な気分!
−セレブな気分だけじゃ〜ものたりな〜い!−


手羽先


先日、久しぶりに親戚が私の実家に遊びに来ました。
お盆には来れないと言うことで、前もって墓参りを兼ねての来訪です。


私は、近くに住んでいるとは言うものの、不思議なもので用事はほとんど電話で済ませ特別なことがないとなかなか実家には行きません。

親戚が来たということで、久しぶりに昼食がてら実家に行きました。
私の両親は、まだ健在ですが二人とも80歳を過ぎています。

少し心配性の母は、たびたび体調を崩し、病院に行っても「自律神経失調症」と診断され、気の性でしょうと言われています。


父親は、楽天的な性格で、心筋梗塞で入院したこともありますが、ほとんど後遺症もなく元気です。

数年前も、2月ほど入院したこともありますが、
若い大学出の担当医が、

「もう、お幾つになられましたか?」と尋ねたので

父親は
「もう80歳になりました。」と答えると

その担当医は
「じゃ!平均寿命は過ぎてますね。」
「あとは、お釣りみたいなものですね!」と言った。

どう言う意図で言ったか分かりませんが、
今の医者は、そう言うことを言うんだ!と私は思いました。
その時、父親がどう思ったかは分からないですが・・・




久しぶりの親戚との話は、昔話しから、親戚の子供の近況報告まで楽しかった。

そうする中で、父親がたびたび腕をかいているので、

心配症の母親が、「どうしたのか?」としきりに言う!
父親は、ほとんど無視の状態で、話しに楽しげである。

あまりに母親がうるさく言うので

父親が終いには、方言で
「にわといじゃったら、昔しゃ、うっすいところじゃらよ!」

と言った。そして笑い話しになりました。

どう言うことかと言いますと、にわ鶏だったら、昔は用がなくて捨てる所だ!と言う意味です。
今でこそ手羽先は、フライにしたりとかして食べますが、昔はほとんど捨てていた訳です。


私は、父親のその言葉を聞いて、父親の心境が分かると共に
父親は、幾つになっても、私にいろんな事を気づかせてくれるな〜と思いました。


人間は意識すれば、その事に振り回される。


合気道の創始者である植芝盛平翁が、

相手の剣を意識すれば剣にとらわれ、相手の目を意識すれば目にとらわれてしまう。
自分の腕を意識すれば腕にとらわれ、足を意識すれば一歩も動けない。

植芝盛平翁は、「構えず、ただ立っていればいいのじゃ」といい
そのなかなら、変幻自在の技を生み出したと言われいます。



何かにつけ意識することが多い現代、意識することで身動き出来ないことが多い。
「こうであらねばならないとか」「こうすべきとか」など自縄自縛しているのでは?


本当は、
「意識すること」を「意識しない」ように「意識する」ことが出発点のような気がします。



心配症で、いつも取り越し苦労をしている母親と、
楽天的で、あまり気にしない父親。

その二人を親として選んで来た私と言う人間、
その気性を受け継いでいる自分。
あるがままを受け入れながらも、幸せを感じました。


たまには、そう言う視点で親をみて自分を感じてみるのもいいかも知れません。







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