2005年3月頃にネットに書き込んだものです。
ホリエモン考 2005.3
● ホリエモン考 その1
堀江氏について
・動機が不純 (建前は別としても)本音(マネーゲーム)は明白
・若くして財をなし、万能感に酔いしれた自我肥大症 高転びに仰向けに転ぶ可能性
・目的のためには手段を選ばず (家康が三方原で味わったような)挫折を味わっていない不幸 畏怖感の欠如
・あせり、短絡、未熟、思い込みが激しく、謙虚さ、含蓄、感謝の心などとは無縁
・他者は利用できる対象 人の言うことを聞く耳は持たない
・(ITバブルの夢から目覚めない)投資家に夢を見続けさせる才能や(視聴率という餌に飛びつく弱点を持つ)メディアを最大限に活用する才能には富んでいる。
・評価できるものがあるとしたら反面教師的なものしか見当たらない(人気が衰えないのも壊し屋としての田中真紀子への人気と似たようなものを感じる)
・失ったものとしては、「私」より「公」を重視する心か
メディアについて
・テレビに堀江氏が出演すれば視聴率が格段に上がる。堀江氏に出演拒否されたくないので、テレビでは堀江氏の発言へのツッコミは意識的に鉾先が鈍った。また、一方的な結末になるより、長期化、泥沼化する方が野次馬的には面白いので、旗色が悪くなった堀江氏を庇うような発言が少なくなかった。視聴者の多くはそれを見て堀江氏支持を続けた。また堀江氏もそのことを十分計算に入れ、そのように振る舞った。つまり、堀江氏とメディアの相互依存関係が続いたのである。(今回のホリエモンの乱はメディアに確実に収益をもたらした)その結果、堀江氏の本音や動機の分析に関する報道は影を潜め、「私」より「公」を重視する心はどんどん蝕まれて行った。
余談 堤義明氏について
・堤義明氏は裸の王様だった。(堀江氏も、誰も忠告するものがいないという点で、似たようなものだと思う) 批判を受け入れないという点では北もそうだし、左翼や朝日もそうである。他者性の欠如なのであろう。戦前の日本も幾分そうだった。ヒットラーやフセインもそうだったのであろう。このような現象が生まれる要因は何であろうか。民主主義というか、コミュニケーション能力というか、ディベートが成り立つ、もしくは重視する文化ではなかったからであろうと思うが皆さんはどう思うだろうか。
◆問題は、彼が妄想を抱き、それを実行したことではない
> もし私がホリエモン批判するなら、彼の主張する「売れてるものが勝ち」というポリシーを突きつめると欲望市場主義になって、最後は市場自体が暴走してブラックホール化し、ひいては社会そのものが成り立たなくなる危険がある、というようなところですかねぇ。
彼の主張は妄想のなせる業に過ぎないと思います。問題は、彼が妄想を抱き、それを実行したことではなく、それへの批判能力がこの社会に(十分には)顕在していないように見えることです。(妄想を見抜く能力を欠いた極端な例としてはヒットラーの出現に対するドイツ国民やオウム出現に対する日本社会が挙げられると思います。)
◆弾ける前に直感する能力
> 私は彼のやっていることは、好き嫌いはともかく、間違っていることをしているとは思えません。妄想とは何をもって、妄想と仰るのでしょうか?
妄想は弾けてみれば皆が納得するものなのです。弾ける前に直感する能力こそが肝腎かと。
◆株主 対 企業組織
> 弾けなかったら妄想にならないということですか?
共産主義思想という妄想は70年にして弾けた国もあれば、いまだ弾けるに至っていない国もあります。キリスト教やイスラム教は千年以上も弾けていないとも言えます。創価学会もまだ弾けていないようだし。妄想と言っても、全てが妄想だったら、誰にもすぐ分かるのですが、9割は妄想でなくまともなビジョンに見えるところが問題です。ホリエモンの話が妄想だと思う根拠の一つは、彼のビジョンを良く理解しているという人がいまだ現れていないことです。彼を信奉する人は彼が何かビジョンを持っているに違いないと思い込んでいる(思い込まされている)だけのようです。もし、彼が交通事故か何かで倒れれば跡形もなく消えていくようなものでしょう。(余談ですが、時代やスケールは違いますが、アレキサンダーも似たようなものだったと思います)
> 日本資本主義の精神から見た今回の騒動
武田信玄の言葉に「人は城、人は石垣、人は堀」という言葉があります。この「人」を「金」に変えれば、ホリエモンの考えになります。つまり、今回の騒動の本質は「金」対「人」の綱引きだと思います。具体的には「株主(の指導権)」と「企業組織(という価値)」のどちらを重視するかです。前者はグローバル・スタンダードですが、後者は日本型経営資源です。前者は訴訟社会ですが、後者は絆重視社会です。日本社会はどちらを選ぶだろうか。私はフジテレビや日本放送が勝つことを望むというよりはホリエモンが負けることを望みます。理由は日本社会の長所を温存するためには「敵対的買収の成功例」は作らない方が良いと思うからです。
◆法廷闘争について
日本放送の今回の法廷闘争はグローバル・スタンダード、訴訟社会という相手側の土俵に登ってしまい、結果として失敗だったと思う。日本放送は、可能な限り、資産を売却し、新・日本放送(仮称)を設立(電波を申請)し、そこへ人を移し、株主(の指導権)を主たる経営資源とする旧・日本放送と企業組織(という価値)を主たる経営資源とする新・日本放送のどちらが日本社会に受け入れられるかという壮大な実験をして欲しい。
似たような意見を持つ人がいる
> 彼の主張は妄想のなせる業に過ぎないと思います。問題は、彼が妄想を抱き、それを実行したことではなく、それへの批判能力がこの社会に(十分には)顕在していないように見えることです。(妄想を見抜く能力を欠いた極端な例としてはヒットラーの出現に対するドイツ国民やオウム出現に対する日本社会が挙げられると思います。)
自己レスですが、週刊新潮3.17号p.33に次のような文があります。私と似たような意見を持つ人がいるのを知って心強く思いました。
ライブドアは「オウムと同類」
両者とも一気に時流に乗って世に出たというイメージ戦略が酷似している。しかも、その体制を見ても、暴走するリーダーがいて支える若い層がいる。その若い層は優秀で時流に乗った人たちであり、それがひとつの思想で結びついている。ライブドアの場合はそれがお金に対する執着であり、オウムは反社会的な思想の喧伝でした。
(中略)堀江さんの言っていることは実現できないと誰でも分かるのに、漠然とした不安感を持っている若者や、失うもののない人たちがライブドアを支持している。
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ホリエモン考 その2
今、北の工作員が、東京のど真ん中に、生物兵器を仕掛け、期日までに兆の金を北へ送ることを要求したと仮定します。もし本物の生物兵器なら、日本社会の損失は東京大空襲の時以上の人的被害が想定されるようなものだとします。そして、あらゆる事柄はこれが単なるこけおどしではないことを示しているとします。日本政府はどうするでしょうか。兆の金は払えない額ではない。払うと思います。そして、2度とこのようなことが起らないように政策の舵を切るでしょう。治安維持法を始めとする強力な防衛対策が強力に押し進められることでしょう。
これは黒船が来た時、幕府およびその後の明治政府がとった行動と似ています。今回のホリエモンの行動は、その黒船に相当します。ホリエモンの行動が日本の企業組織の防衛力を高めることに貢献するとしたら皮肉です。「命の次に大事なお金」を使ってまで強引に日本型システムをこじ開けようとした動機は日本経済を活性化させるというようなものでは決してない。マネーゲームではある程度の成功を納めたとしても、今後の展開はますます困難になることが予想される。
◆社会的制裁が不十分に思えるのは何故か
> 2度とこのようなことが起らないように政策の舵を切るでしょう。治安維持法を始めとする強力な防衛対策が強力に押し進められることでしょう。
自己レスです。そうしてこなかった政府の無策を批判するのは無責任な評論家だと思います。今回のフジテレビや日本放送側の油断を責めるのも酷というものです。日本の内外には多くの経営コンサルタントがいると思うが、誰一人として、このような時間外取引による敵対的買収の危険性を予想した人はいませんでした。それは何故でしょうか。そのようなことをすれば社会的な制裁を受ける可能性が高いことを皆が共通の認識として持っていたからだと思います。今回、そのような社会的制裁が不十分に思えるのは何故か。それはホリエモンのメディア戦略が功を奏しているからだと思います。日本人の多くが持つ今までのような共通幻想を(このような形で急激に)打ち壊し、何でもありにした方が日本社会にとって本当に良いのかが問われるべきだと思う。
◆感情を理性より軽視し過ぎている
> 何故私が許し難いと感じるかですが、それはまず言動の不一致にあります。
彼の行動は(極端に言えば)全て手段です。ですから、「言動の一致」を期待する方が無理です。(オウムの麻原にそんなことを期待しますか?)
彼は法の抜け穴を利用しました。そうした行為自身が、その抜け穴を存続できなくさせるであろうことを十分予測しながら。自分のした行為に全く「やましさが無い」のなら、そうした行為が禁止されるような法改正には反対の意志を示すのでないと筋が通りません。要するに、彼にとっては「筋を通す」ことなど何の意味もないことです。オンかオフかにのみ関心があるのです。限り無く火事場泥棒に近い行為と思います。
彼は、敵対的買収を仕掛けた相手に友好的態度を強調しています。これは東京大空襲や広島長崎への原爆を企画実行した人が日本国民に友好的態度を強調しているようなものです。彼はこうしたことに矛盾を感じません。
彼は何故このような態度がとれるのか。それは彼が「感情を理性より軽視し過ぎている」からだと思います。感情という存在は彼にとっては、無用のものに近いのだと思います。だから、彼は他人もそのような(最終的には必ず感情より理性を採用する)存在であると信じていると思います。
彼は千億の資産は手にできても、普通の人たちのように家族的もしくは友人的絆を手にできるのか疑問に思います。
◆ホリエモンの爪の垢
> 私は現在の日本のマスコミはまともでは無いと思っています。報道機関というよりは扇動機関と呼ぶ方が相応しいと感じています。
同感です。そして、その本質を上手く利用しているのがホリエモンだと思います。昨年のプロ野球界参入問題、競馬、そして今回の乗っ取り劇。号外も出るくらいですから、これはもう立派なメディア・ハイジャックです。逆に言えば、日本のマスコミはホリエモンごときにメディア・ハイジャックされるほど無防備な存在だということです。
余談ながら、正論の普及にあくせくしている人たちにこそホリエモンの爪の垢でも煎じて飲んで貰いたいものです。
◆時代錯誤的な妄想が原点
以下は自己レスです。
> 彼は千億の資産は手にできても、普通の人たちのように家族的もしくは友人的絆を手にできるのか疑問に思います。
週刊現代3.09号p.40の「結婚には何のメリットも感じていない」「家庭や家族に対する関心が極端に薄い」「そう考えるのは生まれ育った家庭に問題があったのかも」という奇しくも(当然と言うべきか)記事と一致しました。
> このような時間外取引による敵対的買収の危険性を予想した人はいませんでした。それは何故でしょうか。そのようなことをすれば社会的な制裁を受ける可能性が高いことを皆が共通の認識として持っていたからだと思います。
同誌のp.43に「(村上世彰から買収の話を持ちかけられた)ゴールドマン・サックスは上層部から『違法ではなくても、違法スレスレのCB債を引き受けると日本人に反感をもたれ、非難される恐れがある』という意見が出て断った」とあります。これが正常な判断です。ところが、リーマンはそうした正常な判断をしなかった。何か焦りがあったのかも知れないが、今後、リーマンは日本社会からどのような制裁を受けるだろうか。いや、日本社会がどのような制裁をするかが、日本社会が選択する道を指し示すことになろう。
> 「命の次に大事なお金」を使ってまで強引に日本型システムをこじ開けようとした動機は日本経済を活性化させるというようなものでは決してない。
動機は同じくp.40の「幼少期に父親に対して激しい敵意を抱き、それが旧来の価値観にとらわれない発想、権威的な存在に対抗しようとする行動につながる」とあるように「従来の日本的価値観への挑戦」だと考えられます。ですから、欧米で似たようなことをすること、例えばビル・ゲイツのようになりたい、というのは本当の動機ではなく(自分の本当の動機を覆い隠す)方便に過ぎない。日本社会で黒船的行動をとることにより、明治維新のように大きな価値観の変動を起こしたいという時代錯誤的な妄想が原点だと思います。少なくとも社会的に意味ある貢献をしようというのではなく、自己のルサンチマンを発散させることが主眼なので、「失敗すればまたゼロから出発すれば良いではないか」という発言に繋がるのだと思います。少なくとも世間を騒がせて(利害関係者に不安を抱かせて)申し訳ないと思う精神は皆無でしょう。彼の行動はこのように精神分析の対象だと思います。また彼の行動に(妄想を見抜けず)右往左往するビジネス・メディア・法曹界の行動も社会心理学の対象にして良いでしょう。
● ホリエモン考 その3
想定外
この騒動は色々なことを問題提起してくれる。その一つに、彼の言う「これだけ話しても何故分かってくれないのか」というのがある。彼は何度も必死に説明しようとしている。「これだけ説明したのにどうして分かって貰えないのか」という彼と「分かるように説明して欲しい」側の対立である。(最近はメディアへのいらだちも見受けられるようになった)これは交わることはない平行線と思う。(彼はなんでも想定内というが、この平行線については想定外だと思われる)彼の頭に焼きつけられた論理から言えば、人は損か得かで動く動物なのである。また彼の妄想(IT万能)も疑いの余地がないほどの自明の理なのである。「フジテレビも日本放送も今となっては、じたばたせず、和解(提携)に臨む(=支配される)のが合理的(経済的)行動なのである。このことが何故分かって貰えないのか」ということである。彼には、吉良邸を襲った浅野浪士や大石良雄の心境、忠臣蔵を愛する日本人の気持ちは到底理解できないであろう。経済封鎖で追い詰められて真珠湾を奇襲したこともナンセンスの一言であろう。広島・長崎への原爆や東京大空襲についても、本土決戦による双方の大損害を避けるという意味では極めて合理的な行動なのである。彼に言わせれば、義理、絆、精神的風土、愛情などは(損をさせることに繋がる)邪魔者以外の何物でもないのである。
フジテレビによるTOBに応じた東京電力が一株主から(損失を受けたと)訴えられている。訴えた人は、経済合理性を一局面だけから見るという過ちを犯している。こんなことを思い出した。石油ショックの時、石油製品が市場でひっ迫した時、ある石油会社の社長が「千載一遇のチャンスだから」と値上がりを期待するような文書を社内に配付しそれが社外に流出し、社会から糾弾を浴びたことがあった。東京電力を訴えた人は、この石油会社が値上がりを待たずに売ったら同様に(損失を受けたと)訴えるのだろうか。
東京電力の経営陣にはためらうことなく「ライブドアに売って社会的不正義に加担するよりは、社会的不正義を制裁するためにフジテレビによるTOBに応じた」と言って貰いたいものである。そういう意味では、態度を鮮明にしなかった奥田会長らは腰が引けていて、結果として社会的不正義に加担する危険性に無頓着なところが残念だった。
◆自己愛に向かう
自己レスです。この問題にあまり関心ない方は無視して下さい。
> 若くして財をなし、万能感に酔いしれた自我肥大症 高転びに仰向けに転ぶ可能性
このことを裏書きするような記事が週刊現代3.26号p.195にありました。
「父の権威に対抗し、母から受け入れられない場合、精神医学でいうところの『情性』が形成されにくくなる。これは、人に対する情、つまり、『なさけ』の感情です。情性が形成されにくいと、自己愛に向かいます。ときにエゴイスティックで、周囲には冷酷。考え方は論理的で、理詰めでものごとを進める」
ホリエモンの行動とつくる会の行動に一つ類似点があります。それは既存の業界に参入を試みたことです。一方は放送メディア業界へ、他方は教科書業界へです。両者とも限り無く強い反発を受けました。ただ、参入の方法が違います。ホリエモンは資本から、つくる会は扶桑社を介してです。多分、資本からの方が参入に成功する可能性は高いと思われます。この点で、ホリエモンの戦略は正しいと思います。他方、扶桑社を介する方は、中学の歴史、公民以外は対象にしていないので、所詮、敗退・撤退は時間の問題です。ホリエモンのように資本から参加するという方法でないと、成功はおぼつかないということを示していると思われる。
もう一つ、ホリエモンの効用について
ホリエモンの破壊力はすばらしいほどのエネルギーを持っている。これが、本当に破壊して欲しい分野に向けられると、後世から評価されることだろう。