆有効な何も働きかけができていない

 ■賛同者の一人が次のような疑問を投げた:

 《つくる会側は国民の8割以上が洗脳されているという認識がない》は当たらないと思います。

 何故ならそもそもその認識ゆえに作られたのが作る会なのでは?

 ●筆者は次のように応じた:

 なるほど。つくる会側は国民の8割以上が洗脳されているという認識はあったかも知れません。

 しかし、そういう洗脳された人々の行動法則についての認識が致命的に不足していた、今もそういう人達へ何も働きかけができていない、ということです。

◆つくる会側は格好の餌?

 ■支援者の一人が述べた:

 少欲さんのお得意の書き込みを反対勢力はどう読んでいるでしょうかね。

 ●筆者は次のように応じた:

 拉致問題に関してのテレビの討論番組など、北からどう思われるか、心配になることがあります。

 でも私の書き込みなど反対勢力は、歯牙にも掛けない(全く心配していない)と思います。

 ■支援者は続けた:

 そのまま読めば俵さんたち、油断大敵です。まあ、その方がいいのですけれども。

 ●筆者は次のように応じた:

 油断しきっていると思います。

 それには結果として、つくる会側もかなり貢献(?)しているのかなと。

 左が危機感を煽るとしたら、団結力と持続力強化のためであって、つくる会側はそれの格好の餌(エサ)になっているような。

■6■センター入試問題を巡って その1

◆日本も歴史認識に関しては充分に洗脳国家

 ■賛同者の一人が述べた:

 「自虐・東京裁判史観」が間違っていることを証明することも重要だが通説の座から引きずりおろす事がより重要だ。

 そのためには、このたびの大学入試センター試験に対する抗議のように地道な活動しか方法は無い。

 ●これに対して筆者は次のように述べた:

 上手く行けば良いのですが、産経以外のメディアで取り上げてくれるかどうか。

 西船橋の図書館での廃棄の問題もそうですが、(労多くして功少ない)もぐら叩きのような印象を持ちます。

 「北朝鮮を洗脳国家だというが、日本も歴史認識に関しては充分に洗脳国家である。このままでいいのか!!」というような過激なメッセージを国民に届けることが肝要だと思います。

 そうした意見広告を新聞やテレビで流すことは考えられないものだろうか。

 ■支援者の一人は次のように述べた:

 人それぞれに評価の違う(事実でないという議論も含めた)テーマを強引に教科書に定着させようとする「近隣諸国条項」と、教科書に記載ないものを出題することによって受験生と親を”脅して”「踏絵」を踏ませ、結果的に教科書の記述を一定の方向(平準化)に誘導することは表裏一体の洗脳戦術です。

 ●これに対して筆者は次のように述べた:

 (これは私の推察ですが)出題した人は洗脳戦術の一つと言った認識は全く無いのだと思います。

 当然の問題を出題したに過ぎないのだと思います。

 それも良い問題だと自負していたかも知れません。

 どうしてそうなるのか、その理由は日本が歴史認識に関しては十二分に洗脳国家であるからに外なりません。

 その証拠に、大半の歴史教科書にそうした記述があるのは事実だし、センター試験本部の責任者にも、文部省の担当者にも、センター試験の監督を行った多くの大学の教員にも、センター試験を受けた学生の殆どにも、新聞でセンター試験問題を見た人の殆どもその記述をおかしいと思わなかったことがあげられます。

 また、問題視したメディアは産経しか無く、他の一切のメディアから無視されたことからもそのことが言えます。

 何を言いたいかと言いますと、「日本は歴史認識に関しては十二分に洗脳国家である」ことを認めなくてはならないということです。

 そしてその認識に立って、対策を立てなくてはならないということです。

 つまり、洗脳された人々に如何に、それに気付かせるかという問題、つまり脱洗脳の問題なのだと思います。

 ですから、本来は、これを出題者の洗脳戦術の一つと決めつけ、そのことを糾弾するよりは「日本は歴史認識に関しては十二分に洗脳国家である」ことを国民全体に認識させる絶好の機会と捉えるべきだと思いました。

 ■他の賛同者が述べた:

 マスコミの人はテロと戦うとはどういうことなのかを理解していないということですね。

 今回の問題は

       1.とんでもない問題が出題されたこと

       2.それに対してマスコミはまったく動かなかったことであろうと思います。

 ●これに対して筆者は次のように述べた:

 1.については、私は驚きません。

 (ある意味で)起こるべくして起こったことだと思います。(起こらない方が不思議)

 私は2.の方をより問題視したいと思っています。

 要するに、産経しか載って無いので、マスコミから実質的に無視されていることです。(無視できるとたかを括られている)

 読売が報じないことの方を問題にしたいです。

 ■受験生の一人が述べた:

 こればかりはどうしようもない、という感じもありますね。

 答えは一つだし、正直、センター試験が思想を確定させてしまう事もないように感じられます。

 たとえそれが踏み絵だとしても、正直罪悪感を感じないのです。

 ●これに対して筆者は次のように述べた:

 「思想を確定させてしまう事もない」、「たとえ踏み絵だとしても、正直罪悪感を感じない」のところ、なんとなく分かる気がします。

 受験生の殆どはあの問題に違和感を持たなかったと思いますが、違和感を持った受験生の感想も大体はその辺だと思います。

 それがこの問題を生じさせた背景だし、本質なのだと思います。

◆風刺二題

 ■他の賛同者が次の風刺を披露した:

 取り敢えず、(下手くそだけど)「風刺」を試みてみまーす。

 「この密談はフィクションです。実在の人物・団体とは関係ありません(笑)。」

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 役人「反発されそうですけど、本当に出題してもいいんですか?」

 学者「我々専門家に任せて置きなさい。君達は何も心配する必要はない。」

 役人「でも、怒鳴り込んできたらどうします?」

 学者「君達は事務方だから、どのみち専門的な事には答えられないじゃないか。常識で考えてみたまえ。例えば救急車の場合はどうなのかね。駆けつけてすぐ医療行為をしなかったため、患者が手遅れになったとする。確かに残念な事だと思う。だが、治療すれば逆に罰せられるのが普通だろ。感情的になって責めるのは筋違いなんだよ。」

 役人「あなた方は我々の監督下にある筈では?」

 学者「だからこそ君達には、我々の専門性を尊重し保護する義務がある。それとも何かい。素人役人の権力を以て、学問の自由を制限するつもりなのかね。」

 役人「いや、そんなつもりでは…。」

 学者「そうだろうとも。お互い仕事の分担が大事なのさ。我々とて私心で問題作成している訳ではない。共通一次導入後に蓄積されたノウハウを踏まえて、作成者の合議で決めているのだよ。」

 ●これに対して筆者も風刺を披露した:

 私も試みてみます。

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 役人「なんでこんなことが問題になるのでしょう?」

 学者「一部の右翼のいやがらせでしょう。やつらには困ったものだ。教科書採択で惨敗したのにまだ懲りてないのだから。」

 役人「では無視しましょう。マスコミも全然取り上げていないし。」

 学者「いや、産経だけは取り上げていますよ。」

 役人「えっ、そうなの? どうしてだろう?」

 学者「右翼思想に洗脳されているのですよ。殆どの教科書でちゃんと書かれているだけでなく、国連でも”朝鮮人民共和国”は日本が先の大戦中に朝鮮人を840万人も日本へ強制連行したことをちゃんと主張しているのですから。」

 役人「えっ、朝鮮人民共和国の主張は信じても良いのですか?」

 学者「当然です。その証拠に、産経以外のどのメディアも”朝鮮人民共和国”の主張を否定していない、いや否定できない、いや否定しようとしないではありませんか。」

 役人「なるほど。北朝鮮が洗脳されているというけれど、産経や右翼などの方がよっぽど洗脳されているのですね。」

 学者「そうなのです。北朝鮮の洗脳より、産経のような洗脳の方がよっぽど危険なのです。」

 役人「いや、今日は大変勉強になり、ありがとうございました。」

 こんなところでははないでしょうか。

◆史実をはっきりさせれば後ろめたさが無くなるといった単純な問題では無い

 ■ある賛同者が「これが現状ですね」と次のように述べた:

 私は、過去何度か、「歴史認識論争は保守側の完敗だ。この情況は当分変りようがないであろう」と言明したことがあります。

 今回、当サイトにおける大学入試センターによる「世界史」の問題に関する論議をざっとみてみましたが、益々この見解は強固なものなったと言わざるをえません。

 歴史観、歴史認識という観点からは、中身ゼロですね。

 多くの閲覧者も、何故「歴史認識論争は保守側の完敗」で、「この情況は当分変りようがない」のか、ある程度理解できたのではないでしょうか。

 まず感じるのは、皆の自信の無さですね。

 「第二次世界大戦中、日本への強制連行が行われた」という記述が事実なのか、虚偽なのか。

 皆さんには、それを判断するだけの知識も能力も無いということが言外から窺われます。

 そもそも、左翼側が何を根拠として「第二次世界大戦中、日本への強制連行が行われた」と主張しているのか、知らないばかりでなく考えたこともないのではないか?

 つまり勉強不足なのです。そして、勉強するつもりも無いのです。

 歴史認識論争における左派と右派の最大の差、それは、勤勉か怠慢かということです。

 ●これに対して筆者は次のように述べた:

 センター試験事件は当然の出来事だと思います。

 問題は強制連行が史実か否か、強制連行という用語が適切だったか否か、ああいう出題が適切だったか否か、以前に勝負がついているのです。

 それは、日本人の殆どが(実際は日韓合邦であっても)韓国併合(植民地化)に後ろめたさを感じているからなのです。

   

 ですから、この後ろめたさをぬぐい去る、つまり戦後教育からの脱洗脳が功を奏しない限り、問題は何回も起こり、その度、主要メディアからは無視され、こうした一部のサイトでのみ鬱憤晴らしが行われ、敗訴を重ねることになると想像しています。

 史実をはっきりさせれば後ろめたさが無くなるといった単純な問題では無いのです。

■7■センター入試問題を巡って その2

◆「戦後教育による洗脳」が犯人

 ■支援者の一人が述べた:

 この正攻法が、本日訴訟となって弁護団により記者会見されたそうですが、NHKは取材に来ていたにもかかわらず、ニュースにしませんでした。

 いったい、入試センター試験を受ける日本の多くの若者を人質にした卑劣な人間は、ばれないと思ったのでしょうか?

 ●これに対して筆者は次のように述べた:

 何故無視されたのか、ここに敵を知る鍵があると思います。

 「ことなかれ主義、問題の重要性を判断する力のなさ」というより、そういう行動を取ることの方が正しい(日本のためになる)、と思って行動していると考えるべきではなかろうかと。

 採択の時と似たような事情だと思います。

 そもそも、強制連行が間違いだと認識していないでしょう。

 もしかしたらと思っても、検定を通った教科書の半数以上に記載あれば、もう疑う必要を認めません(世論の支持は得られると判断したのでしょう)。

 読売がなぜとは思いますが、このことを荒立てて、それを元に、北の反発を買うことの方を(微妙な時期の小泉政権にとって)危険と思ったのかも知れません。

 NHKや他誌は読売が報じれば、報じたかも知れませんが。

 要するに、日本人の8割以上は、強制連行はあったか無かったかを聞かれた時、あったと答えるほどにまで洗脳された状態にあると考えれば、文部科学省の役人、センターの役人、出題に関与した教師達、マスコミの行動、全て説明できる問題だと思います。

 ■支援者は続けた:

 独立法人大学入試センター試験は教科書に書いてあるからと、文部科学省に責任をなすりつけます。

 文部科学省は「近隣諸国条項」を押し付けてきたのは政治家だと、政治に責任をなすりつけます。

 その政治は民主主義の国なのだから主権在民の国民に責任があります。

 国民は、情報を操作し、あるいは教育を牛耳っているものが国民の空気を作っているとマスコミや教育に責任を被せます。

 国民は、マスコミが取り上げなかった問題には問題そのものがなかったことになり、怒りようがありません。

 ●これに対して筆者は次のように続けた:

 責任転嫁論ですが、洗脳されている人は責任を感じないでしょうし、従って(当面の鉾先は避けるとしても)転嫁する必要性も感じないでしょう。

 誰も何も悪くなかった。

 訴えた学生の精神は正常だったのか、それを支持する弁護士やつくる会や産経の意図の方が問題ではないのか、と思っているでしょう。

 裁判官も洗脳されている可能性が高いので、初審はまず敗訴でしょう。

 でも、最高裁の結審まで頑張れば、「12人の怒れる男達」のように「戦後教育による洗脳」が犯人だったことが判明する可能性を秘めています。

 という訳で、徹底抗戦を支持します。

 ■賛同者の一人が疑問を呈した:

 《センター試験事件は当然の出来事だと思います》は、どういう意味でしょうか?

 「当然」とおっしゃるのでしたら、因果関係について、具体的かつ実証的にご説明ください。

 ●これに対して筆者は次のように答えた:

 「起こっても別に驚くことでは無いし、不思議でも無い」ことの実証的な説明ですか。

 産経以外のメディアが無視しているのが一番実証的な説明になっていませんか?

 (私は問題が無いとは思っていません。念のため)

 ■賛同者は続けた:

 どうして、「日本人の殆どが(実際は日韓合邦であっても)韓国併合(植民地化)に後ろめたさを感じている」としたら、「強制連行が史実か否か、強制連行という用語が適切だったか否か、ああいう出題が適切だったか否か、以前に勝負がついている」ことになるのでしょうか?

 具体的にご説明ください。

 ●筆者は答えた : 強制連行という用語が出ても、心に違和感が無く、受け入れられる心情だからです。

 ■賛同者 : 「後ろめたさ」と「洗脳」と、どう関係があるのでしょうか?

 ●筆者: 

 「後ろめたさ」は「洗脳」の成果なのです。

 脱洗脳されたと自認している人でさえ、「後ろめたさ」はなかなか消えません。

 これは「洗脳」の残滓なのです。

 ■賛同者 : 「敗訴を重ねる」とありますが、今回のような裁判は何回もあり敗訴してきたのでしょうか?

 ●筆者 : 残念ながら敗訴しか考えられないと思うからです。

 ■賛同者: 

 訴訟を取り上げ、それについて主張をなすことが、どうしたら「鬱憤晴らし」ということになるのでしょうか?

 ●筆者:

 つくる会が採択で惨敗したことを自らの力量不足とは思わず、他のせいにしたがる心理に似たものを感じるからです。

 今回の訴訟でも、敗訴を当然視するくらいの冷静さが無いと事態の打開は困難かなと。

 日本人が空気に左右されやすい国民性だということをゆめゆめお忘れなきよう。

 ■他の支援者が「刷り込みっちゅう事だな」と次のように述べた:

 意味もなく「うしろめたさ」をもしも感じているとしたら、それは「刷り込み」なんだろうな。

 「後ろめたさ」を感じるのが正当だとする理由をちゃんと明示できていないのならば。

 で、少欲さんの示した事例からは、そんなところでなぜ後ろめたさを感じなければならないの?と思う。

 韓半島の併合(日韓合併)が失敗であったという反省は持つべきとは思うけど、それは自省としてのものであって他者に対するものでは無いっしょ?

 「自省」を「後ろめたさ」だと思いこまされているという意味で洗脳と言っているのかな?

◆センター入試問題の件は氷山の一角

 ■ある賛同者が聞いた : その「洗脳」された学生たちをどうやって「脱洗脳」なさったのでしょうか?

 ●筆者は次のように答えた:

 ある条件の元では少しづつ効果が出て来る、つまり、大抵の場合、ほぼ脱洗脳されるということです。

 ただし、残滓は残ることがある。その場合でも、残滓が残っていることを自覚できている。

 つまり、洗脳されている状態よりはかなり脱洗脳されるということです。

 ■その賛同者は続けた:

 「裁判」の審理においては、また大学入試センターの対応の適否を問う場合、「事実と論理」と「(洗脳に基づく)心情と感情」とでは、どちらが優先されますか?

 ●筆者は次のように答えた:

 裁判官自身が洗脳されている可能性が高いので、無意識に「(洗脳に基づく)心情と感情」が優先されるでしょう。

 過去にそんな事例はいくらでもあると思います。

 ■ある支援者が述べた : どうせキャッチフレーズであり、プロパガンダにしか過ぎません。すでに過去のものです。

 ●筆者は次のように答えた:

 いえ、決して。(過去のものと軽視したいお気持ちは分かりますが)

 多くの教科書にもちゃんと載っていますし、教育学部でもそう教育されています。

 過去のものだと言える人は、ほんの一握りなのが現状なのだと思います。

 センター入試問題の件は氷山の一角に過ぎません。

 ■その支援者は続けた:

 わたしの知り合いが、海外旅行で知り合った娘さんのことを語ってくれました。

 ご両親が旧社会党の活動家だったそうですが、キャッチフレーズやプロパガンダ以上の強い教化に育てられたさしもの彼女も、知り合いとの語らいの結果、旅の終りには”洗脳”が解けてしまったということでした。

 ●筆者は次のように応じた:

 興味深いお話、ありがとうございます。

 私が想像するに、(メッセージを授受する)色々好都合な条件が存在したのだろうと思います。

 正論で持って相手を説き伏せる(ましてや、糾弾する)と言った態度ではなかったろうと想像します。

 できれば、もっと詳しく紹介して欲しいです。

 つくる会も、その知り合いのお方のような語らいがあればと思います。

 ■その支援者は続けた :  ”洗脳”なんてそんなものだと思うのです。

 ●筆者は応じた:

 全く異論ありません。

 難しく考え過ぎるのも良くない、だからといって、見くびるのも良くないと思います。

 その知り合いのお方のような語らいをメディアに乗せることができれば一番良いのですが。

◆右翼議員等が入試センターに圧力を掛けているという構図

 ●筆者は述べた:

 今日、28日の朝日の声欄に二つの投書がありました。

 30才くらいの教員と18才の高校生からです。

 自民議連の動きへの懸念表明です。

 読売の記事についてですが、やはり腰が引けています。

 センター入試問題のニュース性については無視しています。

 また、センター入試問題の解説もないし、それへの論評もありません。

 このセンター入試問題に関して、つくる会側が勝ったのか、朝日側が勝ったのか、世論への影響を考えると、4:6か3:7くらいで朝日側が勝っているように感じています。

 勿論、0:10や1:9でつくる会側が負けるよりははるかにマシなことなのですが。

 それと敵失を狙うなど粗探しばかりしか無いように見えるのは残念だなと。

 昨日、精神科医、野田正彰の講演がありました。

 有料なのに満員でした。

 教育問題に関する講演ですが、彼から見ると、現在の公教育は文部科学省と教育委員会による洗脳そのものだそうです。

   

 学力低下、校長の自殺など教育上の全ての問題は、全体主義思想で洗脳しようとする勢力の陰謀だそうです。

 河合隼雄の「心のノート」が集中的に攻撃されていました。

 この講演会は左翼政党の県会議員に企画されたものですが、いわゆる主婦層を中心にした市民団体向けのものです。

 質議の時間も切りが無いほど盛り上がり、洗脳されやすい、もしくは殆ど洗脳された人達の洗脳度を益々高めていました。

 そして、聴衆の代表者から、昨日の朝日の声欄への投書の話が、大変頼もしいこととして紹介されていました。

 自民の右翼議員等が入試センターに圧力を掛けているという構図になっているのです。

◆中間派への影響を読む研究が全くなされていない

 ●筆者は次のように問題を提起した:

 以下のような話がMLでありました。

 私が危惧するのは、つくる会は、一般庶民はどちらの意見に耳を傾けるか読めるだろうか、ということです。

 《「つくる会」が、大学入試センター試験に「強制連行」問題が出されたことに対して、設問作成の担当者名を公表するよう圧力をかけていることはご存じと思います(詳細は、教科書情報資料センターhttp://www.h2.dion.ne.jp/~kyokasho/のトップページにある「つくる会は強制連行問題で活路を模索」の欄で紹介)。

 これにつき、産経・朝日などが2月26日から27日にかけて、「問題作成者名を公表」と報じました。

 ところが、記事は不正確で、読売新聞が27日に報じた(残念ながら、この記事の全文は、その後削除されてしまいました)ように、「文科省などは、今年の問題作成者の公表には慎重な姿勢を崩していない」とあって、公表を決めたのはこれから委嘱する委員のみで、今年「強制連行」の設問を作った担当者などは含まれていません。

 この点は、当HPからも大学入試センターに問い合わせ、改めて確認したところです。

 ところが、大学入試センターには、なお「つくる会」とその議員連盟から、「強制連行」出題者を公表するよう強い圧力がかけられつづけています。

 今後、もし出題者名が公表されるようになるなら、大学入試センターが不当な圧力に屈したことになる(正しい設問であることはこの上の欄でもご紹介しました)だけでなく、試験制度の崩壊につながるでしょう。

 大学入試センターは今、右翼勢力に包囲されて孤立しています。

 入試センターに激励のFAXが届けられるならば、彼等も頑張ってくれることが予想されます。大学入試センターFAX番号 03−5478−1295》

 さて入試問題に関する訴訟ですが、つくる会会員が約10,000人いるとします。会員一人当たり親しい親族が(0才から100才まで)5人いるとします。

 今年、センター入試を受ける人は100人に一人とし、その内脱洗脳歓迎派が5%とすると、10,000 x 5 /100 x 5/100= 25 つまり25人近くの訴訟賛同者がいても良いことになります。

 ところが、今のところ数名。要するに、この訴訟問題ですら、(採択率が0.01%のオーダーに留まったと同様に)裏目に出る可能性すらあります。

 中間派への影響を読み損なうというか、読む研究が全くなされていないのではないかと危ぶまれる次第です。

 ■支援者の一人が述べた:

 そのMLはわたしも読ませていただいております。

 今は、朝日新聞が社説で取り上げた「自衛隊官舎への反戦ビラ投入」事件で必死にに不法逮捕だと叫んで呼びかけをしていますよね。

 わたしが”危惧”するのは一般庶民はどちらの意見に耳を傾けるか、彼等には読めているのだろうか、ということです。  

 朝日新聞の論説委員も含めてですよ。

 ●筆者は応じた:

 私は朝日のことは危惧しません。危惧する動機がありません。

 信頼しているということではありませんよ。

 早く化けの皮を剥ぐような大失態を曝して欲しいと思っているくらいですが、なかなか。中間層の心理を読む(且つ、操作する)ことに関してはつくる会より余程長けているのではないでしょうか。

 横綱と幕下くらいの差があるような。

■8■靖国参拝訴訟判決を巡って

◆この訴訟は左翼に取って大いに意味があった

 ■支援者の一人が述べた:

 朝日新聞など各紙は「公式参拝を認定」「請求は却下」と報じています。

 朝日などは見出しは「公式参拝」の認定の方が大きく、いかにもポイントを稼いだような書き方ですが、それはかれらの目が曇っている証拠ですね。

 溺れるものは藁をもつかむと言いますが、朝日新聞は藁をつかんでしまった。

 ●これに対して筆者は次のように述べた:

 私にはそうは読めませんでした。

 そもそも、こうした訴訟は左翼の運動エネルギーの保存策としてなされており、勝てばもっけの幸い、負けても元々、引き分け等で継続になれば、十分に目的を果たしたと評価していることでしょう。

 小泉総理の私的参拝という主張が破れたので、上級審などを通じて延々と運動を継続できることになった訳ですから。

 ■その支援者は続けた : そういう意味で南木先生がおっしゃったように「大勝利」といえましょう(呵々)。

 ●これに対しても筆者は続けた:

 (南木先生が喜ばれるお気持ちは同慶の至りですが)勝って当然の戦いなら、勝っても「大勝利」とは言わないでしょうから、「大勝利」とおっしゃったのでしたら、「勝って当然」の戦いでは(必ずしも)無かったということでしょう。

 そこが左翼の狙いどころだと思います。

 つまり、この訴訟は左翼に取って大いに意味があったことの証なのだと思います。

 また、このことを世論がどう評価するかという観点からも考える必要があります。

 すると、「朝日新聞は藁をつかんでしまった」と言えるかどうか、私は疑問に思っています。

 ■その支援者は続けた:

 どなたも書き込まれないようですから、少し所論を申し上げます。

 おっしゃる通り左翼陣営の訴訟は大は戦略から小は戦術に至るまで、金をかけて組み立ててきます。

 確かに負けてもいいという訴訟もあります。

 マスコミに露出されればいいのですから。

 各紙の新聞記者も訴訟となれば、どんな小さなものでも追いかけるような習性になっています。

 訴訟ということがそのニュースの社会性を保障するようなものなのですね。

 「訴訟になったら、どうしても書かざるをえませんよ。」とは耳にタコができるほど聞いてきたせりふでした。

 いや、どんな情景かを勝手に想像しないで下さい。

 あくまで一般論ですから。

 マスコミと左翼の持ちつ持たれつの関係がいつの間にか出来上がってしまっています。

 で、今回は負けてもいい訴訟なのかという問題です。

 「判決要旨」を読めば次の通りになっています。

 「憲法20条3項は、国家の制度として国家と宗教の結合を禁止する政教分離の原則を定めたものと解釈されるところ、政教分離原則とは、国家機関に対して、一定の宗教上の行為を禁止することによって、国家と宗教との分離を制度的に保障し、もって信教の自由を間接的に保障するものであって、これを国民個人に対する具体的権利として保障したものではないと解すべきであるから、同条項をもって原告らの被侵害利益を保障するものとは認められない」。

 つまり、憲法20条3項「国およびその機関は、宗教教育その他いかなる宗教活動もしてはならない」ということは、政教分離原則の制度的保障(たとえば重さ)であって、個人的な権利の保障(たとえば長さ)とは直接的には関係ないとしたのです。

 長屋の熊さん、八つあんに分かり易く言えば、たとえば「重さ」で「長さ」が測れますか?といっているのです。

 首相の参拝はれっきとした公式参拝ですが、これをもってしても、個人的レベルの権利は、信教、思想、良心の自由といえども侵害しているとはいえないという全く新しい解釈の判決ですから、左翼はこれで負けていいといった当て馬的裁判ではないでしょう。

 よってこれはまず、思わぬ原告側の完敗だと思います。

 つまり「負け」の始まりだと思います。

 《勝って当たり前なのになぜ大勝利なのか》は、当たり前なことが通用しなかった固陋な裁判の壁を突き破ったということに尽きます。

◆反「つくる会」では無く、卒「つくる会」

 ●これに対して筆者は続けた:

 「当たり前なことが通用しない」ことには事欠きません。

 大学などその典型です。

 では当たり前なことを通用させるには何が必要か。

 それは世論を是正するしか無いと思っています。

 それには正論を述べるだけという段階は早く卒業し、世論に影響力を持つ必要があるということです。

 例を挙げましょう。私の職場では正論は全くと言って良いほど、無価値です。

 多数決が全能です。(敢えて正論を述べ続けるものは、部族社会に不利益をもたらすとして除名されるか村八分になります)

 日本の社会全体は私の職場より閉鎖性が少ないという点で少しはマシでしょうが、正論があまり評価されていないと言う点では似たようなものでしょう。(そう言えば選挙も多数決ですね)

 ですから私は「つくる会」に世論に影響する方法を研究して欲しかったのですが、それは無理のようです。

 私は「つくる会」を早く卒業したいと思っています。

 それは決して、反「つくる会」では無く、卒「つくる会」なのです。

 正論を説くことより世論に影響力を持つ方法の研究の方により関心を抱いているという意味です。

◆我々は何を考えるべきか

 ■その支援者は(違憲の判決を下した)裁判官に向けて次のように述べた: 

 

 それじゃ、何かね、国民的議論のないままおぬしは違憲の判決を下したのかね。

 つまり国民的議論を尽くして参拝すれば合憲なんだね。

 まったく奇妙な判決だ。

 ●これに対して筆者は述べた:

 全く同感です。「奇妙な」というより「困った」ことだと思います。

 ここで考えることがあります。まず、この判決問題には過剰に反応してはならないということです。

 図書館で新聞を見ましたら、県紙を始め朝日、毎日は戦争での大勝利を祝わんばかりの喜び様です。

 日経も好意的に扱っているように読み取れました。

 吃驚仰天しているのが、産経、読売という構図です。(センター入試問題の報道の時と対照的です)

 中国、韓国もさぞかし勢い着くことでしょう。訴訟派の大勝利と言っても良いでしょう。

 しかし、この判決は無視するのが一番だと思います。

 反論すればするほど、相手側の戦術(参拝違憲論の宣伝)に嵌まってしまうと思います。

 で、我々は何をするべきかについてですが、私は次のことを考えることから始めるべきではなかろうかと思っています。

1 今回のような判決は、訴訟派は勿論のこと、朝日、毎日、産経、読売などのメディアも予想してなかったことだと思います。

 どんなメディアも予想できなかったのは何故か?(あるいは、どんなメディアも予想できなかったような判決が出たのは何故か?)という命題です。

2 産経を除く多くのメディアが好意的に取り上げている(読売ですら非難はしていないようです)のは何故か?という命題です。

3 この判決の是非について世論調査が取られたらどんな結果になるだろうか。

4 判決を下した裁判長はこのようなメディアや世論の反応をどの程度予期していたのだろうか。(もしくは予期できたとしたらそれは何故か)

◆精神病理的な問題では?

 ■その支援者は(違憲の判決を下した)裁判官に向けて続けた:

 このひとりごとをしゃべったバカな(本当にバカです)裁判官の判決のおかげで、憲法20条第3項が、憲法9条第2項と同じで、非現実な世界を憲法に持ち込んでいるということがよくわかりました。

 ●これに対して筆者は述べた:

 バカなという言葉は適切でありません。

 裁判官をバカとすれば、その判決をあのように報道したマスコミやそれをそのように受け入れた国民の殆どは裁判官以上にバカということになるからです。

 要するにバカかバカでないかの問題では無いということです。

 ある種の精神病理的な問題ではなかろうかと思います。

■9■治療をおざなりにしたら、医療技術の改善も成功しない

◆運動の最大の功労者であると同時に、最大の妨害者

 ■賛同者の一人が述べた:

 私は、西尾先生が電気通信大の助教授をなさっていた頃からの愛読者ですが、ここに書き込むのは初めてです。

 先生の、インターネット日録中『国民の文明史』批評を読んで、ああ、また先生の悪い病気が出たな、と心配しております。

 先生は学者・評論家としては一流ですが、政治家としての才能はからきしありません。

 従って、一つの運動をまとめあげて具体的な成果を勝ち取って行く、という政治的な仕事はまことに下手糞です。

 そして生来の正直から、味方の文章にまで容赦のない批判を加えて、結果的に相手を敵方に押しやってしまう愚を犯してしまいます。

        

 若い頃に飲んだニヒリズムの毒が、抜けないのかも知れません。

 私は、陰ながら、新しい教科書の採択運動に協力させて貰っている者ですが、先生はこの運動の最大の功労者であると同時に、最大の妨害者ではないかとの疑いを拭い切れません。

 もし、私の投稿が皆様のお気に障ったとしたら、お許し下さい。

 私に出来ることは、市販の教科書を買って、そ れを知人に配るぐらいのことしかありませんが、運動のいよいよの発展をお祈り致します。

◆自分と同じ土俵で戦えというのは、利口な発言ではない

 ■その賛同者は「弁明ないしは説明」をした:

 どうも私の書き込みが、西尾先生を非難しているもの、と誤解されたようで残念です。

 私にはそんなつもりはありませんでした。

 又、つくる会を(実際上)離れていった人を弁護するつもりも毛頭ありません。

 彼等の資質に問題があったのは、その通りです。

        

 しかし、人間には皆それぞれ得手不得手があるのです。

 漫画家には漫画家の得意分野があり、それは上手く使えば大きな武器となります。

 そういう人材を使いこなすのが、政治的手腕だと思うわけです。

 ところが、その漫画家に、漫画ではなく文章で勝負しろなどと言ったのでは、もう話にもなりません。

 これは、ボクサーに対して殴るのは禁止だ、レスリングで来い、と言っているのと同じです。

 もちろん、そういう発言のあった時点では、既に修復不能な地点に立ち至っていた、ということは分かります。

        

 けれど、もしそうであるとしても、相手に対して自分と同じ土俵で戦えというのは、利口な発言ではないでしょう。

 私のように、世間の荒波に揉まれて来た人間から見ますと、どうも西尾先生のおぼっちゃん振りには、ため息の出てしまう所があるのです。

 これ以上書きますと、誤解の上塗りをする結果になりそうですね。

 それに過ぎた話を蒸し返しても仕方ありません。

 私が心配するのは、今後のことですが、両N先生はまっすぐなお人柄だけに、些細なことから、対立するのではないか、と恐れるのです。

 杞憂であることを祈って、失礼します。

◆西尾氏の最後通告

 ■ある時、唐突に西尾氏は「最後に、少欲さんへ」という最後通告を発した:

 あなたはつくる会のやり方、運動の仕方に足りない面があると、長期にわたって、じつに驚くほど執拗に言いつづけてきていますね。

 であるなら、あなたはつくる会会員だそうですから次のようにお願いします。

 支部に名乗りをあげて、会の指導者の一人として活躍して下さい。

 あなたの考える方針で支部活動を展開して下さい。

 あなたの誠意はきっと会員の胸を打ち、やがて本部もあなたの大衆説得活動の比類ない影響力に気づくことになるでしょう。

 もしつくる会活動はいやだというのなら、つくる会の外で、あなたご自身がなんらかの会を組織して、あなたが理想とする大衆説得活動を展開して下さい。

 つくる会は政党ではなく、また大衆説得を第一義に考えている会でもありません。

 事務局のメンバーも少なく、財力も乏しく、あなたが期待しているようなことはできそうにありません。

 ではつくる会の目的は何かというと、教科書をつくることが第一義ですが、もう一つはそれに関係して、歴史教育の過誤に対し理論闘争をすることです。

 日本史学会という所は間違いもなく左翼に占領されています。

 彼らは教科書を好き勝手にしているだけでなく、センター試験まで自由に利用できる強い立場を得ているのです。

 この敵の本丸を壊さなくてはなにごとも動きだしません。

 大学入試センター試験では平成12年度にも、マッカーサーのし残した仕事として天皇制度廃絶を選ばせるトンデモナイ出題がなされ、われわれは激しく抗議しました。

 しかし、受験生の側に「これはひどい」と怒る声はなく、そのままになりました。

 しかし今回の「強制連行」には、「これはひどい」と怒り、裁判をすると手を上げる受験生が出現したのです。

 日本史の方でも裁判に参加する声を上げている人がいます。たぶん連名で本訴に進むでしょう。

 小さいながらこれは前進です。

 若い人の間に歴史学会の間違い、官製の歴史認識の間違いに気づき、怒りの声を上げるほどの人が出てきたのです。

 一大変化でなくてなんでありましょう。

 つくる会の理論闘争が一歩づつでも効果をあげている証拠ではありませんか。

 少欲さん、あなたは気づいていないかもしれませんが、つくる会はあなたが言うような無力な存在ではなく、左翼が最も恐れている精神的保守運動の中核なのです。

 見掛けは3年前に比べて元気をなくしているように一見みえるかもしれませんが、日共や朝日だけでなく中国も韓国も、いぜんとしてわれわれの行動が気になってならず、自民党にしても拉致問題――解決すればそれで終わる――よりもはるかに深く、大きく日本の針路に影響を与える精神運動であることに気づいています。

 だから安心していいというのではなく、あなたが言うように大衆の耳にわかり易いことばで語りかけることもできればやるべきでしょうが、そういうことは心ある他の人に任せ、理論闘争の手を緩めないこと、スキをみせないこと、敵失を見逃さないことが大切です。

 あなたはつくる会が大衆社会に危険視される思想を述べるのではなく、甘いリベラルムードに迎えられる牙をなくした存在になるように求めています。

 しかしそれは理論闘争を深めていくことと一致しません。

 残念ながらあなたの言う通りにしたらこの会は存在理由を失います。

 あなたは要求の相手筋をとり違えているのです。

 そこで、あなたの考える大衆説得路線を歩みたいならあなたご自身で会支部の幹部の一人として実践してみるか、さもなければ別の会をつくってご自身が指導者として行動してみるべきだという、最初の提案にもどることになります。

 あなたは私がこれだけ書いてもまだ白を切って、今までと同じたぐいのこと、つくる会を持ち上げるふりをしてその無力と将来性のなさを意図的にいいふらすことばを吐きつづけるなら、明らかにその動機はつくる会の無力、役に立たない無効性を言い立てることに目的があり、会の内側から会員を無気力にしようとしている陰謀家と思わざるをえません。

 もし同じたぐいのことばを吐きつづけるなら、あなたはつくる会の支援者の仮面をかぶった「左翼」です。少くとも「左翼的思考」の持主です。

 くりかえしますが、私やつくる会が牙をなくした大衆迎合的存在になることは絶対にあり得ないのです。

 歴史認識の是正は衆愚との闘いでもあるからです。

 二度と同じたぐいのことばを吐いて、撹乱行動をしないでいただきたい。さもなければどこかの団体の回し者と見なします。

◆治療をおざなりにしたら、医療技術の改善も成功しない

 ●これに対して筆者は次のように述べた:

 教科書は作れば良いというものでは無いと思います。

 採択という形で社会から一定の支持・評価を得ることができなければ、やはり悪い教科書だったのだという烙印がおされ、洗脳強化に繋がり、脱洗脳をより困難にします。

 歴史教育の過誤に対する理論闘争は結構なのですが、理論だけでは片付かず、反対派の感情的反発を引き起こし、メディアその他を通じて、洗脳強化に繋がる危険性もあります。

 要するに、洗脳という問題への配慮を欠くと、どんな試みも裏目に出る、逆効果になる可能性が高いということを忘れてはならないと思います。(例になるかどうか分かりませんが、鬱の人を励ますと、益々鬱になるのに似ています)

 本丸攻撃(教科書)は外堀を埋めて(脱洗脳)からではないでしょうか。大阪の陣を思い出します。

 ペルーの日本大使館奪還にフジモリ元大統領が地下にトンネルを掘ったように、警戒されない方法も考えて欲しいものです。(ちなみに私など警戒されたらお手上げです)

 要求の相手筋をとり違えているでしようか。

 目標をどこに置くのかという問題だと思いますが、「若者の脱洗脳は成人の責任においてなさねばならぬ」についていかがお考えでしょうか?

 勝手にやってくれ、でしょうか。何か一緒にというか、力を合わせることはできないのでしょうか?

 理論闘争と脱洗脳は(医療技術の改善と患者の治療のように)車の両輪であるべきかも知れません。

 私としては、そこに患者がいるのですから、(医療技術の改善より)治療の方が先だと思うのです。

 治療の方をおざなりにしていては、医療技術の改善も成功しないと思うからです。

 失礼なことを申し上げていましたら深謝致します。

■10■どのように有効に語りかけるか

◆政治家を動かすのも脱洗脳が先決条件

 ■支援者の一人が述べた:

 政治家をいかに動かして結集させるかに国家の命運がかかっているというメッセージが伝わってくるようですね。

 ●これに対して筆者は次のように述べた:

 政治家を動かすのも脱洗脳の重要な手の一つです。

 政治家は洗脳されている割り合いは国民のそれより低いのですが、何せ、国民の8割以上が洗脳されていることを、良く知っていますから、うかつには動きません。

 教科書採択では殆ど、触らぬ神に祟りなし、でした。

 国民の洗脳がかなり解けて来た、もしくは解けそうな気配があって、始めて動くのが彼等の行動法則ですから。

 当分は洞が峠でしょう。そのためにも、脱洗脳が先決条件なのだと思います。

 政治家は洗脳されている状態を見抜くのに長けています。

 でないと、選挙に勝てませんから。つくる会への支持を鮮明にした政治家が何人いたと思いますか?

 拉致議連もバスに乗り遅れまいとしているだけのような。

◆飲んでみたくなるような薬を与えることが肝心

 ■賛同者の一人が述べた : 急いで事を決すればよかったと、誰もが今になって考えることではないでしょうか、

 ●筆者は答えた:

 戦後教育による洗脳という病がここまで悪化する前に手を打つべきだったというお説には賛同しますが、ここまで重症になったからには、急いては駄目で、まず体力の回復が先決かと。

 ■その賛同者は続けた:

 その親は高度成長時代に生まれ、暖衣飽食の中で自国の捻じ曲げられた歴史を教えられ、国への愛情も、誇りもなく、何の指針もなく、当所なく生きて行く様に、ザ・ストップをかけなければと立ち上がられた方達が、即ち「つくる会」なのではないでしょうか、、

 ●筆者は答えた:

 旗を挙げたのは良いのですが、瞬く間に敵から反撃を食らい、大衆にすら(うさんくさい輩と)そっぽを向かれる結果になりました。

 戦後教育により洗脳された人たちへ届くようなメッセージではなかったからなのです。

 病気だと自覚していない病人に良薬だと苦い薬を飲ませようとしても、飲んではくれません。

 病気だと自覚していない病人でも、飲んでみたくなるような薬を与えることが肝心なのです。

◆脱洗脳戦略の具体的要件について

 ●筆者は述べた:

 戦後教育からの脱洗脳戦略の対象を次のように分類します。

 A 歓迎派 例えば始めから洗脳されていない(もしくは洗脳を不快に思っていた)人 

 B 受容派 すぐ脱洗脳される 殆どの人

 C 無関心/皮相的迎合

 D 懐疑派

 E 防衛、抵抗派

 F 否定、反発派 プロの活動家など確信派

 まず「Aは2割以下、B+C+D+E+Fは8割以上」という認識を持つべき(あるいは、持って行動するべき)だという主張です。

 次に、脱洗脳を意識した行動をするべき(あるいは、脱洗脳の妨げになるような行動はしてはならない)という主張です。

 私がつくる会の活動を批判するのは、つくる会の活動はAを啓蒙・強化するだけで、B+C+D+Eの脱洗脳には全く寄与していないこと、それだけならまだ良いのですが、(副作用の強い薬のように)Fからの反作用を誘発し、その結果としてB+C+D+Eの脱洗脳をより困難にしているように思えるからです。

 「全ての行動はAへの影響とB+C+D+Eへの影響の両者を天秤で計ってなされるべき」と思っています。

 できるだけ副作用の無い(少ない)戦術を取らなくてはなりません。

 具体的には、つくる会は既に烙印を押されているので、あまり表面に出ないで、陰に回り、B+C+D+Eの脱洗脳を目指す、もしくは目指す人を育成・支持する方が良いと思っています。

 私のメッセージはB+C+D+Eには届きました。

 それはメディア・リテラシーを高めよう、身の回りの情報操作や洗脳に免疫力をつけよう、というような平易なものから始めたからです。

 「いっきょに物事を一大転回させ得る妙案」でなくても、その仕掛けならいくらでもあり得ると思います。

 例えばメディア・リテラシーに関してマスコミによる情報操作の危険性を分からせた後、小さい頃からの教育やマスコミの傾向により無意識に刷り込まれている先入観に気付かせた後、「自他の洗脳(による先入観)に気づく、気づかせる(もしくは脱洗脳させる)には」とか「身の周り(大学を含む教育界、メディア、政界、政治的運動、法曹界)に見える洗脳(されたような状態)について」レポートを書かせるのです。

◆スケープゴートを糾弾するだけでは本当の解決には近付かない

 ■ある支援者が報告した:

 「これで良いのか、日本の教科書」国民集会検定基準から近隣諸国条項の削除を!!3月25日(木)開催されまして、1200人が参加のもと、以下の決議がなされました。

 ●筆者は述べた:

 私も参加しました。話自体は面白かったのですが、新しい知見というのは殆どありませんでした。

 良く言えば支持母体へのサービス、悪く言えば、支持母体を維持するための行事。

 良かった点は、古屋圭司さんという議員が頑張っているということが分かったことぐらいでした。

 古屋圭司さんの真摯な態度には申し訳無いけれど、こうした教科書改善運動の推進政治家が殆ど無名の議員であることの意味を考えて欲しいと思いました。

 会場では、参集者を喜ばせるために、近隣諸国条項当時の官房長官の宮沢元総理、従軍慰安婦問題当時の外務大臣河野洋平の糾弾が唱えられましたが、そうしたことが殆ど実現しそうにない現状をどう捉えているのかの分析は皆無でした。

 私が思うに、それらの責務は宮沢元総理や河野洋平元外務大臣が個人的に負うべき筋合いのものではなく、当時の日本国民の総意を代弁したものと思うべきだと思う。

 ですから、彼等はシンボルとして非難されるのは分かるけれど、本来は国民の殆どがなんらかの意味で洗脳されていたことを認め、それを克己することが肝腎ということを認識すべきだと思う。

 スケープゴートを糾弾するだけでは本当の解決には近付かない。

◆どのように有効に語りかけるか

 ■支援者の一人が述べた:

 わたしの荒っぽい2・2・6原理では2割がどうしょうもない左翼洗脳集団、2割がわたしたち草の根保守運動家または賛同者、6割が無関心層だと申し上げてきましたが、わたしの伝で言えば、少欲さんは2割の左翼集団に6割の無関心層がすでに洗脳されてしまっているので、「8割が洗脳状態」とおっしゃったのだと理解します。

 6割がたの世論をどうみるかですね。一升瓶にまだ6合もあると思うか、もう2合しかないと思うか。

 また、おっしゃるように当然左翼から見ればわたしらは偏狭なナショナリズムに脳みそを冒された洗脳集団と映るでしょう。

 ●筆者は述べた:

 これは物凄く甘い認識ですよ。

 つくる会会員が全国で一万弱、つまり0.01%、日本会議会員やモラロジー会員や幕屋もそれより一桁多い0.1%程度です。  

 つくる会の歴史教科書や国民の歴史や戦争論も100万部以下なので、1%以下です。

 ですから私が示した歓迎派5%が精々の数字なのです。

 ■その支援者が続けた : 要は6割にどのように有効に語りかけるかということが大事なのです。

 ●筆者は続けた:

 そういうことです。今までどのように有効に語りかけて来たか、これからどのように有効に語りかけるつもりなのか、そもそも、有効に語りかけるメッセージを持っているのか?

 そういうことをつくる会や西尾先生や皆さんに問いかけたいのです。

◆戦後教育による弊害を警告する国民運動

 ■支援者の一人が述べた:

 小滝彬外務次官は「事実なら示威運動としても、実力行使は侵略と同じであって、国民の憤激の気持ちは分かる。

 しかしわが方が武力解決することは、憲法第九条違反であるから、撤退について申し入れをし、あらゆる手段を講じてあくまで外交的解決をしたいとわが国の立場を説明した」といいます。

 憲法第九条がすでにここで役人の不作為の言い訳に利用されています。

 ●これに対して筆者は次のように述べた:

 そういうことなのですね。北方領土問題も拉致問題も全ては同じ構図です。

 竹島も北方領土も拉致問題も殆どの日本人にとってはそれほど重要な問題と看做されていないのだと思います。

 それが国民の含意なのだと推察します。はなはだ残念なことではありますが。

 そしてこれらは全て戦後教育の(悪い意味での)成果なのだと思います。

 それに対して何をするべきかですが、単に怒る(怒りを表明する)だけでは解決に向かわないだろうことだけは確かだと思います。

 昨日のNHKスペシャルでフリーター417万人のことをやっていましたが、その最大の原因は戦後教育にあると思っています。誰もそのことを指摘していませんでしたが。

 で、必要なことは、戦後教育による弊害を警告する国民運動かなと。(今、色々な形で萌芽の兆しが散見されますが)

◆優秀な頭脳ほどおかしくなりやすい

 ●筆者は紹介した:

 少し明るい話を紹介させて下さい。

 例の野田正彰氏の講演を聞いた際、彼を研究するため、彼の著書を一冊買いました。

 「させられる教育ー思考途絶する教師たちー」(岩波書店2002.6)です。

 大変興味深いものです。

 彼等(日教組とそのシンパ)の悩みが克明に描かれております。

 ということは、教委を含む教育行政側のボティーブローがジワジワと彼等を締め上げているということなのです。

 「ジワジワと締め付けられる先生の姿」には本当に気の毒な気持ちが致します。

 しかし、その責任は? ということなのです。

 戦後教育をそういう方向に導いた人々、そして従順に「洗脳」されていった人々。オウム信者の末路と似ているところがあります。

 ■その支援者が言った : 要するに先生としての能力がないだけのことではありませんか。

 ●筆者は応じた:

 能力が無いかどうかは分かりません。オウム信者でもパソコンを販売したりする能力はある訳ですから。

 要は、彼等も広義の被害者なのだろうということです。朝日などには優秀な頭脳が集まっているでしょうに。

 いや、優秀な頭脳だからこそ、おかしくなりやすいのかも知れません。

■11■自虐のルーツを見つめ直す

 戦後教育からの脱洗脳を図るには自虐のルーツを見つめ直すことが肝腎と思い、それを探してみたら今のところ二つ見つかった。

◆われわれ自身も手を貸した虚構の産物

 その第一は【検証 旧日本軍の「悪行」ー歪められた歴史像を見直すー 田辺敏雄(自由社2003.1)】という本の中の《旧日本軍の「悪行」はわれわれ自身も手を貸した虚構の産物》という大変説得力のある文章なのでそれを紹介した『われわれ自身も手を貸した虚構の産物』と題した資料を付録1として添付した。

 この本の自虐のルーツについての論考は見事なもので、その説得力の効果を示す具体例として、中帰連が作成した映画「日本鬼子」を巡って筆者が掲示板でやりとりした結論は次のようなものでした。

 「日本鬼子」は一種の(強力な)洗脳ウィルスみたいなものです。

 必要なものは、このウィルスへのワクチンです。(罹る前に処方しておくのも良いが、肝腎なのは、罹ったらすぐ処方できるような)

 紹介した本は、私の知る限り、唯一効果(説得力)のあるワクチンでした。

 「日本鬼子」等はプロパガンダだ、というだけでは、このウィルスはなかなか退治できません。

 もっと手軽に入手できるワクチンを開発するためにも、皆さんもこのウィルスを一度試されてはいかがでしょうか。

 掲示板でのやりとりの詳細は『映画「日本鬼子」を巡って』と題した資料を付録2として添付した。

◆日本人の心中深く根ざしている恐怖のなせる業

 第二は【続「甘え」の構造(弘文堂2001.2 土居健郎)】という本の中の《日本人の心中深く根ざしている恐怖のなせる業》というこれも大変説得力のある文章なので以下に紹介する。

 『われわれ自身も手を貸した虚構の産物』が強力な洗脳ウィルスへの対処ワクチンだとすると、こちらの方は弱い洗脳ウィルスへの対処ワクチンと言えるかも知れません。

 《続「甘え」の構造(弘文堂2001.2 土居健郎) 

7章 21世紀の日本に向けて

1 外傷体験としての敗戦

 ・戦後2,3年の間は、自分がまた軍隊に召集されるという悪夢を時折見た。

 ・赤紙が舞い込んだ日の衝撃は特に忘れられない。

 ・先の敗戦に至った戦争は国民全体にとっての一大外傷体験であったのだから、その後に国民的規模で起きたもろもろの現象を集団的外傷後ストレス症候(PTSD)群ということで一括りできはしないか。

 ・終戦とともにほとんど一夜にして全国を被った厭戦気分。一億総懺悔。

 ・そのうちに負け戦を指導した軍人連中が一番悪いという考え方が次第に定着した。

 ・そして勝った側の連合軍の方が正しく、しかも国民の飢えを救ってくれたのだから感謝することこそふさわしいという風に、変わっていった。

 ・国民を深いところで衝き動かしていた恐怖に焦点をおくこと。

 まず記憶に新しい戦争体験の恐怖。次に同じことが二度と繰返し起きてほしくないという恐怖。

 また新たに日本に君臨することになった連合軍司令部に対する恐怖。

 ・そしてこの恐怖にあたかもつけこむように連合軍の側では日本に新しい憲法を押し付け、また戦争犯罪者を裁くと称して極東軍事裁判を開始するに至った。

 ・この二つに対して当時苦々しい思いを抱いた人たちも少数はいたにちがいない。

 ・しかし彼らが表面に出て来ることは許されなかった。国民の大多数はいわば無感動にこの二つを迎えた。

 いや、中には声高にこれを歓迎する向きが一部のインテリ層の間にあった。

 ・ところで問題は、戦後50年以上たつ今も、敗戦のショックによるストレスから完全には自由になっていないという点である。

 ・敗戦によって日本は圧政から解放されたのであって、それまでの日本歴史、殊に明治以後の近代国家としての歩みは根本的に間違っていたという理解が一般に普及している。

 ・日本がやって来たことが何もかも悪かったように言う暗黒史観は実は何かに対する迎合であり、それも結局は恐怖の然らしむるところである。

 ・同じことが戦後制定された新憲法に対する日本人の態度についても言えよう。

 ・進駐軍に押し付けられたものであり、戦争に訴えての紛争解決を日本に今後一切禁ずる第9条は、復讐心が日本人の間に起きる場合を想定したものであり、いわば一種のペナルティとして科せられたことが早くから周知の事実となっていたにも拘わらず、その後憲法改正の気運が一向に盛り上がって来なかったのは、やはり戦争にまつわる恐怖が国民に染みついている結果である。

 ・あたかもいわゆる平和憲法が護符のごとく作用して、すべての戦争から守ってくれると全国民が信じたかのごとくに思われる。

 ・ところで戦争に対する恐怖がいかに今も国民の心をとらえて放さないかは、一昨年(平成7年)国会が戦後50年を記念して、先の戦争について特に被害国に対する謝罪決議を行おうと言い出したことに最も端的に現れた。

 ・先人のための謝罪というのは変である。謝罪がふさわしいのは自分自身の過ちのときだけである。

 昔の人に成り代わって謝罪するとしたところに一種の無自覚のさもしさが潜んでいる。

 昔の日本人と変わり、自分たちだけはいい子でいたいとという魂胆である。

 ・そしてそれは結局日本人の心中深く根ざしている恐怖のなせる業であったと結論したい。

 ・以上、敗戦後の日本の精神的状況は集団的外傷後ストレス症候群として理解でき、その主調音は戦争に対する恐怖、それとまた世界の孤児とされる恐怖である。

 ・問題は内心では恐怖に衝き動かされながら、そのことを充分に自覚しないでいること。

 ・日本を戦争に導いた明治以後の国策の非難、先の戦争によって隣国に与えた迷惑の謝罪、敗戦によって与えられた平和憲法の謳歌、これらはすべて心の深いところで戦争に対する恐怖あるいは世界の孤児とされる恐怖によって動機づけられている。

 ・にも拘わらず、これらの言動はこの根本の恐怖を鈍らせる。そしてそのことが実は問題なのである。

 ・真の安全は恐怖の生き生きとした感覚が忘れられているところでは得られない。精神の強い者だけが恐怖を直視し、不幸を「仕方がない」と認めることができる。

 ・単に、何かのせい、あるいは誰かのせい、という風に簡単に片付けたくなっている。暗黒史観はそのようにして生まれたのだろう。》

■終わりに■ 

 この論考が、「つくる会」運動という社会現象の研究に多少なりとも寄与することがあれば幸いである。

 西尾先生始め、「つくる会」の支援者や賛同者から頂いた沢山の意見には大いに触発された。

 その方達の貢献無しには、筆者は自分の考えをまとめることができなかったと思い、ここで感謝の意を表する。

■付録1■われわれ自身も手を貸した虚構の産物

検証 旧日本軍の「悪行」ー歪められた歴史像を見直すー 田辺敏雄(自由社2003.1)

 以下はこの本からの抜粋です。

12章 メディアが誘導した危険水域

1 調査を通して得た結論

 調査をしながら思ったことは、わが国の近代史はこんないいかげんな事実関係の上に成り立ち、国民の贖罪意識が醸成されたのかという腹立たしさであった。

 最大の責任は、ごく一部を除く日本の報道機関にあり、次いでこれに追随した学者にあることは間違いない。

 【常識(現実感覚)の欠如】 

 日本軍民の「悪行」ならば何でもいいとばかりに、あちこちに出かけていって、あり得ない、またありそうにない「被害者」「加害者」の話を丸呑みにし、「反省を、謝罪を」と報道する。それらが日本発となって世界に発信されていく。

 【不公正】

 多くの戦友会や社友会などに連絡をとり、ときには会合に出席するなどして話を聞き、またあらたな証言者を尋ねて歩いた。

 この間、産経新聞以外のいかなる報道人とも出会わなかった。

 活字メディアが調べた痕跡はうかがえなかった。

 学者についても同じである。

 また、悪行を告発する学者、研究者などの「研究成果」や「活動」について頻繁に報じるものの、それを否定する側、批判する側について産経新聞以外のマスメディアはまず取り上げない。

 日本の報道機関が関心を持つのは日本軍糾弾のネタであり、日本軍民の濡れ衣を晴らすことなど関心外なのである。

 不祥事を現に起こしているし、非難されて仕方のない点もある。

 だが、鵜の目鷹の目で「悪行」のみを列挙すれば、世界中の軍隊が極悪非道な軍隊となり、先進国は例外なく残酷な民族になる。

 明治の日本軍を別にして、昭和の日本軍が他国の軍隊と比べて、軍紀のすぐれた軍隊とは思わないが、とくに悪い軍隊ではなく平均的な軍隊と判断しているだけである。

 【不誠実】

 後日になって、報道が間違いと指摘されても訂正することはまずない。

 それどころか、指摘されていること自体を無視し、ただ頬被りする。従軍慰安婦報道で、吉田清治を追いかけて記事にしながら、虚偽証言と証明されても知らんふりで、訂正したとの話は聞かない。

 朝鮮人慰安婦の強制連行の確かな根拠は吉田証言によっていたのだから、報道界が当然の行動をとっていれば、国連にまで話が発展することは避けられたはずである。

 東部ニューギニアの再三の朝日報道で、どれだけ関係者の名誉を傷つけたか記者たちは考えたこともあるまい。

 間違いを間違いと認める度量もなく、自らの手で再調査するだけの誠実さも持ち合わせていない。

 その新聞社が、国民に向かって反省、謝罪を臆面もなく要求する。

 NHKの偏向はしばしば指摘されるが、NHKの偏向の特徴は、個々の放送内容の問題もあるが、「何を放送しなかったか」という点に問題があると思う。

 日本軍の悪行や欠陥となると熱心に取り組む反面、それらが疑わしく、冤罪ではないかという問題になると、まったく手を出さないことである。

 中帰連についても、「良心的な団体」であるかのごとく好意的な報道に終始したし、彼らの偽証について報じることはなかった。

2 こうした報道姿勢をつづける理由

 【商売としての反体制】

 (岩波書店と朝日新聞に)重役は商売としての「反体制」と承知しているからいいが、下っぱが本気になってしまうのでご用心と、手を替え品を替え30年以上も前からコラムニストの山本夏彦は警告を発していた。

 その警告通りに事態は進み、「下っぱ」がすでに中堅、重役となっている。

 いうまでもなく、日本軍断罪は「反体制」報道の行き着いた先である。

 左がかった記事の方が読者に受けるという方便がいつの間にやら絶対の正義と化した。

 つまり、後から入ってきた記者は、毎日毎日朝日の記事を読んで刷りこまされてしまう。

 そうするとだんだん方便が絶対の正義になってしまう。

 かさぶたというものは自然にとれていくもの。

 しかし、日本の側でそれをすぐ引っ掻くからまた血が出る。

 それが教科書問題の騒ぎになる。

 いや、政府がやっているのではなく、お宅の国の一部のマスコミがそれをやっている。(韓国の首脳が森前総理に言った言葉)

 【マスメディアに読者が同調】

 大成功の理由は、国民の側に受け入れる素地があったからだと思う。

 メディアの発信するこれら日本軍の旧悪暴露に、読者は首を振るどころかしだいに同調したから、報道に一層みがきがかかった。

 言葉を変えれば、メディアは読者のニーズにあった「商品」を提供し、やがてニーズそのものを支配し、他の商品(異論、異説)が細々としか生き残れないほどに市場を席巻した。

 日本人は、自分を良識のある人間、いい人間だと周囲の人に見てもらいたいという欲求が他国の人より強いのだと思う。       

 だから、目に見える形で直接の利害が生じる問題になれば現実的になるが、そうでないかぎり、良識的に見えそうな論になびいていく。

 旧悪暴露がメディアの良心的行為に見えるのである。

 また、論理的に物事を考えるより、情緒的に反応するので、事実を見失いやすい。

 わが国のマスメディアが商売として成功している以上、姿勢の変化は当分期待できそうもない。

3  沈黙で応じた当事者たち

 【下は知らない、上は評論家】

 戦友会、社友会では、上の人は本を読むが、そうでない人はあまり読まない。

 だから、自分たちが渦中にいること自体、知る人が少ない。

 また話題になっても、自らが立ち上がり調査し反論しようとする例は少ない。

 評論すれども行動しないのが一般的な姿で、当事者という意識が希薄としか思えない。

 【行動する人は6~8人に1人か】

 【調査する者が少なくて当然】

 「ある事実が存在しなかった」という証明は非常に難しい。

 存在したことの証明は点の証明ですむが、存在しなかったことは面の証明が必要になるからである。

 非力な個人がマスコミを相手にして勝ち目はない。

 「真実は最後に勝つ」などというのは、しょせん書生論だと思う。

4  終わりに

 日本人の安全は危険水域に入ったと思う。

 日本人自身が認めた残虐行為のツケは、「カネ」の問題にとどまらず、いずれ先鋭的な形で回ってくることだろう。

 日本人に対する危害や迫害が、どこかで起きても不思議はないと思う。

 将来、この歴史像を変えようとする気運が起こったとき、ナチス同様、史上まれな残虐な民族という「過去の歴史」が眼前に立ちはだかり、これに反対する勢力が声高にこのことを利用するはずである。

 その時に、それはわが国のメディア、学者などとともに、われわれ自身も手を貸した虚構の産物だったことを知るうえで、本書が多少とも役立ってくれればと思う。

■付録2■映画「日本鬼子」を巡って

 「つくる会」を支援するインターネット掲示板で2002年12月から2003年2月頃に、映画「日本鬼子」を巡って以下のようなやりとりがあった。

◆善悪の感覚は麻痺させられていた

 ●筆者 : 日本鬼子(リーベン・クイズ)という映画が松山で上映されます。

 先日、愛媛新聞でそのことが大きく取り上げられていました。

 映画「宣戦布告」が上映されていた時は、殆ど報道されなかったのに。

 (監督の石侍露堂が新居浜出身なので、新居浜で上映された時、少し報道していましたが) 

 批判を目的として、映画を見てみようと思っていますが、何か参考になることがありましたら教えて下さい。

 ■論者1 : ほとんど出鱈目かと思います。

 本当だとしてもよく読むと「戦争犯罪」ではなく単に彼らの「犯罪」も多くあります。

 ●筆者 : 日本鬼子(リーベンクイズ)という映画を観てきました。

 私の観た印象では、「ほとんど出鱈目」とは思えませんでした。

 もしほとんど出鱈目でしたら、当時一緒だった人達に批判の証言などを取れると思われます。

 また告白した人達は逃げも隠れもしていないのですから、究明もできると思われます。

 《彼らの「犯罪」も多くあります》はその通りでしょうが。

 ■論者1 : 彼らの告白はカミングアウトではなく、刑務所から出るための「方便」であったと思います。

 それで終われば良かったのですが、帰国後も中共のプロパガンダに利用され、また本人も協力したということです。

 ●筆者 : 「中共のプロパガンダに利用され、また本人も協力した」ことは事実でしょうが、告白したことの信憑性を疑わせるには十分ではないような気がしました。

 ■論者1 : もちろん「反日」宣伝以外の何物でもないでしょうね。

 ●筆者 : 私にはそのようには思えませんでした。

 あの人達は、あの環境で、善悪の感覚は麻痺させられていたのだと思います。

 (ドイツ映画「es(エス)」の看守と似ていると思いました) 

 この映画への批判は色々考えられますが、そうした批判よりも、先になすべきことがあるように思いました。

 それは、つくる会の教科書の執筆者にこの映画を是非、観て欲しい。

 そして、この映画を観た普通の(必ずしも左ではない)人にも簡単に反発(否定)されないような教科書を作って欲しいと思いました。

 それには、先の大戦の中で、善悪の感覚を麻痺させられたようなことが存在し、そのために多くの無辜の人を犠牲にしたこと。

 そして「善悪の感覚を麻痺させ」たものが何であったのか、いかにしたらそれを排除できるか、を考えて欲しい。

◆踏みとどまれなかった中帰連のような兵士

 ■論者2 : 映画を観てかなりショックをうけられたようですね。

 ●筆者 : 1997年に南京で大屠殺記念館を見学した時より、また映画「es(エス)」を観た時よりショックを受けました。そして考えさせられました。(前者は明らかに中国のプロパガンダですし、後者は演技ですから。)

 ■論者2 : いわば「日本鬼子」は「三光作戦」の映像版ですね。

 ●筆者 : 「三光作戦」は用語からして中国のプロパガンダと思っています。映画「日本鬼子」は中国のプロパガンダという見方もあり得ますが、それは皮相な(あるいは一面的な偏った)見方だと思います。

 ■論者2 : 戦闘状態のもとで、善悪の境界ぎりぎりの最後のところで踏みとどまった兵士も数多くいたことも事実だし、そして踏みとどまれなかった中帰連のような兵士もいたということです。

 彼らひとりひとりの個有の罪であるべきです。

 B・C級戦犯はその責めを負って逝ったのですから、そういう点で、かれら自身にいくら”撫順の奇跡”という歓喜体験があったからといって、かれらの犯罪が許されるべきものではありません。

 所詮それはプロパガンダ要員という執行猶予にしか過ぎないのです。

◆戦争(戦闘)のリアリテイ(の一部)を伝えようとしている

 ●筆者 : 死刑の執行猶予を受けた罪人が懺悔しているという構図は良く分かりますが、そういう罪を犯させるような環境(日本の軍隊のあり方)にも問題があったのは事実なようです。

 ■論者2 : こんな中帰連の男たちが日本を告発するだなんて信じられましょうか。

 ●筆者 : 映画は「日本を告発」するというよりは、戦争(戦闘)のリアリテイ(の一部)を伝えようとしているようでした。

 問題は、こうしたリアリテイがほんの例外的なことなのか、普遍的なことなのかです。

 普遍的なことなら今さら取り上げる価値があるとは思えませんが、私にはかなり例外的なことのように思えました。

 ですから、この問題は看過できないと思いました。

 ■論者2 : この辺りを「つくる会」の教科書は「戦争は悲劇であるが、善悪はつけがたい」とあります。

 「日本鬼子」を見せられた人に「つくる会」の執筆者がどのように説明するかということは、この言葉で十分だと思いますが。

 ●筆者 : 先の大戦の自衛的側面を強調したり、特攻や玉砕など犠牲的精神が旺盛だったことを教えるのは大切だと思いますが、その反面、軍隊の抑圧的な体質と人命軽視主義が、一部の兵員に、善悪の感覚を麻痺させ、残虐な行為を引き起こし、その結果、中国の民衆に多大の非人道的犠牲を強いたことも教えるべきだと思います。(「日本鬼子」を「つくる会」の教科書のアンチテーゼ、錦の御旗にさせないためにも)

◆絶対観なくちゃいけない映画

 ●筆者 : 皆さんの中にはこの映画をご覧になられたお方はおられないようですね。

 これは驚きでした。また見ないで、なんらかの結論を持っておられるようなのにも驚きました。

 プログラムには監督の松井稔と鈴木邦男(民族派団体「一水会」代表)の対談もあります。

 鈴木邦男は最後に「不愉快で気持ちの悪い映画だけど、これは絶対観なくちゃいけない映画だと思います。」と言っていますが、同感です。

 プログラムには「残虐行為を生み出した日本軍の体質」という明大教授の文も含まれています。

 一面的な見方だという批判は免れないでしょうが、日本型(社会)組織にありがちな弱点を旨く記述しています。

 そうした反省点も取り入れて、批判されやすい歴史教科書から、打たれ強い歴史教科書に変貌して欲しいと思っています。

◆映画から何を学ぶか

 ■論者2 : わたしは婦女暴行、証拠隠滅のための殺人などはあったと思います。

 一部のゲリラ・便衣兵を掃討するために無辜の住民を殺したケースもあっただろうと思います。

 ●筆者 : この程度でしたら、普遍的なものだと思います。それらをはるかに越える(常軌を逸した)行為があったと思わざるを得ません。

 ■論者2 : 人が見ていなければ何でもやってしまう。

 見つからないように証拠を隠滅する。

 そして社会が悪い、会社が悪いと自己を合理化して声高に言う。

 ●筆者 : 一寸、違うように思います。

 自己が犯した犯罪を含めて、そうしたことが繰り返されないためには、どうしたら良いか、を世に訴えているように思えました。

 ■論者1 : 残虐なのは「日本軍」だけでは無く、そういう事なら世界中の軍隊は「人殺し」を目的にしているのですから、世界中の軍隊と比較して「日本軍」は抜きん出て残虐だと証明するべきでしょう。

 ●筆者 : 私もそのことは考えました。

 ドイツのアウツシュイッツ収容所の件(映画「es(エス)」のモデルだったそうですが)は別としても、アメリカもベトナム戦争ではソンミ村事件などがあります。

 ですが、私が今までに知る限り、この映画で告白されたような非人間性は初めてです。

 でも、「日本軍」は抜きん出て残虐だということを証明できるとは思えないし、そうすることが良いとも思いません。

 要は、この告白から何を学ぶかです。

◆「つくる会」運動が何故困難なのかを解く鍵

 ■論者1 : 映画「日本鬼子」は中国のプロパガンダという見方は皮相な(あるいは一面的な偏った)見方というのは何故ですか。

 ●筆者 : 私は「つくる会の歴史教科書」は大変良い教科書だと思っていますが、その教科書への採択には賛成しない(もしくは二の足を踏む)人も少なくないのが現状です。

 私は、その原因を色々考えてある結論に達しました。

 それは、「つくる会の歴史教科書」は(今までのより)画期的に優れた教科書ですが、まだ難点(未熟な点)がない訳ではありません。

 その難点とは、先の大戦の総括というか、反省点が不十分だと思われます。

 中学生用の教科書ですから限界はありますが、先の大戦から何を学んで、それを今後、どう活かすかの姿勢が見えない(もしくは不十分な)のです。

 そういう点が、戦争賛美という批判(誤解?)の種になっていると思われます。

 映画「日本鬼子」はこの(何かを学んで欲しい)ことを告白していると受け取ることができる、いやそう受け取るべきだと思います。

 最後に、私の問題提起に色々、ご意見を頂いて、ありがとうございました。

 私があの映画を見ようと思った動機の一つは、「つくる会の歴史教科書」を巡る運動に予想した以上の多難さが存在するのは何故か、それを解く鍵になるかも知れないと思ったからでした。

◆われわれ自身も手を貸した虚構の産物

 ●筆者 : 前にこの掲示板で日本鬼子という映画を紹介しました。

 その後、どこかの板で紹介されていた次の本を読んで、私の心は中和されました。

 なかなか良い本だと思います。

 もっとメディア等で取り上げて欲しいと思うので、ここで紹介させて頂きます。

 この書き込みのタイトルはこの本の最後の文章の中から抜いたものですが、その中の「われわれ自身も手を貸した」というところがミソです。

 (北朝鮮の悪事を告発している最近有名なドイツ人医者も「知っていたのに何もしなかったの?と子供から責められたくないから」と言っていたのを思い出します)

(と言って付録1に添付した文を紹介した)

◆「日本鬼子」は一種の(強力な)洗脳ウィルス

 ■論者1 : では去年の議論、私の意見も少しご理解いただけたと考えて宜しいですか? 私は「日本鬼子」はプロパガンダだと言いましたが。

 ●筆者 : その節はお世話になりました。結果的に判明したことは、

 ・「日本鬼子」は一種の(強力な)洗脳ウィルスみたいなものです。

 ・必要なものは、このウィルスへのワクチンです。(罹る前に処方しておくのも良いが、肝腎なのは、罹ったらすぐ処方できるような)

 ・紹介した本は、私の知る限り、唯一効果(説得力)のあるワクチンでした。

 ・「日本鬼子」等はプロパガンダだ、というだけでは、このウィルスはなかなか退治できません。

 ・もっと手軽に入手できるワクチンを開発するためにも、皆さんもこのウィルスを一度試されてはいかがでしょうか。

 ■論者2 : いいワクチンを打たれました。「日本鬼子」を実際にご覧になったあとでも効き目はあったのですね。 それはよかった。

 ●筆者 : その通りです。というより、「日本鬼子」を見たからワクチンを求めていたのです。

 ■論者2 : わたしも過去に何度か「正論」誌上で論文を読みましたが、田辺氏の地道な行動力と秘められた情熱には頭が下がります。

 全国の戦友会を訪ね歩き、「無かったものは無かったのだが、今さら、反論したって仕方ないよ」という無力感から、沈黙を守ってしまいがちなお年寄りに「その沈黙こそが、虚構に手を貸すことになるのですよ」と叱咤激励して取材をしてこられた、この本はその集大成だと思います。

 鸚鵡返しの”歴史の歪曲”だとかなんとかのお題目だけを振り回すだけで「果たして然るや。俄かに信じ難し。何をか信ぜん」という批判力の欠如した若いマスコミ人には特に読んでもらいたい本ですね。

 ●筆者 : 多分、読もうという気を起こさないでしょうね。

 実は、この本の中で一番買うところは、「こうした報道姿勢をつづける理由」の中の「商売としての反体制」と「マスメディアに読者が同調」でした。

 このところを良く踏まえることが肝腎だと思います。

 マスコミの左傾を批判、非難するだけでは、彼らの心には何も届きません。

 この本には彼らの良心に届く殺し文句が含まれています。

 いざと言う時、それらを彼らに突き付けることができると思うだけでも、自信が湧いてきます。

 ■論者2 :  実はわたしも 読みたかった本です。

 「あなたも早く読みなさいよ」と肩をトンと押されたような気持ちです。ありがとうございました。

◆洗脳ウィルスは貧者の核爆弾

 ■論者1 : 明日にでも大きな書店に行って、検証 旧日本軍の「悪行」ー歪められた歴史像を見直すー 田辺敏雄(自由社2003.1)を買い求めてみようと思います。楽しみです。

 それから「日本鬼子」も前回は発見できませんでしたので、少し離れたビデオ屋まで探してみようと思っています。

 それにしても、感染後も効くワクチンとは素晴らしいと思います。

 ●筆者 : 昨年の暮、中帰連に電話で聞いたら、ビデオ化は半年くらい後とか言っていましたから、まだ無いと思います。

 当分は(オルグや動員の可能な)シンパ主催の上映に限るのかも知れません。

 ビデオ化すれば、本来の洗脳ウィルスの役割よりは、ワクチン作成目的に利用されるという心配をしているのかも知れません。

 昨年8月15日のニュースステーション放送がインターネットや雑誌などで批判されたことが思い出されます。

ところで洗脳ウィルスは左翼側からだけのようなのは何故でしょうね。やはり貧者の核爆弾みたいなものでしょうか。