★オランダ デ・ロイテル提督
1653
オランダ海軍司令官
大航海物語★

デ・ロイテル

オランダ 1943-44 発行
NEDERLAND

1607 ロイテル生誕300年記念 1907
オランダ 明治40年 1907 発行
JERSEY

英仏海峡の地図

ロイテルはオランダ・イギリス戦争で、第1次。第2次、第3次と縦横無尽の活躍をなし、英仏連合軍のオランダ上陸を阻止しました。69才でスペイン軍支援へ往き、シチリア島沖海戦で戦死しました。
デ・ロイテル提督
 Michiel Adriaanszoon de Ruyter (1607〜1676)

ロイテルは少年時代から船に乗り、商船、捕鯨船、私掠船(海賊船)、そして軍艦に乗り組み豊富な経験を積みました。1641年34才でオランダ海軍々艦の艦長になりました。

第1次蘭英戦争(1652〜54、45才で勃発)では副司令官を務め、各地の海戦で目覚しい活躍をしました。1653年にトロンプ提督の死後、オランダ海軍の司令官に昇進しました。戦後は地中海方面の海賊船や私掠船の掃討作戦に従事し指揮しました。また、ダンケルクの解放、ポルトガルの海上封鎖、スェ−デンへの遠征、イギリスからゴールド・コースト(黄金海岸)を奪取するなどと大活躍をしました。

1664年にはアフリカのシエラレオーネのタッソ島にあるイギリス城砦をデ・ロイテル提督率いるオランダ艦隊が攻撃しました。

第2次蘭英戦争(1665〜67、58才で勃発)ではオランダ海軍提督に就任し、”四日海戦”や、”テームズ河の奇襲”などで勝利しました。

1666年6月、デ・ロイテル提督率いるオランダ艦隊がイギリスの海岸に迫り、これを迎え撃つモンク提督指揮のイギリス艦隊との間で極めて激しい戦闘が展開されました。この海戦は4日間にわたって激戦が続いたので「4日海戦」といわれるようになりました。4日目の戦闘ではデ・ロイテル提督の指揮するオランダ艦隊が、イギリス艦隊の中央にあったモンク隊めがけて突進してイギリス軍艦20隻を撃沈、6隻を捕獲しましたが、オランダ艦隊の損害は4隻が沈没しただけで、オランダ艦隊の大勝利となりました。敗北したイギリス艦隊はモンクの優秀な指揮のもと、混乱することもなく艦隊の規律を維持し続けて退却することが出来ました。

第3次蘭英戦争(1672〜74、65才で勃発)では英仏を敵にまわして戦い、1673年には英仏連合軍がオランダへの上陸を試みましたが,ロイテル提督の率いるオランダ艦隊が撃退して上陸を阻止しました。

1675年スペインの援助のため地中海でフランス軍と戦い、翌年4月シチリア島沖海戦で戦死しました。生前にスペインやデンマークから貴族の称号を贈られました。

・デ・ゼーヴェン・プロヴィンシェン号の装備:〜
  De Zeven Provincien
、1665、
   オランダ(ロイテル)艦隊の旗艦、(Seven Provinces:7つの州)
船 型 オランダ戦列艦(Dutch ship of the line) デ・ゼーヴェン・プロヴィンシェン号、1666

オランダ 1957/7/2 発行
帆 柱 3本
全 長 46m
全 幅 12.2m
喫 水 4.6m
重 量 (1000屯、推定)
乗組員 (300人、砲兵80人、兵120人、推定)
進 水 1665年、ロッテルダム(Maas Rotterdam)
最 後 1694年、数々の海戦で傷んで解体処理
武 装 36-pdr砲12門、24-pdr砲16門=下甲板、
18-pdr砲14門、12-pdr砲12門=上甲板、
06-pdr砲26門=艦首楼甲板(forecastle、8)、後甲板(quarterdeck、12)、
          艦尾楼甲板(poop deck、6)、合計:砲80門
デ・ゼーヴェン・プロヴィンシェン号は第2次蘭英戦争(1665-67)で旗艦となり、「4日海戦」でマストを失うも勝利、「セント・ジェイムズの海戦」は苦戦の末に敗戦、「メドウェイ川襲撃」でテムズ川封鎖に成功など多くの戦果を挙げ、第3次蘭英戦争(1672-1673)も旗艦、イングランドとフランスを相手にした「ソールベイの海戦」、「スホーネヴェルトの海戦」2回、「テセル島の海戦」の4つの主要な海戦にも従軍。

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。        2010/6/27追記

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