★日  本 小笠原諸島
1823
コフィン船長が母島を発見
大航海物語★

NIPPON
アメリカ人が母島を発見
小笠原諸島返還記念

日本 1968/6/26 発行
小笠原国立公園

日本 1973/6/26 発行

Kiribati
捕鯨船トランシット号 1823 コフィン船長

キリバス 2002/3/25 発行
琉球郵便
1853 ペリー来航100年記念 1953

琉球 昭和28年 1953/5/25 発行

MARSHALL
スペインのヌエストラ・セニョーラ・デル・ロザリオ号

マーシャル 1998 発行

1823年にアメリカの船乗りコフィン船長は太平洋で捕鯨をしていて、南小笠原諸島の母島を中心とする”コフィン諸島”を発見しました。1853年にはペリーが寄港しました。
小笠原諸島 (おがさわらしょとう)
 Bonin Islands
 (ボニン諸島)
小笠原諸島は東京の南南東約1,000kmの太平洋上にある30余の島々で構成されている日本の国土で、全域が東京都小笠原村なのです。小笠原諸島は1543年ごろスペイン船が来航したようですが、定かではありません。ついで、1593(文禄2)年に信州の松本城主「小笠原貞頼」が発見したと言われ、これが小笠原諸島という名前の由来になっていますが、これも定かではありません。1675(延宝3)年に江戸幕府巡検使「島谷市左衛門」が小笠原を探索し、「無人島」(ぶにんじま)と名づけて日本領を宣言しました。ちなみに、英語で小笠原諸島を意味する Bonin Islands はこの”ぶにん”島という呼称が訛って取り入れられたものだと言われています。1670年に紀州の蜜柑船が母島に漂着し八丈島経由で伊豆下田に生還、島の存在が下田奉行所経由で幕府に報告されました。現在ではこの報告例が最初の発見報告と考えられています。

1702年にスペインのヌエストラ・セニョーラ・デル・ロザリオ号(Nuestra Senora del rosario)が小笠原諸島(西ノ島)を発見、ロザリオ島と命名。

19世紀に入り捕鯨漁の隆盛とともに、この近海も欧米船舶の往来が盛になり、1824(文政7)年に米国捕鯨業者のジェームス・コフィン船長がイギリス捕鯨船トランシット号で”母島”に来島し、「沖港」を”コフィン港”(Coffin Bay)と名づけました。以後、この諸島は米国系艦船にはコフィン諸島(Coffin Islands)として知られました。1827(文政10)年にフランクリン卿(Sir George Franklin)の北極探検支援のために急派された英国軍艦ブロッサム号(Blossom 艦長Frederick Beechey 1796-1856)が父島に到達、これをピール島(Peel Island)、二見港をロイド港(Port Lloyd)と命名し、この諸島の英国領を宣言しました。

1828年、ロシアのリュトケ提督が世界1周航海の途上、ボニン諸島を望見。

1830(天保元)年に英国籍のマザロ(Matteo Mazarro)を長とする米人セイバリー(Nathaniel Savory)ら4人の欧米人と25人のハワイ人が父島に定住し開拓を始めました。ハワイの英国領事はマザロ(Mazarro)を開拓民の長と認める証明書を発行するとともに、同諸島が英国領であることを強調しました。1847年にはジョン万次郎が米捕鯨船に乗って小笠原に来航しましたが、彼は後年に今度は日本側官吏として小笠原に来ました。

1853(嘉永6)年に捕鯨船の補給基地の確保を目指して、ペリー提督が米東洋艦隊を率いて入港しました。ペリーはセイバリーを米艦隊エージェントに任じるとともに、島の自治化を図り、当時指導的立場にあったセイバリ―の被選首長への道を開くなど米国の影響力強化を策しました。この頃から英米両国間に小笠原諸島の領有権をめぐる烈しい紛争が生じました。日本もこれに抗して幕府および明治政府による領有宣言、移民の送致など開拓の努力をつづけ、1876(明治9)年に日本の小笠原諸島領有が関係各国から認められました。これにより日本政府は父島の大村に島庁を設け、諸島の行政的管理に本腰を入れることになりました。1880(明治13)年に東京府所属が決定し、東京府出張所が開設されました。1882(明治15)年には欧米系とハワイ系の先住移民全員が日本に帰化。以後、本土からの移民が増加、それにともない産業、教育、行政など各方面が次第に充実してゆきました。1926(大正15)年に小笠原島庁は小笠原支庁と改称されました。

1941(昭和16)年に太平洋戦争が勃発。1943(昭和19)年には南方戦局の緊迫化にともない、島民7711人全員が日本本土に送還されました。1945(昭和20)年の日本の敗戦により、全島が米国政府の統治下に入りました。1968(昭和43)年6月26日に小笠原諸島は日本に復帰し、東京都小笠原支庁小笠原村となり現在におよんでいます。なお、米国統治中、米軍によって建設されたチャペルは本土復帰とともに返還され、聖ジョージ教会として復活。神社も旧に復しましたが、戦前まであった仏教寺院は復興することなく、墓地だけが残って現在にいたっているようです。なお、1972(昭和四七)には小笠原国立公園に指定されました。

・参考:〜:
小笠原諸島は
・父島列島(ちちじまれっとう)、
・母島列島(ははじまれっとう)、
・聟島列島(むこじまれっとう、ケータれっとう)、そして
・火山列島(かざんれっとう)に大別されます。

父島列島は、
・父島
・兄島
・弟島
・孫島
・巽島
・人丸島
・瓢箪島
・西島
・東島
・南島などからなり、

母島列島は、
・母島
・姉島
・妹島
・姪島
・向島
・平島などからなり、

聟島列島は、小笠原諸島のうち、
・聟島(ケータ島)
・嫁島
・媒島などを主な島とする列島で、小笠原諸島の最も北に位置し全島が無人島です。

火山列島は小笠原諸島に属する島嶼群で、硫黄列島(いおうれっとう)とも呼ばれます。東京とグアムの中間あたりに位置し、
・硫黄島
・北硫黄島
・南硫黄島などからなります。

小笠原諸島は1543年にスペインのサン・ホワン号のベルナルド・デ・ラ・トレ船長(Bernardo de la Torre)が発見したといわれていますが、定かではありません。最初の確実な目撃例は1784年(1779年とも)にキャプテン・クック第3回航海”ジョン・ゴア船長”(後のレゾリューション号船長、ディスカヴァーリー号はジェームス・キング船長)が硫黄島を発見した時だといわれています。その後、1887年に東京府知事らが硫黄島を視察し、1891年9月に正式に日本の所轄となり、1893年からは硫黄島で硫黄の採掘が始まりました。第2次対戦中の「硫黄島の戦い」が良く知られていますね。
・世界遺産:〜
2011/6/24に小笠原諸島が世界遺産に登録されたとのTV報道が有りました。小笠原諸島は天然記念物に指定されているオガサワラオオコウモリなど、貴重な生物が生息している自然の宝庫です。
参考HP〜
小笠原諸島の各島の関係地図
小笠原諸島の場所
父島列島、母島列島などの詳細地図

硫黄列島の場所地図
硫黄島の航空写真

上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。      2007/4/30、11/6/24
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