★オランダ 第3次 蘭英戦争
1672〜1674
3rd Anglo-Dutch War
大航海物語★

NEDERLAND

ロイテル生誕300年記念
1607 = 1907

オランダ 明治40年 1907 発行
NEDERLAND

デ・ロイテル
1607-1676

JERSEY

英仏海峡の地図

・第3次蘭英戦争、(1672〜1674)
第3次英蘭戦争はフランスのルイ14世と盟約を結んだチャールズ2世が1672年から1674年にかけて、フランスの始めたオランダ戦争に協力する形で始まり、オランダ戦争の局地戦とも言えます。当初フランスの侵略意図が明らかになると、デ・ウィッテはイングランドと同盟を結びました。しかしルイ14世は絶世の美女ケルアイユを与えてチャールズ2世を籠絡し、イングランドを味方につけました。1672年にフランス軍はオランダに侵攻して国土の大部分を占領しましたが、オランダ側は堤防を決壊させて何とかフランス軍によるアムステルダム占領を防ぎました。危機に瀕した国内ではオラニエ・ナッサウ家の統領(総督)職復帰を望む声が強まり、若いオラニエ公ウィレム3世が軍最高司令官となり、次いで統領に就任しました。その後で発生した暴動により、デ・ウィッテ兄弟は民衆に惨殺されました。ウィレム3世はオーストリア、スペインと同盟を結んでフランスを包囲し、フランス軍を撤退させました。戦争末期にイングランドは大艦隊を組織してオランダを襲いましたが、オランダの名提督デ・ロイテルに撃退されました。

第3次英蘭戦争は、1672年にイギリスがフランスのルイ14世によるオランダ侵略戦争に加担して開戦しました。3月には英仏海峡を航行中のオランダ商船が突如イギリス艦隊から攻撃を受けました。イギリスはこの時オランダ船が抵抗したことを理由として三たびオランダに宣戦して、「第三次英蘭戦争」の勃発となりました。フランスがイギリス側に立って参戦し、フランス陸軍十数万がオランダ国内へと侵入し、海上からはイギリス、フランス連合軍がオランダへの上陸を試みましたが、名提督のデ・ロイテル率いるオランダ艦隊の「ソールベー沖の海戦」などの活躍により撃退されました。第2次ウェストミンスター条約で講和が成立しました。

一方、イングランド議会では「オランダがフランスの手に落ちればイングランドはフランス重商主義によって経済的に屈服させられる」と言う声が高まり、チャールズ2世に親仏路線撤回を求めるようになりました。このため、1677年にチャールズ2世は弟ヨーク公(後のジェームズ2世)の娘メアリー(後のメアリー2世)をウィレム3世に嫁がせて同盟を結び、国内の不満の沈静化に努めることになりました。

オランダは第3次蘭英戦争(1672〜74)では英仏を敵にまわして戦い、1673年には英仏連合軍がオランダへの上陸を試みましたが,ロイテル提督の率いるオランダ艦隊が撃退して、オランダ上陸を阻止しました。

・講和条約(1674/2/19)、
第3次ウェストミンスター条約(Treaty of Westminster)で講和が成立。1674年に締結され、第3次英蘭戦争を終結させた講和条約で、敗北したオランダはイギリス・フランスに賠償金を支払うと共に、入植していたニューアムステルダム(ニューヨーク)、ニュージャージーなどの北アメリカ植民地をイギリスへ割譲することで合意しました。

・結末について、
イングランドは3次にわたってオランダと開戦し、オランダ経済に大打撃を与えましたが、皮肉にも1688年の名誉革命により、かつて敵対したオランダ統領ウィレムをイングランド王ウィリアム3世として迎えることとなりました。名誉革命は国際関係からみれば、クロムウェルが提唱した英蘭合邦案の実現と言えなくもないという説も有。

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。       11/1/23
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