患者の生活・就労をつむぐ会

私の生きる灯



ここでは、私の体験談
「生きる灯」となった
友人との
つながり、について
お話しさせていただきます。

私自身、
重症筋無力症という難病の当事者です。
これがなかなかやっかいな難病で、
安静にしている時は、見た目も、
どこが病気なの?と解りにくくありますが、
同じような動きを繰り返したり、
疲労のたまった箇所、筋肉が脱力していく
特徴があります。

病名が分かったのが30歳になってからですが、
再発した25歳当時、原因も解らず、
なんでこんなに生きづらいのだろうと思っていました。

特に、仕事です。
安静にしているといいのですが、
仕事で、動くと、
手や足、動いている箇所が脱力していきます。

再発した当時、いろいろな企みもあり
調理の仕事をしていた私ですが、
包丁を持つ手が動かなくなっていきました。
最初は、疲れだ、気のせいだと思っていましたが、
どんどん動かなくなり、手も上がらなくなります。
そのうち、両手、両足も動かなくなりました。

病院にいくと原因が解りません。
何か筋肉の病気なんだろうとのこと。

これでは、続けられない。
せっかく修行を積み重ねていた調理の仕事を
一旦やめることになりました。

積み重ねた可能性が
一瞬にして崩れていくのは
辛いものです

しかし、安静にしていると
普通の方と同じように動けます。

よし、もう一度チャレンジと思い、
今度は、自分でお店をだすことにしました。

なるべく、調理場にはたたないようにしていましたが、
自分でやってみせることで現場の志気もあがり、
調理場にもたつように

経営のこと、
調理のこと、
全てを抱え込んでも、自分で選んだ道とおもい、
がむしゃらに働いていましたが、
やはり、脱力が出てきました。
手が、上がらなくなり
足が、動かなくなる。

それでも、自分が休めば売り上げも落ちる
借金もかさむ
もがけば、もがくほど
脱力が進み、動けなくなる。
ついに立ち上がることもできなくなりました。

夜、寝床で天井の木目など眺めていても
先がみえません
「俺、どうなっちゃうんだろ」
「このままいったら死んじゃうな」
「死のうかな」
悪いことばかりが、想い浮かんで
寝れません。
追い詰められていく。
これがどん底なんだろうな、と。

そんな時、
私は、ふっと
「生きなきゃ」
「生きていかなきゃ」
と心の奥底の方から
声が聞こえてきたような気がしました。

その声に突き動かされて
「死んじゃだめだ」
「生きるすべ、道はあるはずだ」
と力を振り絞って、なにか方法がないか
探すようになりました。

最近、病気の症状も安定し、
福島で活動するようになって
あの時の声がなんだったのか
今になってですが、
気付くことがありました。
ある相談会、分かち合いの会が
きっかけです。


私には、
20歳過ぎた時に
白血病で亡くなった、友人がいます。
その友人の
元気な名物かあちゃんが
音楽の先生で
姉が通っていたピアノ教室に
私もつれられていき
幼いころから、一緒に遊んでいました。
中学校も同級で、
おどけて、人を笑わせる、
憎めない人柄
かまわれキャラでした。

そんな彼が
北海道の大学にいったんだけど、
病気で、田舎に戻ってきていて
入院していると聞きました。

白血病であること、
病状も進んできていることも聞きました。
どんな顔をして会いに行けばいいんだろう。
でも、会いたい。
今、会っておかなきゃ。
友達数人と病室を訪ねました。

無菌室の部屋に
さらに透明なビニールのカーテンで仕切られていて
その中に彼がいました。

「おう」
「ありがとう」

差し入れをもっていき
北海道の話やら、中学の想い出話やらしたと思いますが
あまり、覚えていません。

ただ、彼が
「おれ、どうなっちゃうんだろ」
と問いかけてきた言葉、
その時の目が忘れられません。

死を意識し、悩みに悩んで、
それでも
「生きたい、俺、生きたいだよ」
とうったえている目でした。

その後、入退院を繰り返しましたが、
人生これからという時に
帰らぬ人となりました。
教会での葬式。
クラスのみんなも泣きました。
お母さん、お父さんの悲しみも
深く、深くありました。

私がどん底にいる時
「生きなきゃ」
と声をかけてくれた
「生きる灯」を掲げてくれたのは、
白血病で亡くなっていった
この彼だったと思います。

本当に生きたかった
あらゆる方法を探してでも
生きたかった
生きたくてしようがなかったけど
かなわなかった彼
彼の分も
与えられた命を
精一杯生きて行かなきゃと

自己正当化したいだけかもしれませんが
私は、そう感じました。

同じような体験を
患者会を通じて
巡り合った、かけがいのない友人、先輩が
亡くなる度にしています。


東日本大震災、福島でも同じ体験をさせていただきました。

震災後、入らせていただいた相馬のある体育館
津波の被害で
一面に並べられていた
ご遺体
津波のあった海
未だに見つかっていない方々
放射能も高かった時です。

「残された人たちを頼む」
「子ども達を守って」
「生きていくんだよ」
「たのんだよ」
と問いかけられているように
私は感じました。

本当に、自分勝手に
ご遺族の方には失礼で
自己正当したいだけかもしれませんが、
私は、そう感じました。

震災後、
全国の自殺数は減少傾向にある中
被災地、福島等では
逆に、増加傾向にあります

どうか
一人一人に
受け継がれている
「生きる灯」を
かかげてください

生きていていい
生きていれば感じれることもある

日々、思い悩むみなさんへ
めんどくさいこと
投げ出したいこと
逃げ出したいこと
もありますね

時には投げ出したっていい
時には一緒に逃げて

一息いれながら
ぼちぼちいきましょう。

決して、一人ではありません。
同じように想い悩む仲間がいます。

一人一人では微力ですが
無力ではありません
一人ではできないことも
つながりから見えてくることがあるかもしれません

いろいろあっていい

「生きるすべを」
「生きる道を」

ともに 探し
ともに 生きましょう