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ツォディロ(サン)の岩絵 Rock paintings of Tsodilo Hills 砂漠のルーヴル |
サイ![]() |
ダチョウ![]() |
ハイエナ ![]() |
サソリ![]() |
| ボツアナ 1975 発行
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| ンウェツウェ湖 ↓ (Nwetwe Pan) | ||||
| ツォディロ→ オカバンゴ沼沢地(黄色)→ |
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スア湖 |
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| カラハリ砂漠 | ←ボツワナの地図と オカバンゴ(黄色) |
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| Map of Makgadikgadi Pan (200%) ボツアナ 1994/8/30 発行 |
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| ツォディロ丘とは付近に連なる丘陵の総称で、その最高峰である男山(Male Hill)と、女山(Female Hill)、子供山(Child Hill)、北山(North
Hill)の四つの岩山から構成されています。来訪者は岩絵をめぐるトレッキング・コースにくわえ、最高点である男山(標高差400m)の頂上を目指します。頂上につくと、ぐるり360゜見渡せる、その果てしない平原の中、唯一の高い場所がツォディロ山なのです。よく注意して見ると地球の丸みさえもが肉眼で確認できるといわれています。 「砂漠のルーブル」ともいわれ、15ku四方に「4500以上の絵」があって、「2万5千年以上にわたる人類の歴史」が描かれています。種々の動物はもちろん、はるか遠くのナミビアの海岸から1000kmちかく離れている、この高地の砂漠に海洋生物の「クジラの潮吹き」や「ペンギン」が描かれ、また、意味不明の幾何学紋様もあれば、「ダンシングペニス」なるへんてこな絵もあります。 |
| サン(ツォディロ)の岩絵 Rock paintings of Tsodilo Hills ”砂漠のルーヴル” Louvre in Desert ツォディロは、ボツワナの北西部にある地域で、マウンから約300km離れています。カラハリ砂漠の15ku四方に広がる鮮やかな4500以上の岩絵群は、「砂漠のルーブル」の異名をとっています。主に岩絵を描いたのはサン人で、彼らの世界観や美術様式を理解する上で、重要な所になっています。2001年にボツワナ初の世界遺産に登録され、2008年現在でボツワナ唯一の世界遺産です。ボツワナの国土はカラハリ砂漠にほとんど含まれ、全体的には平均標高1000mの高原盆地で、最高点は北西部のツォディロ丘のツォディロ男山(標高1375m)です。なお、ボツワナの最高標高地点はオツ山(Otse Hill、1489m)です。 ▼サン人 ボツワナ、さらにアフリカ南部のほとんどの地域における先住民族はサン人、いわゆるブッシュマンで、自らの言葉ク語 (!xu) ではズー・トゥワシ (Zhu twasi) すなわち「真の人間」と呼びます。サン人は口承伝承をほとんど持たない、祖先を崇拝せず、直接記憶に残る親族より古いものの記録は残っていない、恒久的な墓を持たず、偉人や偉大な祖先を讃えることをしない、特定の未来を表す単語を持たず、暦を用いず、4以上の数を数えない、という、徹底した平等主義者であり、集団内部に職業集団などの階級はなく、リーダーもいません。父と父の兄弟、母と母の姉妹を区別しないため、出自集団もなく、従って部族、クラン(氏族)といったサン内部の共同体組織・組織化された社会集団も存在しない。さらに物質的な蓄積に関心がないため、村を作らず、獣を使役せず、直接背負える道具以上の家財も持ちません。 サン人は現実を最重要視する民族であり、厳しい生活環境に適応する知識、技術に特化しているといえて、集団の力で生きるツワナ人が餓死してしまうような歴史に残る干ばつの年でも、蓄えもなくツワナ人よりも過酷な環境に暮らしているにも関わらずサン人は影響を受けません。これはサバンナの樹木一本一本を固有名詞で呼び、砂漠に住む全ての生物に関する知識と、これを生かす技術があるからだといわれています。例えばたった一人で射程数mの弓のみを使って大型の草食動物を倒し、地中の昆虫を迷わず直接掘り当て食料とすることもできるのです。 ▼サン人の歴史 文字を持たず、口承伝承を重視しないサン人の歴史を知るには岩壁に描かれた絵画が役立ちます。現在のタンザニア、ナミビア、南アフリカ共和国を結ぶ三角形に囲まれた地域において、3000ヵ所にも及ぶサン人の遺跡が残っています。岩絵の総数は10万点を超え、最も有名な岩絵はボツワナ最北部のツォディロ丘陵 (Tsodilo Hills) に残る2000点の絵画。ツォディロ岩絵の年代については放射性炭素年代測定により、紀元前4000年と計測。他の地域にある最初期の遺跡は約2万5000年前と考えられており、興味深いことに最も新しい岩絵にはヨーロッパ人が登場。デスモンド・クラークの「石器時代の美術」で、1869年にゴウ-ウという名のサンの画家がボーア人の対アフリカ人戦闘部隊に受けた攻撃に関する絵を描いたのだとされています。現在生存しているサンの画家はいませんが、当時は角で作った絵の具つぼを腰の周りにずらりと釣った画家が何十人も知られていました。それで、断続的とはいえ6000年以上に及ぶ記録が残っていることになります。 ▼サンの岩絵 最初期の岩絵には、アンテロープなどの野生動物のほか、ダチョウや魚、ヘビなどの狩猟対象となる動物や薬草などが主題で、現実には存在しない架空の動物も登場。幾何学図形や手形も有。手形は重要で、岩絵を残したのがサン人であることが分かります。時代が下ると、舞踊、楽器、呪術儀式が現れ、さらに、北方から移動してきたバンツー系民族と彼らの家畜が現れます。これは西暦500年以降のもの。最後に鉄砲を持ち乗馬したヨーロッパ人が主題となり、絵画の様式も輪郭のみを描いたものから、単色の絵画、二色の絵画、多数の顔料を用いた絵画、光の効果を含んだ絵画というように順序建てて発展。 ▼サン人の生活域 サン人の生活域は当初はコイ(ホッテントット)と重複していましたが、ウシなどの家畜を所有するコイと狩猟生活のみに依存するサン人にしだいに分化。現在のボツワナにあてはめると、特に乾燥していた南西部と北西部にサン人が、比較的湿潤な北部と中部はコイ人の領域となりました。コイ人はアフリカ大陸南端にいたる地域に広がりました。 参考:〜 ・サン人 San サン人は、南部アフリカのカラハリ砂漠に住む狩猟採集民族である。砂漠に住む狩猟採集民族は大変少なく現在ではこのサン人ぐらいしかいない。 かつては、南部アフリカから東アフリカにかけて広く分布していた。しかし、白人の進出やバントゥー系の人々の侵略により激減し、現在はカラハリ砂漠に残っているだけである。 人口は約9万人。言語はサン諸語。吸着音あるいはクリック音(舌打ちをするようにして発音される音)とよばれる類型に分類される非常に多様な音を普通の子音として使用する言語である。コイ人とは身体特性、言語、文化など著しく類似している。基本的に狩猟採集で生計をたてているのがサン人、牧畜で生計を立てているのがコイ人と区別する。 かつて、ヨーロッパ人の命名によりブッシュマン(藪の民)とよばれたが、侮蔑を含む呼び方であるため現在はサン人と呼ぶ。しかし、「サン」という呼び方もコイ人がサン人を「サン・クァ」(サンの人々)と呼ぶところから来ていて、これも侮蔑的ニュアンスが含まれている。近年は少数民族の権利保護のため俗称は用いられなくなっているのもあり、サン人自身による民族名の選定が待たれている。研究者の中には「カラハリの叢林に住む自由人」という意味を込めてブッシュマンと呼ぶ人もいる。 参考HP〜 世界遺産ツォディロの岩絵の場所地図 ボツワナの細部地図 コイサン語族とバンツー語族の分布地図〜現在のコイサン語族(緑色)とニジェールコンゴ語族(橙色、バンツー語族)の分布 コイサン語族は主にボツワナに広がる。一方、バンツー語族はアフリカ中部、南部のほとんどを占める。アダマワ高地はアフリカ西岸のくびれ、赤色と橙色の境界のすぐ北にある 09/9/15 |