な気分!
−セレブな気分だけじゃ〜ものたりな〜い!−


チューリップは赤い


私達は、小さいころ
はじめてチューリップを見た時に

「なんときれいな花だろう!」

名前はなんと言うのだろう。

「チューリップと言うんだ!」と覚え
「チューリップは赤いんだ!」と認識する訳です。

そして子供は、成長する中であらゆるものを見たり、聞いたり、教え込まれたりしながら自分なりの価値観を作り上げて行く。


ある学者は
「認識とは、生物が自らの内に作り出した世界像である」と言う。


ここに100人の人間がいるとすれば、100通りの価値観が生まれる。

もちろん認識の中には共通認識というものもありますが、大方はそれぞれの人間が、それぞれの認識の仕方で認識して、それぞれの価値観なり人生観を作り上げています。

従って、ある人にとっては「ここち良い」と思うことが、
別の人にとっては「不快である」という事も度々起こる。

雨が「きらい!」と言う人もいれば、雨が「大好き!」という人もいるのです。


私達は、それぞれ育った環境や体験を通じて、知らず知らずのうちに、あるいは意識的に物事を判断する物差しを自分の中に作り上げていく。

このことに、良いも悪いもない訳で、それぞれの個性と言えるのですが、
問題は、他者との関係においては、時たま問題が発生する場合があります。


一応、みんなが「それぞれの価値観」「それぞれの人格」「それぞれが素晴らしい」と認識すればいいのですが、

「チューリップは赤い!」と思いこみ、それなりの価値観を作り上げてきた人は、
「チューリップは黄色い!」という人と接した時には、猛烈に怒り押さえ込もうとします。
自分が長年つちかって来た価値観を否定されることは、自分の存在を否定されることであるからです。
往々にして自分の力を過信している人に多い傾向ですが・・・



まだ私が若いころ、知人に、自分の意見ばかり押しつけてくる人がいました。
自分の意見だけが正しいという。いわゆる他者不在です。

その時、私は
「チューリップは赤い!」のは分かるけど、他の色もあるよ!と言ったことがあります。

そうしたら

「チューリップは赤い!に決まっている」という。

赤以外のチューリップは認めないという。

そればかりか、存在の価値はない!とまでいう。

私は、
「でも、現実に黄色やピンクや他の色もあるというのは、何か存在理由があるから、あるのではないの?」と・・・・・


その知人にとっては、赤以外のチューリップを認めたら、今まで何のために信じて生きて来たか分からなくなる。という何かの理由があったのだろうと思いますけど・・



今では、思い出すたびに、なつかしい話しです。

本当は、
「チューリップは赤い!」のではなく

「赤いチューリップ!」なのです。


そう考えると、「黄色いチューリップ」も「ピンクのチューリップ」も「いろんなチューリップ」も認識の世界に入ってきます。


チューリップは、たとえ話ですけど、
私達は、往々にして自分の物差しばかりで物事を判断し、否定していることが多い。
相手も、他の物差しを持っているということだけでも認識すれば、他人とのかかわりは楽しいはずなのに・・・・



このことを考えて、

咲いた、咲いた、チューリップの花が

並んだ、並んだ 赤・白・黄色

どの花みても きれいだな!



改めてチューリップの歌を聞いてみると

「どの花みても きれいだな!」と言う認識って、すばらしいと感じます。




色んないいことを覚え、無理に自分自身に言い聞かせるより
ちょつと認識を変えるだけで、
人間は、もっと簡単に幸せになれるかも知れませんね。





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