歴史教科書問題と洗脳
副題:学生とのコミュニケーションから得られた仮説
要旨
・学生の歴史教科書問題への態度を分類整理し、「つくる会が国民から幅広い支持を受けなかったのは(左翼過激派、中国・韓国による反対運動のせいというよりは) イ 圧倒的な無関心層の存在 ロ (戦後教育に影響を受けた)被洗脳層の存在 ハ マスコミ・知識人の多くは被洗脳層に属していること ニ 無関心層の多くはそうした(反戦平和主義的)メディアの影響を受けたため」という仮説が得られた。
・次に、歴史知識と「つくる会」への態度に関する相関図を作成し、「つくる会への態度は(歴史知識に)自信のある人ほど反感より共感が多い傾向にある。また(歴史知識に)自信のない人は反感から共感まで幅広く分散する傾向にある。」という仮説が得られた。
・最後に、日本人の洗脳されやすさ、理性より感情に流されやすい傾向を補うためにも、メディア・リテラシー(情報操作によって形作られた過ったイメージを「批判的」に読み取る能力)を高めることの重要性が浮き彫りにされた。
経緯
・2001年度前期授業(組織コミュニケーション論)で「朝まで生テレビ(歴史教科書問題)」のビデオ録画を見せた。歴史教科書問題をレポートの課題にした。歴史知識と「つくる会」への態度に関するアンケートを取った。
・2002年度前期授業(組織コミュニケーション論)は歴史教科書問題を授業全体の中心課題にした。最初の宿題に2001年度のレポートへの感想を課した。これら感想への(批判を含めた)意見を誘導し、問題への関心を高めた。
・歴史教科書問題のみならず靖国参拝問題や特攻隊に関するビデオを見せ、講義(歴史教科書問題を巡って、マインドコントロールを巡ってなど)とともに、中・韓によるプロパガンダ、反対派による運動、メディアによる報道、肯定派の意見、賛成派による運動などの資料を掲示板で紹介した。
・再び、歴史教科書問題をレポートの課題にし、それまでに得られた学生からの感想とともに学生の歴史教科書問題への態度を分類整理した。
・再び、歴史知識と「つくる会」への態度に関するアンケートを取り、仮説を立て考察した。
はじめに
・1章で学生の歴史教科書問題への態度を分類整理し、2章で歴史知識と「つくる会」への態度に関する仮説について考察し、3章では日本社会と洗脳について論じ、最後に結論を述べる。(講義もしくは掲示板で紹介した)資料は付録にした。
1章 学生の歴史教科書問題への態度の分類整理
・学生の歴史教科書問題への態度を「1 歴史教科書問題に関心が抱けない」から「11 メディアへの批判」まで11に分類整理した。番号が大きくなるに従って、「つくる会」への批判が減る、あるいは賛同が増すように配列した。最後に、これらの分類整理から得られた仮説を述べる。
1 歴史教科書問題に関心が抱けない
[教科書は重要な問題ではない]
・たかが1冊の本に、しかも、自分で選んだわけではなく、学校から支給される本に、いくら多感な時期の子供とはいえ、そんな大きな影響を受けるものなのでしょうか。
・日本の国の歴史よりも、自分の未来の歴史の方が重要で あると思います。歴史の教科書が間違っていようが、正しかろうが、自分が希望する 学校或いは大学に進学出来ればそれで良いと考える若者が多いような気がします。
・歴史教科書はそれを絶対のものとして受け取らざるをえない環境こそが諸悪の根源ではないだろうか。
・教科書を読んでその教科書作成のウラ側にある真意を汲み取ることのできる人間は(教師も含めて)ごく限られている。
・歴史の教科書の改革というよりも、日本の教育方針を改革する事の方が先決である。
[政治問題化している]
・歴史教科書問題は、様々な政治家やある一部の人間に扇動されているような気もする。
・歴史教科書問題に関する討論のビデオ番組を見た後なんだかどっと疲れました。自分の考えを一方的に押し付け、相手の言い分を聞こうともしないような討論で、果たしてこの問題を解決する糸口となっているのか。
2 戦後教育の影響を受けて
[GHQ占領政策]
・日本人が愛国心を持たなくなってしまった一つの原因は、戦後のGHQ占領における教育システム改革にあるのだと思う。
・そもそも、その教科書を作っている世代が、既にGHQの洗脳を受けて育っているのだから、そういう人間が作る教科書は当然、幼い頃に学校で洗脳された内容がそのまま載っているわけである。
・(従来の教科書が)外交上の配慮に重きを置きすぎているなどといった意見はあまりにも自分勝手な考え方じゃないかというのがありました。しかし、その意見の中には敗戦後のGHQの歴史教育についての洗脳があると書いてあり、僕はどっぷりと今までの洗脳に浸かっていたのか、と考えるととても複雑な気持ちです。
・「日本人には愛国心を持つ者が少ない」とよく言われる。これは戦時中、日本人の愛国心が非常に強かった為、戦後その愛国心の強さから再び団結して戦争を起こし反抗しないように、アメリカが洗脳してきたためではないだろうか。東条英機という人物は多くの人が知っていると思う。これまでの歴史教育では彼のことを「戦争に突き進んだ極悪な人間」というイメージを持たせるような内容だったのではないだろうか。私自身も以前まではそう信じきっていた。教科書だけを信じてきた人はいまだにそう思っているのかもしれない。だがそれは戦後のアメリカのプロパガンダが影響しているのではないだろうか。私が読んだものだと、「彼は軍部の暴走をくい止めるべく期待され首相になり、くい止めるべく努力したが戦争になってしまった」といったことが書かれていた。これを読んだとき私は正直言ってショックだった。
[自虐史観]
・近現代の歴史教育が「日本はいけないことをした、いけない国」という考えが軸になっている。
・今回の問題の一番大きな原因は、日本の近代の歴史観があまりにも自虐的であるから。例えば15年戦争における責任が、全て日本によるものだとする考え方、当時の日本や独が悪で、米国や英国が善であるという考え方。このような考え方が少なからず日本に蔓延り、教育にまで反映されていることは疑う余地のないことである。
・我々を含め戦争を知らない人間は、愚かにも「国家的PTSD状態」(註 初めて起こした自動車事故によって重傷を負い、事故後は中々、ハンドルを握れなくなったドライバーに似ている 櫻田淳「国家への意志」より)から発せられる歪んだ情報から抜け出せないような気がします。
・歴史を振り返っても日本人は恥ずべき行為を行ってきたと感じていた。君が代・日の丸問題にとても敏感になってしまうのは広島という地で教育を受け、ある種洗脳されているのかもしれない。僕はどちらかというと左よりな考え方になってしまって、左でない人間が右に思えてしまうのは事実です。
[教員と教員養成課程]
・これまでの歴史教育はかなり一方的な考えのもとの教育だったと思います。教える先生のイデオロギーや歴史教科書作成者の意図が強く反映されていたと思います。それに小学生、中学生くらいの知識、学力のもとで先生の教えることや歴史教科書の記述に疑念や懐疑的なものの見方をするのは難しいと思います。
・教員免許取得のため、これまで様々な教職の講義を受講してきましたが、何となく偏った情報が多くあったように思います。私をはじめ教職希望の友人の多くには「扶桑社の教科書は戦争推進教科書」という認識があります。
・友人のM君(基本的には歴史教科書、有事法制反対派)は聴講生として松山大学の講義を受けているのですが、同じ講義を受けていた年配のご婦人に講義後、1時間以上、歴史教科書並びに有事法制反対の運動に加入するように勧められたそうです。かなりな迫力に圧倒されたそうですが、M君は、その必死さに少し驚いたそうです。
・今日、日本の歴史教科書は少し日本が悪い天皇が悪い・旧日本軍が悪い一辺倒に偏りすぎです。学校の先生方は、東京裁判史観そのまま子供達に教え頭に沁みこまそうとしていると疑わざるをえません。
3 メディアの影響を受けて
[メディアの受け売り(的感想)]
・日本政府がアジア諸国に対して国家の戦争責任を曖昧にしてきたからであり、もうひとつは、日本の検定制度によって教科書に書かれてある侵略戦争の歴史を隠し、歴史の真事実というものを曖昧にしてきたからである。
・不採用の背景に、中国や韓国から批判のある教科書をあえて使う必要はないという判断が働いたのは間違いないだろう。過去の戦争加害者としての日本の責任と向き合うことを「自虐」としてとらえる動きが日本社会の中にある限り、同じような問題が起こってくるだろう。
・沖縄戦に関する説明で、住民の犠牲者を日本軍の戦死者より少ない九万四千人と記述。また「ひめゆり部隊」が「勇敢に戦った」という殉国美談調の記述が沖縄戦の実相をゆがめるとして、県内では批判がある。
・昨日、新しい歴史教科書問題を、愛媛県教育委員会が愛媛県の3つの養護学校で使用することを採択したニュースを見ました。率直に感じたことは、なぜ一般の学校での採択はなく、養護学校をターゲットにしたのだろうということです。東京も同じような採択の仕方でしたよね。ターゲットになった学校関係者の一人は、腑に落ちないといった感じで、反論していました。今日、昼頃も県庁前でこの問題への抗議活動をしている団体を見ました。私は、小泉首相があんなにたくさんの反論を受けながら、靖国神社参拝への意思を貫こうとしているように、この新しい歴史教科書も、無理やり採択したような感じを受けます。(2001年度より)
・これらの記事(資料「修学旅行先に南京虐殺記念館外す陳情採択」参照)を読んだ時、私は大人が子供たちの知識や真実を知ろうという気持ちを狭めているような気がしました。なぜこれが大人の判断だけで取りやめになるのか? 生徒が記念館の訪問をやめたいというのならともかく、結局大人は事実を隠したがる、そういう性質は日本人独特なものなのでしょうか? 隠すべきものと隠してはいけないもの・・・。世の中にはいっぱいあると思うけど、歴史は消えるものではないのだから、隠さず真実を教えるべきだと思いました。
[メディアの影響を自覚して]
・私は知らない間に無知・無関心という隙間に新しい歴史教科書に対する否定的な意見を刷り込まされていたのだ。片面だけの意見だけを受け取り、それが全てだと勘違いすることがいかに危険であるか。その術に知らないうちに嵌りそうだった自分が少し怖くなった。
・当時TVなどで討論をしていた内容などから考えて新しい歴史教科書はあまりにも日本びいきで南京大虐殺など、外国のことを考慮しておらず日本人の行った行為について正当化しているのではないかと思っていました。
・なんとなく「作る会」への印象は、マスコミや様々な先入観によって悪いイメージを持ちがちです。それは決して、正しい歴史認識などを鑑みた結果ではないのが問題だとは思いますが。
・新しい教科書の内容もほとんど理解していない者にとっては、作る会に賛成、反対を個人的に考えることは困難です。だから、テレビなどマスコミが、反対運動をしている人々について取り上げているのを見ると、少なくとも賛成の方向には考えられなくなります。かといって、賛成側の意見を調べるほど興味があるわけでもなく・・・。
・ここまで強い批判を受ける教科書というのは、それだけでなにか逸脱した印象を受ける。その印象の多くはマスコミの報道やアジア諸国の批判から来ているものだろう。教科書というものは強い普遍性を持つべきという意識から、私はたぶん、無意識的に『新しい歴史教科書』は問題ある教科書なんだと思っていた。
・マスコミの報道では「作る会の歴史教科書」に批判的な報道が圧倒的に多かったと思います。「作る会の歴史教科書」に好意的なことを書いている数少ないもので僕の知っているものは、「SAPIO」という雑誌で、特にその中の、小林よしのり氏の書いている「新ゴーマニズム」という漫画がかなり「作る会の歴史教科書」を擁護することを書いていたように思います。
・現在の日本では「そんなに問題視されている教科書は使わないほうがいいんじゃないのかなあ」という世論が強いようだし、つい最近まで私自身もそう考えてきた。これはマスコミによって世論が操作されているためだろう。
・多くの国民は新しい歴史教科書について、関心が低いのではないだろうか。だから、根拠が弱かろうがニュースで反対派の活動が取り上げられれば、危険な教科書であると思ってしまう。そして、作る会や賛同者の活動を取り上げるマスコミはほとんどない。インターネット上では賛同する意見のほうが多く見られるようだが、インターネットは「知りたいと思っていないことは知らずに済む」メディアなので、関心の低さは解消できない。
・深く考えるまでは、「つくる会」に対して嫌なイメージを持っていた。従軍慰安婦のことも南京大虐殺のことも歴史上絶対に起こったことだと思っていた。「つくる会」を批判するような投書や文章を何度か目にし、「つくる会」について理解することができなかった。だが、自分で調べてみると、その嫌なイメージは薄れていき、消えていった。「つくる会」の主張に賛成するところもあった。
・私は「新しい歴史教科書」にかなり反対で、それを支持する人が多くいることを不気味に感じていた。報道を見て、「新しい歴史教科書」は戦時中の日本の行動を肯定して、大袈裟に言えば「状況が状況なら戦争に突き進んでもいい」と言っているように感じた。しかし様々な情報を見て、意見を聞いて、私はたいした情報も持っていなくて判断していると思った。実際に「新しい歴史教科書」を手に取り読んでいないし、報道からの情報がかなり偏っていることを実感したからだ。
4 「アメノウズメの命」神話の記述について
(朝まで生テレビを見せて)
[否定的感想]
・あれは私には猥褻な文章にしか聞こえません。あの内容を、中学生に朗読させるのなら、私は許せません。可哀相です。
・私も神話のあの記述を朗読するところで俯いてしまいました。恥ずかしかったです。前後文を読まずにあの個所だけ取り出したから、よけいに酷く感じてしまっただけなのかもしれませんが。あの部分を声に出して朗読するのは嫌です。中学生じゃなく、今の自分でも嫌です。なんだかセクハラにあったみたい。
・あんな卑猥なの読まされたら私一生先生恨みます。先生が説明するのと、13歳の女の子があの文章を読まされるのと、一体どちらが心理的ダメージを受けると思ってるんでしょう。朗読させられる事はないでしょうけど、“教科書”としてあるからには、ないとは言いきれませんし。(コメント:似たような反応が多いのに驚いています。実は、私も始め、あの部分の放送を見て、ドキッとしました。でも、後で、教科書の前後関係などを読んで、気にしなくなりました。逆に、神話に興味を抱くキッカケにさえなり得ると思っていましたが、甘かったですかね。それより、反「つくる会」のキャンペーンの初頭にあの話を持って来たことの方に、関心を持ちました。皆さんからのような反応が少なくないことを十分、計算に入れていたのでしょう。)
[肯定的感想]
・表現記述について中学生には適してないとか、女性蔑視だという意見がありましたが、私は全然問題なしと思っています。神話といえば、女、エロスの面が強くあるので原文に近い表現で出すべきと思います。じゃないと神話を載せる意味がない。私がもしあの教科書を読むとしたら、あの部分はさらっと流していたと思います。あまりにもクリーンすぎる学問や考え方は、ある意味危険だと思うし、エロスって人間にとって凄く大切なものですよね。
・中学生を「ガラス細工」と決め付けて、性に関する情報を一切シャットアウトするのは、ナンセンスではないでしょうか?
5 「つくる会」教科書を読んで
[批判]
・ものすごく違和感がありました。それは、他の教科書より主観的な表現が多く使われているから。それが多ければ多いほど、 受け手側が事実を歪曲して認識する危険性があると思います。
・「つくる会」は序文で、「歴史を学ぶとは、今の時代の基準からみて、過去の不正や不公平を裁いたり、告発したりすることと同じではない。過去のそれぞれの時代には、それぞれの時代に特有の幸福があった」と述べている。一理あるようにみえるが、このことを国が発言したとすれば、それは過去の罪に対する責任逃れになるだろう。
・「つくる会」の歴史教科書を読んでみると、教科書ではなく「教化」書という印象を受けた。事実の取捨選択があまりにも恣意的である。日本による韓国併合について、このように書いてあった。「韓国の国内には、一部に併合を受け入れる声もあったが、民族の独立を失うことへのはげしい抵抗がおこり、その後も、独立回復の運動が根強く行われた。」「一部」というのは、便利な言葉である。1%でも99%でも一部は一部である。韓国国内にごく一部の併合推進派がいたことも事実には違いないが、それをわざわざ取り上げるところに、この教科書の意図がある。
[肯定]
・一番面白いと感じた事は、人々が何故そのような行動をとったのかについての考えやそこに至るまでの経緯といった、従来ならコラムや教師の説明などでのみ取り扱うような事が本文の中に盛り込まれ、今までの教科書が結果重視なら今回のものは過程重視でひどく人間くさいという事が気に入りました。(2001年度)
・読んでみて率直な感想ですが、どこがどう歪曲されているのかがよく分からないです。もっとも僕みたいな賛成派の人間が読むと、分からないのかもしれませんが。
・読んだのは@市販本まえがき、A歴史を学ぶとは、B第二次大戦の時代の部分である。
@を読んで、扶桑社側がこの教科書を公開する前からマスコミ等により批判され、私自身読んでもいないのにこれらの報道に影響され勝手に「戦争を正当化した記述を載せているんだ」「正しいことの記述がされていないのか」と思いこんでいたことを深く反省した。
Aを読んで、歴史を学ぶことイコール事実を知ることだけでなく、歴史を学ぶのは過去の事実について過去の人がどう考えていたかを学ぶことが大事だという文面に心引かれた。
Bを読んで思ったことは、恥ずかしいことだが私は今この教科書を読んで歴史の流れを初めてつかめているような気がした。
・扶桑社の教科書が「自己中教科書」「欠陥教科書」「戦争賛美教科書」と批判されることに疑問を持ちつつある。「新しい歴史教科書」の良さとは私にとっては自分が過去に使用した教科書と違い、その時代時代に合った問題提起をしていることや、コラムとして詳しく記述されていることだと思う。「教科書をおもしろいと感じた」と述べていた中学生の気持ちがわかるような気がした。
・扶桑社の教科書のことをマスコミの報道で見て、「なんとなくうさんくさい感じの教科書だなぁ。表紙のオブジェもちょっと気味悪いし。」と、よく問題点も知らないのにマイナスのイメージを抱いていたように思う。教科書を読んでみると簡単に言えば「教科書らしい教科書だった」と感じた。この教科書にも作家として名前が記されている大江健三郎氏は、「いかにもおおっぴらに書き手の個人的感情が表現されている」と扶桑社の教科書の文章について批判しているが、中学生に歴史への興味を抱かせるには、飽きさせない文章も必要ではないだろうか。現在問題になっている教科書採択について、私は採択派を支持したいと思えるようになった。
6 国と誇りそして特攻への意識
[国と誇り]
・私の先生は日本人の父親と中国人の母親の間に産まれました。子供の頃は、中国で暮らしていて、友達に「日本人だ」としていじめられていたそうです。更に、母親がその事(日本人と結婚した事)によって周りから陰湿ないじめに遭うので、先生を捨ててしまいました。それを哀れに思ったお爺ちゃん(父方)が日本に引き取って育てたそうです。でも、日本に来たら今度は「中国人」としていじめられたそうです。先生は、自分のルーツを知りたくていじめられても学校に行って、社会(歴史)の先生になったそうです。人間が人間として生きていく為には、「自分が何ものか」という確信が必要だと思います。「国」はその大きな役割を担っていると思います。
・昨日は映画の日だったのでパールハーバーを見に行ってきました。凄く良かったです。なにが良かったかというと、日本の侍魂をリアルに感じられたこと! 奇襲攻撃を仕掛けた上に、打って打って打ちまくって皆殺しの勢いで攻め立てていて、日本軍はかなり残酷な感じで描かれていました。主演のベン・アフレックは会見で「決して日本を悪く描こうとした訳じゃないんだ」と弁解していましたが、むしろ私はあれでよかったと思います。戦略を立てて、相手の不意をついて、徹底的にやっつける、自分から突っ込んでいく姿はかなりかっこよかったです!! 今の日本といったら、どっちつかずで優柔不断で八方美人でダメダメですね。 戦争は凄く悪い事だし、正当化するつもりも認めるつもりもないけど、でもあの位の強さを持ってもいいのではないでしょうか。アメリカにへコへコして、中国、韓国をまぁまぁとなだめて、穏やかな国ぶってる。
・戦後の自国を卑下するような歴史教育により、自国に対して誇りを持てなくなったからだと思います。自国に対して自信を持てないと、諸外国に対して戦略なんて持てないでしょう。朝日新聞みたいなサヨク系が、ひたすら過去を糾弾するようなことが続けば、これからもずっと、日本は戦略なんて持てないでしょうね。
・「日本には武士がいなくなってしまった」とよく聞きますが、確かにそのとうりだと思います。戦前の人は、特に若い人にいえると思うのですが、今の時代の人と比べてはるかに自分の意志をしっかりと持っていますし、目上の人や両親に対する尊敬の心なんて、いまではなかなか見られないぐらいです。戦後日本は敗戦をバネとして経済発展を遂げてきましたが、人間としての質は生活が豊かになるにつれてどんどん落ちていっている気がします。人間は一度境地にたたされないと、それまでいかに恵まれていたのかに気が付かないからなのでしょうか。(以上は2001年度より)
・私の親族には、神風特攻隊で戦死した者とその親族や、代々伊勢神宮の宮司という者が居ます。皆、戦争はよくなかったと言います。しかし、それは、現在、戦争は悪いこととして捉えている人達とは違う意味だと思います。何が違うかというと、戦争を経験した人全て「誇り」は捨ててないと思います。だから、上辺だけの平和論、同情論に腹が立つのだと思います。
(特攻隊のビデオを見ての反応)
[否定的感想]
・フィリピン人の特攻隊記念館の館長が、「特攻隊の精神はすばらしい」と言っていた場面があった。それを見た時、正直に言えば顔をしかめずにいられなかった。特攻隊に代表されるような、大戦末期における数々の無謀な作戦は、暴走した国家とマインドコントロールされた国民を、正に象徴しているといえよう。
・特攻隊の精神を称えるというのは、タリバンの自爆テロを称えるのとたいして変わらないように思えるのは私だけだろうか。
・大変胸が痛みました。最後の、特攻隊が突撃していくシーンは衝撃的でした。ある方がおっしゃってた様に、本当の敵は戦争ではなく日本人自身である、と以前から私も思っていました。当時の日本人は兵士に、天皇にしたがって戦争を行っていましたが、心の中では本当は戦争なんてしたくないと思ってた人がほとんどです。でも誰も口にしない。口にしたら殺されるから。戦争が終結しても、戦死した何百万人もの兵士に対して、天皇からの悔やみの言葉はなく、国の敗北をくやむだけ。
・自分にとってかなり衝撃的なものでした。私は戦争に参加してないからそのときの正確な状況や人々の心情がなんとなくしかわかりませんが、やはり自分の身を犠牲にしてまで国のためにつくそうとするのは自分には理解できません。例えそれが国の絶対的な命令でもです。多少の犠牲者はしょうがないっていう考えがおかしいです。
・誰がこんなひどい攻撃法を考えついたのでしょうか?
[肯定的感想]
・特攻隊で4千人もの人たちがなくなったとまず知って驚きを隠せませんでした。そして、志願した人たちが7千人もいたということも。国を思い、国のためにという精神の強さに驚きました。特攻の命を受けたときの状況を語られたときには私自身血の気の引く思いがしました。命令の言葉のたった1・2分が今まで生きてきた人生よりも長い気がし、血が逆流したようで、命令が終わった後は力が抜けて安らかになった。
・今日、特攻隊のビデオを見て胸の中にあった大学に対するモヤモヤが変わりました。今私たちは豊かな時代で、好きなことを自由に思いっきりできる環境に生きています。あの特攻隊として出撃した彼らにもそんな自由が本当はあったはずです。彼らの分も私たちは毎日を一生懸命生きなければならないと思うと、心の中にあったモヤモヤはとてもちっぽけなものでした。
・特攻隊の人たちは自分の家族や友人、大切な人がいるこの国のためなら命を捨ててもいい、この国のためになら自分は犠牲になろうと思い死んでいったのだと思います。そして特攻というその行為自体が直接今の日本をつくったのではなく、その精神がつくったのではないでしょうか。戦後、焼け野原になった日本をなんとか元に戻したい。素晴らしい国につくり上げていきたいという多くの人々の精神として受け継がれ、今の日本ができ、その日本に僕たちが実際に住んでいられるのだと思います。
・今日のビデオを観て感動しました。私がこれまで戦争経験者から聞いた内容と同じだったからです。こういう話を聞くと何時も涙が出ます。悲しいとか、辛いとかという涙ではなくて、戦争経験者の真の願いを歪曲して捉え、自分たちの「平和の概念」にこじつける人達に対する怒りの涙です。私が、戦争経験者から聞いた話を簡単に言うと、「愛国心=日本人の誇り=自分自身への誇り」でした。
・特攻に行く日本人兵士と知り合いになったフィリピン兵士が日本人を理解し、『特攻の精神を忘れてはいけない』と語るのを見て、今の日本人よりも深く理解していることについての皮肉を感じました。特攻=戦争=過ち=反対で片付けてしまうのではなく(アメリカの平和に対するマインドコントロールの賜物なのかもしれませんが)、きちんと把握し、理解することの必要性を改めて認識させられました。
7 真実とは?そしてどこまで書くべきか?
[真実とは?]
・何が事実か曖昧だから教科書問題は大きな問題となっているような気がします。事実を本当に知っているのは誰なのでしょうか。
・授業でビデオを見たり、人の意見を聞くと、ほんとに何が真実かわからなくなります。曖昧でしっかり自信を持ってこれなかった日本が歴史教科書問題を生んでいると思います。
・「つくる会」の教科書に賛成している人達も、反対している人達も、事実とは、双方共に、彼らにとっての主観的な「真実」として捉えられているものなのかもしれない。
・韓国は我が国の歴史教科書について「事実が歪曲されている」などと難癖をつけ修正を要求した。すなわち韓国と日本の教科書の内容が違っています。真実はどこにあるのでしょうか。
・同じ事柄でも人によって感じ方や価値観の違いなどがあり、同じ日本人同士でも考え方の違いがあるのに、外国人との間で、意見の相違が生じてしまうのは無理もない。
・教科書に絶対的な真実を書く必要はない。これからの学校教育では、真実を見つけようとする態度なり、真実を見つけ出す方法なりが重視されている。
[どこまで書くべきか?]
・真実をありのままに載せるべきでない。私は意見ががらっと変わりました。以前は真実をありのままに記載するべきだという意見だったのに対して、多くのレポートを読んだ結果、むしろ載せるべきでないと変わりました。それは私自身が日本史の事実を知らなかったからです。例えば中国に目を向けると、日本軍の野蛮な行為などは、まだ個人として未成熟な小中学生には伝えるべきではないと思います。なぜなら一歩間違えればその教科書を読んで育った子供達の一部は、中国人に対して残虐行為をしても良い又は、日本のほうが優位性があると思い違いをする恐れがあるからです。
・歴史教科書で問題になることの多くは「侵略」や「慰安婦」など細かい言葉、表現の問題が多い気がします。これは少し変わっただけで大きくイメージが変わってしまうことで特別な配慮が必要ではないか。
・慰安婦問題は教科書に載せるべきではない。始めはどちらでもよいと思ったのですが、ビデオを観ていて、福島さんが「女性問題云々」と言った事に対して違和感を持ちました。近年、女性問題が活発化していますが、そのことだけをもって歴史教科書に慰安婦問題を取り入れる事は、寧ろ、慰安婦問題の真意を曖昧にしてしまうような気がします。私は女性問題の一環や、年齢的なもので教科書に載せるか否かではなくて、事実(真実)を曖昧にするような記述であれば、「歴史教科書」には載せるべきではないと思います。
8 他国の歴史教科書を知って
・韓国や中国の歴史教科書は日本のようにたくさんあるのではなく、1種類ということを初めて知りました。これは韓国や中国の人が政府が作る教科書に記載されていることがすべて正しいという愛国心を持たせる為の表われでしょうか。
・どこの国も、自分の国のしたことを正当化しつつ書いているということを知りました。中国は国の方針に添った教科書しか使われていなくて、国の批判なんてする教科書はもってのほかという感じだそうです。日本のように過去のことを自分の国が悪くても、悪いことさえ客観的にかかれている教科書はあまりないというのは、びっくりでした。
・(日本にとって都合の悪いことついては書かないというならこれは私たちの「知る権利」を害していると思うが)韓国や中国、またその他の国の人たちは同じように教科書に対して疑問・反感を持って、意見を言うことはないのでしょうか?
・中国の教科書(資料の中の「”野蛮”で”残酷”な日本人」を参照)自体、日本人は悪いと幼い頃から「教科書」を通じて教育しているように感じる。わざわざ穴埋め問題を作成したり、具体的な残虐行為の記述をしたりしている。これは、中国の反日本精神を助長する一方ではないか。
・中国の教科書の内容についてはそれは仕方ないしわざわざ口出しすることではないと思います。また中国が日本の教科書に口出ししてくるのは仕方ないのではと思います。中国では国に対する国民の不満を他に向けるために、ますます日本批判的になってるというのは、なるほどなと思った。
・オランダの歴史教科書をみてみましょう。オランダ統治に反対したアチェ族が住むスマトラ島北部へ出兵したオランダは兵士1万2000人の命を失うのですが、一方のアチェ族は50万人の住民の内、10万人が命を失いました。この戦争を指導したヨハネス・ベネティクトス・ファン・ホイツ蘭領東インド総督を、ある教科書は、「流血を厭わない断固とした態度で討伐軍を派遣した、インドネシアのナショナリズムと戦う厳しい老兵」と賛美されていて、間違っても10万人を殺した戦争犯罪人とは書かれていないのです。そして、アムステルダム市南部には今でもこの総督の石像が立っているそうです。このように、日本以外の他の国は、自分の国を賛美した記述がほとんどなのですが、日本は、なぜか自分の国を必要以上に悪く書きすぎているきらいがあるようなのです。
9 歴史教科書問題の意義について
[洗脳の突破口]
・「新しい教科書」が戦後教育の洗脳の突破口を開いたことは大変意義のあることだと思う。
・自国の歴史を誇りをもって語る為には、他国の都合の良いように書き換えられた歴史を一旦リセットして、日本から見た歴史を後世に伝えるべきである。
・史実を正確に捉えることに努力し、結果として、私達日本人が母国日本を愛することができるような教科書作りに励んでいる姿勢は大変評価できる。新しい動きに対して、このような異論反論が噴出し大きな議論になることは、大いに結構なことである。
・親が子を幼い頃から“いけない子”とか、“ダメな子”と言って育てれば、決して“いい子”には育たないだろう。それと同じようなことが、国と国民の間でも起こっている。今回の議論で、もしかすれば“母国に誇りを持てないようにする教科書”から、“母国に誇りをもてるようにする教科書”へと全体が変わっていくかもしれない。私は、このような動きがもう少し早く、できれば私の生まれる前にあれば良かったと思う。なぜなら、私自身、高校生の頃まで、日本を“いけない国”と思っていたからである。
・新しい教科書は、今まで多くの日本人が日本の近代史を自虐的に捉えていた問題に対して、一石を投じるものである。新しい歴史教科書をただ非難するだけではなく、そこに隠れている歴史教科書としての本当のあるべき姿を見出さなければならない。今回の歴史教科書問題により、今一層日本人は日本人としてのアイデンティティを見直す必要がある。(以上2001年度より)
・歴史教科書が本屋に山積みされている事自体、社会が歴史に対して関心を持ち出した証拠ではないでしょうか?それは日本にとって良い現象ではないかと思います。
・洗脳の観点で見れば、この議論が起こったからこそ一歩立ち止まって考えを巡らせることができたように思います。
・「つくる会」という団体が行動したからこそ、国が本気になって考え出し、国民が少しでも自国のことを思い始めたので、結果よかったのではないかと思います。
・愛媛でこの教科書の採択の話がなかったら、こんなに過熱報道はされていなかったのでしょうか? そして私たちもこんなに考える機会はなかったのでしょうか? そんなことを考えると、ある意味で新しい歴史教科書はいいきっかけになったような気がします。
・歴史教科書問題は、誤った歴史認識を中学生に与えない、というだけではない。流されやすく、意見をもてない現代日本人に問題提起をしているのではないだろうか。
[教科書観について]
・つくる会には今現在の教科書の使われ方にもう少し目を向けてほしいなと思います。「従来の教科書をこのまま使用させるべきではない」という意見にイマイチ現実味や説得力がないように感じられました。はじめの頃から「つくる会」の教科書には好意的でしたが、反対派とのやりとりの中には少しがっかりしたこともありました。
・教科書の影響力は凄まじい。最低でも9年間は義務教育で使われる。しかも多くの人はその内容に疑問を持っていない。「教科書に載っていることは正しいのだ」と。しかしそのような凄まじい権力を持っている教科書を野放しにしておくだろうか。
・この教科書問題について考えなければ、従来の教科書を疑うことはなかっただろうと思う。考えてみれば正しくないのは、採択派に「自虐的」と批判される従来の教科書の方かもしれない。
[教師次第]
・私は教師に恵まれていた。何故なら、伊藤博文は憲法を作った素晴らしい人だとか、昭和天皇は、日本国民を助けたい一心で自分を犠牲にしようとしたとか、日本の歴史について、日本人は素晴らしいというような教え方をして下さった人でした。日本は過ちも犯したけれど、それを反省し繰り返さない国民であると、歴史の授業で教えてくれた教師でした。その先生は、中国人二世で帰化した先生でした。
10 反対派への批判
[中国・韓国に対して]
・歴史教科書問題をテレビや新聞、インターネット等で報道されるたび嫌になっていった。それは朝鮮の方の特徴としての、感情論で話をしてしまうやり方についてである。表現の自由が約束された国である。しかも複数ある教科書の中から一冊だけを取り上げて騒ぐ朝鮮・中国側の意見に聊か呆れて閉口してしまう。
・韓国や中国の人たちが教科書問題について声を大にして訴えかけている理由は、日本で歴史を学ぶ子供たちに事実を伝えたいのではなく、ただ日本が嫌いで日本を悪者にしたいからではないかと。日本人は、他人からどう思われているかを非常に気にする傾向が強く、悪者にされたくないがために躍起になってこの問題を取り上げているのではないかとも思う。
・韓国側の強硬な姿勢は、果たして21世紀の日韓関係にとってプラスとなるのであろうか。そもそも、今回の問題が拡大した背景には、日韓両国間の「二重の無理解」(即ち、第一に我が国社会や教育に対する無理解、及び第ニに『新しい歴史教科書』そのものへの無理解)が介在しているという感じがする。しかも、当の日本国民の中ですら、問題となっている『新しい歴史教科書』を直接手に取ることなく批判したり(自分も初めはそうだった)、手にとっては見たものの個人的な歴史観の相違からこれを論難したりする風潮が見られる。これでは、韓国政府に我が国政府や教育の制度に対する理解を期待することは難しいだろう。
[愛媛での反対運動について]
・(資料の「えひめ教科書裁判提訴に当たってての声明」を読んで)普通、こういう原告団を集めるときはこのような文で人を集めるのでしょうか? 読んだ感想は「ただ怖い」ということでした。特に「加戸知事を民主主義と平和主義の名において裁かなければならない」というところには自分たちが絶対的正義だというのが感じ取られて怖かった。
・(資料「愛媛県と全国の仲間にも採択阻止の闘いへの連帯」の)”加戸知事、「つくる会」側は、愛媛を突破口にして、「つくる会」教科書を浸透させ、軍国主義教育で子どもたちを洗脳し、有事法制とセットで再び「侵略戦争ができる国」に変えようと策動しています。”を読んで、私は怖くなりました。「新しい歴史教科書」には、軍国主義とも侵略戦争とも書いていなかった気がします。
・愛媛新聞の採択反対派の広告では、「自己中教科書」「欠陥教科書」「戦争賛美教科書」として扶桑社の教科書を批判しているが、実際に教科書を読んだ人に対して、そういった大袈裟な言葉はかえって説得力を失っているように思う。こうした広告は、深い知識を持たない人々に「新しい歴史教科書」に対する不安を植え付ける危険がある。反対運動というより不当な妨害活動に近いのではないだろうか。
[日教組・知識人に対して]
・現在の歴史教科書を読んでまず気になるのが、日本=悪、共産主義=善という前提のもとで書かれているということだ。あの教科書を読めばほとんどの人は日本というのは何と悪い国だろう、それに比べて共産主義は素晴らしいと思うだろう。実際、こういった歴史教育を受けた児童および生徒は、授業のアンケートで「日本人はひどい、人間じゃない」「あんな人たちを先祖に持って恥ずかしい」などと書いているそうだ(これはそういった教育を推進している日教組の先生が言っている)。こうした事態は、大変危険な国家否定をしかねない人間を育成していることに気付く。教科書の採択は一部の教職員組合が実質握っており、現在出している教科書会社といわば談合関係になっている。その中に、新しい教科書が介入していくのはかなり厳しいであろうと思う。そんな中、果敢にも立ち上がった「新しい歴史教科書を作る会」に、私は大いに期待しようと思う。
・多くの資料や証言から、南京大虐殺などなかった、と分かるのです。それなのに、新しい歴史教科書を反対する人達はかたくなに否定します。反対運動をしている一般の人達はまあいいでしょう。彼等はそのような教育を受け、洗脳されているのですから。しかし代表者達はそれが真実か否かを調べる責任がある。また代表者の多くが大学の先生などといった知識人です。ただ単にかたくなに反対するというのは知識人としていかがなものなのでしょうか? 「新しい歴史教科書」は真実の歴史を教えるというより、作られた歴史を教えない、と言ったほうがいいと思います。これですら叩かれるのだから、驚きです。
・反対派の主張は主に、「学問的に間違っている」、「日本人の自覚と民族への愛情をかきたてようという熱意のあまり史実をバランスよく見ようという学問的誠実さに欠けている」ということのようだ。しかし、反対派のHPなどを見ると、その主張こそバランスを欠いているように見える。「戦争を肯定している」、「日本は戦争犯罪など犯していないという内容になっている」という意見は、根本的に間違いで、新しい歴史教科書はこのようなことは言っていない。最近は、新しい歴史教科書についてかなり詳しく知ったので、このような根拠の弱い反対意見がまかり通っていると思うと悲しくなる。
・反対派の意見が、単なる言葉狩りにまでレヴェルが落ちている傾向がある。教科書制作者が嫌いだからという個人的な感情で、半分こじつけで批判している者も少なくない。非常に悲しいことである。もう少し建設的な意見で反論できないのであろうか。
11 メディアへの批判
[愛媛新聞への批判]
・2002年7月2日の愛媛新聞の『愛媛の教科書採択』の記事を読んで、つくる会側の意見も反対派の意見も言っていることは正しいと思う。今まで、私は反対派の愛媛新聞の意見を読んでつくる会の教科書は間違っている!いけない!と思っていたが、そうではないようだ。
・愛媛新聞は、反対者の意見広告は直ぐ出すのにつくる会側の意見広告は渋々だったということを聞いて少し幻滅した。この愛媛の地方新聞で偏った記事を書いているとは思いもしなかった。この授業を受けるまではつくる会の教科書には反対だった。今はつくる会側に少し傾いている。
[朝日新聞への批判]
・この授業で、ものの見方考え方が変わった。変わったというよりは今まで足元不安定だった、自分の立場を発見したという感じだ。それに、家であまり新聞を読まなくなった(家の新聞は朝日)。以前は毎日読まないと気がすまなかったが、今は読むと、いちいち「この書き方は偏ってんじゃないかなあ・・・」などと考えてしまい、特に疲れているときなどはわざわざ読む気がなくなってしまう。
[テレビ朝日への批判]
(ニュースステーションでの栃木県での反対派と韓国の抗議行動を見せて)
・栃木県の一般人が県教委まで乗り込んで激昂するほど、歪曲されているとは言えないことは確かでしょう。県教委に向かって叫び散らしていた人は、果たして教科書読んでるんですかねぇ?
・僕も栃木県のニュース見ました。「子供にこんな教育を…」とおっしゃっている方がいましたが、それなら自分で教えたらどうなんでしょう? 教育を学校にまかせっきりにするからこういう問題を口にするわけで、家庭で教育が出来るんならそれでよいのではないでしょうか。あの県教委に対して親が激昂するシーンは、そういう現代の問題も含んでいるような気がします。
・あの報道に登場していた韓国の中学生たちの意見には驚かされました。思わず「本気でそんな事を思ってんのかな?」と考えてしまいました。そして、もし本気であのような意見を述べているのであれば、他の人も述べていましたが、あれは明らかに洗脳ではないかと思います。いくら韓国の人が感情的だからと言って、あの年頃の中学生たちが本当に問題意識を持って本気で憤慨しているとは考えにくいような気がします。彼らの意見の裏側には教師、あるいは国家の主義主張の押し付けがあるのではないかと思われます。
・確かにあの報道は偏りがありすぎると、僕も思いました。一方的に「新しい教科書」に反対的な報道ばかりがなされていました。しかもコメンテーターの人も「新しい教科書」反対派の人だったし、久米宏もいつもの歯切れの良さはなく口篭っていたような気がしました。
・朝日新聞とかテレ朝とかって、不思議な組織ですよね。ひたすら過去を悪いように悪いように解釈してひたすら、左翼的な活動をする割には、高校野球のメインスポンサーになって、戦前の伝統を引き継ぐような行為の存続に加担してるんですから。(以上2001年度)
(ニュースステーションでの韓国老人の今治での講演を見せて)
・韓国人のおじいさんが「日本は戦争をしたいだけなんだ」といっていたところがあったがそこが一番引っかかった。どうして今なぜ日本が戦争をしたいのだろうか。また日本が韓国と戦争する意義は? 第一、日本にそんな士気はないと思うのだが。今までの韓国の事情を考えると韓国人の日本のイメージが良くないのはわかるがこれだけは許せなかった。
[慰安婦問題のテレビ報道について]
・歴史教科書問題が議論の的になる前に、慰安婦の問題を連日テレビで放送していた時期があった。韓国人の老婆が涙ながらに当時の状況や日本の酷さ、自分達の苦しみなどを訴えている姿を見て、確かにかわいそうだと同情したし、戦争の非情さなんかも考えたりはした。しかし、その一方ですごく大袈裟に感じたし、胡散臭かった。もう何十年も前の話をいつまでも引きずって、戦争の「せ」の字も知らない私達に「日本」として謝れといわれても。とにかく一方的で子供の喧嘩のような言い分には呆れるしかないし、しかも裏がありそうなあの態度には向き合う必要がないと感じるから、反対派の人々が力説すればするほど気分がどんどん白けていくだけだ。
・あの従軍慰安婦問題について涙ながらに訴えている人は、なんだか胡散臭い。私には、例えばいじめられる人が自分には何もいじめられる理由がないのに、と登校拒否や自殺を必然的なものとして捉え、自己正当化しているようにしか見えなかった。
仮説
・これらの感想から得られる仮説は「つくる会が国民から幅広い支持を受けなかったのは(左翼過激派、中国・韓国による反対運動のせいというよりは)
イ 圧倒的な無関心層の存在
ロ (戦後教育に影響を受けた)被洗脳層の存在
ハ マスコミ・知識人の多くは被洗脳層に属していること
ニ 無関心層の多くはそうした(反戦平和主義的)メディアの影響を受けたためである」と思われる。
2章 歴史知識と「つくる会」への態度に関する仮説について
・「つくる会」への態度が歴史知識に依存するのではないかと直感し、次のような相関図を作った。その後で、仮説と考察を述べる。
歴史知識と「つくる会」への態度に関する相関図
縦軸 歴史知識の有無 (自信なし)から(自信あり)まで5段階
横軸 新しい歴史教科書をつくる会への態度 (反感)から(共感)まで5段階
● : 2001年度(7月)アンケート結果
○△☆ : 2002年度(7月)アンケート結果(5月に暫定的なアンケートを取っており、それとの差を○:不変、△:右に1ポイント移動、☆:右に2ポイント移動、で区別した)
歴史知識の有無
|(自信あり)
|
|
5 |
|
|
| ○ △
4 | ●△ ☆●△ ○
| ●
|
| ○ ○○ ☆○
3 | ○○ ○●△ ○●△
| ○○ ○●☆
|
| ● ● ●
2 | ● ●●● ●☆○ ●☆● ●●
| ● ●● ●
|
| ●
1 | ●● ●△●
| ●
|
|(自信なし)
_____________________________________
(反感) 1 2 3 4 5 (共感)
新しい歴史教科書をつくる会への態度
仮説と考察
・まず歴史知識と「つくる会」への態度に関するアンケートを取った。(2001年7月) 結果は「相関図」では●で示されている。左上より右上が多いのと右下が左下よりやや少ないので、「つくる会への態度は(歴史知識に)自信のある人は反感より共感が多く、自信のない人は共感より反感がやや多い」という仮説[仮説1]が得られた。
[仮説1]への学生の反応
・歴史の知識と作る会への態度の相関図についてまず感じたことは、我々自身何も知らず、知識がないくせに、新しい歴史教科書を作る会に対しては反感を持っているということだ。ニュースや新聞で問題のあらすじやその意見を聞き、問題の先端だけの情報を耳にして判断しているとしか言い様がない。
・歴史教科書問題に無知な人ほど、批判的な意見をもつという話には、なるほどと納得させられました。確かに自分が批判的な意見を持っているのは、よく知らないから思ったことをただ言ってるだけのような気がします。
・無知な人は今までの歴史教科書しか知らないので、新しい歴史教科書の批判をすると思います。また、無知な人にこの問題を批判する権利はないと思います。かといって、新しい歴史教科書の批判をする人が必ずしも無知とは思いません。
・歴史教科書問題に無知な人ほど、新しい歴史教科書に批判的な意見をもつというのは納得いきません。僕としては新しい歴史教科書を支持する人ほど単純な考えで、そういう人が多くなるほど不気味な気がします。
・「新しい歴史教科書を支持する人こそ単純」と書かれていましたが、それは支持する人に対する中傷でしかないと思います。何を根拠に言われているのかわかりません。
・再度、歴史知識と「つくる会」への態度に関するアンケートを取った。(2002年7月) 結果は「相関図」では○△☆で示されている。昨年に比べて全体的に上方へシフトしているのは、教科書が販売されたり、マスコミに取り上げられたため、歴史知識が高まったのかも知れない。
・左上より右上が多いので、「(歴史知識に)自信のある人は反感より共感が多い」は検証できたが、左右とも下方のデータが少ないので、「自信のない人は共感より反感がやや多い」は検証できなかった。従って、「つくる会への態度は(歴史知識に)自信のある人は反感より共感が多いが、その逆(自信のない人は共感より反感が多い)は成り立たない」という仮説[仮説2]が得られた。
・図中の△☆は5月から7月にかけて「つくる会への態度」が反感から共感の方へ移動したものを表しており、授業効果のせいと思われる。
3章 日本社会と洗脳
・以下に「1 洗脳されやすいのは何故か」に関する学生の意見を紹介する。また歴史教科書問題をコミュニケーション過程から分析した一学生のレポートを(問題点が良く整理されているので、部分的に引用するよりは、敢えて全文を掲載して)「2 メッセージはいかに受け容れられるか」という表題をつけて紹介し、考察する。
1 洗脳されやすいのは何故か
[教育制度]
・いままで歴史教科書は絶対の正しい事実が書きこまれていると信じてやまなかったので、この歴史教科書問題はショックであった。まさに私は歴史教科書の内容に洗脳されていた。まず日本社会の中に「教科書は絶対」と言う固定観念が蔓延っている事に原因がある。
・私が従軍慰安婦や南京大虐殺の問題を最初に知ったのは、小学校の社会の授業だった。その授業は「戦争を行った祖父の世代=悪」と真っ向から決め付けているような内容だった。教科書を疑うという考え方自体がまったくなかった、その頃の私はたやすく洗脳されてしまっていた。歴史教科書問題を聞いたときに、初めて戦争の歴史に関して異論があるということを知った。その時、自分が過去において洗脳されていたという思いよりも日本の教育システムに深い危機感を感じた。
・教科書からの情報を受け取る側のあまりにも無防備な姿勢、そしてそれを育てる日本社会に、大きな問題が隠されていた。
[文部行政]
・現在、この国は、外交上の配慮に重きを置き過ぎているため、中国や韓国がOKを出さなければ、自分の国の歴史教科書すら発行できない状態にある。自国の児童には、さも自信ありげに歴史教育を施しているにもかかわらず。これは自分の国の歴史を他国に売り渡したも同然の行為である。
・教科書問題で何が一番の問題かというと、筋の通った歴史教育をせずに、GHQの言いなりになって自国の歴史を客観的に教えていこうという努力をしなかったことである。日本国民のアイデンティティを担う歴史に関する配慮が欠けていたとしか言いようがない。
[日本人の特質]
・我々の中にお国を信ずると言う精神が脈々と流れている。日本人は昔から目上の人の意見は絶対と言う傾向がある。文部科学省が手がけている教科書を信じてしまうのは仕方ない現象ではないか。
・日本人は周りの意見に比較的簡単に同調してしまう傾向があるといえそうである。こういった日本人のメンタリティーが洗脳されやすい日本の土壌を作っている。
・情報を選別することが下手で、何もかも受け入れてしまうのが日本人の特徴という話を自分で目の当たりにした感覚が、とても鮮烈に残っている。
・単一民族で構成されるこの国は物事を多極化して見る歴史があまり無いように感じます。今回の歴史教科書問題では、たった一社がこれまでの歴史教科書の見解とは少し違う見解を載せただけで必要以上に拒否、否定の反応を示しています。まさに日本らしい反応といえます。
[環境]
・今日本人が熱く洗脳されているのは「小泉内閣」でしょう。支持率が80%を超えているのは尋常ではありません。今、構造改革と声高に叫べば、すべてがいいようにとられます。自分以外の人間が考えているであろうことに、日本人は知らず知らずのうちに、洗脳され、あたかも自分の考えであるかのように錯覚してしまうのです。長い平和の中で選択する必要性がすくなくなり、安穏と生きてきた日本人の特質でしょう。自分の考えを持つこと。これは今の日本人に一番足りないことだと思います。周りにあわすのではなく、自分を選択していける環境が、今必要になっています。
・(小林よしのりの「戦争論」に見るように)漫画というメディアは文章のみの場合と違って直接的に脳に情報が入ってくる。洗脳にはうってつけである。大人から子供まで幅広いそうに漫画が出回っている現在、民族の特性とは別に、日本人は世界一洗脳されやすい民族になったといっても間違いではないだろう。(以上2001年度より)
2 メッセージはいかに受け容れられるか
はじめに
「歴史教科書問題を考える」
・今回の「組織コミュニケーション論」の授業を通して私が特に気になったことをあげると、メッセージの送り手の意図と受け手の感情との対立、情報伝達の媒体の在り方、送り手による情報操作と媒体による情報操作、集団から組織へと発展するエネルギーについて、などがある。歴史教科書問題はこれらの事柄を考える重要なきっかけとなったように思う。
・以下、@メッセージの流し方、A流れ方、B受け容れ方という観点から歴史教科書問題について考え、最後にC組織の持つエネルギーについて自分なりに考えてみたい。
@ メッセージの流し方
・歴史教科書問題をめぐる議論の対立には2つの勢力がある。「新しい歴史教科書」推進派と反対派である。前者を代表する組織に「新しい歴史教科書をつくる会」(以下、「つくる会」)がある。彼らは、これまで日本で使われてきた歴史教科書には歴史の影の部分が強調され日本はいつも悪玉として描かれていること、歴史的事実が確定していないこと(例えば従軍慰安婦問題や南京大虐殺について)について事実であるかのように記述されていること、このような教科書を子どもたちに使用させてはならないこと、などを主張している。一方、後者を代表する組織にはさまざまなものがある。「韓国・全国歴史教師集会」「『教科書に真実と自由を』連絡会」「子どもと教科書全国ネット21」などである。彼らの主張は、「つくる会」の教科書は歴史を歪曲するものであること、またそれが皇国史観を美化するものであること、そのような教科書を子どもたちに使用させてはならないこと、などである。
・少なくとも言えるのは、両者とも「子どもたちに使用させるにふさわしい教科書」を求めているということである。最終的な目標に到達する過程での、「事実に対する認識の違い」が対立を生み出しているように思われる。事実に対する認識には政治的要素、国外、特に韓国との関係、日本の教育全般に対する思いなどさまざまな要因が影響しあっている。それらの要因一つ一つについて見てみると、決して推進派と反対派で意見が二分されるものばかりというわけではない。両者ともに韓国と仲良くしたいと思っているであろうし、日本の教育について同じところに不満を抱いているかもしれない。
・つまり、推進派の人々と反対派の人々の考え方や思い、認識を比べてみたときに異なる部分というのは、これまで使われてきた歴史教科書の性格と「新しい歴史教科書」の性格という2点に集約され、その他の大部分については共通していると言えるのではないだろうか。今回、二つの勢力の対立には、「子どもたちに使用させるにふさわしい教科書を採択しよう」という目標に到達するために、お互いの相違点を強調し、相手の主張について非難を浴びせ、自分たちの仲間を求めるようなメッセージを送っているというような構造が存在しているように考えられる。
A メッセージの流れ方
・推進派と反対派の二つの勢力によるメッセージはどのような過程を経て受け手である私たちのもとへ届くのだろうか。私たちの生活の中では「つくる会」の代表者や反対派の主要人物から直接話を聞くということはめったにない。間に誰かを挟んで彼らのメッセージを耳にしたり、活字を通して知ったりすると考えるのが妥当であろう。
・情報を私たちのもとへ運んできてくれる媒体には新聞・ラジオ・テレビなどによる報道、広告、テレビ番組、本、雑誌、インターネット、など実にいろいろなものがあげられる。これらの媒体は常に送り手のメッセージをそのままの形で届けようとしているわけではない。もとのメッセージに媒体の「色づけ」がなされることがある。○○新聞らしくとか、○○政党よりにというような「色づけ」である。あるいはメッセージをより強烈に印象付けるように怒りや悲しみの感情を喚起させるようなストーリーをつくったり、映像を編集したりというものである。
・媒体は二つの勢力のメッセージの共通点の存在を薄め、相違点をより強調するような働きをしている。その際、媒体は二つのメッセージを「色づけ」し、さまざまな方向へとメッセージを届けていくプリズムのような存在であるように考えられる。
B メッセージの受け容れ方
・媒体から届けられるメッセージを私たちはどのように受け容れているのだろうか。まずは私自身について考えてみることにしよう。私はこの講義で「歴史教科書問題」について深く考えるまでは、「つくる会」に対して嫌なイメージを持っていた。従軍慰安婦のことも南京大虐殺のことも歴史上絶対に起こったことだと思っていたし、これまでの歴史教科書についても事実を羅列してあるだけのものだと思っていた。「つくる会」や「新しい歴史教科書」を批判するような投書や文章を何度か目にしたこともあった。したがって「つくる会」について理解することができなかった。
・だが、この授業で扱われるからという理由で「つくる会」についてあるいは「歴史教科書問題」について自分で調べてみると、その嫌なイメージは薄れていき、消えていった。「つくる会」の主張に賛成するところもあった。今では「どちらがいい、悪い」という問題ではないと思っている。
・なぜこのようにメッセージの受け容れ方が変わったのか。ひとつは「つくる会」について理解できなかったのではなく、理解しようとしなかったことである。問題を知ろうとして自ら情報を集めること。推進派と反対派のどちらの主張にも(なるべく)公平に耳をかたむけること。このような態度がメッセージの受け容れ方に関わっている。
・もうひとつは問題を深く考える前に、媒体によって「つくる会」を批判するように「色づけ」されたメッセージに多く出会っていたことであろう。「色づけ」されたメッセージによって先入観が築かれていたように思う。
・メッセージの受け容れには、そのメッセージの意図を読み取ろうとする態度、メッセージの「色づけ」に気づこうとすることが要求される。中途半端な理解のままでわかったような意見を言うと、その意見がさらにプリズムの役目を果たして本来のメッセージに「色づけ」をし、別の誰かに伝達されていく。今回の問題の熾烈化にはこのような背景も絡んでいるのではないだろうか。
C 組織の持つエネルギー
・最後に「つくる会」の組織に注目して考えてみたい。メッセージがいかに強烈に受け容れられるかという問題には、メッセージの発信源の持つ信憑性や信頼性が大きく関係している。「つくる会」のメンバーには東京大学の教授や文芸界の著名人などが含まれているが、彼らの専門性やインパクトは受け手に何らかの説得効果を与えるであろう。先日、松山の市駅前で「新しい歴史教科書」に賛成する署名(どのような内容の主張かはよくわからなかったが)を集めている集団があったが、彼らが口にするのは「知事も賛成しています」という言葉であった。有名人や権力者を盾に同意を促す手口にはちょっと呆れてしまったが、私たちは結局そのような言葉や事実に意見を左右されやすいのである。
・私たちがメッセージを受け容れるとき、そのメッセージを発する人や組織に対するイメージの影響は大きい。自分にとって好ましい人の発言にはよく耳を傾けるが、そうでない人の発言は軽く受け流してしまう、ということがないとは言えない。コミュニケーションには直接的なメッセージだけではなく、相手に対するイメージや好感度が果たす役割も大きいと言える。
・「つくる会」に対して私が徐々に賛成していった背景には、このような組織の信憑性に関することがらも含まれていたように思われる。
結論
・以上、「歴史教科書問題」に対して自分なりの視点でまとめ、考えてみた。今回の授業を通して、コミュニケーションをはかる上で、メッセージの送り手も受け手もただボーっと情報を扱っていてはいけない、ということがなんとなくではあるがつかむことができた。数ある情報の中から積極的に選択していく姿勢が自分に問われているように思う。
考察
・洗脳されやすいのは、日本社会の良い面の裏返しであると思われるので、それは決して、悪い訳ではないが、そうした弱点を十分意識して、それへの対策を講じておくことも、日本社会の良い面を守るために必要であろう。
・歴史教科書問題は「どちらの言説が正しくてどちらの言説が正しくないか」という問題というよりは、「メッセージがいかに受け容れられるかは、過去から今までメッセージをいかに受け容れてきたか、に依存する」つまりいわゆる”洗脳”の問題と切り離すことができないことを問題提起した。
・日本人の洗脳されやすさ、理性より感情に流されやすい傾向を補うためにも、メディア・リテラシー(情報操作によって形作られた過ったイメージを「批判的」に読み取る能力)を高めることの重要性が浮き彫りにされた。
結論と考察
1 「つくる会が国民から幅広い支持を受けなかったのは(左翼過激派、中国・韓国による反対運動のせいというよりは)
イ 圧倒的な無関心層の存在
ロ (戦後教育に影響を受けた)被洗脳層の存在
ハ マスコミ・知識人の多くは被洗脳層に属していること
ニ 無関心層の多くはそうした(反戦平和主義的)メディアの影響を受けたため」と思われる。
2 つくる会への態度は(歴史知識に)自信のある人ほど反感より共感が多い傾向にある。また(歴史知識に)自信のない人は反感から共感まで幅広く分散する傾向にある。
3 つくる会が国民から幅広い支持を受けるには、戦後教育からの脱洗脳化を図り、メディア・リテラシー(情報操作によって形作られた過ったイメージを「批判的」に読み取る能力)を高め、無関心層を減らすことであるが、それは容易に達成できることではない。
4 (北朝鮮による)拉致問題は、戦後教育からの脱洗脳化を押し進め、メディア・リテラシーを高めることに一役買ったが、(教科書問題への)圧倒的な無関心層の存在はそのままなので、つくる会が国民から幅広い支持を受けるということにはあまり繋がらないと思われる。
5 「つくる会」が問題提起した歴史教科書問題は、「日本再生のためには、戦後教育からの脱洗脳化を図り、メディア・リテラシー(情報操作によって形作られた過ったイメージを「批判的」に読み取る能力)を高め、無関心層を減らすことの重要性を認識させた」ことであろう。
おわりに:日本再生のためには、戦後教育からの脱洗脳化を図り、メディア・リテラシー(情報操作によって形作られた過ったイメージを「批判的」に読み取る能力)を高め、無関心層を減らすことの重要性が浮き彫りにされた結果、私は早速、それを(授業に比べ柔軟性が高い)ゼミの内容に反映させました。参考のために、以下に私が作成したゼミガイダンス文の原文を紹介します。(2002年7月) 実際に学生に示したものは簡略したもっと穏健なものでしたが。
ゼミガイダンス文
・ゼミのキーワードはメディア・リテラシー/コミュニケーション・リテラシーです。
・我々は日常、テレビや新聞などのマスコミやメディアによって無意識の内に情報操作されていることがあります。マスコミやメディアは無意識的に(時には意識的に、それも多分、善意で)大衆を情報操作することがあります。「日本という国の大半のメディアは自国を愛しているが故に批判しているというよりも、国そのものの存在を批判しているかのようにみえる」とはある英国人ジャーナリストの言葉です。そのような情報操作によって形作られた過ったイメージを「批判的」に読み取る能力(メディア・リテラシー)が現在ほど必要とされている時代はありません。(「批判的」と言っても、それは否定的な意味合いではなく、「適切な基準や根拠に基づく、論理的で偏りのない思考」という建設的で前向きな思考で、ということです)
・「それはなにより、ニュースや新聞で問題のあらすじやその意見を聞き、問題の先端だけの情報を耳にして判断しているとしか言い様がない。まさに、自分が恥ずかしい。」「正しくないかもしれない判断基準でついつい判断してしまいがちで、私もそういった面を改めて、確固たる知識と認識において判断が下せるように精進したいと思いました。」これらは私の授業を受けている学生の最近の言葉です。自分が判断を誤り、それで自分だけが後で恥ずかしい思いをするだけならまだしもですが、実際はマスコミやメディアの情報操作にいつの間にか(結果として)協力している、いや加担している可能性すらあります。
・情報操作による最大の被害はマインド・コントロールです。かなり後になって自分が今までマインド・コントロールにかかっていたことに初めて気がつく人も少なくありません。マインド・コントロールから目が覚めた人は、その時のことを「頭上にカミナリが落ちたような衝撃を受けた」と表現するほどです。マインド・コントロールにかからないまでも、マスコミやメディアの言うことの何を信じたら良いか分からない人は少なくありません。皆さんはどうでしょうか。
・マスコミやメディアの情報操作の恰好のターゲットや餌食にはなりたくない、知らない内に協力や加担させられたくない人は、このゼミに来れば、少なくとも何を信じたら良いか分かるように、また「批判的」に読み取る能力を持つようになるでしょう。そして更にインターネットなどのメディアを使って自分の考えを表現していく能力(コミュニケーション・リテラシー)を持つようになるでしょう。