戦後教育からの脱洗脳への試み(歴史教科書問題と洗脳 その2) 

副題 精神的に拉致された若者を奪還しよう

【要旨】

 ・脱洗脳はかなり達成された : まずは(主として意図的な)情報操作のもたらす危険性について警戒心を喚起させ、次いでテレビや新聞の(無意識的な)偏りや(意識的な)情報操作に気付かせ、次いで学校教育や歴史教科書の偏りや情報操作、自虐性に気付かせた。その後で、歴史教科書問題は実は”洗脳”の問題だというメッセージを伝えた。学生達は意外に物わかりが良く、脱洗脳は順調に進むかと思われたが、学生の多くはまだ本音を隠しており、実は躊躇い(逡巡)派がまだ健在していることが直ぐに判明した。逡巡派には授業と洗脳の区別に悩む懐疑派と執拗な防衛、抵抗派もいた。授業が終了に近付くと共に歓迎、受容派は増加していき、洗脳の残滓は残り続けるものの、戦後教育からの脱洗脳はかなり達成されたと判断できた。

 ・「違和感」対「洗脳度」 : 授業で感じた違和感は(授業を受ける前の自分を振返って見て)洗脳されていた度合に依存するのではないかと直感し、アンケート調査により相関図を作った。相関図からは、「違和感」が高い人は「洗脳度」も高い。しかし、逆は成り立たない。つまり「洗脳度」が高くても「違和感」が低い人がいる。これは、脱洗脳を違和感無く歓迎した学生が少なくなかったことを示している。

 ・得られた知見(仮説) : 脱洗脳を試みた結果として脱洗脳を容易にする(もしくは困難にする)要因に関する色々な知見(仮説)が得られた。

 

【はじめに】

 今から約一年前、(2001年前期と2002年前期の授業を元に)「歴史教科書問題と洗脳」というレポートを纏めた。(2003年2月) その要旨は以下の通り。

 ・学生の歴史教科書問題への態度を分類整理し、「つくる会が国民から幅広い支持を受けなかったのは(左翼過激派、中国・韓国による反対運動のせいというよりは) イ 圧倒的な無関心層の存在 ロ (戦後教育に影響を受けた)被洗脳層の存在 ハ マスコミ・知識人の多くは被洗脳層に属していること ニ 無関心層の多くはそうした(反戦平和主義的)メディアの影響を受けたため」という仮説が得られた。

 ・次に、歴史知識と「つくる会」への態度に関する相関図を作成し、「つくる会への態度は(歴史知識に)自信のある人ほど反感より共感が多い傾向にある。また(歴史知識に)自信のない人は反感から共感まで幅広く分散する傾向にある。」という仮説が得られた。

 ・最後に、日本人の洗脳されやすさ、理性より感情に流されやすい傾向を補うためにも、メディア・リテラシー(情報操作によって形作られた過ったイメージを「批判的」に読み取る能力)を高めることの重要性が浮き彫りにされた。

 本レポートはその続編として(2003年前期の授業を元に)纏めたもので、脱洗脳過程に重点を置いたものです。(2004年2月)構成は次のとおりです。

  起 1章 世の中は情報操作だらけ 

  承 2章 歴史教科書問題は洗脳の問題

  転 3章 躊躇い(逡巡)派の顕在化

  結 4章 戦後教育からの脱洗脳

最後に 5章 おわりに で得られた仮説を披露する。

 

【1章 世の中は情報操作だらけ】

1.1 情報操作への警戒心の喚起

 まずは(主として意図的な)情報操作のもたらす危険性について警戒心を喚起させた。以下はその過程でのやり取りの断片です。

 学生 : 今日の授業で、1番印象的だったのは、先週見たビデオの続きの部分で、「ナイラ」という少女が涙ながらにクウェートでの乳児虐殺を訴えていましたが、実は、それはでっちあげだったという部分です。あのように、まだ幼さの残る少女が、涙を流しながら訴えてきたら、なんとなく信じてしまうような気がしました。それも、どのテレビ局でも同じことを繰り返し放送していたら。でも、これも情報操作。情報を選び取って、真実を見つけるということは、なんと難しいことなんだろう。

 学生 : 感情的になってしまいますが、少女に嘘をつかせてまでも手に入れるものに価値があるのでしょうか?

 私 : イラクに侵略された小国クゥエートが(米国の世論や国連を動かして)助けを求めるには「背に腹を代えられなかった」のかも知れませんね。その結果、クゥエートは独立を回復したのですから。

 学生 : もし、ナイラという少女がでっちあげたというのが「でっちあげ」だったら?

 私 : 面白いですね。メディアの信用度に依存するのでしょうね。でっちあげたことが明るみに出て痛手を被る可能性が高いメディアほど信用度が高い。逆に、でっちあげたことが明るみに出ても、のらりくらり言い訳に終始し、反省する態度が少ないメディアほど信用度が低い。

 学生 : 私はジェシカ・リンチさんの救出劇にも衝撃を受けました。当初、劇的な救出劇とされ、ドラマ化されるという話もありました。それがイラク人医師の証言によると、傷は、ただの交通事故での負傷で、救出劇もイラク人兵士が立ち去っており、大々的なものではなかったとワシントン・ポストに掲載されたようです。

 学生 : 生活の中に密告者がいる社会。たとえ妻でさえも、離婚する可能性があるから、北朝鮮を批判するようなことは、しゃべらないらしいことを聞いて、そのような社会で暮らすことの苦痛や人間不信に陥るのではないかというようなことを考えました。

 学生 : 国民や弱者のために、国や社会が良い方向になるように誘導して情報操作をするならいいが、政府の都合だけで情報操作をしていくのはやはり許せないと思った。

 私 : 情報操作をするのは政府だけとは限りませんよ。マスコミもするし、いや個人ですら、大衆のウケを狙って虚偽の告白をしたり暴露本を書いたりします。そして、大きな社会問題になるのですが、責任を取りません。痛手を負うのは大衆の方です。ですから、自衛するしか方法はないのです。

 学生 : たとえ嘘であろうとそれに気付かなければ、簡単に踊らされてしまう。メディアが人に及ぼす影響は想像以上に大きいものだとわかって、恐ろしくなりました。

 私 : 日本軍による南京大虐殺の話は中国のプロパガンダを朝日新聞が無批判に受け入れ大々的に広めたのが原因、韓国の従軍慰安婦の話は、元憲兵の(世相のウケを狙った虚偽の)告白本を反戦運動家達が無批判にもてはやしたのが原因です。

 学生 : 情報を鵜呑みにしないようにしよう、という意見が多いのですが、もし本当にそう思い込んだら、まさに先生の情報を鵜呑みにすることになると思います。

 私 : その通りです。(笑) そもそも「教育」は「洗脳」と切り離せません。特に戦後教育はそうです。私達の世代(戦中派)は(教師がまだ洗脳されていなかったため)それほどでもなかったが、皆さんの両親の世代の方が、そして更に(洗脳された教師が増えて)皆さんの世代の方がより洗脳されていると思います。

 学生 : 「やらせ」番組も、情報操作の一部だと思います。

 私 : メディアが都合の良い(自社の主張に合致する)ニュースのみ(大きく)取り上げたり、都合の悪いニュースは取り上げないのも情報操作の一種なのです。特に、視聴率(あるいはシェア)の高い(独占的)メディアほど(競争相手がいないので)そうした傲慢さがあります。地方新聞の多くはそうした傾向が高いです。

 学生 : 産経・読売と朝日・毎日の新聞紙の間でイラク戦争でのイラクへの“シンコウ”について表記が分かれたようです。進攻と侵攻という表記です。これには戦争の解釈がポイントになるわけですが、たった一字でも読み手としては違った印象を抱くことになります。戦争の中で悲惨なシーンがなかったり、でっちあげをするといった、あからさまな『情報操作』をされるのではなく、生活の中でさり気なく徐々に影響を及ぼすことで、結果的に『情報(思考)操作』されている面があるということを認識しました。

 学生 : 操作にまどわされず情報を選ぶ、の時点で終ってはいけないと思う。自分にとっての、正しいものを選ぶ必然性をはっきりさせるべきだと思う。正確な情報を選び取るということは、多少の努力を要するはずで、何の必要もない場合、その努力を継続させることは難しい。また、必要性をはっきりさせるということは、情報操作に対する反撃にもなり得るはずだ。

 私 : なかなか良い着眼点だと思いました。私は今までメディア・リテラシーを高めるにはどうしたら良いかと聞かれたら次のように答えようと思っていました。

 1 メディアを偏らせない。つまり多角的なメディアから情報を吸収すること。

 2 思い込みを深くしない。常に、(偏見を排した)柔軟な思考を心掛けること。

 3 他人との(情緒的よりも論理的な)意見交換を通じて自分の思考に刺激を与えること。私は更に次のことも付け加えたいと思いました。

 4 情報の発信者の意図を推察してみること。

 5 情報は(何に役立てるかなど)目的意識を持って能動的に取り入れること。

 

1.2 テレビや新聞の偏りや情報操作に気付かせる

 次いでテレビや新聞の(無意識的な)偏りや(意識的な)情報操作に気付かせました。そのために「2002年の春から夏にかけ社会的に論議が沸騰した歴史教科書問題に関する(2002年度授業の)レポートのいくつかを読み、感想を書きなさい」という(第1回目の)宿題を出しました。以下は寄せられた感想の(中から印象に残った)断片です。 

 [衝撃を受けた]学生 : まず衝撃を受けたのは、南京大虐殺や従軍慰安婦については、証拠がないということです。中学・高校時代に教わったことは、真実なんだと思い込んでいたのに。やはり、いろいろな側面から事実をみてみないと、本当のことは見えてこないんだということを強く感じました。歴史の授業というのは「暗記」と捉えられることが多いのかもしれないけれど、本当は、考える授業だと思います。だから「つくる会」の歴史教科書も、一概に悪いとは思いません。たしかに、メディアの影響によってうさんくさい教科書を中学生が使うのかと思ったこともあります。

 [反対派が多いはずという考えがあやまりという]学生 : レポートを読んだ結果、ほとんどの意見が、謙虚さも必要だけど~、と中立から新しい歴史教科書賛成よりのものだとわかりました。でも、おかしいですね、全国ほとんどの県が採択に反対しているというのに、何故ここの意見はかたまっているのでしょうか?その訳を次のように考えます。実は歴史教科書賛成派は多くいるのだけれど、問題の性質上、はっきりとそう言いにくい状況なのではないのかな、と。テレビや新聞などを見ていると分かるのですが反対派の意見は大きくとりあげられているのに賛成派の意見はまるっきりというかでてきもしないのです。それは多分、「あちら」の国や一部の人々に対する配慮なのだろうと思います。反対派の人はテレビや新聞でおおっぴらに意見し、賛成派の人は仲間うちや身近なあたりでこっそり(?)意見する。そしてよくわからない人たちはテレビや新聞をみて反対派の意見を聞く。そんな状況なのではないでしょうか。テレビや新聞がとりあげているから反対派>賛成派と感じるけど、実は反対派はそう多くないのでは?それがレポートに賛成派が多かったことの答えになるかなと思います。

 [マスコミの論ずることを鵜呑みにしてはならないと主張する]学生 : 「歴史教科書問題」の中で議論されていた「内政干渉問題」を引き起こした背景には、マスコミの影響が非常に大きかったように思います。確かに日本と中国・韓国の間には過去に不幸な歴史がありましたが、近隣諸国と不幸な歴史を持たない国家などこの世界には存在しません。また、近隣諸国の歴史教科書にここまで過剰な反応する関係というのも余り聞いたことがありません。 結局、ある特定思想に染まった一部マスメディアが、諸外国に「日本の教科書には貴国にとってこんな悪い事が書いてありますよ」と大々的に報道をして回っているのが、このような事態を招いている原因になっている部分が強いように思えてなりません。 ある外国人の発言で、日本のマスコミは、自国の誇りに思えることは報道しないのに、自国の恥となることを積極的に報道するのか不思議だ、という話を聞いたことがありますが、全く同感です。結局、私がこの教科書問題で感じたことは、「マスコミの論ずることを鵜呑みにしてはならない」と言う事です。マスコミには読者に明示していない”狙い”があります。読者の考えをこの”狙い”に向くように事実を取捨選択して記事が作られているのではないかと思うのです。今回の問題もそのための”手段”となっているだけではないでしょうか。 表面的に報道されている事だけではなく、この”狙い”を見抜けなければ、厭な言葉ですが、私たちはマスコミに洗脳されていることになってしまいます。何が正しい情報であるかということ、何が正しい歴史なのかということは、マスコミを鵜呑みにするのではなく、自分の目で確かめることが大量の情報が溢れる現代においては大切だと思いました。

 

1.3 学校教育や歴史教科書の偏りや情報操作、自虐性に気付かせる

 次いで学校教育や歴史教科書の偏りや情報操作、自虐性に気付かせました。以下は寄せられた感想の(中から印象に残った)断片です。 

 [偏向教育を嘆く]学生 : 私自身中学生の頃は日本は恥じるべき歴史を持っていると思っていた。私の実家は広島県の福山市だが、広島では他県よりも日本の歴史は恥ずべきものという教育がかなり激しく行われているのではないかと思う。それが最も端緒に現れているのは、日の丸・君が代問題だと思う。私は君が代を歌えといわれても歌えない。小・中学生の時の入学式や卒業式で君が代が歌われることが一度もなかったからだ。日の丸も私が中学三年の時に入学式などで日の丸を掲揚しなければならなくなったようだったが、先生たちは何とかして日の丸を式に持ち込むまいと躍起になっていた。そして先生たちは、「日本は昔日の丸を掲げて韓国や中国を侵略した。日の丸を見るたびに韓国や中国の人たちは悲しい思いをする。」と言っていた。私が疑問に思うのは、その先生の意見にほとんどすべての生徒が賛成で、日の丸は見たくないと言う内容の作文を書いたり、君が代が式で流れると先生を含め八割くらいの人が着席していたことだ。これがまさに洗脳だと思う。

 [あまりに説得力がありすぎるので怖いという]学生 : 今までの歴史教科書がいかに自虐的なのかという説明を聞き、なるほど言われてみればそうかと納得しました。しかしあまりに説得力がありすぎるので、その人の意見をそのまま自分の意見にしてしまいそうで怖い。中学校の教科書を自分で読み返して、全体的な流れからも見てみなくてはならないと思いました。しかし中学・高校の頃の教科書は既に捨ててあった(涙)。学校の図書館に行ってみよう・・・

 [何もかも全てが情報操作という]学生 : 日教組の先生に歴史を教わらなくて良かったと心底思います。自分の国を憎め憎めと洗脳しているとしか考えられない。この先生達は何が目的なんでしょうか。先生が自分の国を否定しているのを聞いて育てば、子供がそう思うのも仕方がないことです。そういう教育を受けた子供たちの感想の内容そのものよりも、その感想に対して「よくできました」と花マルを与える先生に、とてもショックでした。このことについてのメディアでの報道が無いのは何故なのか、私なりに考えてみました。私が思うにメディアがそれに異を唱えれば、やっぱり韓国や中国から批判がくるから問題にしないのではないでしょうか。また、メディア自体も自虐思考が強いのでそういう教育があっても日本の歴史上仕方がない、みたいに黙認というか甘く受け止めているのではないでしょうか。自国の歴史に肯定的(?)な教育というかつくる会の教科書はものすごい勢いでたたかれていたのに。この差は凄いですね。メディアの存在自体が情報操作ですね。というか何もかも全てが情報操作じゃないですか。新聞やTVで取り上げる側の人間に自虐思考の強い人が多いんですかね。もっと中立的、というかどちらの考え方もとりいれたメディアってないのかな。

 [新しい歴史教科書の使用は公立の学校は自粛するべきという]学生 : この(新しい歴史)教科書の使用にあたっては公立の学校は自粛するべきだと思う。私立の学校では、経営者の思想に賛成した生徒が集まっているわけで教科書の使用も経営者の意志としてある程度は容認されるでしょう。しかし、公立の学校の場合、様々な思想の人が集まっていると考えられる。だから、公の立場として偏っているといわれる考えだけを教えるのではいけないのではないだろうか。

 [その主張の矛盾を指摘する]学生 : あなたの意見で一番矛盾している点は、新しい歴史教科書の内容を「偏っている考え」と決めつけている点です。従来の歴史教科書の内容だけで歴史教育を進めることこそ、「偏っている」と言えませんか?今、その副作用として「自虐的思考」、しいては「愛国心の喪失」という問題に直面しているのです。

 

【2章 歴史教科書問題は洗脳の問題】

 さて、テレビや新聞の偏りや情報操作に気付かせ、学校教育や歴史教科書の偏りや情報操作、自虐性に気付かせた後で、歴史教科書問題は実は”洗脳”の問題だというメッセージを伝えるために「歴史教科書問題と洗脳」という(2003年2月頃作成した未公表)レポートを(プロジェクターを使って)講義し(第2回目の)宿題で感想を求めました。以下は寄せられた感想の(中から印象に残った)断片です。

 [無知・無関心を恥じる]学生 : 「つくる会」が支持を受けなかった理由の1つと考えられる、9割近くの「無関心層」にとても恥ずかしさを感じてしまいました。私自身がそうだったし、私の周りがそうだったからです。そして、「無関心層」がこんなにもたくさんいるのなら、日本人が洗脳されやすいのも当然だと思いました。無関心で興味も無いから、知識は乏しく、もちろん自分の考えなんて持っているはずもない。そこに何らかの情報が入ってきたなら、生真面目で頭のかたい日本人はそのこと(情報)でいっぱいになってしまう。例えばそれが少しでも衝撃的な情報だとすれば、それだけで「洗脳」は完成してしまうのでしょう。日本人は長所も短所もひっくるめて、「洗脳」されやすさにつながっていると思います。それに加えての「無知・無関心」「自己の不確立」。変えていくべきは教科書だけではない! 

 [教科書に洗脳される人は後をたたないと嘆く]学生 : 「洗脳」は私たちの生活に深く根付いているものだと思います。私の父親や祖父母に戦争の話題を振ると「日本人は悪いことをした。最低だといわれても仕方が無い。償いをしなくてはいけない。」さらに米国とマッカーサーのおかげで今の日本があるんだと続きます。これも洗脳なのでしょう。 新しい歴史教科書に賛成の人は、歴史知識がある人、反対の人は乏しい人とレポートにありましたが、確かにそうなのかもしれません。自分で調べようとしたことが無い人は長年教えられてきた教育を払拭することは難しいと思います。私自身もそうなんだと思います。試験のために詰め込んだ知識はたくさんありますが、その行為がまた洗脳に拍車をかけていると思うとやりきれない思いです。歴史が好きで教科書や資料集を読むのが楽しかったのに、あの本たちの中に「嘘」が存在していたのかと思うと悲しくなります。教科書は絶対に正しいと思っている以上、教科書に洗脳される人は後をたたないと思います。もっと自分で調べ、自分で考える力を持たなければならないと思いました。

 [無知から無関心に変わったという]学生 : 私は教科書問題に関して無関心というだけで歴史に対して無知ということではありませんでした。学校で習った事はもちろんのこと、自分も歴史に興味があったこともあり、本もたくさん読みました。それにも関わらず、歴史教科書問題には無関心でした。私は無関心=無知だとは思いません。私は無関心というのは、知識があるのに無いふりをすることで、無知というのは、そのままですが、知識が無いと位置づけています。しかし、無知であるからこそ、上手く機能することもあります。父の仕事の関係で、韓国の人と交流する機会が多く、同じ歳の韓国の友達がいたのですが、その子が学校で歴史を学ぶまでは、仲が良かったのですが、クラスの友達に日本人の友達(私)がいることで、いじめを受けたそうです。その韓国の学校の先生が、どういう風に教えたのかは分かりませんが、そのことがきっかけで連絡を取ることが無くなりました。このことがきっかけで、私は過去の日本の過ちに対して、無知から無関心に変わりました。しかし、この授業を受けて、改めて、歴史に関して関心を持ち始めました。メディアに洗脳されるのではなく、事実をしっかり見極めたいと思いました。日本の過ちの中で小さくなってしまっている貢献(学校の創設)に興味を持ちました。新しい教科書のテーマである「歴史と国が好きになる」と同じく、自分の国を誇りに思いたいと思います。

 [日本のことを悪く教えてしまうという]学生 : 私は今、家庭教師のアルバイトをしていて、中学生を4人教えています。そして、やはり私はその授業の中で私が過去に教わったように、日本のことを悪く教えてしまうのです。私の頭の中には、過去の日本は悪いのだという意識がすでにあって、それが大前提になってしまっているのです。なぜそうなのかというと、そう教えられたから、その一言につきると思います。私は正直にいうと、この授業を受けるまで歴史教科書問題についてあまり知りませんでした。だから、この授業でつくる会の教科書の内容、そして今までの教科書で扱われてきたことの信憑性の有無などといった論議を聞き、非常に驚きました。私自身、歴史教科書問題でどちらが正しいのかということは判断できませんが、少なくともこれまでのような洗脳のような授業は絶対によくないと切実に感じました。自分がまさにそうであったことに最近始めて気づいたのです。こうしたことは絶対にあってはならないと思います。自国の本当の歴史を知らない子供たちがそのまま大人になる。本当に恐ろしいことです。

 [洗脳したものが勝つという]学生 : 私がレポートについて思ったことは、「洗脳したものが勝つ」ということである。なぜなら、さまざまなことにおいて意見を求めるとき、賛成・反対と判断するのは個人であり、またそれを集計して全体の意見として発表されるのだ。ある程度の考える材料がないと判断はできないが、もしその考える材料が少なければ少ないほど、自分の持っている少数の材料のみの判断を強いられる。今回の教科書問題を例に当てはめると、知識が少ない人が新しい歴史教科書を吟味する前に反対意見をマスコミから延々と受けていたため、反対意見を持つ人が多くなったのだと思う。実際、自分もその中の一人に取り込まれていたのである。新しい歴史教科書を否定することによって得をするものがいたからこそ、そういう情報が流れたのだと思う。企業にせよ日常生活にせよ、良し悪しは無関係で、上手に情報を流し、一般大衆をうまいこと取り込めたものが、これまで勝ってきたのだと思う。これがまさに洗脳であり、新しい歴史教科書問題にもあてはまるというのが、私の考える理由である。

 [反対派の親に対する後ろめたさを払拭できない]学生 : 無知な人ほど批判的、という言葉がとても心に残っている。それは決して先生の経験から生まれた言葉ではなく、アンケートの結果そういう傾向が見られる、ということだったのだが、私はとても嫌な気持ちになった。私の父親はとても歴史が好きで、よく本を読んでいる。私は、彼と直接歴史教科書問題について話したことはないが、彼は反対派と呼ばれる側にいる。特に、養護学校に採択させたことについてとても怒っていた。それはおそらく、息子の1人(私の弟)が知的な障害を持っていることも関係しているだろう。私は「無知な人ほど批判的な傾向がある」ということをこの講義で聞いたとき、つまりそれは考えるという行為の、もともとの根本の部分で自分に問い直し、そこからまた具体的な問題を考えるところに戻ることを要求されたということなのだと感じた。だが、このメッセージともいえる調査結果を自分が受け止めたあと、結局私は「何が正しいのか分からなくなった」というところにしか行き着いていないようだ。初めはそのメッセージの通り、私は無知でありながら、勘のようなもので反対した。そしてそのメッセージによって自分の無知な部分を見てしまい、結局はどうしたらいいのか分からなくなっている。両親は歴史教科書問題にからむさまざまな諸問題にもすべて対処する構えで、断固として反対している。私は今、両親に対する自分のポジションにとても自信をなくしている。所詮自分とは異なる人格なのだが、今回の講義を受ける前の私が、両親と同じように反対の態度をとったことは、結局は親の受け売りでしかなく、そのことに気づいても、逆に今度はどんな態度をとることにも自信をもたないでいる。半端な理解や情報に対するいい加減な態度を、今更ながら反省した。しかし、この反省は、親に対する後ろめたさから生まれている部分が多い。情報に対する自分の態度を悔いることとは少し違うのかもしれない。

 [洗脳された知識人達のほうが重大な問題という]学生 : 歴史教科書問題について深く考えず反対派の意見だけを聞いて、一方的に物事を判断していた私達無関心層も問題だと思うが、テレビや新聞、雑誌で自分の意見を述べられて、影響力を与える知識人達が洗脳されてしまっているという点のほうが重大な問題だと思った。情報を送る側の知識人がなぜ皆そろって反対派なのかだが、テレビなどでたびたび出演するコメンテーターたちは歴史の専門家ではないし、結局はその人たちも、テレビ局や新聞社が取材した情報を見て判断しているのだと思う。ここでレポートの「歴史の知識があまりない人は新しい歴史教科書に反対する傾向にある」という点に納得した。つまりテレビに出ている知識人の多くも私と同じ無関心層で、自分から情報を収集している人が少ないのではないかと思った。

 [反対側から少なからず共感側へと移行した]学生 : この講義を受けるようになってからつくる会の歴史教科書に対しての見方も反対側から少なからず共感側へと移行した。私がそう移行していった理由は“共感への移行は授業効果によるもの”だと思う。講義でそれに触れられたとき『あ、私もだ。』と思った。

 [教育学部の専門課程「社会」はかなり洗脳的という]学生 : 社会の時間のビデオはかなり凄まじいものでした。主に従軍慰安婦問題を取り上げていて、実際に慰安婦として連れていかれた方が、生々しくコメントしているものでした。このような南京大虐殺事件や、従軍慰安婦は本当になかったんでしょうか?ないとしたら、どうしてこのような問題が起きるんでしょうか。見たビデオの印象が強すぎて、まだ頭の中では整理できていません。将来教師になった時に、このような日本の他国への残虐な行為を伝えていくことこそが、生徒のためであると思っていたけれど、なんだかそうではない気がしていきて、ほんとうに難しい問題だと思いました。

 [受けている授業さえ懐疑的になっている]学生 : 「日本人は、洗脳されやすい」この言葉が、印象的です。今まで、そんなことを考えたこともありませんでした。これが、歴史教科書問題から見えてきた日本人なのだと気づくのに、長く時間がかかりました。そして、今は、もっと“洗脳”という言葉に敏感になっています。今、受けている授業さえ、本当に信じていいのかどうか、自分自身に問いかける毎日です。私は、この問題を考えるようになって、メディアが取り上げて、声高に叫んでいることに関して、以前よりも関心を持つようになりました。それは無関心であることが、無知であることにつながっているように思うからです。さらに、授業の内容にも、以前より関心を持つようになりました。自分の意見を持ってみるということは、なかなかに難しく、意外に勇気のいることですが、自分で考えないで、ただただ情報を受け取るだけでは、情報操作に加担してしまいます。正すべきなのは、教科書だけではないだろうということです。子供たちへの影響を考えるならば、歴史を教える教師、ひいては、教育に関わる人々全てについても、正していかなければならないと思います。

 

【3章 躊躇い(逡巡)派の顕在化】

3.1 懐疑派の主張

 これまでの経過から判断すると、学生達は意外に物わかりが良い、従って戦後教育からの脱洗脳は順調に進むかと思われたが、学生の多くはまだ本音を隠しており、一見、物わかり良さそうに見えるのは単に表面的に迎合したもので、実は躊躇い(逡巡)派がまだ健在していることが直ぐに判明した。そして逡巡派には授業の(授業から洗脳的要素を完全には排除できないという)洗脳的側面に戸惑う、つまり授業と洗脳の区別に悩む懐疑派と(イデオロギーに染まりかけたような)執拗な防衛、抵抗派もいた。以下は(授業と洗脳の区別に悩む)懐疑派とのやり取りです。

 学生 : 「つくる会」色に染めようとする、あるいはそれが正しいという立場の方の理論が私には、まだ受け入れられません。

 私 : 「つくる会」色に染めるのが目的ではなく、歴史教科書問題を例にして、自分にメディア・リテラシーがあるかどうか自覚して貰うのが目的です。

 学生 : (知識人の方に問題が多いことに関して)誇り高い人ほど、自分が、あるいは祖国が行ってきた歴史的事象を反省(自虐的に)したがるということですか?

 私 : (自分の人生の大半を懸けて)社会主義を讃えて来た人達は、また誇り高い人達でもあります。まず高学歴だし、知識人、学者、エリートマスコミ人、革新政党人、論壇で名のある知識人です。自分の過去の人生が(部分的にでも)洗脳の産物だったとは思いたくないでしょう。思っても、告白できないでしょう。告白した途端、自分の築いた社会的基盤が揺るぎます。テレビなどでコメンテーターが(マスコミで評論家が)おかしな発言を続けざるを得ないのも、そうした背景があります。

 学生 : 学べば学ぶほど、必然的に「染まる」可能性があることを覚悟しなければならない。実は「学問」とは、知ろうと思えば、また、学ぼうと思うほど、無意識のうちに染まりやすく、染まっていく。そういうものだ。

 学生 : 授業で「教科書問題について考える」といわれた時も、正直反感のような気持ちを感じました。

 私 : それで授業に出なくなった人は少なくないと思います。

 学生 : あれほど信じていた「戦犯としての日本」をもう完全に覆してしまいそうになっている自分。これでは授業に洗脳されていると思うから不安です。

 学生 : 授業でそういったものを見せられると、「なるほど」と素直に思ってしまう自分がいます。これだって一種の洗脳ですよね?

 私 : 違いますね。あることを長く信じていて、ある時、そうでないことに気がついた場合、今まで信じていたことが洗脳された結果である可能性はあります。そうでないことに気がついたのは脱洗脳(授業)の結果かも知れません。でも後者が洗脳と違うのは、少なくとも、(今までのと、そうでないのとの)二通りの考えに接したので、そのどちらを選択するかは本人の自由だからです。疑問が湧けば、更に自ら調べることもできるし。

 授業が終了に近付くと共に、懐疑派の多くは歓迎、受容派に変わっていったようだった。しかし、変われないだけでなく、ものすごい不安と孤独感でいっぱいになっていた(気の毒な)懐疑派もいた。以下はその例です。

 [両親が新しい歴史教科書に反対している]学生 : 私はこの授業を受講してから、自分が信じてきた事柄や人たちを、すべて「情報」としてとらえるようになってきていて、ものすごい不安と孤独感でいっぱいになっていたんですよ。また、自分の判断に自信がなくなってるんだけど、それでもどうしても「つくる会」の歴史教科書に不信感をぬぐいきれないような気持ちは、何なんだろう?と。この気持ちは、捨てるべきものなのか?何の蓄積の結果なのか?何から生まれてきた気持ちなのか?でも私がこれまでの人生で色んなことを判断する際、このかすかな嗅覚みたいなものって大きかった気がする。ちょっと「なんかあの人怖いなぁ」という類の予感が、的中するときってありますよね?それは「情報」の蓄積によるものなのかなあ。いや、本能だとか不思議とかそういう話じゃないですよ。

 

3.2 防衛、抵抗派の主張

 逡巡派には懐疑派の外に(イデオロギーに染まりかけたような)執拗な防衛、抵抗派もいた。以下はそうした防衛、抵抗派の主張の断片です。

 学生 : 日本の植民地となり、日本の歴史の一部となった韓国・中国には日本の偏った歴史認識を批判する権利も当然生じるのではないかと思います。「内政干渉だ!」と他国の批判に嫌悪感を示すのではなく、なぜ他国が日本の教科書にそこまで執着するのか、その歴史背景を考慮することが大切だと思います。

 学生 : 私には、今の北朝鮮と戦前の日本が幾らかダブって見える点がある。

 学生 : もしも私が当時の国民であって強いられていたとしたら、きっとそれから解放されると、彼らを戦犯と見ることに異論はないだろう。日本のためにということで政策を行っていたから無罪と言うのは、責任逃れの言葉にしか聞こえない。戦争回避をして、違った方法で政策を打ち出そうとしていた人もいるのであるから。

 学生 : 上官(註 大西中将のこと)であった人達は、特攻隊として死んでいった彼らの『愛国心』というものを利用して踏みにじったとしか思えない。私なりの『愛国心』をもって特攻隊の方々のことを考えると、上官であった人達を許せないと思うのは当然ではないか。

 [反対派の先生にお話を聞いた]学生 : 新しい歴史教科書採択反対派の人々について「よく考えもしないで反対している人もいるのだろう」と先生の意見が述べられたと思いますが、私は本当にそうだろうか?と思いました。実際に反対派にまわられた先生にお話を聞いてみると、納得のいく意見を述べられていました。よく考えもしないで反対した先生なんて、本当はいないのでは?とさえ思いました。今回、反対派の先生のところに足を運んでみて、やっと多面的に物事を見られるようになって、自分自身の本当の意見を持つことができるようになったと思います。

 私 : どういう意見だったのでしょうか? (メディアや他人に吹き込まれたのではなく、問題の教科書を実際読んで、自分で)「よく考えた」と思われるふしでもありましたら紹介して欲しいです。

 [新しい歴史教科書にも、新しい教育の基本方針にも、賛同できない]学生 : 私は、ある種のイデオロギーに洗脳されているのかもしれません。というか、すすんで洗脳されたように思います。どういうことかと言うと、私はこれまでの家族制度、つまり、男が会社へ行き、女が家庭を守って、子供を育てるという日本の伝統的な制度に縛られたくないからです。私が受け止めた「新しい歴史教科書」からのメッセージとして、「これまでの日本の伝統的な制度を守っていこう」というものがあります。そんなことないと思う人も多いかもしれませんが、新しい教育の基本方針だって、「個の尊重よりも国の尊重」という色あいが強いことを知っていましたか?この方針のためには「男は会社、女は家庭」という制度を推し進める必要があります。はっきり言って、私はそんなのイヤです。誰に洗脳されたのか、と先生は思うでしょうが、現時点の私の意見としては、歴史の記述云々よりも、上記の理由により、新しい歴史教科書にも、新しい教育の基本方針にも、賛同できません。先日の反対派の先生の意見は、後日、掲載させていただきます。(註 でも最後まで掲載されることはなかった)

 [もう耐えられないという]学生 : 今日の(特攻隊に関する)ビデオは正直気持ちが悪くなりました。「おかしいよ!狂ってるよ!それこそ洗脳だよ!!」と思いました。ビデオの中で「命令が終わった後はすがすがしく幸せだった。日本に生まれ、日本人に生まれ、自分の大好きな飛行機に軍人として乗り、国のために死ねる」というセリフがありましたが、もう耐えられませんでした。教育基本法が改正されると、教育の中心は個々の権利よりも国の利益という思想に移っていくという話を聞きました。今日のビデオは全くそれと同じじゃないか、と思いました。つまり、日本はあの戦争の後、ある種国民の「天皇様思想」洗脳は解かれ、平穏な生活に戻っていたのに、また国が国民を洗脳しようとしているのか!と思いました。

 [こちらの方が洗脳なのではと恐くなった]学生 : 教科書採択、賛成派と反対派のどちらの論理が破綻しているか判断できるはずだというコメントですが、正直、これまでの授業の内容からすると、当然のように反対派の論理が破綻しているように判断できると思いますよ。でも、それは先生のやり方によって、導かれているように思います。しばらく私がコメントを掲示板に載せなかったのは、この授業に対して、疑問を持つようになったからです。それは、先生は、脱洗脳だと言っているけれど、私は、『このような内容の文章や映像を90分間見せ付けられて、むしろ、こちらの方が洗脳なのではないだろうか』と恐くなったからです。もちろん、そうではないとコメントされるでしょうが。私は、この授業の内容は、もちろん知識として吸収するけれども、ただそれで終わるのではなく、自分で納得のいく意見を導き出したいと思っています。どうやら、これまでの考え方だと、先生のものとは、かなり違っていると思います。特攻隊についての考え方も違っているようだし、教科書採択についても、違っているようです。ただ、当たり障りのないコメントだけ述べることもできるのですが、この授業のおかげで、それでは納得できない自分を再発見してしまったようです。

 しかし、授業が終了に近付くと共に、防衛、抵抗派は、(歓迎、受容派に変わっていかないまでも)自分が洗脳されていたことには十分気付いたようだった。

 

3.3 脱洗脳対象の分類について

 分析の便宜上、脱洗脳対象を脱洗脳の難易さの程度順に次のように分類してみました。%数字は学生のおおよその割合を経験的に示したものです。

A 歓迎派 例えば始めから洗脳されていない(もしくは洗脳を不快に思っていた)人 5%くらい

B 受容派 すぐ脱洗脳される 殆どの人 40%くらい

C 無関心/皮相的迎合 20%くらい 

D 懐疑派 30%くらい

E 防衛、抵抗派 5%くらい

F 否定、反発派 プロの活動家など確信派 0%

 B~Eについては既に説明済みで、Fは自明なので、ここでは歓迎派の言葉を幾つか紹介する。

 [自分の考えを言うのが怖くなったという]学生 : 何年か前、ある教官と話をしているときに他の先生が何人かいらして、歴史教科書問題の話になったんです。先生方は全員反対派で、賛成派だった私と一対多で討論したんですが全然自分の考えを言わせてもらえなくて、「あなたは馬鹿だからそう(新しい歴史教科書に賛成する)なるんです」と言われました。かなりショックでした。しばらく自分の考えを言うのが怖くなりました。(註 個人的メールより)

 [このような教科書で勉強したかった]学生 : 歴史教科書問題について論じた先輩方のレポートは、納得できる点、どうしても受け入れられなかった点、共感できる点などがそこらかしこにあり、とても面白かったです。ただ気になったのは、当の「新しい歴史教科書」を読んだ人がどれだけいるのかということでした。「新しい歴史教科書」採択反対の運動をしている友人がいます。この友人にその「新しい歴史教科書」を読んだのかと聞くと、読んでいないと答えました。何故読まないのかと聞いたら、「そうなのかもしれない、と洗脳されるから」と言いました。私は教科書問題が新聞の一面を飾りだした頃、近所の本屋で「新しい歴史教科書」を買ってみました。良い教科書だと、このような教科書で勉強したかったと思いました。

 [マスコミと一般国民の間に存在する意識の乖離を思い知らされた]学生 : 前年度のレポートを読み何よりもまず感じたことは、ほとんど全ての文章が、我が国の日教組や大部分の歴史家が唱えてはばからないステレオタイプ、中国や朝鮮をはじめアジアの人々を虐げ苦しめた残酷な帝国主義の日本、という視点とは無縁の地平で展開されていることに対する意外さでした。とりわけ、歴史教科書問題について疑いの余地なくもっとも頻繁に取り上げられる南京虐殺を、やはり大半の人がその存在の有無さえ議論の対象と成り得る、と考えている点は、普段少なからぬマスコミが声高に喧伝する“世論”の内容とあまりにもかけ離れているという意味で驚くべきものでした。もとよりこの話題に関してはマスコミの論説など常にマユツバの思いで受け止めていましたが、これら少数のしかし不特定の人々の意見に、改めてマスコミと一般国民の間に存在する意識の乖離を思い知らされます。巷に氾濫する教条的・ヒステリックな誹謗・中傷と異なり、ここに挙げられている意見からは「新しい歴史教科書」の本質をまず理解しようとする意思が如実に伝わってきました。

 

【4章 戦後教育からの脱洗脳】

4.1 歓迎、受容派の増加

 授業が終了に近付くと共に(懐疑派の多くは歓迎、受容派に変わっていったので)歓迎、受容派は増加していった。元々からの歓迎、受容派は、益々脱洗脳度が高まった。以下は歓迎、受容派の(脱洗脳の証となるような)言葉です。

 [戦争に関する事項の教え方には手を拱くのを嘆く]学生 : 最初に特攻した人が西条出身ということだけは聞いたことがありました。かなりお年を召した先生からだったんですが、そのときはさほど気にしてませんでした。確かに同じ地元の子でも知ってる人はほとんどいないようです。今思い出せば慰霊碑もたってたような。でもこれまでその先生以外からはそのことについて教えてもらったことはありませんでした。戦争に関することだからでしょうか、単純にも「戦争を美化する」という考えに結びつきかねなかったからでしょうか。そういうのじゃなくて、ちゃんと教えてもらいたかったと思います。戦争に関する事項の取り扱い(教え方)には手を拱くのでしょう。触らぬ神に祟りなし?触らなくても、祟られなくても、誤解は生まれそうです。

 [扶桑社の歴史教科書にはパール判事についての記載があるので安心したという]学生 : 私は本当に歴史が苦手で、A級戦犯の事も東京裁判の事も何も知りませんでした。もちろん靖国神社に関するニュースで「A級戦犯」という言葉を耳にした事はありましたが、何の事だか全然分かっていませんでしたし、その時の私にとっては知らないままで放って置ける程度のものでした。パール判事にいたっては名前も知りませんでした。パール判事の話を聞いた時、今までその存在を知らなかった事がとても悔しく思われました。11カ国の中でただ1カ国だけと言う状態でも、最後まで日本の無実を主張してくれた人がいたなんてとても嬉しかったです。だから、日本のためにそんなにも頑張ってくれた人のこと、ちゃんと歴史の授業で習って知識を持っていたかったし、この講義で名前を聞いたときに「もちろん知ってるよ」って思いたかったです。扶桑社の歴史教科書にはパール判事についての記載があるようなので、ちょっと安心しました。

 [平和を脅かした責任を一方的に押し付けたことを批判する]学生 : 今回巣鴨プリズンとA級戦犯のビデオを見て、その中の意見に、「戦争という流れの中で今までやってきた。その最後にわれわれが居合わせただけである。」というようなものがありました。確かにそうだと思います。彼らでなければ戦争は起こらなかったとはいえないと思います。A級戦犯の罪は「侵略戦争を計画、遂行した」責任を問う平和に対する罪というものですが、パール判事の意見にもあるように、それでは戦争に勝った側にも言えることではないか。この戦争において、悪者だから敗戦し罪になるのではなく、敗戦したため悪者とされ、平和を脅かした責任を一方的に押し付けたもののように思えました。

 [戦犯の人たちの死を悼む人はいないと思っていた]学生 : 巣鴨プリズンのビデオは色々考えさせられました。私は特に処刑された人たちの奥さんや家族がお焼香している場面が印象に残りました。戦犯と呼ばれる人たちにも心配する家族がいる、という当たり前のことにはっとしました。それに気づかなかったということは、私は戦犯の人たちを無意識に悪い人、と決めつけ、その死を悼む人はいないと思っていたのかもしれない、と思うと恥ずかしいです。身近で日本のために頑張っていた夫たちを見ていた奥さんたちは、彼らが戦争が終わったとたん戦犯と言われていた状況をどんな思いで過ごしていたんだろうと思いました。

 [先生が洗脳されている危険性に気付いた]学生 : 学生がメディアによって洗脳されていれば、教員も洗脳されている、ということを聞き、はっとしました。私たちは先生から教育をうけているのであって、その先生が洗脳されていれば学生も洗脳されていることに気づかないのではないか、と。でも、今私たちはこの授業でその洗脳に気づくことができ、たくさんの人の正直な意見を聞いたりすることによって、自分の気づかなかったことや、自分の考えをもつことの大切さを学びました。現代において最も必要とされているのはこのようなことなのではないでしょうか。

 [東条英機は命を持って償ったという]学生 : 東条英機が死刑判決を受けるシーンを初めて見ました。そしてその少し前に同じビデオの中で見た、東条夫人を思い出しました。彼女は一体どんなことを思ったのでしょうか。以前読んだBC級戦犯の遺書の中に「お父さんは何も悪いことはしていない。ひたすら国のために戦ってきた。それなのに命を奪われるのは無念なことだ。だが今ここでお父さんが命を惜しまず捨てていけば、お前達が平和な世の中で生きていけるのだと信じて死んでゆく」という内容のものがあったことを思い出して少し涙ぐみました。東条英機は確かに第二次世界大戦の責任者の一人です。それに異論はありませんし、確かに批判されるべきだったのでしょう。ただもう彼は命を持って償いました。これ以上A級戦犯だの、日本を戦争に引きずり込んだ張本人だのと責められなくともよいと思うのです。彼らの死によって今私たちは平和な世の中に生きていられるのですから。

 [洗脳が世論を作るという]学生 : 教職をとっていて、今日実務の高校教員の話を聞いていて、教科書問題について反対論文を書いたら県にすぐ採用されたと聞きました。その教師は扶桑社は良いものと悪いものを区別するのによい材料と言われ、少し反感を覚えました。結局、すべての問題を通じて、世論は洗脳が作っているものであると思いました。

 [特攻隊員を英雄だと思う]学生 : 他の人の感想の中には、「特攻隊は英雄ではない」とありましたが、私は「英雄」といえるのではないかと感じました。青春真っ盛りの青年がすべての欲望を捨て、ある人は国のことを想い、またある人は愛する家族、恋人のことを想い、またある人は戦後の日本を思いながら出撃して行かれたのです。 特攻隊という制度は人の尊厳を無視し、非道な作戦であったと思うので賛成できませんが、私は日本人として特攻隊員の方々をすごいなぁと感じています。出撃の何ヶ月も前から特攻するための厳しい訓練を耐え抜き、自らのためではなく、国のため愛する人々のために自らの命を捧げた方達、このような特攻隊の方々を、私は立派な英雄だと思います。

 [特攻隊から愛国心を学んだ]学生 : 私は今まで、愛国心と聞くとすぐにナショナリズム→戦争を連想していました。でも、今回授業を受けたり、書き込みを読んだりして、愛国心とは家族や恋人、友人など人を愛する心が根底にあって、それに故郷や国に対する愛着や誇りなどが加わったものなのかなと思うようになりました。そういう意味で、愛国心は人にとって普遍的で、人であれば本来誰もが持ち得る素朴な感情ではないかと思います。最近、国に誇りが持てるように、愛国心を育めるような教育をするべきだという意見がよく聞かれますが、それは本来当たり前のことなのかなと思いました。

 [特攻隊の精神を尊敬している]学生 : 先日テレビで日本の自衛隊に外国の人が強い脅威を抱いている映像を見ました。そのテレビに出ていたのは老人の方だったのですが、その中で「特攻攻撃に衝撃を受けた連合国は、無条件降伏を受け入れたにも関わらず、日本はいざとなると何をやらかすかわからないという、警戒感を抱かせることになりました。多くの国の軍関係者に、自衛隊を特別視する傾向が見られるのは、特攻隊による影響なのです。」とおっしゃっていました。これを聞いて、日本は「特攻隊」と言う存在によって、他国にある種の警戒感を抱かせる、端的に言うと抑止力が働いているのだと感じました。そして、「特攻隊」は日本に影響を与えただけではなく、戦後の世界に対しても影響を与えているのだなぁと思いました。「特攻隊」の方々は「いのち」の重さを知っていたからこそ特攻隊に志願したのではないでしょうか。多くの大切な「いのち」が助かるのならば、自分一人の「いのち」はおしくない。「自分さえよければいい」ではなく「みんなのために」、そういった「特攻隊」の方々の精神を、今私は本当に尊敬しています。

 

4.2 逡巡派の脱洗脳が進む

 戦後教育からの脱洗脳(特に逡巡派の脱洗脳も含めて)がどの程度達成されたかは期末レポートから判断することができた。以下は、期末レポートからの抜粋です。

 [「日本は悪い」という洗脳が消えた]学生 : 恥ずかしながらこの授業を受けることで、「つくる会」の教科書についての議論の内容を初めて知った。それには一方には歴史的事実の信憑性の有無や自国の誇りを持つべきだといったような意見、そしてそれとは反対に戦争自体を反省すべき、諸外国との関係を考えなければならないといった様々なものがあった。私はこうした情報を知り、初めて歴史教科諸問題について考えたのだ。そして出た結論というのが「つくる会」に私は賛成というものであった。様々な視点からの情報を手に入れ、考えることで自分なりの結論というものがわりと簡単に出たことに私は驚いた。この結論が出たときというのは、私のそれまでの「日本は悪い」という洗脳が消えた瞬間であったように思う。私たちは、それなりの情報さえ手に入れることができれば脱洗脳できるのだということがわかったのだ。

 [隣国の指導者の洗脳による被害から学ぼうという]学生 : 中国では、あらゆるところに毛沢東の肖像画が掲げられている。また、今でも天安門広場に設けられた記念堂の中に、その死体が安置されている。毛沢東は、中華人民共和国の成立を導いた偉大な指導者である、と同時に建国以来、最も大きな被害をもたらした罪人でもある。しかし、その大きな被害について、これまでほとんど話題にされることはなかった。国とその指導者の洗脳による被害をとおして、私たち日本人は、学ばなければならないことがたくさんある。 

 [最終的に洗脳だったのだと気づいた]学生 : 私がこの授業を通して、おそらく通ったであろう変化の道を整理してみると、次の通りである。まず、無知であることを知り、情報を鵜呑みにしたためについてしまった先入観を持っているということに気づき、(ここでしばらく情報不信になったのだが)自分の持つ先入観と違う考えを持つ人と出会い、または情報を手に入れ、授業やこの掲示板の中で意見交換し、同じように洗脳によって先入観を形成してきた人同士で交流を深めていく中で、何かが違う、と少しづつ感じ、最終的に洗脳だったのだと気づいた

 [指摘してもらって初めて洗脳されている自分にきづいた]学生 : 私達の身の周りには、洗脳しようとしている人、メディア、物がたくさん存在している。私はこの授業を受ける前まではその存在さえ知ることはなかった。そして、この授業を受けてその存在を知った今でも洗脳されていたりする。自分では気づかなかった。しかしこの前先生から指摘してもらって初めて洗脳されている自分にきづいた。きっかけは、「人から指摘された」ことである。洗脳する存在が人ならば、また洗脳を解くのも人なのか。ある就職説明会の最中に、私は隣りの友達に「なんか洗脳されよるみたいやね」と話しかけた。そう言った自分に後で驚いた。今までそんなこと思ったことなかったのに。そう思ったきっかけは、頭の中に前、先生から指摘された一言が残っていたからだ。その言葉がすんなり洗脳されようとしている自分にストップをかけた。

 [ある考えにいたるには背景やプロセスがあることに気付いた]学生 : 授業の感想を電子掲示板に書き込んで、先生と生徒間、または生徒同士が、各々の考え方について討論していくといった今回のような授業形態は初めての体験だった。時間がたつにしたがって、先生の返信コメントに「だんだん洗脳が解けてきましたね」というのが増えていたような気がする(自分への返信でないあたりが残念であるが)。やはり、自分を主張しつつも、違う考えの人に触れ、どうしてなのか考えていくことが重要なのだと思われる。私も最初は、この授業を続けていく自信がなくなりかけたくらい、自分以外の人の意見に関して疑心暗鬼になっていた。洗脳を解こうとしてるのか逆に洗脳されてるのか、どんなに考えても自分の考えは洗脳の域を出ないばかりか、ますます凝り固まった考えになっていっているのではないか。でも、疑いつつも、自分の考えが人に感化されていくのが悔しくて、いろいろ調べることもした。それしか思いつかなかったし、今までの自分の知識だけではとても太刀打ちできなかったからである。そして、ある人が、ある考えにいたるにはそれなりの背景やプロセスがあって、それを垣間でも見ることができたら、自分の見聞も広がるのではと考えた。

 [多くの洗脳は偏りを持つ媒体をとおって加工されるという]学生 : この授業を受けて、今まで考えていなかったことを考え、またそのテーマに対するいろんな人の直の声を聞けたことは大変勉強になりました。どうしても意見が人の手に渡り加工されるとその人の概念が入り偏る恐れがあるからです。多くの洗脳はそうした偏りを持つ媒体をとおって彼らの都合のいいものに加工された物によって起こりうると思います。歴史教科書問題においては、この問題をテレビでやっていた程度の知識しかない人はその報道における「戦争美化」や「無理やり採択させた」などの少量の情報を鵜呑みにした後、反対する団体の映像を見せられ、深く自分で検証することなくこの問題を位置付けています。誰が、何の目的で、この教科書のどの部分について議論しているのかを知ろうとする人は、このような加工された情報に踊らされることなく、自分の考えによってこの問題を読み取り、またその裏にある事実と違っている部分を知ることができると思います。

 [洗脳は思考停止の結果という]学生 : 洗脳によって思考停止し、感情論だけでものを考えていると考え方の視野が狭くなる。このような洗脳状態から抜け出すには、自分の考えに囚われず、他の人の意見を素直に聞いてみる、ということができるかどうかだと思う。自分が洗脳されていることに気づくかどうかは結構簡単な問題だと思うのだが、朝まで生テレビや、過激な教科書反対運動をしている人たちを見ると、その難しさを感じる。この授業で他の人の意見を見ていて、洗脳に気づいたとか、考え方が変わったという人はよくいるので、若い人の方が考え方に柔軟性があるのだということは思うが、年をとっても人の意見を真剣に聞くという姿勢は失くしたくないと思う。

 [洗脳に気づくことができたのに、そこから抜け出すのに苦労していた]学生 : まず初めに、洗脳される人というのは、無関心であることに気づきました。無関心な人は、ただ雑誌や新聞やテレビなどの情報を鵜呑みにして、それ以上の情報をとりいれないために、どんどん洗脳されていきます。そのうえ、そのようなメディアを使った情報操作に、知らず知らずのうちに加担しているのです。実際、私も、そのうちの一人でした。まさか、自分が情報操作に積極的ではないにしろ、加担していたとは、驚きでした。次に、洗脳されやすい人は、視野が狭く、物事を多角的に見られないということに気づきました。私は、無関心な人ほど、視野が狭く、物事を一方向からしか見られない傾向にあると思います。また、無関心が無知を呼び、さらに、洗脳を呼んでしまうのだと考えています。次に気づいたことは、洗脳されてしまっている人は、感情論ばかりを持ち出す傾向にあるのではないかということです。洗脳されているであろう人々は、物事の主張や反論に感情論ばかりを持ち出して、説得力もなければ、論理的でもない意見を、繰り返し論じるように思います。私もそうなのかもしれません。この授業を受けながら、自分との討論を繰り返していました。洗脳とは、何なのか、必死に考え、ときに、苦しみました。「真っ白な心を持てない人ほど、長時間苦しむ」というコメントを見たとき、そうかもしれないと思いました。洗脳に気づくことができたのに、そこから抜け出すのに苦労していたのです。一つの洗脳から解き放たれたのに、新たな洗脳にかかってしまうことを恐れていたように思います。

 [ショック療法によって洗脳はかなり解けてきたという]学生 : 宗教的に洗脳された人を仮にAさんとして、もし否定してしまえば、Aさんが壊れてしまうかもしれません。精神的な苦痛を取り除いてくれたモノを否定して、変人扱いしてしまうことは、いまのAさんすべてをも否定することに成りかねないからです。ですから、まだ洗脳にかかっている人の周りにいる脱洗脳に成功した人間は、口でただその人を否定するのではなく、付き合っていく中で、相手が自分の考えに疑問をもつように、長い目で見守ってあげることが最善ではないでしょうか。また、痛い目を見て、自分の洗脳に気づくことが、脱洗脳には即効性があり、もっとも効果的だと思います。わたし自身、この授業を受けることで、今までのしつけや教育、メディアの影響を受け、洗脳されていた部分があったと知ったときには、ショックで、最初は信じられませんでした。しかし、次第にメディアの裏側に意図があるかどうか、信じていたことが本当に真実だったのかどうかを疑うようになりました。このようなショック療法によって考える機会があったおかげで、わたしの洗脳はかなり解けてきているように感じます。

 [暗い未来を見せ付けられたという]学生 : 自分でこれは良いこと悪いことと見分けられる力を、勉強することで身に付けるというのは正論であるが、私には空論、理想論にすぎないと思っている。それくらい自分でどうにか出来るという域を超えてしまっているのだ。私たちは弱者であるということになる。今回の授業でそのことを痛感してしまった。暗い未来を見せ付けられた瞬間であった。

 

4.3 現在の日本も(北朝鮮のように)洗脳された国家

 学生のレポートの中に「現在の日本も、刷り込み(初めて触れた情報を修正できないこと)による洗脳から脱していないので、(歴史認識に関しては)充分に(北朝鮮のように)洗脳された国家である」と結論つけるものが2編あった。問題の認識と分析が見事なのでここでほぼ全文を紹介する。

 [現在の日本も、刷り込みによる洗脳から脱していないことを指摘する]学生 : 身近にある洗脳を探してみた。身近な人物として、家族の話を聞くことにした。まずは母に靖国神社参拝問題や東京裁判について尋ねてみた。すると、驚くべきことが判明した。なんと母は、メディアがテレビや新聞などで発信している内容と全く同じことを、全く同じ調子で語り始めたのである。その光景は異様だった。まるで母がメディアに操られているようだったからである。私は「早く気づかせてあげたい」と思った。これは母の話を聞いた私の正直な感想だった。ここでいう「気づかせる」とは、歴史的事実の正誤についてではなく、日本人はメディアや戦後直後の勝利国である連合国によって作られた国家とその歴史観に洗脳されているということに気づかせることである。また、授業を受けて私が出した結論は「洗脳とは、メディアなどからの情報を何の疑いもなく、そのままを信じ(鵜呑みにし)、それを自分の考えとすること(そしてそれが全てであると思い込むこと)」である。私の母は、まさに洗脳されている状態だった。

 そこで、私は靖国神社参拝の本質的な問題(政教分離の問題ではなく、東京裁判で裁かれ、有罪となり絞首刑にされたA級戦犯を奉ってある靖国に首相が公式で参拝に行くことが、中国や韓国をはじめとする東南アジア諸国の感情を逆なでするとされていること、しかし、その東京裁判とは戦勝国が敗戦国を一方的に裁き、国際法を無視した違法な裁判であったことなど)を母に話した。そこで私は第二の驚くべき事実を目の当たりにした。一通り話し終えた私に、母は異端児を見るかのような眼差しを向けていたからである。私は、さらに洗脳されている状態をあらわす表現に「異なる考えを感情的に排除し、受け入れようとしないこと」という言葉を付け足すこととなった。母は、私が東京裁判におけるパール判事の話をしても、決して受け入れようとはしなかった。国際法の話をしても、受け入れなかった。ただ、感情的にそのようなことは言うべきでない、日本人として日本が過去に犯した過ちを償わなければいけないというような趣旨を繰り返すだけであった。

 次に、私は弟に意見を求めることにした。弟は高校生なので、彼の意見を聞いて、現代を担っている母の世代とこれからを担う私たちの世代とのあいだの考えのちがいや共通する点を発見したかったからである。私は母に尋ねたときと同じように靖国問題や東京裁判についての意見を求めた。これは予測していたことなのだが、全く知らないのである。靖国問題がどのような問題であるか、東京裁判とはどのような裁判であるかはおろか、名称すら知らないのである。ましてやA級戦犯などは知る余地もない。しかし、このことにはさほど驚かなかった。なぜならば、私自身も高校生のときには何も知らなかったからである。

 そこで、私は自分自身の経験も踏まえ、母と弟の様子を見て、自分なりの仮説を立ててみた。高校生のときには靖国問題や東京裁判についての知識がほとんどない。しかし、母の年齢にはとても強い歴史に対する考え、信条をもっている。二人の世代の間である私の世代=20代頃になりメディアが発する歴史的事実についての問題についての情報に触れ、自分の見解にするのではないか。従って、メディアの言葉や雰囲気と全く同じような考えをもつ日本人が増えるのではないか。実際、私も大学に入学しニュースなどを見るようになり、キャスターや番組の意見や意図をそのまま自分のものにしていた。私もこのような講義に触れることがなければ、洗脳されたまま年を重ねていたかもしれない。

 しかし、私が危険だと思うのは日本人がメディアの流す情報を鵜呑みにすることではなく、その情報を微塵も疑わないことである。そして、一度受け入れた情報以外の見解に出会うと感情的に拒否することである。それは洗脳以外の何でもない。通常の思考回路では、自分とは異なる考えに接すると、とりあえず否定はするものの後になって考えてみたりするが、歴史に関する問題においては「感情的に」断固拒否の一点張りである。それは、高校生が何も知らないこと即ちメディアなどの偏った情報が正しいのかどうかを判断する知識が個人のなかに無に等しい状態であることが大きな原因となっているのではないだろうか。無知の状態から洗脳することはさほど難しいことではないだろう。そして、初めて触れた情報に洗脳された場合、その考え方しか知らないので洗脳状態から抜け出すことも容易ではないだろう。

 このように、日本人の歴史観を養うという点において日本という国はお世辞にも恵まれた環境にあるとはいえない。私たちは北朝鮮を洗脳国家だというが、日本も歴史においては充分に洗脳国家であるといえるのではないか。しかし、洗脳されているからといって何をしても良いというわけではないことは誰もが承知している。すなわち、私たち日本人が洗脳されているかもしれないからといってその歴史観への責任を他に転嫁することはできないのである。一刻も早く自ら洗脳状態から脱して独自の意志を確立させなければならない。

 [国歌を大声で歌う先生のほうが何倍も考えていたことに気付いた]学生 : 私は、広島県呉市出身者です。私が当然であると思い込んでいたこと、それは、月1回の平和学習+夏休みの平和集会と、日の丸掲揚・国歌斉唱が戦争を奨励するものだから反対すべきであるという先生の教えです。私が通っていた小中学校では、毎年8月6日に平和集会というのがありました。そのときにやることは、戦争の悲惨さばかりを強調したような映画を全校生徒が集まって体育館で鑑賞することでした。その中で一番心に残っているのが「白旗の少女・龍子」という沖縄戦を舞台にしたものでした。小学校1年生のときに見たのですが、空襲で避難している母親におぶわれた幼い主人公の弟の首が、爆撃によって吹っ飛ぶシーンを鮮明に描くなど、かなり衝撃の強いものでした。また、最後のシーンでは龍子が、暴力的な日本兵の手を逃れ、白旗を持ってアメリカ兵の所へ行き、そのアメリカ兵に抱きかかえられ泣きながら大喜びするというエンディングを迎えます。私は当時6歳で、戦争になると人がたくさん死ぬ、というくらいのことは分かっていたとおもいますが、この映画で描かれていた戦争は悲惨以外の何者でもありませんでした。そして、龍子の弟を奪う爆撃をしたアメリカ兵よりもなかなか降伏しようとしないで犠牲者を増やしたバカで残忍で愚かな日本兵の姿ばかりが脳に焼きついたのを覚えています。学校側の戦争に関する洗脳は幼いころから始まっていました。その映画の大まかなストーリーは忘れてしまっても、幼い脳は衝撃だけをしっかりと記憶して今でもしっかりと息づいています。こうなると、北朝鮮の洗脳映画を一概に大げさだと笑えないと思います。今、私はたまたまこの授業で洗脳を考える機会があったから、こうしておかしさに気づけたのであって、そういう機会がなく、あの場所にいたほかの児童500人あまりはもしかすると幼いころに焼きついた感覚のみを頼って生きているかもしれないのです。それは洗脳というしかない状態で、その情報しか与えられていないからそれを信じている北朝鮮の人の一糸乱れぬ行進と同じくらいの危うさを感じてしまいます。

 また、もう一つの洗脳の事例として国旗掲揚・国歌斉唱に多くの先生が反対の立場をとっていたことがあげられます。私が高校に入学したころ、学校は国旗掲揚・国歌斉唱についてもめにもめていました。そんな中で1999年に広島県の世羅高校の石川敏浩校長が卒業式の前日に自宅で自殺するという事件が起こりました。この事件は、本当に衝撃的でした。この問題にも大して興味のなかった私ですが、世羅高校の事件が起こる前にも、自分の中学校の校長が日の丸問題で(公には言われなかったかもしれないが)辞任したりしていたため、私の中では気が付かないうちに国旗掲揚・国歌斉唱を強制する国や、教育委員会はすっかり悪者になっていました。別に国歌を歌うことがそのまま戦争につながっていくなんてぜんぜん思っていませんでした。けれど人の死を引き合いに出され、それが美談として語られようものなら、大して考えていなかった私の脳は簡単に洗脳されたのです。卒業式などで国家斉唱のときに何が何でも起立しようとしなかった先生達。その先生を見て、しっかり自分の意見をもっているのだなと思い込んでしまいました。いつのまにか「国」が悪で、それに対して少数派の「教員達」が正義として戦っている。そんな図式が出来上がっていたように思います。本当は、そんな風潮の中で起立して国歌を大声で歌う先生のほうがこの問題に対して何倍も考えていたのでしょう。

 

4.4 脱洗脳が進んでも洗脳の残滓は残り続ける

 脱洗脳が進んでも洗脳の残滓は残り続けるようである。次の学生の感想はその一例である。

 [洗脳の残滓。自虐教育の影響、恐るべしという]学生 : 韓国併合における創氏改名問題を解説している記事を読んで感じたこと。私には洗脳の残滓がある。それまで私は結構脱洗脳できたんじゃないの、と自負していた。確かにメディア等を鵜呑みにすることは無くなったし、批判的に読み取ろうともしている。でもこの記事を読んで歴史問題に関してはまだ洗脳から抜け切れていなかったんだと感じたのだ。だから洗脳の残滓があると思った。で、なぜ残滓があると思ったのかと言うとこの講義を半期受講した今でも、この記事を100%支持するということ、つまりこの記事を読んで違和感を全く感じないと思うことができないからである。そう思うのは、物事を多角的に批判的に読みとることに注意するようになった今、知識不足の状態でどちらが正しいとか正しくないとか、自分の意見はこっちよりだとか軽々しく言いたくないと思うからだ。でも、実はそれだけじゃないことに気付いてしまった。確かに私はいろいろな角度からの意見を知ってからでないと判断したくないと思っている。コレに嘘はない。けれど、潜在的な意識とでもいうか、無意識の中にこの記事を受け入れることに積極的でない部分が少なからずあると気付いたのだ。

 私は何処で違和感を感じたのか。創氏改名が朝鮮式戸籍の「姓」「族譜」を廃止したものではない、まではそういった流れだったのかと頭にすんなり入った。問題はコレ以降の記事内容である。これ以降、創氏と改名の流れをおっているだけなのだが日本を擁護しているのではと疑えるような記述の存在を感じたのだ。その歴史に関してよく知らないのでこの流れが正しいのかも、もしかしたらどこか間違っているのかもわからない。どっちつかず。どっちつかずのはずなのに。

 著者は創氏と改名の歴史に通じておりその事実を流れに忠実に述べただけだろう。以前の私なら歴史を歪曲しているに違いないと決め付けただろうが、授業によって、新聞によって洗脳されていたことに気付けたのでこう考えられるようになったのだと思う。なのに感じる違和感。創氏と改名は強制か否か、あたりから少しずつ違和感を感じ、親日的であった戦前の朝鮮人、朴大統領は日本の善意を認めていた、ではその全てに違和感を感じた。また『親日的』『強制ではなかった』『改名者は精神的にも日本人になりきろうとした知識人などが多かった。』といった記述にも。その歴史の流れを踏まえても、日本擁護のようにも見えてきて違和感を感じてしまうのだ。何の根拠もない。だって私には創氏と改名に関して殆ど知識がないのだから。なぜ違和感を感じその歴史の流れを踏まえても、日本擁護のようにも見えてきてしまうのだ。そう思えてしまうのは自虐的歴史教育の賜物にちがいない。強制、無理矢理併合した、差別、とにかく日本が悪い悪い、といった歴史を学んできたから、日本をかばっているように捕らえてしまい、その考えを受け入れることにちょっと消極的なのだ。日本の歴史教育のなかに潜む洗脳に気付いたというのに、それなのにまだそういった感を捨てきれずにいるのは、教育と言う刷り込みによる洗脳から無意識的な部分が完全には解き放たれてはいないということだろう。洗脳の残滓。自虐教育の影響、恐るべし

 最後に。麻生氏の発言「当時朝鮮の人たちが日本人のパスポートをもらうと、名前に『金』などと朝鮮名が書かれ、それを見た満州の人たちが『朝鮮人だな』といって、仕事がしにくかった。それで、朝鮮の人たちが『日本式の名字をくれ』といった。これが創氏改名の始まりだ」 コレに対しての朝日の主張、『麻生氏が指摘したような事実は、部分的に、あるいは一時期あった。しかし、創氏改名は日本が朝鮮の人々を『皇民化』するために、心の内側にまで統制を加えようとした政策だ。朝鮮の人々のなかに日本式の名字を欲しがった人がいたとすれば、なぜなのか。植民地支配が生んだ差別を逃れようとしたからだ』 どちらを信じるかと言われれば授業を受講していなかった場合、100%、いや120%朝日を支持したと思う。『植民地支配・強制・差別、これは日本がしてしまったこと間違いなし!この議員、森前首相の神の国発言的なイタさがあるわ。』と思ったに違いない。強い違和感、を示したと思う。私には「歴史=教科書の通り」だったのだから。

 

 また、洗脳の影響が強烈過ぎて、自我を保つためには受講し続けることが(苦痛で)困難になり授業を否定的に見るようになった学生もいました。その学生から「授業を捨てた」と聞いて、その訳を尋ねたら、次のような返事がありました。

 [苦痛に感じ、捨てることにした]学生 : 捨てた理由、うーん。以前、私はものすごい不安と孤独感でいっぱいになっていたと書き込みましたよね。あの中に書き込んだ気持ちが強くなったことが理由の1つです。やっぱり、私みたいに不安になっているバカな学生で、楽しんでるんじゃないかなあと思いました。それから、認識だけで結論や行動みたいなものに結びつかないような理屈や、もし自分だったらどんな気持ちがするだろう?というような視点というか、空想力のない、言葉ばっかりの書き込み、そういうものを読んだり聞いたりするのに飽きました。プロジェクターで観るものもワンパターンで、観ている側もすぐにそれが全てかのようにそれだけで驚いたりショックで書き込みして、そういう雰囲気がうっとうしくて苦痛に感じました。自分でそういう雰囲気に働きかけて、苦痛じゃなくなるようにするという選択肢もあったのですが、何のためにそんなことをするか分からなかったので、もう捨てることにしました。(註 個人的メールより)

 

【5章 おわりに】

5.1 洗脳されていた度合と授業で感じた違和感に関する相関図

 授業で感じた違和感は(授業を受ける前の自分を振返って見て)洗脳されていた度合に依存するのではないかと直感し、アンケート調査により次のような相関図を作った。(当然のことながら、授業を捨てた学生は含まれていない)

 [洗脳されていた度合と授業で感じた違和感に関する相関図]

縦軸 洗脳されていた度合 (全く洗脳されていなかった)から(極度に洗脳されていた)まで5段階

横軸 授業で感じた違和感 (違和感無し)から(極度に違和感)まで5段階

            歓迎派   受容~逡巡派   防衛・抵抗派

中人数クラス(3,4回生)  □      ○        △ 

小人数クラス(1,2回生)  ■      ●        ▲

 

(授業を受ける前の自分を振返って見て)

[洗脳されていた度合]

  |(極度に洗脳されていた)

  |

  |                      ○     ○

5 |   ○○○   ○○    ○△○   ○○○   ○○○

  |                     ○○    ○○

  |

  |         ●     ●●    ●

4 |         ○○    ○○○   ○○○   ○○○   

  |               ○○○

  |

  |                ○

3 |         ○○    ○○○   ○○○    ○

  |         ●      ●           ●       

  |

  |

2 |    □○   ○○     ○     ○○    △

  |         ▲  

  |            

  | 

1 |    ■

  | 

  |

  |(全く洗脳されていなかった)

  _____________________________________

       1     2     3     4     5

    (違和感無し)                (極度に違和感)

              [授業で感じた違和感] 

 

[脱洗脳効果についての(相関図から得られた)仮説](ここでは授業で感じた違和感を「違和感」で、洗脳されていた度合を「洗脳度」で表すことにする)

 ・「違和感」が高い人は「洗脳度」も高い。しかし、逆は成り立たない。つまり「洗脳度」が高くても「違和感」が低い人がいる。これは、脱洗脳を違和感無く歓迎した「歓迎的受容派」であろう。

 ・歓迎派は「違和感」が低く、且つ「洗脳度」も低い。

 ・防衛・抵抗派は「洗脳度」が高いのもある一方で、低いのもある。低いのがある理由は良く分からない。(「洗脳度」が高いことを認めたくないというプライドのせいかも知れない)

 ・全体として「洗脳度」が高い方に位置していることは、「この授業により(洗脳に関して)自分をより客観的に眺めることができるようになった人が多かった」ことを表している。

 

5.2 脱洗脳に関して得られた知見

 1章から4章までの脱洗脳に関する起承転結を通じて次のような知見(仮説)が得られた。仮説については今後、検証を重ねて行きたい。

 ・メディアからの洗脳 : メディアからの洗脳は(広範囲だが)浅いのが特徴なので、条件さえ整えば簡単に寝返り(脱洗脳)させることができる。

 ・教育を通じた洗脳 : 教育を通じた洗脳は(メディアからの洗脳に比べ狭いが)深いのが特徴なので、脱洗脳させることは(メディアからの洗脳)より難しい。

 ・教育の場 : 教育の場で刷り込まれた洗脳を脱洗脳させるのは、やはり(学びたいという動機があり、一定期間束縛される)教育の場が一番効果的

 ・集団思考 : 脱洗脳は単独で行うより、集団で行う方が効果的(ある段階でオセロゲーム的現象が起こる)

 ・鉄は熱いうちに打て : 頭の柔軟な若い内に脱洗脳させることが肝腎。ある程度社会的地位のある、あるいはプライドの高い人の脱洗脳はかなり困難。逆効果

 ・段階を追うこと : まずは、情報操作への警戒心を喚起させ、次に、テレビや新聞の偏りや情報操作に気付かせ、その後に、学校教育や歴史教科書の偏りや情報操作、自虐性に気付かせるように段階を追うことが肝腎。将を射んと欲せば、まず馬を射よ、着眼大局、着手小局という戦術。(つくる会は始めから将を射ようとした、もしくは大局から着手してしまったのかも知れない。)

 ・思い込みが激しいと逆効果 : ワンパターンになることを避ける。ワンパターンになると、思い込みが激しいと思われ、その人自身が洗脳されているように見えて、人を引かせてしまう。もしくは飽きられる。執拗なのも禁物。コチコチの右翼と誤解されるのは絶対に避けること。怒りを露にしてはそこで負けと思うこと。

 ・洗脳されている人を愛せ : 洗脳されている人は貴重である。洗脳されている人は、脱洗脳のヒントを与えてくれる可能性がある。

 ・対象とする集団がどの程度洗脳されているか洞察することが大切 : つくる会教科書の採択の惨敗はこの洞察が不足していたのではなかろうか。

 ・イデオロギーを通じた洗脳 : イデオロギーを通じた洗脳は(教育を通じた洗脳)より深いので、脱洗脳させることはより難しい。

 ・洗脳の動機(洗脳されたいという欲求) : 動機の無い洗脳は無い。戦後教育による洗脳の動機は「国民の側の洗脳を受け入れる素地」であろう。(参考 : 検証 旧日本軍の「悪行」ー歪められた歴史像を見直すー 田辺敏雄(自由社2003.1))

 ・洗脳のプロセス : プロセスの無い洗脳は無い。戦後教育による洗脳のプロセスの秘訣は、みんな「すり込まれている」という意識がないほどにまで完璧な多重の循環構造である。(参考 : 学校教育の危機、崩壊する家庭教育(なんしょんな香川 Part III 都村長生の最終提言 ホットカプセル(株)1998.2より) )

 最後に次のことをアピールさせて頂きたい。

[洗脳は精神的拉致] : 洗脳は精神的拉致です。従って脱洗脳は精神的奪還なのです。精神的に拉致された若者を奪還するのは成人の責任ではないでしょうか。

 

【まとめ】

 ・脱洗脳はかなり達成された : まずは(主として意図的な)情報操作のもたらす危険性について警戒心を喚起させ、次いでテレビや新聞の(無意識的な)偏りや(意識的な)情報操作に気付かせ、次いで学校教育や歴史教科書の偏りや情報操作、自虐性に気付かせた。その後で、歴史教科書問題は実は”洗脳”の問題だというメッセージを伝えた。学生達は意外に物わかりが良く、脱洗脳は順調に進むかと思われたが、学生の多くはまだ本音を隠しており、実は躊躇い(逡巡)派がまだ健在していることが直ぐに判明した。逡巡派には授業と洗脳の区別に悩む懐疑派と執拗な防衛、抵抗派もいた。授業が終了に近付くと共に歓迎、受容派は増加していき、洗脳の残滓は残り続けるものの、戦後教育からの脱洗脳はかなり達成されたと判断できた。

 ・「違和感」対「洗脳度」 : 授業で感じた違和感は(授業を受ける前の自分を振返って見て)洗脳されていた度合に依存するのではないかと直感し、アンケート調査により相関図を作った。相関図からは、「違和感」が高い人は「洗脳度」も高い。しかし、逆は成り立たない。つまり「洗脳度」が高くても「違和感」が低い人がいる。これは、脱洗脳を違和感無く歓迎した学生が少なくなかったことを示している。

 ・得られた知見(仮説) : 脱洗脳を試みた結果として脱洗脳を容易にする(もしくは困難にする)要因に関する色々な知見(仮説)が得られた。

 

【謝辞】 

 2003年前期の受講生全員に感謝の意を捧げたい。このレポートが一人でも多くの若者の「戦後教育からの脱洗脳」の手助けになれば幸いです。