★オランダ 第1次 蘭英戦争
1652〜1654
1st Anglo-Dutch War
大航海物語★

NEDERLAND

トロンプ(父)
1597-1653

ワィズ
1599-1658

J.エバツェン
1600-1666

JERSEY

英仏海峡の地図

・蘭英(オランダ・イギリス)戦争、
 (1652年〜1654年、1665年〜1667年、1672年〜1674年)
17世紀後半、イギリスの航海条令を不満とするオランダとの間で3次(1652年〜1654年、1665年〜1667年、1672年〜1674年)にわたって行われた戦争。これによりイギリスの海上支配が確立し、オランダは衰退しました。

・第1次蘭英戦争(1652年〜1654年)
・1652年〜1654年、イギリスの航海条令を原因として開戦。
チャールズ2世には王政復古で世話になった人が大勢いて、彼等に対する褒美として海外の領地を与えることを考えていた。まず弟のヨーク公にアメリカのオランダ植民地を与えました。
両国艦隊が交戦するも、オランダは航海条令を認め講和しました。

航海法をきっかけに1652年から1654年にかけて、クロムウェルのイングランド共和国とネーデルラント連邦共和国(オランダ)の間で戦われました。イングランド艦隊は東インドなどからアジアの富を満載して帰国するオランダ船団をイギリス海峡で襲撃し、拿捕し始めました。このため当初はイギリス海峡の制海権が焦点となりました。当時オランダの造船能力は世界最高水準にあり、オランダ製の大型軍艦はすでに輸出商品として確立されていましたが、常設の大艦隊を保有しない方針であること、小型艦中心のオランダ艦隊は大型艦中心のスペイン艦隊に常に勝利し続けたこと、通商ルートの保護のためには小型艦の数をそろえたほうが便利などの理由で、ブルジョア政治家たちは大型軍艦建造を承認しませでした。また、オランダの沿岸は水深が浅いため、喫水が深くなる大型艦が運用しづらいというどうしようもない事情もありました。これに対してイングランド側はよく装備された大型軍艦を投入。デ・ウィッテら一部の進歩的政治家や現場の海軍士官たちは大型艦の必要性に気づいていましたが、対応は遅れました。オランダのトロンプ提督は優勢な英国海軍に対して奮戦するも、装備の差はどうすることもできず、イギリス海峡の制海権を失い、オランダ船団はスコットランドの北を大きく迂回してオランダ本国に帰国しなければなりませんでした。イギリス海軍はオランダ諸港の封鎖を続け、貿易立国のオランダは大打撃を受けた、と言われていますが、本当のところは大した損害は蒙っていませんでした。イングランドの護国卿となっていたクロムウェルは、理想主義的なプロテスタント英蘭の対等な合邦論を唱え、1654年和議に応じ、ウェストミンスター和約が成立して戦争は終わりました。

ポートランド沖の海戦
、1653年2月28日〜30日、〜 第1次 蘭 英 戦 争 〜
・両軍の兵力
ブレーク提督が率いるイギリス艦隊(80隻)
トロンプ(父)提督が率いるオランダ艦隊(75隻)

第1次ウェストミンスター条約(Treaty of Westminster)
1654/4/5に締結された条約で、第1次英蘭戦争を終結させた講和条約。オランダが航海法を承認することで、公海上でのイギリスの優位を認めると共に、賠償金支払い、ホラント州からのオラニエ・ナッサウ家の排除を決定しました。

第二次蘭英戦争、(1665〜1667)

第三次蘭英戦争、(1672〜1674)

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。       11/1/23

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