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会Rの歴史


風愛会Racingは、1998年にツーリングチーム風愛会〜BORN TO RUN〜の所属メンバーのうち、レースをやりたいという者2名と責任者としてそれに嫌々付き合うことになった会長・会長補佐の4名で結成されたチームで、当時ツーリングチーム会長の俺がそのまま初代会長となった。

当然今のような知名度もなく弱小チームだった。

車体探しも今のようにオークションなんてものはなく、バイク屋を探し回ってボロボロの車体を4台買ってきて、訳が分からず手探りで走るようになったバイクをとりあえず走らせ、エンジン・足共にノーセッティングに近い状態で、ただライダーの気合だけで走行していたため、走行の度に転倒し1日3回4回は当たり前、怪我・バイクの破損も毎回のことだった。

当時俺が良く行くA.C.YOSHIで筑波東(コース1000の前のコース)でノーマルクラスに参戦しているトミー率いる倶楽部若年寄を紹介してもらい、整備以外の全てを教えてもらった。後になって思えば、NSRのレース仕様を知らない俺達が見てもひどいと思うようなバイクで戦っていた若年寄のメンバーに、今俺が掲げている「腕で勝つ!!」を知らない間に伝授されていたのかもしれない。

俺達はノーマルではなくSPで参戦し、俺のバイクは95で他の3人は旧型を使用し、チャンバーもBRD・マルゼン+YUE・Jha・ハリケーンと走り屋の有名どころを使ってみたが別に違いは分からず、そんな時DAYTONAからNSR用のレース用チャンバーの開発とモニターを頼まれ、最終的に俺はDAYTONAのチャンバーを使っていた。

後で測定したら後軸で9.0馬力ちょっとしか出ていなかったが、筑波東は狭いコースでさほどパワー差のハンデはなく、「腕」のみで簡単にビギナーに昇格し、ビギナー初戦もポールから2位という成績を取れた。

EXPにも簡単に昇格できるなって思った矢先、俺は耐久レース中に転倒しそのまま本コースのメディカルセンターへ運ばれたらしいが、最終的に気が付いたのは病院のベットの上だった。
これ以降、しばらく苦戦を強いられることになる。

当時の筑波東は34秒台(今の1000だと38秒台のレベル)だと速いレベルだったが、俺は35秒を全く切れなかった!!(F ほぼ95ノーマル・R KYBの安いやつ)そんな時、2のブメがLipsを見つけ、チャンバー・Fインナーセット・Rサスを付けた旧型バイクで俺のタイムに迫ってきた。

乗ってみろとの誘いも断り続けていたがブメの執拗な勧めで、ボロイブメの旧型バイクに乗ってみた。

当時のメンバーは全車逆シフト(今は俺だけなのがちょっと寂しい)だった為、そこに不安はなかったが、デブ用にセットされた足とデブを前に押し出す為の強烈トルク型チャンバーでかなり不安を抱えつつ乗ってみた。

これがスゲー曲がるし、パワーも下から上まで俺のバイクをはるかに上回り、一気に0.7秒もアップした。

その練習の帰りに俺は初めてLipsへ行き、それ以降社長との付き合いが始まった。

参戦当初は耐久をメインにしていたが、全員に筑波・もてぎ・秋ケ瀬のライセンスを取らせ、チームとしての初参戦は秋ケ瀬チャレンジカップで結果は全員リタイヤ。

それ以降、秋ケ瀬は俺の中で鬼門になってしまった。

以降04年まで秋ケ瀬は一度も行っていない。

99年で俺以外の初代メンバーが何らかの事情で引退し、新規メンバーが入会。

00年はトミーとのペアでSP耐久とスプリントのWエントリーで参戦していた。

この00年はSP耐久チャンピオンを獲得し、よく01年は本多とのペアでランキング2位と耐久レースの成績は充実していた。

ただし、その反面スプリントの成績は00年は半分リタイヤ半分泣かず飛ばずで、01年はすれすれ入賞を繰り返し最終戦でたまたま2位になってしまい02からEXPに昇格してしまった。

また、00年を最後に筑波東は改修され今のコース1000になり腕だけでは勝てないコースになってしまい、エンジンの選別に多少目を向けた。

01最終戦で若年寄のメンバーに誘われNMクラスにエントリーもした。(結果1周目1コーナー転倒)
この誘いが俺をNMの道に引きずり込んだことになり、これをきっかけに以降ずっとSP・NMのWエントリーになった。

02年は、こつこつ貯めたポイントでSPはEXP、NMクラスもEXP・B・Fと3クラスあったが、SPEXPの俺はNMEXPしかエントリーが許可されず、どっちも毎回転倒リタイヤか完走ビリ争いで、表彰式まで残っていた記憶はない。

この年を最後に若年寄のメンバーも全員引退した。

この時に孤軍奮闘で全く勝てず、友好チームだったトミー達も引退し、俺も引退しようかと考えたが、何で引退しなかったかは本当に記憶にない。

03年は、降格制度ができもう一度SPはBに降格したが、一度落ちぶれた腕は簡単には戻らず、なかなか優勝はできなかったがこつこつ貯めたポイント+最終戦優勝、NMは3クラスに分かれていてEXPの台数が少なく偶然が重なり8番(初の赤ゼッケン)を付けていた。

04年は、再度SPEXPに昇格したが、成績はリタイヤか真中より後の着順だったが、NMはクラスが2クラスになり、元々Bの連中には負けられないとたまには入賞し、ランキング4位で終わった。この年からとっくんが俺の最大のライバルになり、あまりの直線差にエンジンに関しても真剣に取り組むようになった。

ちょうどこの頃から新規メンバーが増えてきてチームが盛り上がってきた。

とはいえ殆どズブの素人連中だったため、風愛会Rスパルタ塾という2軍相当のグループを新設し、スパルタでビシビシ鍛えていこうと思ったが、思うように成果があがらずのちに一時閉鎖することになる。

05年には、SPランキング12位、NMチャンピオンを取り、風愛会Rの名前も筑波では大分広まっていった。

この年で、現メンバー全員が揃い、風愛会R最大の人数を記録し、チーム全体が一気に盛り上がっていった。

初のポケバイライダーも入会し、風愛会Rジュニアを新設した。

今チームがあるのは、初代メンバー3人と当時のピットクルー達が俺を支えてくれたこと、途中引退しようと思った俺を時にはチームメイト、時にはライバルとして支えてくれたトミー達若年寄のメンバー、俺の闘争心に完全に火をつけてくれたとっくん、今いるメンバー全員のおかげだと思っている。ありがとう。

初代会長として俺がメンバーの誰かに負けた時は、直ちにこの座を譲る覚悟も出来ている。

心のどこかに負けて引退したいって気持ちがあることも確かだ。

メンバーの誰かが俺に追いついてそして追い越して会長の座を奪ってくれればそれでいい。

ただ俺は同じカラーのバイクが俺の前を走っている時だけは本気(過去1度だけあった)でいく。

たとえ途中で俺の前に出ても死ぬ気で攻めていかなければゴールまでに簡単に逆転されるだろう。

全員死ぬ気でかかってこい!!!

誰かに負けるその時まで、俺は初代会長で居続ける。

よろしく!!!!

風愛会Racing 初代会長 澁谷和樹

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