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仲間の温情のなかで生かされている

            赤穂断酒新生会 矢野 剛

 悪戯小僧ではあるが、「陽気で底抜けに明るいのが取り柄だ」と言われていた私が、6年生の時父親を亡くしたのを境に少しづつその陰を潜め、口かずの少ないおとなしい子として育っていきました。子供心に母親に心配をかけてはいけないと思っての事だったのでしょうか?素直さを装い、良い子ぶって成人したのです。
社会の一員として会社勤めを始めてもそれは変わらず、同僚はもとより先輩や上司には明るい温順な男と写っていたようで、同僚には好かれ、先輩や上司には可愛がっていただき、しだいにここかしこと誘われるようになったのです。 
そんな中で酒を覚えて行くのですが、先輩に注がれて飲むコップ酒の味はけっして旨い飲み物とは思えませんでしたが、不味く敬遠する程のものでもありませんでした。 
 勧められるまま二杯、三杯と飲み進むうち言葉では言い表す事のできない陶酔感を覚え、日頃無口な私が俄かに陽気になり、口数が増え賑やかにその場が盛り上がってくるのです。そんな私の変貌ぶりが先輩方に大受けし、お誘いも自然に増え、飲み仲間も増え、誰か彼かに誘われては行き、誘っては行きと毎日飲み歩くようになり、忽ちその虜となってしまったのですが、まだその頃は若く元気でもあったし、多少飲み過ぎという感はありましたが理性のある飲み方が出来ていたようでとくに問題を起こすということもなく日々を送っていました。  
 やがて適齢期を迎え結婚したのですが、所帯を持ち責任も出来てきたんだからもうこれで落ち着くだろうと、家族(特に母親)は期待していたようだし、私もそうあるべく暫くの間は人並に慎ましく新婚生活をおくっていました。

 1年ほどたった頃だと思うが「一杯だけ」と言う条件のもとに始めた晩酌が、後々私の人生を変えることになろうとは夢にも思いませんでした。しだいに家で飲むことの侘しさ、物足りなさを覚えるようになり、酒量も少しづつ増えそれでも飲み足りない時には、女房の目を盗んでは台所に置いている一升瓶をラッパのみするようにさえなってきていたのです。これが原因で、酒好きの男と承知の上結婚したはずである女房ともたえず言い争うようになったのです。
こうなると独身時代のことが無性に懐かしく思うようになり、「お付き合いだから」と適当な言い訳をして外で飲むようになっていき、その頻度も急激に増え、忽ち以前の状態に立ち戻ってしまったのです。 しかも、もう前のような理性ある飲み方は出来なくなっていました。 
飲むたびに、誰かれ構わず暴言を吐くようになっている始末で、深酒、二日酔いは日常茶飯の事、出勤しても昼まではまともに仕事も出来ず、同じ書類が机の上にいつまでもあるというのが常でした。 更には、会社に行事があろうが、無かろうが平気で休むようにもなっていました。 当然の事ではありますが、同僚・先輩からは敬遠され、上司からは疎まれ唯一の頼りと思っていた飲み仲間さえ、一人、また一人と去って行き、気がついたときには体調を壊しながら自分一人が飲み続けていたのです。 それもそう長くは続かず、終に急性肝炎と診断され入院する時が来たのです。36歳の時でした。

 以後三度の入退院を繰り返すことになるのですが、最後の時には入院していてさえ酒が止めらなくなっており、着替を取りに帰ると病院を抜けだしては酒(当時一本200円で買えたトリスウイスキーのポケット瓶)を買って隠して持ち込み「消灯後コップー杯だけ」と決めて飲み始めた酒でしたが、二日目にはそれでは我慢が出来なくなり、日をおうごとに、タ食後、回診後と時間は繰り上がり、量が増えていったのです。そんなある夜、女房の父親が亡くなったとの知らせがあり、酔って寝ていた私は深夜にも拘わらず急いで駆けつけ、入院中の身でありながら酔態を晒し、親戚中の人のひんしゅくをかうこととなったのです。
 酔いが覚めて流石これには後悔した私はその後神妙に治療を受け、よっやく5ヵ月余りの療養生活の末「禁酒すること!」という先生との約束のもとに退院したのですが、一歩病院をあとにすると、もう先生との約束はなかったのに等しく『一杯だけ』のつもりで飲んだ酒がもはや止まることはなかったのです、みるみる酒量は増え、瞬く間に酒の無い日が過ごせなくなり毎日あびるように飲んでは問題を起こす。しまいには真面目に相手をしてくれる人は一人としていなくなったのです。
その辛さ、寂しさを紛らわすために更に飲んで問題を起こすという繰り返しの末、精神病院に入院し断酒会の存在を知ることになり、院内例会を通じて断酒会に入会させてもらう事になるのです。昭和57年晩春のことで私も40歳になっていました。

 のち後、人の温情を教えていただくことになる断酒会ではありますが、その第一印象はけっしていいものではなく「何と胡散臭い人の集まりなのだろう!」年寄りばかりの集まりだし、こんなところで本当に酒が止められるんだろうかと半信半疑で入会させてもらったのですが、初めて例会に出席させていただいて、何よりも驚いたのは印象とは全く違い、皆さん一人一人が物凄く親切にしてくれるということでした。 いろいろと話を聞いてくれ、親身になって相談にのってくれるという事でした。 これまでトラブルメーカーとして人から疎外され続け、人間不信に陥っていた私には俄にそれが信じられず、却って猜疑心を深め、なかなか本音も言えず、会にも馴染めず、辛い例会通いがしばらく続きました。
 ただ、どうにかして酒が止めたいと、その一心で例会出席を続けていました。そのうち皆さんの優しさ・温かさは嘘偽りのないものであり、同じ体験を持ち、同じ悩みや苦しみを共有する者にしかない会員さん一人一人の本当の姿なんだと気づき、素直な気持ちで本音を語り、会員仲間の体験談も聞けるようになってきたのです。

 以来、今日まで仲間を信じてついて来ました。勿論、この間には辛いこと、苦しいことも数多くありましたし、「飲んだ方がとれだけ楽になれるやろか」と思った事も二度や三度のことではありませんでした。その都度仲間に励まされ、支えられて酒の無い人生を歩み続けているところです。

 私は常々、ここ彼処の例会で84歳まで生きていくんだと宣言していますが、後18年有ります。
 その間たくさんの仲間の和の中で自分に欠如している、本来人間に備わっている優しさ、温かさを身につけ、天寿を全うしたいと思っています。

 
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