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もっと他の生き方なかったんやろか?

          兵庫県淡路断酒会 T・S

 アルコール依存症年齢では、とっくに死んでいても不思議でない年齢になった。過去を振り返って、「もっと他の生き方なかったんやろか」と思ってしまう。
 酒に関係のない人生もあるのに。酒・酒・酒の人生を送ってしまったのである。

  生い立ち

 昭和25年淡路島の漁村で生まれ育った。生活は何もない質素な暮らしであった。三度の食事と寝ることと、ラジオの声だけで静かなものであった。周りの大人たちは、あの戦争から解放されて平和をかみしめていたに違いない。

 子供五人が生まれたが、兄二人は幼くして死んだ。随分と親父は悲しんで、二十日も家で寝転がって仕事にも行かなかったらしい。だから、私は待ち望まれて産まれてきた。両親は本当に大事にして育ててくれた。貧しかったが幸せだった。
 ただ、ひどいどもりと耳の後ろにこぶがあり、そのせいか気弱な性格で、問題を持った人間に育っていった。高校までは、さほど気にならなかった自分の不得手が、社会人となって大きなストレスとなった。
人と上手に付き合えない、仕事は根気がなく最後までやり遂げない。これらの劣等感をすべて忘れさせてくれるのが酒の酔いであった。

 自分の弱さを隠す酒の飲み方だったから、嫌なこと、困ったことがあると酒に逃げた。話し相手になってくれる先輩と楽しく夜を過ごした。開放されて、身も心も伸び伸びした。飲んで人生を語った。20代30代で人生論ばかり語っていた。その人から「同じ話ばかりで、馬鹿者」とよく怒られた。あるとき会社で「徳さん、徳さん」と呼ばれ、振り向くと血の気のないその先輩が立っていた。それからしばらくして59歳で亡くなられた。

 また、お金のかかる無駄な飲み方をした。飲むと気が大きくなり、ボトルのキープやはしご酒をくりかえした。簡単に金を借りた。飲んで祭りのように騒いだ。そして、死んだように眠った。昼間は小さくなって、夜は大きくなって遊び回った。借金返済に追われ、生きた心地がしなかった。電話のベルでノイローゼになった。結婚しても、子供が出来ても同じであった。家族を苦しめた。

    地獄

 追い詰められた人の心ほど苦しいことはない。毎日毎日追い詰められて会社にも行けず、自分が嫌になった。以前のように酒では憂さも晴れず、苦しい酒になっていた。家庭を顧みることも出来なかった。自分のことしか考えない人間だった。飲むことしか出来ない人間になっていた。

 眠剤にも手を出もて自動車事故を起こした。生ける屍となっていった。事実、首吊りをして花園を見てきた。妻が気がついて助けてくれた。本当に命拾いした。それでも酒は止まらなかった。職場は首の皮一枚であった。それでも酒は止まらない。
 借金は、親に頼み込んで返済してもらった。父に「お前一人では死なせん。一緒に死んだろか」と言わせた。もう行き着くとこまで行っていた。

   断酒新生

 昭和61年10月、36歳の時、淡路島から藍陵園病院に行った。前の晩に最後の酒と思い、飲み過ぎて二日酔いになった。主治医の川田先生や西川CWにお世話になった。
 蘭陵園に入院してもすぐ脱走して逃げ帰った。オロオロする両親と、一歩も譲らない家内とで、あきらめて病院に戻った。反省室に入れられた。アルコール依存症の勉強、院内例会・地域断酒会例会は本当に有難かった。地獄に仏である。12月に退院した。薬袋に励ましの言葉が書いてあって感動した。

 その後、兵庫県断酒会(現神戸市断酒会)のお世話になり、スリップもしたが何とか断酒が出来ている。田舎の両親や家族に迷惑を掛けた。感謝している。
 正直、世の中は何も変わっていない。私が酒を飲もうと止めようと、大して変わりはしない。しかし、自分が楽になった。今日一日、精一杯生きる。酒で失った青春を生きる。私のような者でも、他人の役に立てれば頑張れる。

 「一緒に死んだろ」と言った親父やおふくろはとっくに先立った。
迷惑をかけた会社や家族、社会に『有難い』という気持ちを忘れないようにしよう。突然の死は怖いけど、天寿を全うしたいと思っている。

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